高知県のローソンだけ店内調理ブランドが異なる理由を探ったら、なぜか茨城県のスーパーにたどり着いた
ローソンをご存知でしょうか……なんて前置きをわざわざ置く必要はないでしょう。北は稚内から南は沖縄本島まで、全国津々浦々に14000店舗以上(2025年1月現在)展開する大手コンビニで、同業最大手より47都道府県すべてに進出した時期が20年近く早かったこともあり、あらゆる地域で親しまれているお店のひとつです。
さて、そんなローソンでは、近頃『まちかど厨房』と呼ばれる店内調理を充実させることに力を注いでいます。
店内調理が北海道や茨城のコンビニで成功したことにどの程度影響されたかは不明ですが、一般的に、冷めた弁当をレンジで温め直すよりは温かい弁当をそのまま出した方が美味しいのは自明なので、店内調理に力を注ぐと言う方針自体は合点がいくものではあります。
さて、そんなローソンの店内調理ですが、実は『まちかど厨房』以外になぜかもう一種類ブランドがあります。その名も『える厨房』
と言っても「『える厨房』なんて観たことないよ!」とおっしゃる方もいるかもしれません。上記画像の左上あたりを見るとわかりますが、『える厨房』はローソン高知限定の店内調理ブランド。
店内調理をするローソンは高知県外では『まちかど厨房』、高知では『える厨房』と、わざわざ2つの看板に分けられて展開されています。もちろんメニューだって異なります。
普通に考えて、47都道府県の中で敢えて高知だけ他地域と全く異なる展開をする必要はなさそうなので、当然これにはそれなりの理由があり、結論から言うと、この理由を突き詰めて行くと最終的にカスミと言うスーパーマーケットに行き着きます。
ただ、詳しい方ならご存知かと思いますが、カスミは茨城県土浦市発祥の関東ローカルスーパーで、ちょっと考えると高知県とはなんの縁もなさそうなお店です。なぜ茨城近辺のローカルスーパーが高知のローソンの店内調理に絡んでくるのでしょうか。順を追って振り返ります。
ローソン高知の成り立ち
上ではさらっと触れましたが、上記の『える厨房』を展開するのは『ローソン高知』たる会社。そもそも、なぜ高知に特化した運営会社を作る必要があったのでしょうか。
ローソン高知の公式サイトのヘッダを見ると、会社概要・電子公告・ローソン本社へのリンクと並び、見慣れない文字があることに気が付きます。
サニーマート。こちらはちゃんと高知県のスーパーマーケットで、少なくとも地域的な整合性は取れているように見受けられます。
もったいぶらずに結論を話すと、ローソン高知はサニーマートが51%、ローソンが49%を出資する合弁会社。サニーマート側の出資比率がちょっと高いことから、サニーマート主導で運営されていることがわかります。コンビニの運営に長けたローソンと、高知のローカル食文化に精通したサニーマートが手を組めば、まあ、百人力かと思われます。
同様にローソンと地場スーパーが手を組んだ事例としてはローソン沖縄(こちらはサンエーが出資)が挙げられます。沖縄は食文化や物流の観点で色々と特殊な対応が必要となるため、同業他社も同じ形態で進出しています。
ただし、ここまで話すことで新たな疑問が生じます。沖縄はさておき、なぜ本土では高知だけでこのような特別な対応がなされたのでしょう。
結論から言うと、サニーマートは元々高知県内で別のコンビニを運営しており、高知の店舗網を丸ごと引っ提げてローソンに鞍替えしたことがその理由。ローソン高知の前身である『スリーエフ中四国』の話をしましょう。
スリーエフ中四国の成り立ち
スリーエフ中四国はサニーマートのコンビニエンス事業部を分社化した会社で、当時は確かサニーマート本体の100%子会社だったと記憶しています。なお、こんな社名ですが店舗は四国(と言うかほぼ高知)にしかなかったようです。
スリーエフ自体は横浜に本社を置く関東の中堅ローカルコンビニで、高知に関しては完全にサニーマート側に自由にやらせていたようですが、競合の少なさもあり市場シェアは高知の方が高かった……どころか、店舗数ベースでは消滅寸前まで本州資本の大手と互角に渡り合っていました。県内での認知度も高く、現在あるお店で例えると北海道におけるセイコーマートのような、地域色の強いコンビニとして親しまれていたものの、いろいろあって2015年にローソンに鞍替えすることになります。
上述の通り、そのスリーエフ中四国を(サニーマート主体で)受け継ぐこととなったローソン高知も、県民に親しまれるコンビニと言う強みを引き続き活かしていくべく、地域密着路線で運営されています。
さて、そのスリーエフ中四国が元々(当然ローソンとは全く別に)店内調理を展開していました。高知にはかなり昔から持ち帰り弁当店にコンビニをくっつけたローカルチェーン店もあり、店内調理の重要性が早くから知られていたこともその一因かもしれません。とにかく、その店内調理メニューを受け継ぐために作られたのが『える厨房』でした。
つまり、『まちかど厨房』はローソン発祥の店内調理サービス、『える厨房』はスリーエフ中四国のDNAを引き継ぐローソン高知の店内調理サービスである……と言うのが一応の答えになります。
さて、ここまで書くと読者諸兄には「さっきからサニーマートの話ばかり出てきとるけどカスミはいつ出てくんねん!」とツッコまれそうですが、この話にはもうちょっとだけ続きがあります。
すなわち、スリーエフ中四国もまた別のチェーンから鞍替えした会社であると言うことです。スリーエフ中四国の前身、四国スパー本部の話をしましょう。
四国スパー本部の成り立ち
スパーはオランダのアムステルダムに本部のある世界有数の食品小売店です。高知・茨城・横浜と来て次はオランダかよ!と言った具合であちこちに話が飛び回り恐縮ですが、とにかくそのスパーは現在日本ではほぼ展開されていない(岡山県に1店舗残存アリ)ものの、かつては日本国内でもよく知られた存在でした。
日本におけるスパーには以下のような特徴が挙げられます。
1.主にコンビニエンスストアの形態で展開された。
……本場の欧州ではスーパーのような形態も多いらしく、日本でも一部ではそのような形の店がありましたが、店舗の大半は『ホットスパー』たる日本独自の店名を掲げるコンビニエンスストア形態で展開されました。
2.各地域本部の独自性が極めて強かった。
……スパーは元々ボランタリーチェーン(各店の独立性や裁量を維持した状態で、仕入れなどを共同で行う形態のチェーン店のこと)として日本に上陸しました。その影響もあり、各地に設立された地域本部の独立性が強く、地域の実情に合わせた運営がしやすい特徴がありました。イメージとしては同じホットスパーの看板を掲げるローカルコンビニが全国各地に好き勝手に点在しているような感じです。
一方で、チェーン店としてのシナジー効果が弱く、一時は店舗数ベースで大手まで上り詰めたものの、最終的に各本部が個別に撃破される形で瓦解することとなります。
3.日本での総元締めがカスミだった。
ここでようやくカスミの名前を出すことができました。各地にある地域本部の中で、もっとも規模が大きかったのは茨城県に本部を置き関東各地や沖縄県に展開したカスミコンビニエンスネットワークス(旧関東地域スパー本部)でした。ダイエー傘下だったローソンやイトーヨーカ堂が設立したセブンイレブンと少し異なり、ローカルスーパー主導だったことが良くも悪くもホットスパーの形成に大きな影響を与えることになります。
このように、今の大手コンビニとは少し異なる特徴を持つスパーの四国における本部として、やっぱりサニーマートの出資により1982年に設立されたのが四国スパー本部でした。
その実態がローカルコンビニの集合体であるとは言え、仮にも全国区のコンビニとしては最初期に高知進出を果たしたホットスパーは、高知におけるコンビニのパイオニアとして存在感を増していくことになりました。
さて、サニーマートはコンビニ事業に参入するにあたり、なぜホットスパーをチョイスしたのでしょう。
もちろん、上記の理由により「ローカルスーパーの副業として始めるコンビニ」としてちょうど良かったのも大きいですが、実は先ほど延べたカスミとサニーマートは、同じニチリウグループに属していたことも理由のひとつです。また聞き慣れない単語が出てきたので簡単に説明すると、ニチリウは全国のいろんなローカルスーパーが共同で仕入れを行う組織です。看板や独自性を維持しながら仕入れを共同で行う……と言う意味ではこちらもボランタリーチェーンのいち形態に含まれ、サニーマート以外にもイズミ(広島を中心にゆめタウンを展開)・平和堂(滋賀県中心)・オークワ(和歌山県中心)などが加盟しています。もしご近所にニチリウが共同開発した『くらしモア』ブランドの商品が置いてあるお店があったら、それはニチリウ加盟店です。
当時、四国以外にも、平和堂が展開する『東近畿スパー本部』などニチリウ系スーパー傘下のコンビニとしてホットスパーが大いに活用された形跡がありました。
ニチリウ自体は今でも元気に活動を続けているものの、ホットスパーに関しては上記の理由による苦戦や、カスミの経営難によるイオンへの身売り(とニチリウからの脱退)などの理由もあり、最終的に各本部が別々の道を歩むことになります。
例えば総元締めだったカスミコンビニエンスネットワークス傘下のホットスパーは愛知地盤のココストアへ身売りされた後、ココストア本体が買収される形でファミリーマートに。東近畿スパー本部は直接ファミリーマートに身売りされました。
本題である四国スパー本部も、1997年のローソン進出後は大いに苦戦することとなり、最終的に2001年にはホットスパーからスリーエフに鞍替えすることになりました。
なお、当時各地にあったスパーの地域本部の流れを汲む会社で現在でもコンビニの運営会社としてそのまま生き残るのは、ローソン高知のほかは、セイコーマート系の北海道スパーの後進にあたるハマナスクラブを展開するセイコーフレッシュフーズぐらいなものであり、結構貴重な存在です。
さて、長々と話してきましたが、最終的な流れを述べると
・サニーマートがコンビニエンス事業に進出する際に、ニチリウを介したカスミとのお付き合いもありホットスパーを選択し、地域密着型コンビニとして運営がなされる。
・その後スリーエフに転換しつつも高知の地域密着型コンビニとしての運営は堅持され、その流れで店内調理サービスが充実したものになる。
・最終的にローソンに転換された後も、地域に親しまれたメニューを活かす形で『える厨房』と言う独自ブランドが残される。
と言った流れになります。色々と紆余曲折がありましたが、このような地域密着色の強いお店を維持できたことは、高知県民にとってもそれなりに良いことだったんじゃないかと個人的には思います。
こぼれ話
ちなみに、このカスミと言う会社は、最終的には経営難によりそのほとんどを手放すことになったものの、一時期はコンビニ以外にもやたらと手広い副業を手掛けており、その名残が現在でもいくつか残っています。
1.滋賀県周辺のココスだけ運営会社が違う。
……ココスはゼンショーグループが全国に展開する総合ファミリーレストランチェーン。同社は比較的本部主導できっちりサービスを作り込みそれを全国に展開する印象がありますが、滋賀県周辺のココスだけポイントカードが別だったり色々と”ちがう”面があります。これはこのエリアだけ『ファイブスター』という別の企業により運営されているからですが、このファイブスターの親玉は平和堂。そしてココスの創業地は茨城県土浦市。もうおわかりですね。ココスを作ったのもカスミ。もちろん平和堂が展開しているのもニチリウつながりです。かつてはイズミ傘下の『広島ココス』たる会社もありました。
言うまでもないですが、ココスの店舗数が最も多い都道府県が茨城県なのも、そこが地元だったからです。
2.WonderGOOの存在。
……WonderGOOは茨城県を中心に展開し、書籍やゲームソフトなんかを売っているお店です。現在ではRIZAPグループ傘下でジーンズメイトと統合されました(意味わからん組み合わせですが、これは業績が芳しくないことにより企業が持っている資産額より安い額で買収できる会社を買収することで、その差額を利益にする経営手法を一時期のRIZAPは採用しており、その影響です。詳しくは『RIZAP 負ののれん』とかで検索してください)が、このお店も元々はカスミの家電や書籍の販売部門だった会社です。茨城県はケーズデンキの本拠地で家電販売競争が激しかったこともあり早々と家電販売からは撤退しソフトウェア販売に転換したものの、茨城中心の店舗網にカスミの名残があります。
3.関東で茨城県にだけやたらとホーマックが多かった
……ホーマックは釧路発祥で北海道や東北を中心に展開するホームセンターでしたが、関東にもいくつか店舗があり、そのほとんどが茨城県に所在していました。これはカスミ傘下のホームセンターカスミがホーマックに身売りされたことに由来します。
ちなみに、スリーエフを横浜で展開していた富士シティオは神奈川県のローカルスーパーですが、ここもニチリウに加盟しています。もっとも、加盟したのは高知にスリーエフが根付いた後の2008年であり、ひょっとしたらコンビニ経由で付き合いのあったサニーマートから勧誘されたのかもしれません。
なお、北海道と茨城には「セイコーマートとスパーが両方多かった」と言う共通点がありますが、上述の通りスパーが多かったのは全くの偶然です。
ローカルコンビニの集合体と言う特徴から、スパーは北海道ではセイコーマートと提携しつつ、茨城ではセイコーマートとバチバチに殴り合う関係でした。
なぜ茨城にセイコーマートが多いのかは、よろしければ下記の拙稿を御覧ください。
なぜ本州のセイコーマートは茨城県にばかりあるのか
https://note.com/tosaka50/n/n065fb3db4d8b