一人で美術を組み立てるということ
・一人でいるということ。
・誰とも繋がらない、あいた両手を確認すること。
・たくさんの荷物を一度手放すこと。
・すっきりとした孤独を大事にすること。
・離脱し、反復すること。
・そして、そこから見える「外の世界」に向かうこと。
・「外の世界」で、別の、ひとりの人と会ってみること。
僕は働きながら絵を描いていて、たまに文章なども書いている。大まかな活動履歴についてはwebサイト(https://nagasek1969.wixsite.com/mysite)を見てもらえればわかると思う。
今回、noteに「一人組立」というマガジンを作った。今は2013、14年頃に上田和彦さんと話した会話の録音データのアーカイブを載せているが、今後、ゆっくりと文章もアップしていこうと思う。
以前、僕は「組立」という美術の自主企画を続けていた。主に僕が優れていると感じた画家の方に声をかけ、一緒に展覧会を作りながら、最初はフリーペーパーを、次第に美術批評誌を発行するようになった。2008年からはじめ、2014年まで計5回、首都圏近郊の会場を転々としながら展示を行い、フリーペーパー・書籍を出した。
幸いなことに、いろんな方に参加していただいた。また、最近では美術手帖のアーティスト・コレクティブ特集にも、小さいながら年表(?)に載せて頂いた。ありがたいことだと思う。
同時に、少し不思議な感じがした。「組立」はアーティスト・コレクティブだっただろうか? 「組立」は、確かに複数の作家が集まって展覧会を開き、批評誌を作った。しかし、その活動はそのときかぎりの臨時的なもので、持続的な「コレクティブ」ではない。多くのパートナーとは事前の人間関係がないか、あるいは少ない。要するに「組立」には、コレクティブと言われるような共同性が希薄だ。それは組立のコンセプトにも現われている。
●展覧会を、思考の組立作業として捉え直す試み
・異なったものが接点を持った状態を「組立」と呼ぶ。
・交流はされない。交渉がされる。
・同意の捏造はされない。違いの分析がされる。
・組立てられたものは解体される。
僕は、「組立」は、アーティスト・コレクティブではないと思う。
美術の世界でアーティスト・コレクティブが重視されている理由には、経済的な側面がある。雇用形態の非正規化が進み、誰もが流動性の高い社会で、様々な繋がりから切り離され「一人」にされた。それまで、むしろ個人を繋ぎ止め縛り付けてきた企業、学校、家族が、その拘束力を弱めた。多くの人が、一人で競争的な社会に晒された。その中でどのように考え、学び、活動していくのか。美術家には居住空間とは別に制作場所や保管の倉庫も必要になる。そういうときに、個人ではできないことが集団になると可能になる。
だから、とくに若い世代がコミュニティを作るのは切実な根拠があるのだ。小学校から「将来役立つこと」を学ばねばならず、繰り返し受験で選別され、流動性の高い労働環境に立たされ、家族を営むことも難しい。コミュニティ作りは美術に限らない社会一般の必要性に基づいた動きであり、美術もそれを反映している。
僕がわざわざ強調しなくても、「一人」の作家は多い。そして、予算や市場や広告の力をもったギャラリーや美術館や雑誌・メディアに選ばれるために競争し努力をする。現代美術の優秀なプレーヤーは、洗練された、既存の現代美術的価値観に付加価値を提供するリソースの一部になる。そういう場面で、集団を作るのは、有効な方法だ。個人でいるよりも発信力が増し、相互に助け合うことができる。これはまったく新しい事態ではない。明治以後の日本の美術史の多くが美術家の集団の歴史として見えてくるし、第二次世界大戦の後は、その傾向がより強まったとも見える。実験工房があり、具体があり、ハイレッドセンターがあった。
しかし、1980年代から90年代にかけて、そのような集団作りが一度下火になったことがある。バブル経済が喧伝され、多くの作家がアルバイトのような一時的な仕事をしながら活動を続けることが容易になったから、相互扶助の必要性が下がった。また、先行する60年代後半から70年代にかけて、学生運動の行き詰まりから左翼の学生集団が過激化したため、「集団」であることに社会全体がマイナスイメージを持った。そのように個人活動が主流となった後、バブルがはじけ、日本の経済的力が落ちていく中で、改めて美術における集団性が見直された。
けれども、そのような集団性は、はたしていつまで「新鮮」であるだろうか。別に「新鮮」である必要はないかもしれないが、「腐敗」の可能性はないだろうか。僕は日本の美術史において、集団作りはむしろ伝統的なものだと先に書いた。それが今、少し新鮮に見えるのは90年代という経済・社会環境に支えられた個人活動の時期があったからであって、再浮上してきたアーティスト・コレクティブの流れは、新しいというよりははっきりと伝統回帰を志向している。そして自然に共同性の強化を必要としている。
僕たちの社会全体が、伝統を重視し、共同性を強化する必要に迫られている。そして、ここが大事なのだが、これは競争的な環境が強化されていることと対立するものではない。まさに競争力の強化の一部として、個人の流動性の高さを支えるために伝統を繰り返し確認し、共同性に帰属を促さねばならない。注意しなければならないのだけど、これは、個々の集団がもつ「理念」とまったく無関係に機能する。たとえば家族ですら、それが僕たちの社会の内部にある以上、自動的に社会が要請する自由競争的環境を「支えてしまう」。というよりも、近代家族とは、そもそもそういう産業構造の一部だった。
美術が、もし、社会をそのまま反映させるスクリーンではなく、社会に対する「もう一つの、別の場所」(シェルター)であろうとするならば、このような構造に対しては自覚的である必要があるだろう。いろいろな考え方がある。なにも、美術が社会と異なる場である必要はまったくない、という考えもあるだろう。むしろ、既存の美術の価値観などは「使い物にならない」ので、もっとはっきりと社会の価値観や動向を反映させるスクリーンの解像度を上げるべきなのかもしれない。
前おきが長くなったけれども、僕が今考えている「一人組立」は、こういった、美術と社会を切り分けて設定し、美術を、社会を鮮やかに映し出すスクリーンとして見る方向性とは異なった場にしたいと思っている。そもそも、「組立」は、集団性を持たずに他の人と協働をするためのアイディアだった。競争を支え、競争に結果的に「勝って」しまう伝統や集団とは異なる“新しき場所”。社会といっても、それは一様ではない。むしろ社会にこそ、無数の穴があり、そこに「社会」に違和感をもっている人がいて、その一人が僕だ。誰かが言っていたが「自分の椅子は自分で作る」。
もっと大きな言葉を使えば、いままでの伝統的な「美術史」の流れを再確認して、その先に自分をつけ足すことを目標とする「現代美術」と、違うことがしたい。大きなことばでなく、正直な言葉を使えば、そんなことはそもそも僕にできっこないのだし、だとすればそのような歴史とはお別れするしかない。むしろいままでの美術史の在り方を解きほぐし、再構成し、見えてこなかった無数の「新しき歴史」の在り方を考えることがしたい。既存の場所の「外」に出かけるために、僕は、一度「一人」になろうと思う。
「一人組立」は「孤独」かもしれないが、「孤立」はしないつもりでいる。むしろ、「現代美術」や「アーティスト・コレクティブ」や「美術史」の外で、別の「一人」の人と出会っていきたいと思う。というよりも、「現代美術」の外に出て一度一人にならないと、ちっとも新しい人に出会えないというのが僕の感覚だ。「現代美術」は、驚くほど限られた人数で循環している。そしてそれ故に過剰な洗練が進んでいる。僕は自分にはないそのような能力を磨いている人々を尊敬はするのだけど、僕の作りたい「美術」は、洗練された答えの提供ではない。不格好で粗野な新しい問いの提案だ。そのようなイメージを持っている人とは、どんな人とでも協働がしたいと思う。
とはいえ簡単に“新しき場所”を語ることは難しい。まだ形にならないけれど、僕は一応のヒントは持っていて、それは「反復」と「離脱」というものだ。変な話だけど、“新しき場所”を見つけるには、ベタに「新しさ」を使うとかえって古い構造に囚われてしまいそうな気がする。逆に徹底的に「古さ」を反復しないとうまく抜け出せない=離脱できないという予感がある。そして、この「古さ」は、美術家の集団の伝統のようなものとはまったく別のもの、具体的には「作品」のことだ。これについても追々書いていきたいと思うが、もう既にこの記事は長すぎる。またエントリーを改める。