企業がやる Instagram がたいていダサくなる理由
ある方から「なぜ Instagram が失敗するのか?」という相談を受けたことがありました。
(どう見てもインスタグラマー感のない僕に相談する時点でヤバい気がしますが)
僕はその時、「御社で一番Instagramを使ってそうな人に任せてみればいいんじゃないですか?」と答えました。
これは、まあ大抵のデジタルマーケティングが失敗する理由を回避するためなのですが、今日はその話について。
よくある流れ
こんなやりとりが本当にあるかはともかくとして、こういうことはよくあります。
その結果、こうなります。
かくして、なんとなく始まった Instagram アカウントは、永遠にダサいままで運用されることになります。
デジタルマーケティングが失敗する理由
だいたいのデジタルマーケティングが失敗するプロセスは共通しています。典型的なのは下記のような例です。
① なんとなくやらなきゃ、と感じて始める
② 担当者に知見がなく、運用コストをかけたくないので外部委託(か部下に丸投げ)する
③ 数字だけ見るからPDCAが回せない
④ 改善しないので永遠に成果が上がらない
要は、「成果を評価する人が、そのプラットフォームに対する知見があるかないか」ということが重要なわけです。
冒頭で言った「なぜ失敗したかわからない(他アカウントとの違いがわからない)」のは、結構致命的です。
例えば、「他のアカウントと比べて写真にセンスがない」とか「投稿の頻度が少ない」とか、それがわかっているならいいのですが、何もわかっていないということはおそらくそれを判断するセンスが無いとわけなので、潔く自分には判断力がないと認めたほうがいいでしょう。
サマった数字だけ見ているとダメになる
「一人の死は悲劇であるが百万人の死は統計的な事実である」という有名な言葉があります。
重要なことは、丸まった数字をもらっても、その実態は明らかにならないということです。
それぞれの投稿にどのような意味があるか、価値があるかを把握しなければいけません。
SNS マーケティングの結果をフォロワー数エンゲージメント率の数字だけで判断する、というのは間違っています。
Instagram というマーケット(市場)において商品となるのは写真や投稿そのものです。
どれほど自社製品に対して理解があっても、そのプラットフォームに対して知見がなければ、正しい評価はできません。
数字だけ見ても、本当にその投稿が正しい方向性に向かっているかどうか、判断することはできません。
日本企業の悲劇
こんなことは当たり前のことであって、わざわざ書くほどのことでもないんです。
しかし実際のところ 日本の企業では、ろくに自分ではInstagramを使ってなかったり、Twitterを使ってなかったりする人が、フォロワー数やエンゲージメント率だけを見て、SNSマーケティングの成否を評価する立場にいたりします。
EC化を担当する人が普段Amazonやメルカリすら使ってないケースだってあるわけです。
なんとなく今旬だから、他がやってるから、という理由で初めても、自分がそのマーケットに対して理解がなければ、方向性が正しいかも判断することは出来ません。
そうなると、広告代理店やコンサルタントに外部委託することになります。
しかし、広告代理店やコンサルタントは所詮他人です。彼らは顧客の事業に対して責任をおっているわけではありません。
日本に共通する問題
日本のあらゆる場所で、意思決定者がトレンドに追いついておらず、善悪の判断がつかない、という事態が起きています。
だから「なんとなく旬だ」と思ってやってるだけの SNS アカウントや、作っただけのオウンドメディアが氾濫するわけです。
なんとなく旬だから始めることにして、やり方が分からないから広告代理店に丸投げして、それで数字が出ないから担当者を詰める。
こんなことで効果が出るはずがありません。何だってそうです。SEO にしろ、広告にしろ、SNS にしろ。
(一体、全盛期につくられたオウンドメディアがいくつ残っているでしょうか?)
どういう種類のマーケティングであれ、始める前には戦術と戦略と勝てる可能性があるという確信が必要です。
Instagram のマーケティングをやるなら、本当に今の人員リソースでや運用コストで、他社に勝てる運用が可能なのかを考える必要がありま。
なんとなく始めてから どうやって回していくのかを考えるのは、まさに泥棒を捕まえてから縄を縫うような話です。
勝ちパターンを決めないままにマーケットに手を伸ばすのは、危険きわまりありません。
大事なこと
大事なことは、一番そのプラットフォームを普段から使っている人に判断を任せることです。
例えば自分が普段、あまりSNSを使わないのであれば、思い切って若手を登用することも考えて見るべきでしょう。
「私は盲目だったが今は見える」という言葉がありますが、自らが判断がつかない、五里霧中であることを潔く認めることが、日本の経営者や意思決定者に求められているのではないでしょうか。