第84話 「便所が好きすぎるだろ、お前ら」
水津らに囲まれて、連れて行かれた先は駅の外にあるトイレだった。
ピョン吉が『清掃中』の看板を用具入れから持ち出し、入口の前にセットする。
「便所が好きすぎるだろ、お前ら」
思い返してみれば、一周目の学生時代もそうだった気がする。
不良が誰かをボコろうとする時は、高確率で便所に引きずり込む。
やっぱり便所コオロギの一種じゃないのか。
或いはクソ野郎だから帰巣本能に導かれているのか。
「クソガキにゃ似合いの場所だろ、おぉん?」
「そうそう、ビビって脱糞したっても、すぐに流せるしなぁ!」
楽し気に放言する、野球部とピョン吉も似たような発想で若干ウンザリだ。
ギャグセンスがコロコロとかボンボンに近いのか、筋肉デブは一人で笑っている。
見た目だと「ガハハハ」系が似合いそうなのに、何でか「イヒヒヒ」と頭脳派小悪党っぽい声で。
そんな三人の背後には、ルックスもプルプル感も小動物っぽいミツコと、つまらなそうな顔でシガリロをフカし、気怠げな態度を続けている水津。
「で、どうしてアンタはそんなに不機嫌なんだ。これから、大好きな便所で大好きなリンチが始まるってのに」
「好きじゃねぇわボケが……やんなきゃならんから、やってるだけだ」
「おいおい……義務感でボコられる相手の気持ち、考えたことあんのか」
「登場人物の気持ちを答える問題、昔からキライでなぁ」
ヘラッと笑いながら、ミツコのおさげの先をシガリロの火でチリチリと炙る。
辺りを漂う屎尿のニオイに、蛋白質の焦げる悪臭が混ざり込む。
なるほど、他人の感情を気にせずに生きてる、ってのがよくわかる行動だ。
されるがままのミツコは、最初に見た時より三段階くらい表情筋が死んでいた。
「雪枩からの命令か? 俺を的にかけてんのは」
「そうだとも言えるし、そうじゃねぇとも言える」
「小洒落た言い回しぶっこいてんな。アホなんだからシンプルに喋れよ、先輩」
「……調子乗んなよ、薮上ぃ」
イラッとしたので素直な感想を述べると、水津がわかりやすくキレ声を出した。
そんなボスの様子に、一丁前に空気を読んだらしい野球部が、バットを振り被って濃密な「やっちまうぞコラ」感を醸してくる。
こういう場合、まず二発か三発ブン殴って委縮させるとか、問答無用で鎖骨を叩き折って戦闘力を下げるとか、そういう先制攻撃がセオリーだ。
なのに、何をヌルいことをやってるんだ、コイツらは。
「ここしばらく、大輔坊ちゃんを学校で見かけないが……それと関係してんのか?」
「あぁ!? トボけてんじゃねっぞ、ゴルァ!」
俺の質問に対し、水津ではなく野球部が反応し、バットで壁を殴る。
他の連中も軒並み渋い顔になり、水津は一際凶悪な面相だ。
俺が雪枩の屋敷に乗り込んで大暴れしてきた件が、コイツらにも伝わってるのか。
だが、それにしては対応の甘さが感じられるし、何とも判断に困るな――
とりあえず、下手なこと言って藪蛇になるのは避けるべき、だろう。
そう考えて黙っていると、ピョン吉が飛び出しナイフの刃を出したり引っ込めたりしながら言う。
「テメェの身柄を押さえろ、ってのが大輔さんからのラストの命令だかんな。それに成功したトコが、自動的に今後ウチらの中心になるってワケよ、なぁ!」
「高遠と羽瀬さんが下手こいてっし、どっちにしろまとめられんの水津さんしかいねぇべ」
ピョン吉に話を振られ、筋肉デブが指の関節をボキボキ鳴らしながら応じる。
どうやら、雪枩グループのリーダーと幹部を俺がボコり散らかした結果、まとめる人間がいなくなって混乱しているらしい。
水津は権力を拡大するために、俺を捕まえて手柄にしたいってことだな。
その水津は、シガリロを床に捨てて踏み躙りながら吐き棄てる。
「犬猫コンビも動いてるって話だ……あいつらが出てくると面倒になる」
「あー、でもアッチは懸賞金が目当てじゃないスか?」
犬猫ってのも何者か気になるが、ピョン吉が聞き捨てならないことを言い出した。
「ちょっと待て。懸賞金ってのは何だ」
「どうもこうも、そのまんまだっつうの。テメェを捕まえて、大輔さんに連絡つけたら即金で百万だ、百万……随分お高いなぁオイ」
「俺が雪枩に電話したら、そのカネは貰えんのか?」
「キヒヒヒヒヒヒヒヒッ、ねぇよ! クヒヒッ、そりゃねぇわ!」
俺の質問に大ウケした筋肉デブが、また小悪党笑いを披露した。
実際に賞金を懸けられたかは怪しいし、雪枩に連絡をつけるのも難しいだろう。
何にしても、この情報が出回っているならば、俺が狙われる可能性はまだまだある。
雪枩親子があの後でどうなったのかわからんが、自分のやりすぎが今の面倒な事態を呼び込んでる感があって頭が痛い。
こめかみを片手で軽く揉んでいると、新たなシガリロに火を点けて水津が語る。
「ま、とにかくアレだ……ウチらとしちゃな、ナメた真似されたのを、そのままにしとけねぇんだ。一人を見逃せば、十人にナメられる。十人を野放しだと、百人にナメられる。百人に舐められたらもう、全員にナメられる……そういうルールで動いてんだわ」
「知れば知るほどサル軍団だな。マウンティングでしかコミュニケーション取れんのか」
呆れ気味に返すが、水津は顔を顰めるだけで何も言わない。
この頃だと、マウンティングと言っても意味が通じないのか。
それでもサル軍団は通じているようで、バットを肩に担いだ野球部がゆらっと前に出てくる。
「ナメくさって調子くれてんなよ、オォウ!? 大輔さんは遊びだったろうけどなぁ、オレらはマジでやんぞ――オイッ!」
こちらの胸板を狙って、半端な速度で突き出されたバットの先。
「マジでやって、これか?」
言いながら体を捻って躱し、右脇に挟んでもぎ取った。
そして左手で汗ばんだグリップを握り、大きく一歩踏み込んで袈裟懸けに振り降ろす。
「ぉぐっ――」
ネットリした感触への嫌悪もプラスした一撃は、確実に左の鎖骨を砕いた。
一呼吸も置かずバットを上段に構え、今度はノーガードの脳天を目掛けて垂直に。
バキョッ、と破砕音を響かせてバットが折れ飛ぶ。
野球部は声も出さず、グニャリと崩れて便所の床で一旦正座。
それからペチャッと横倒しになって、ドロッとした鼻血を噴出する。
「ほぉっ、ほぅっ、ひぅっ――うぅ?」
呼吸音なのか固有の鳴き声なのか、ピョン吉が奇妙な音を出す。
絵面のインパクトを求めて、バットがヘシ折れるのを狙って殴ったが、その演出が見事にハマったようだ。
筋肉デブは魚介類チックな顔で、折れて転がったバットを目で追っている。
水津は一見すると泰然としているが、半開きの口からモワモワと煙が出ているので、それなりに動揺しているらしい。
ミツコはあんまりな状況に思考停止したのか、微動だにせず無我の境地に近付いている気配だ。
「知らんメーカーの安物はダメだな」
何歩か下がって間合いを取り、三分の一ほど残ったバットを手の中でクルクル回す。
その煽りで正気に戻ったのか、ナイフの刃を向けてピョン吉が吼える。
「だぁらっ! ナメてんなよ、マジで殺すぞっ!」
「ナメナメうっさいわ。かかってこいよクンニ野郎」
「いぃつまでっ、余裕ぶぶぶっこいてらっ、られっんだぉおおぉいっ!」
アドレナリン過剰放出のせいか、ピョン吉の滑舌が怪しい。
小走りでコチラとの間を詰め、震えの出ている右腕でナイフを閃かせる。
突き刺すのではなく、浅く斬りつけようとする動き。
キレまくっているようで、実際に殺しはしない程度の攻撃に抑えてある。
「しゃらくせぇ、なっ!」
チョコマカと繰り出される斬撃を三度避けると、ピョン吉の体が大きく開いた。
その瞬間、バットの残骸のグリップエンドでテンプルを撃ち抜く。
「ふぃっ――」
意識を飛ばしたピョン吉は、もう一匹カエルを融合しそうな勢いで俯せに潰れた。
予想外に役立ったバットを放り捨てると、無言のトイレに乾いた音が跳ね返る。
ここらで諦めて退くかな、と期待したが筋肉デブから殺気が立ち上っている様子。
どうやら、インターバルもなく第三ラウンドが始まるらしい――