2010年にソロ活動をスタートさせた星野源。2020年は1stアルバム「ばかのうた」発売から10年という記念すべき1年だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、世界中の多くのアーティストと同様、星野もまたさまざまな予定変更を余儀なくされた。緊急事態宣言が発出された2020年春、星野は自身のInstagramアカウントでオリジナル楽曲「うちで踊ろう」を発表(参照:星野源、外出自粛でできた新曲「うちで踊ろう」インスタで公開)。この曲は瞬く間に日本中、さらには世界へと広がり、そのメッセージに呼応したアーティストや著名人、一般人までもがコラボ動画を制作する大きなムーブメントとなった。星野は2020年末の「第71回NHK紅白歌合戦」で、1コーラスのみだったこの曲のフルサイズバージョンを披露。コロナ禍における彼の強いメッセージが全国に届けられた。
試行錯誤の10年、波乱の10周年を経てリリースされる星野の新曲「創造」は、任天堂の人気ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」の35周年テーマソングとして書き下ろされた楽曲で、曲中にはアナログシンセを用いて精巧に再現された「マリオ」でおなじみのサウンドが随所に織り込まれている。世界中にファンを持つ任天堂のフロンティアスピリッツと、常に「まだ見たことのない新しいもの」を追求する星野の好奇心が高次元でリンクした1曲だ。音楽ナタリーでは星野に単独インタビューを行い、ソロ始動10周年を経た現在の心境と音楽的変化、新たな一面を感じさせる新曲「創造」の制作エピソードを話してもらった。
取材・文 / 臼杵成晃
「これ思い付いちゃったからやりたいんですけど」の繰り返し
──2015年の紅白初出場、2016年のドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」出演で、星野さんの名はお茶の間の老若男女にまで広く知られる存在になりました。そんな中、2017年に始まったNHKの番組「おげんさんといっしょ」は、ふんわりしたムードとは対照的に、これまでご自身が受け取ってきた文化のバトンを全国ネットで飲み込みやすく啓蒙するようなハードな主張を感じます。2020年11月の放送に取り入れた約10分に及んだダンスコーナーには「これを見せることが自分の使命である」というほどの意思を感じました。そういったご自身の存在、立ち位置というものをどのくらい意識して活動しているのでしょうか。
そう言っていただくことはあるんですけど、正直「おげんさん」に関しては、啓蒙をしているという意識はないんです。単にやりたいことをやっているだけなので。でも、やりたいことが浮かんだとき、それが世の中にはないことが多くて。前例がないから苦労するけど、これが気軽にやれない世の中は僕がキツいから、実現させることで変えていかざるを得ない。繰り返してそれが大きな場所になればなるほど、そういうふうに映っちゃうと思うんですけど、自分としては単に「これ思い付いちゃったからやりたいんですけど」を繰り返しているだけなんです。
──「おげんさんといっしょ」はそもそもどういうところから企画が立ち上がったんですか?
NHKさんが当初やろうとしていたものは少し違っていて、バラエティ番組寄りの内容でお話をいただいたんです。でも僕はもっと音楽番組にしたいなと思って。打ち合わせの中で「おげんさんといっしょ」というタイトルを思い付いて、そこから内容を考えていったんです。昨年のダンスの企画もずっとやりたくて、話をしてみたら「よし、やってみましょう」と言ってくださって実現できましたけど、あれってそう簡単にはできないことなんですよ。
──毎回そうですけど、あの新しい企画の数々を、しかも生放送でやるというのはどれだけ大変なんだろうか……と裏側を想像してハラハラしながら観ています(笑)。それでいて全体的には「おげんさん」独特のユルいムードが流れていて、壮大な悪ふざけのように見えるのがすごいなと。
(笑)。世の中になかったものが実現して、それが評判になったりすると、成功体験になるんです。「これやったことないけど、やってみよう」という決断の幅がどんどん広がっていくというか。それで悪ふざけを真面目にやるようなことがやりやすくなってきているとは思います。
燃え尽き症候群からの2年間
──音楽シーンの変動も大きい中で、星野さんはその変化にも柔軟に対応している印象があります。特に2018年発売のアルバム「POP VIRUS」以降はリリース形態も柔軟で、音楽的な変化も大きく感じますが、ご本人の実感としてはいかがですか?
2010年6月に初めてのソロアルバム(「ばかのうた」)を出してから、その都度やりたいこと、やれることは変わってきて。でも次第に、ある程度ルーティーンというものができあがっていたんですね。タイアップの話をもらってシングルを作ることが決まったら、シングルのカップリング曲を作って、ミュージックビデオを作って、取材を受けて、音楽番組に出て……というのを繰り返して。そうやって自分の中で作ってきた「こうしたい」と、設定した「こうしなきゃいけない」というハードル、いろんなものを「POP VIRUS」に詰め込んだら、たくさんの人が聴いてくれて、ドームツアーも完売して。2010年にソロデビューしたときはドームツアーなんて考えてもいなかったので……自分の中のいろんな条件、ルーティーンをクリアした末にできたアルバムを携えたドームツアーを終えたとき、燃え尽き症候群のようになってしまったんです。もう辞めたいというか、しばらく何もしたくないという気持ちになってしまって。
──そうだったんですね。でもドームツアー後には配信オンリーのデジタルEPという形で「Same Thing」がリリースされ、さらにはワールドツアーも開催されました(参照:星野源の初ワールドツアー台湾で大団円、現地ファンと再会を誓う)。
「Same Thing」はもともと自主制作でリリースしようとしていたんですよ。ミックステープで。そのくらい、ルーティーンからバコーン!と外れたところで趣味として作ろうと。「Same Thing」の制作は自分にとってはセラピーみたいな一面があって(笑)。コラボレーションしたSuperorganismのみんなが「音楽を作るのって楽しいよね」という、初めてギターを持った中学生の頃のような感覚を思い出させてくれた。「よし、これでまた音楽と向き合えるぞ!」と思ったところでコロナ禍になって……。
──ああ……。
リリースの予定もツアーもなくなって。そんな中で今自分にできることはなんだろう?ということを、綿密な計画ではなく、半ば勘のようなもので作ったのが「うちで踊ろう」で。結果的に、燃え尽きたあとの2年は、これまで自分がまったくやっていなかったことをやり続けていた2年間だったんです。やっていなかったInstagramを始めて、そこで「うちで踊ろう」という曲を出して、それをありがたいことにいろんな人が聴いてカバーしてくれて。自分の手を離れて大きく広がったこの曲に対して、「紅白歌合戦」という場所でフルサイズを歌うという素敵な着地ができたのはすごく気持ちよかったし、うれしかったんですね。なんだか旅をしていたような……奇しくも去年はソロを始めて10周年だったんです。2009年に僕は「未知の場所に踏み出したい」と、ずっと人に「やりなよ」と勧められながらも自信がなくて及び腰だった歌を歌うこと、ソロアルバムを作ることを決めて。あのとき踏み出した一歩から、10年という時間をうまく着地できたような感じがするんです。
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とにかくテンションの高い、今の状況をぶち壊すような曲を