みんなウェルカム@幻冬舎plusをおやすみすることにしました
しばらく悶々と悩んでいましたが、ここ半年ほど幻冬舎プラスで発表してきた「みんなウェルカム」を一旦おやすみすることにしました。
この連載は、本にすることを前提に、幻冬舎の担当編集の大島加奈子さんと二人三脚で時間をかけて考えてきたものです。日本という圧倒的に多様性の低い国で育った自分が、たくさんの国から移民を受け入れるという壮大な「実験」で成長してきたアメリカという国にやってきて、今、トランプ政権の誕生や白人至上主義、ナショナリズムの台頭を前に、人々の人種的・性的・宗教的アイデンティティ、そして多様性について感じたり学んだりしたことを共有したいという意図で書き始めました。原稿を書き始めてからもなかなかタイトルが決まらず、大島さんと時間をかけてブレストして、今のタイトルにたどり着いた、自分にとっても思い入れの大きな連載です。
大島さんとは、2014年に「ヒップな生活革命」を出してしばらく経ったときに「女性の本を書きませんか」とアプローチいただいたことで知り合いました。若い頃から、見城徹氏が手がけてきた作品に触れることも多く、特に幻冬舎初期の本は多数読みましたから、このオファーはとても嬉しいものでした。
また、私のような遅筆の書き手にとって、本を書くという作業は長いものになりがちですから、誰とでもできることではありませんが、大島さんと何度か話をして、この人とだったら二人三脚できる、そう思って、企画を始めました。さらには他の仕事をしながら執筆活動をしている自分にとって、書き下ろしではなく、連載をまとめることができる、幻冬舎プラスという場所があることも、金銭的・精神的に助かることでした。
大島さんが考えてくれた「ピンヒールははかない」というタイトルがついた連載は、やっているうちにアメリカの女性を取り巻く環境が劇的に変わったことで、始めた当初の意図とはまったく違う形に有機的に発展していき、2017年に本として刊行されました。そのあと、大島さんと二人で時間をかけて企画を練り、「みんなウェルカム」が連載という形でスタートしました。
「日本国紀」ににまつわる最近の動向を遠くから見ていて、もやもやすることが増えました。なぜなら、権利の侵害があろうとなかろうと、人の文章をコピーして使う、ということは、絶対にあってはならないことだと教えられてきたし、それを信じて、「書く」という作業をしてきたからです。
それでも見城作品にいくども心を揺すぶられてきた自分としては、幻冬舎の主流とはかけ離れたまた大した部数も望めない自分のような小さい書き手が、幻冬舎のプラットフォームに発表の場を与えられてきたことに、希望と自分なりの意義を感じてきました。自分と似た価値観の人たちに向かってだけ物を言って満足する人間になりたいわけではないし、出版社と意見を異にする書き手がそれを理由に作品を引き上げてしまったら、それこそ多様性の精神に反すると思ってきたからです。それに実際、連載を始めてみると、いただいた厳しい意見から、自分の視野の狭さに気が付かされることがあったり、読者の方々からのお便りによって、新たなストーリーと触れ合ったり、「みんなウェルカム」は自分にとっても学びのチャンスでもありました。
さらにいうと、アメリカでは今、多くのプラットフォームが、宗教、人種、セクシュアリティを理由に人間に優越をつけたり、他者を攻撃したりすることを排除しようとするがあまり、さらに分断が進んでしまうというつける薬のなさそうな悲しい状況が起きている。もちろん人種的・宗教的・性的マイノリティに対するヘイトは醜いものです。それでも、世の中の現実として無視できない数の人たちが、他者を傷つける言論に走る現実を前に、それをシステマチックに排除することは、必要なことなのかもしれない一方で、根本的な状況の向上や解決にはならない気もしていたのです。そんな考えをもとに、私は「みんなウェルカム」を自分が納得するまで続け、本にしたいと思ってきました。
けれど、先週、見城徹社長が、Twitter上で、幻冬舎からの出版が中止になった津原泰水さんの過去の作品の部数を「晒し」たということを知り、これまで感じたことのない恐怖感を感じました。出版社しか知りえない情報が、作家を攻撃し、恥をかかせるための武器として使われたのです。
自分が書いた文章を世の中に発表するーーそんな恐ろしい行為をありったけの勇気を振り絞ってやれるのは、後ろで背中を押さえていてくれる編集者がいるからです。そして、どうやら自分は、今まで出版社への信頼というものを、編集者との関係に置いてきたようでした。今回の件で、恐怖感を感じたのは、自分が置いてきた信頼というものが、書き手対出版社という関係性においてまったく脆いことがわかったから。そして、批判の声を上げた書き手が、出版社に守られるどころか、攻撃の対象になりうることがあると知ったときに、「みんなウェルカム」を幻冬舎プラスで続けていくことはできない、と思ったのでした。
津原さんは、もう準備を進めていた文庫本の刊行を、幻冬舎の「日本国紀」のコピペを批判したことを理由に中止され、それを公開したら、部数を晒すという形での攻撃にあった。津原さんのツイートをたどると、体調に異変が起きるくだりがありましたが、この体の反応はリアルにわかります。「批判的なスタンスを理由に刊行中止という報復を受ける」も「これを公開したらさらにヒドい攻撃にあう」も、書き手にとってどれだけ辛いことか。
自分を表現するという恐れ多い行為に従事しながら、「好きな仕事だけしながら平和に暮らしたい」などと生ぬるい考えで生きている私ですから、幻冬舎に喧嘩を売りたいわけでもないし、「引き上げてやる!」という好戦的な気持ちもありません。そもそも私のような小さな作家が作品を引き上げたところで、何ができるというわけでもありません。疲弊する可能性のある争いもしたくない。だから誰にも言わずに、静かに連載をフェイドアウトしたい、と考えたりもしました。
けれど、自分はこれまで、アメリカに生きている中で、ナショナリズムや白人至上主義の台頭に、今、一人一人が自分の意見を表明しようという気運が高まっていることに、マイノリティの一人として勇気を得ているということをたびたび書いてきました。小さな声でも発する意味がある、そう言ってきたのです。そんな自分が何も言わずに連載をやめたとしたら、自分のふぬけぶりに呆れながらこれから生きていくだろうということは、ちょっと想像しただけでわかりました。それは自分にとって耐えられないことでした。
幻冬舎から本を出し、販促などをする中で、私は、幻冬舎の書籍に関わる社員の方には、大島さん以外お会いしたことがありません。それでも「ピンヒールははかない」は、世に出る本がすべてそうであるように、編集、校正、印刷、流通、販売と、ひとつひとつの段階に関わってくれた方々のおかげで世の中に出て、一度は増刷までしていただきました。私から見えないところで、見城社長が作った組織に属するたくさんの方々が動いてくださったことに疑問の余地はないし、それに対しては感謝の気持ちしかありません。
もうひとついえば、私という人間が形成される過程で、見城作品が私の小さな世界を何度も揺さぶってきたことは否定しようのない事実です。そしてそれが、自分を「みんなウェルカム」のような作品を書きたいと思う人間に育てたこともまた揺るぎない事実なのでした。
私は、今の見城徹氏の行動をまったく理解することができません。そういえば「みんなウェルカム」は、自分と違う人たちを理解したい、理解できなかったとしても、せめて試みたい、という気持ちで始まり、見城さんの決裁を経て、世の中に出た企画だったのでした。それを志なかばで次のあてもないままおやすみすることに、無力感しかありません。私のような書き手がこの広い世の中に対して投げられるボールの小ささを痛感してもいます。今の自分にできることは、ここにこの文章を書いておくこと、もうちょっと精進し、大きくなって「みんなウェルカム」の続きを書くための精神的準備だけかもしれません。
この数日間、ここに書いたようなことを考え抜きました。その過程で、自分が作品を作るという行為、そしてそれで成り立っている自分の人生がどれだけの人たちに支えられているかに気が付きました。苦しい何日かでしたが、それがわかっただけでもひとつ大きな収穫を得たのかもしれません。
「みんなウェルカム」を読んでくださったみなさん、これまでありがとうございました。