Photo Stories撮影ストーリー
中銀カプセルタワービルの外観。2015年撮影。140個の取り外し可能なカプセルから成る。(PHOTOGRAPH BY NORITAKA MINAMI)
東京・銀座のはずれに、風変わりな建造物がある。かつて日本の未来のビジョンを体現していた「中銀カプセルタワービル」だ。
設計者は「メタボリズム」のパイオニア、黒川紀章氏。メタボリズムは1960年代の建築運動で、急速かつ継続的に発展する都市景観の変化に適応し得るようなダイナミックな建物という概念を提示した。(参考記事:「エコ都市を目指すドバイ」)
タワービルは洗濯機を積み重ねたような外観だ。鉄筋コンクリート造の2つのタワーと、「取り外し可能」な直方体の部屋から成る。各部屋の床面積は約10平方メートル。工場で製造したものを4つのボルトでタワーに固定している。タワーはそれぞれ11階建てと13階建てになる。カプセルと呼ばれる部屋には、つくり付けの家具や電化製品が完備されており、航空機のトイレと同じ大きさのバスルームもある。
中銀カプセルタワービルは1972年に建設された。黒川氏はこれを新時代の幕開けと位置づけていた。
ところが、中銀カプセルタワービルは決して実現しない理想郷と化した。カプセルは25年ごとに交換される予定だったが、コストが高過ぎると判明。周りには実用的なビルが次々と建てられ、タワービルは今、過去の遺物として存在感を放っている。(参考記事:「中国にディズニーランド似の廃墟 朽ちゆく夢の世界」)
2007年に黒川氏が死去すると、居住者たちはコンクリートの老朽化やパイプからの水漏れを理由に、この傑作を解体し、平凡なアパートに建て替えることを投票によって決定した。ただしこの計画は、2008年、株式市場の暴落によって中止を余儀なくされた。
シカゴ在住の写真家ミナミ・ノリタカ氏は2010年、中銀カプセルタワービルでの暮らしと建物の運命の記録を開始した。ミナミ氏はこの7年間に10回近くタワーを訪れている。「建物を訪問するたび、建築と居住者の両方について新しい発見があります」
転居した人もいれば、オフィスとして貸し出している人もいる。唯一無二の住居にとどまるため、リフォームを選択した人もいる。
ミナミ氏は居住者を撮影せず、所有物からその存在を感じてほしいと考えている。「(カプセルは)人々のアイデンティティー、関心、趣味、好みが詰まった入れ物として機能しています」
2020年の東京五輪が近づくにつれ、東京のいたるところで開発が進められている。同時に、歴史あるタワービルの未来に関する議論も再燃している。(参考記事:「あのオリンピック会場はいま、世界の写真9点」)
ミナミ氏は、中銀カプセルタワービルがメタボリズム運動の象徴として保存されることを願っている。効率的な都市生活の実現というタワーのコンセプトは現代にも通じるものだ。また、日本が歩まなかった道、訪れなかった未来を思い出させてくれる存在でもある。
「日本では、現代建築の保存があまり重視されていません」とミナミ氏は話す。「経済発展のために解体するというお決まりのやり方ではなく、そこに存在させ続けることが重要なのです」(参考記事:「ゾウにティーポット、米国のヘンな「史跡」」)