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座右の銘と私の軸と

「貴方の、座右の銘を教えてください」

実際の試験で聞かれたわけではない。
しかし、再考するには良い機会となった。
この時自然と出てきた、あの言葉が
私にとっての座右の銘なのだろう。と
そう思った。











大変ご無沙汰となってしまった。
諸々の事情は省こう。
最近で言えば大切な人を一人、失ってしまったとだけ遺しておこう。
失ってからの約1か月
私は非常に周囲の人間に恵まれているのだと実感している。
このことについては、後半で触れよう。

今回は就職試験、面接のために練習していた際、一練習として投げかけられた質問
冒頭に挙げたものだが、これを遺したいと思う。
思えばこれまで

私の座右の銘はこれだ

と明確に遺したことはなかった。
過去に一時的に掲げたものなどはあったが、私の座右の銘として今も在るのはこれから記すものたちだけ。



私の持つ軸を、端的に表す言葉を探していなかったというのもまた事実だが
せっかくならば、今ここで遺してみようと思う
これについては、特に3つ目がこの要素を大きく含んでいる。
”財産” という言葉から、何を言いたいのかわかってもらえれば嬉しい。







さて、私には座右の銘と言うべき言葉が3つあった。
出会った時期はバラバラ
一見、全く違うようにも見える言葉だ。
自然と私の口から出た言葉をまずは、紹介したい。

もしかしたら、非常に懐かしく思う人もいるだろう。




小さいころから貫いていた言葉

これは、私が小学生の時に出会った言葉

所属していた少年野球チームでチームスローガンにまでなった言葉だ


当時大人気だった某アニメ。そこで出てくる(正確にはそのOP曲のタイトルであって、アニメ内ではこの発言は無かったかもしれない)ものだ。



”勝って泣こうぜ!”



この言葉だ。

この言葉に、貴方はどれだけの意味を見出すのだろう。

私のチームでは、地区・市の大会などで準優勝が何度も続いていた。
決勝で負けて悔し涙を流すばかり

そんな現状を打破したい
もしかしたら、そういう思いもあったのかもしれない

チームがスローガンとして掲げた理由の一つはここだろう。


しかし、ただ勝つだけで、優勝するだけで、嬉し涙は出るだろうか

もちろん答えはNOだ。



勝つために、最後まで戦い抜くために、必死で努力したからこそ
嬉し涙が出てくるものだ。
当時の監督が、そのようなことばを私たちにかけてくれた。



いつも負けて終わって悔しいだろう
勝つためにもっと努力しよう


どうせ泣くなら、勝って泣こう



これがチームの力になっていたと、今なら思える。

実のところ、私は当時後輩にポジションを取られて控えだった。
勝って泣けるほどの努力をしていたかと言われると、その後の経験を踏まえれば正直不十分だった。
当時の私としては十分だと思っていたが、かなり見込みが甘かった。
甘すぎた。客観視すれば笑えてしまうほどかもしれない。
しかしこの言葉、考え方は確実にこの時、私の中に強く刻まれた。
これだけは事実だと言えよう。


改めて思い返して、やはりチームに確実に良い影響を与えていた。
そんな言葉だ。


さて、座右の銘と言うには不十分だ。
後の私にどう影響したのか。



一つはやはり、次のステージ、中学野球の世界だろう。
最終的に最後の大会は簡単に負けてしまった。
しかしその途上、勝って泣けるほどの努力はしてきたと自負している。


新チームでレギュラーを奪取できてから
タイムリーが出た時、自分がホームベースを踏めた時

思わず涙ぐんでいたこともあったと記憶している


最後の試合で打ったタイムリーの喜びは、今でも鮮明なものだ。
目の前の打者で、結果的に最後となった攻撃が終わったあの景色も
最後の打球がフェンスを越えていくあの瞬間も
同じくらい鮮明に残っているが


常にと言えるほどの努力を続けていたかと言われれば、これまたやはり振り返ってみると微妙なところではある。
しかし、勝って泣きたいと強く思って、努力をできた経験であることに偽りはない。






これまで野球の経験で話を進めたが
この言葉は私にとって、当然野球だけのものではない。


他にも様々な面で常に胸の中にあった








受験勉強は当然その一つ
今対峙している国家試験の勉強も、就職試験だってそうだ。

「合格」

この二文字を得るために、今私は前を向いている。


今後の人生においても、大事になってくる言葉だ。



STとして、お子さんと関わる。

お子さんのよりよい人生のために、私なりに工夫して、アプローチをする
先輩STや同僚などにも手を借りながら



お子さんが

「来てよかった」「幼稚園でこんなことができた」

などと言ってくれたら、思ってくれたら


これはきっと、私にとって非常に嬉しいことばになる。

私と関わるお子さんの人生が、少しでも広がり、豊かになれば
勝利を手にした時のように、私は喜べるはずだ。


そのために、STとして努力を続ける。
これも、この言葉と通ずるものがあるだろう。


吃音の専門家としてもそうだ。



臨床や研究、大学院への進学もあることだろう。


私の模索した道が、何らかの結果を生み出したとき
そのために努力を惜しまなかった時


きっと私は、泣いて喜べる



そんな将来を描きたい



だから、これからも
私にとって大事な言葉であるというわけだ。


せっかくだから、一度純粋な気持ちをもって、小学生か中学生に戻った気持ちになって
あの曲をきいてみると良いだろう


前を向ける、素敵な言葉に出会える、あるいはそんな言葉と再会できる
きっと、何かに気づけるだろう










私が私であるためにある言葉

中学生の時、これまた野球で出会った言葉だ

当時はその意味の半分程度しか理解できていなかったのかもしれない
でも、私が私たる所以であるように思う


これまでにしてきたことも、これからすることも

この言葉、考えなしには実行できない事ばかりだ



”反骨精神”



シンプルな四字熟語、最も座右の銘らしい言葉だと思う。


「反骨精神」の「反骨」とは「権威や権力、時代風潮などに逆らう気力や気概」を指します。「叛骨」とも書き、「叛」には「背(そむ)く。謀反(むほん)する」という意味があります。不正や古い因習など、大きな権力に果敢に立ち向かい自分の信念を貫き通す、強い精神を「反骨精神」と呼ぶのです。

https://precious.jp/articles/-/40432


言葉の説明は、引用した通りだ。


前半だけ読むと、最近では煙たがられる類の人間を目指しているように捉えられるかもしれない

大事なのは、後半の部分、特に最後の文の後半だ。


「自分の信念を貫き通す、強い精神を「反骨精神」と呼ぶのです」


私の行動特性の中に

  • 正しいと思うことは全力で貫き通す

  • 話し合って決めた方針は堅守する

などがある。


ここに、反骨精神が刻まれている理由を見出すことができるのではないだろうか



私は、目標達成のためならば、必要な手をいくらでも使いたい。
そこに要する努力は惜しみたくない。

チームとして取り組むことがあるのならば、その目標に向かっていきたい
大きくそれるならば、もちろんそれも必要なルート選択だとは思うが、最終的に目指す方を向けるよう、道を正す人間でありたい。


相手が誰であっても意見を述べることをいとわない。
それが私であると思う。

夢に向かって、目標に向かって、貴方がより良い道へ向かえるように


私の持つ軸が、誰の手によっても折られることのないように
後ろを歩く者たちに、確かな背中を見せられるように



この言葉は、私を私として存在させてくれていると、強く思っている











そして、そんな私の軸と言い換えることもできるような
そんな言葉もある。

これもまた、座右の銘として遺すことができるように思う。











財産が気づかせてくれた言葉

noteを始めたきっかけ
それは私と言う一人の人間を遺すことでもある

財産が、彼が私の中に存在する大切な考え方を言葉にしてくれたあの時
私はnoteを始めることを決意したとも言えるかもしれない




「他人の幸せを実現できる人であれ」




座右の銘らしく言葉にするならば、こうだろうか

この言葉が出てきたきっかけは、私が描いた夢の話まで遡る



今目指している言語聴覚士でも
以前目指していた教師でも


根底にあったのはこの考え方であった。



吃音で苦しむ人
周囲との関わりに困難を感じている人
自ら可能性を狭めてしまっている人


そんな人々に


世界を広げるきっかけを与えたい

支援の手があるのだと伝えたい

人生をもっと豊かにしてほしい



人生を豊かにするSTに(あるいは教師に)、私はなりたい


この思いが、私の中には常にあった。
将来を描くとき、常にこの考えが、私の道を正していた。


ある意味では、この考えに固執して、道を狭めてしまっているようにも思う

しかし、この考えがあるからこそ、今の道を知ることができ、選ぶことができている


財産は私に

「他人の幸せを第一における考えを持っている」

と言った。


夢を、将来を描くとき、その中心にいるのは自分である場合が多いはずだと


そんななかで

中心にあるのが他人
吃音のある人や、言語障害のある人、何らかの困難を抱えている人

そんな人間はなかなかいない

と、彼は教えてくれた。


私が描く将来に、出会う人々の姿は当然まだ見えない

それでも、

まだ見ぬ私を求める人々のために、私をより価値のある人間にしていたい


これは今後、常に私の中にあり続ける考えになるだろう。



最後に脱線して、終わろうと思う
この考えは、冒頭に遺した

大切な人を一人失ってしまったこと

にもつながり得る。

様々な理由が絡み合い、この結果を引き出したわけだが、表向きの
一番の理由は、彼女が


私を、傍で応援し続けるだけの自信を持てなかった


ということであった。
純粋にこの理由を信じてみることにしようと思っている。

すぐそばで応援し続けたいと思えないということ
これはつまり、私の描く将来がまだまだ脆弱であることを、ある面では意味していると思う


あるいは、それを実現できるだけの力量が
今の私にはないと



この現実は、受け止めねばならない。

実際に、今年度に入ってからは
いわゆるキャパオーバーの状態であったことは認めざるを得ない


私のキャパを最も占領していたものが取り払われた。
これをチャンスとしなければ、私の成長はないだろう。



そのために切り替えたいわけだが、初めはなかなか難しかった。


停滞を続けてしまいそうだったが
冒頭に遺したように、周囲の人間に恵まれていると実感する出来事が重なり、前を向くことができているように思う


私の話をたくさん聞いてくれる友人がいれば
軽く笑い飛ばしてくれる友人もいた

とにかく楽しい時間を作ろうと、その場を提供してくれる人もいて

リフレッシュの機会を与えてくれる人もいる

刻一刻と迫る試験のために、時間を割いて協力してくれる友人もいた


他にも細かく挙げればもっとたくさんの助けをもらって、私は今立つことができているように感じる



何人の人がここまで読んでくれているかわからないが
一度ここで感謝していることを、改めて伝えたい


本当にありがとう



貴方に支えられているから私がいる

であるならば



私がいるから、支えられる貴方がいられるように
私がいるから、人生が豊かになったと感じられるように






そう








私が、他人の幸せを実現する人間であれるように





これからは、私をより一層、磨いていこうと思う







そして、貴方にも、協力を仰ぐことになるだろう








私も、貴方も、私を磨き、貴方のことも磨き上げることができるように







貴方との出会いを大切に遺したい


そして









共に、より良い未来へ

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