島々を旅する活動「旅ねしあ」
今日は年に一度のカヤック遠征、その名も「旅ねしあ」についてお話ししたいと思います。
メンバー
最年長で2人からはリーダーと一応言われているが本人はリーダーの自覚はない。プロフィールは下記ページをご覧ください。
大学の卒論でカヤックを使ってフィリピン・四国・南西諸島を漕ぎ回り、夏休みには鹿児島から地元沖縄へとカヤックで帰省。石垣島で修行を積み現在はSunwave Kayaksを主宰。
カナダ自転車旅から始まり、一年半の中南米放浪など根っからの旅好き。ニュージーランドと石垣島でカヤックガイドとして経験を積み、現在は和歌山アイランドストリームのガイドとパタゴニア神戸で勤務。
結成
2014年石垣島の「ちゅらねしあ」の同僚3名が、仕事以外でも新しい事をチャレンジしていこうと結成。
「旅ねしあ」の名前の由来は島々(=nesia)を人力で旅する事で、アウトドアの魅力や自然の素晴らしさを発信し、若者達を外に連れ出す機会を作る事を目的とした。
当時はまだ映像としてカヤックやキャンプ、旅の記録を残す人が少なく、カメラも今ほど機能性の高い物が発売されていないかった。最新機種はGopro3で手ぶれ補正なんて優れたものはなく、毎日手ぶれとと闘いながらブレブレの映像を収めに山や海、時には洞窟に出かける日々送る。
沖縄の美しい海でカヤックを漕ぐ映像や、素潜りをして魚を突く映像、そしてキャンプ映像など今でこそYou tubeを開けばたくさんのアウトドア関連の動画が見れるが、その当時としては映像に残し発信するということ自体がまだ一般的ではなかったため、評判も良く新鮮な映像を数多く残すことができた。
2014年、2015年に開催された須崎アウトドアフィルムフェスティバルでは特別賞も頂き遊びながらも有難いことに素晴らしい評価を得た。
その後より素晴らしい映像を求めて海外への遠征を計画するも頓挫し、そこから2017年に私が退職し活動休止となる。
またいつか環境が整ったら共に海外へ旅をしようと誓い、別れることとなった。
再会
私は三重にUターンし開業、
キビーは南米へと旅立ちその後大阪へ移住、
運天は八重山に2年残り、名古屋で1年出稼ぎした後、2020年に地元沖縄本島へとUターンし開業。
それぞれが新天地で新たなチャレンジをし、気づけばあっという間に月日が流れていた。
その間、ほとんど連絡も取り合わず疎遠となっていたが、運天が伊勢に遊びに来るというタイミングでキビーにも声を掛けて、数年ぶりに3人で集まり一緒に漕ぐことができた。
石垣島での修行時代は同じ釜の飯を食べ、苦楽を共にした仲間であり、数年のブランクから打ち解けるのに時間はかからなかった。
離れ離れに過ごした期間は足りない能力を埋めるため、成長するための期間であって無駄ではなかった。
そして今こそ3人で旅へ出よう。あの時の約束を果たすため、再び手を取り合い歩み始めることに。
再始動
遠征へ行くことが決まればあとは猪突猛進。ひたすら漕ぎ進むのみ。
西日本縦断(大阪→鹿児島)770キロを皮切りに、冬季の時化る東シナ海の海峡横断を行う九州西岸(佐世保→五島列島→天草→甑島→桜島)650キロ。
2度の国内遠征で漕力やナビゲーション力の自信がついたことで、2023年からはいよいよインドネシアへの海外遠征がスタートする。
2度の遠征でバリ→コモド740キロ、ソロン→アンボン730キロへと挑戦し、カヤックでの全人未漕の海峡横断に成功する。
来月、2025年1月からはフィジーへと40日間の遠征が始まろうしており、現在急ピッチで準備中。この海域もカヤックで漕ぎ渡った記録は過去になく、カヤッカーとしては初の試みとなる予定。
結成から早10年。
活動休止で一度は消えかけた灯火ですが、再び激しく燃え出し、今は凄まじい情熱と冒険心で漕ぎ進んでいます。
記念すべき5回目となる旅ねしあの今遠征。
水平線の先にはどんな世界があるのでしょうか。きっと人力で漕いだ者しか見えない世界、感じれない世界がそこにはありそうです。