筆者の住むベルギーは、単位人口あたりの死者数が不名誉にも世界最悪となってしまった。その約半数が、老人ホームや老人介護施設などの高齢者と聞けば、いったい現場で何が起こっているのかと疑問を持つに違いない。医療崩壊どころか、高齢者たちが医療も受けられずに見捨てられ、バタバタと亡くなっているのか、と。(ジャーナリスト=佐々木田鶴)
▽死者数を過大評価するベルギー
ベルギーの専門家委員会は、異様な勢いで増える高齢者施設での死者数を記者から追及され、次のように説明した。
当初はPCR検査が実施できる件数も限られ、高齢者施設で亡くなる方々が陽性かどうか確定することは不可能だった。仮に感染が判明しても、直接の死因かどうかはほとんどの場合判定できない。こうしたケースを「COVID―19の疑いあり」としてより広い定義で集計に含めてきた。
事態が落ち着いてから、過去の高齢者施設での例年同期平均死者数と照らした超過死亡数を見て調整するしかないという考えからだった。これこそがベルギーを世界最悪に見せた原因だった。
▽オランダは治療に年齢制限
COVID―19が基礎疾患を持つ人が多い高齢者を直撃していることは間違いない。そんな中、「オランダ、高齢者に非情通告」という新聞の見出しが目に入った。医療崩壊させないために、集中治療室医組合が、救命治療対象基準を80歳以下(後に70歳以下に下方修正)としていたというのだ。
オランダはベルギー同様、2000年代初めに安楽死が合法化され、死について論理的・現実的に考える国だ。だが、病床数など医療体制ではベルギーとはかなりの違いがある。今回の新型コロナ感染危機でも、イタリア、フランスと同様に、一時期は医療が飽和し、重篤患者をドイツに搬送して助けを求めていた。
ベルギーでは、COVID―19患者による集中治療室の占有率はピーク時でも50%を若干超える程度で、隣国に頼らずに切り抜けてきた。それでも「年齢による線引き」をしていないという確信は持てなかった。
そんなころ、友人と電話で話すと「83歳の母が入っている介護施設とのやりとりで追われている」という。友人の母親は最近、軽い認知症を発症したが元気に過ごしていた。ついのすみかと大いに気に入って入居した介護施設から一通の手紙が届いた。
「もしCOVID―19感染が疑われたら、入院させて救命治療を受けさせてほしいですか。それとも、施設に留めて緩和治療を望みますか」
▽介護施設は修羅場
新型コロナ危機で、介護施設が集中治療室とはまた異質の戦場となってしまったことは想像に難くない。
ベルギーでは封鎖に先駆け、3月初めには近親者でも面会が禁止された。入居者は自室に留まることが推奨された。感染リスクの高い介護スタッフは、家族への感染リスクを背負い込み、社会からの疎外感を味わいながら、肉体的・精神的に負荷の高い勤務を続けなければならない。
高齢者の中には、社会から遮断され生きる意欲を失ったり、自暴自棄で攻撃的になったりする者も少なくない。集団感染がどんどん進んでいく中、介護スタッフは十分な防護具も感染症対応のノウハウもないまま働き続けるしかなかった。悲鳴のような声が、SNSやニュースで数えきれないほど取り上げられた。
▽75歳以上は病院に送らないで
重篤化しやすい高齢者がCOVID―19と診断されて病院に送られるとどうなるか。
その瞬間から、人工呼吸器やさまざまなチューブにつながれ、冷たい白い壁の薄暗い病室に隔離される。重装備に身を包んだ見ず知らずの医療スタッフが忙しそうに出入りするようになる。認知症の方は、生活環境の変化だけでも症状を悪化させ、死期を早めることもあるというのに。
地元メディアに匿名で答えた介護士は、「地域の病院から、『QOL(生活の質)』の面では介護施設の方が確実にベターなので、75歳以上の基礎疾患のある患者は病院に送らないでほしい」と伝えられたと証言していた。
やはり、ここでも年齢による線引きが行われていたのか。政府も、専門家委員会も「高齢者、糖尿病や心臓病などの病気を持つ弱い人々を社会全体で守ろう」と繰り返してきたというのに。
「とても難しい選択だ」と前置きしながら一般医組合の理事はこう述べた。「年齢で機械的に決めるのではなく、当事者と、近親者と、介護スタッフの間で『いざという時どうしてほしいか』の行動指針を作り、それに従って決めてほしい」
それが、友人の母親の住む介護施設から送られた手紙だったのだ。
▽一人一人の意思を尊重する
救われるべき命は、誰かが決めた「年齢」で線引きするものでも、ましてや障害の有無やその人の能力で決まるものでもないはずだ。100歳でも、まだまだ元気で長生きに意欲的な人もいれば、40歳でも重篤な病で苦痛に耐えかね、もう逝きたいと思う人もいる。
フランス在住の文化史家の竹下節子氏はブログにこう書いた。
「介護施設というものは残された命をよりよく生きるためのものであって、『死なないためのもの』ではないし、ましてや『コロナのために死なないためのもの』ではないはずだ。『健康』とは『病気や障害がないこと』ではなく、身体的、精神的、社会的、霊的に『良好な状況(well―being』であることなのだから」
ベルギー社会は、この荒波のようなコロナ禍にあって、『どう生きたいか、どう逝きたいか』を問い、一人一人の意思こそが尊重されるべきではないかと改めて確認しようとしているようだ。
世界は新型コロナ危機によって、パラダイムの大変革を体験している。『感染者数』とか『行動の8割減』とか、一見すると客観的のように聞こえる数値にすがっても、それぞれが何を測っているのかすら曖昧なら意味は乏しい。さらにいえば、いくら科学的で緻密な数値も、人間臭い生きざまの『質』を組み込まなければ空言に過ぎない。そう感じる。