第60話 「かかったなアホが」
本気でイヤそうな顔を見せた沼端は、短い溜息を一つ残してステージの方へと向かう。
俺もついていくべきなんだろうが、客席の間の狭い通路を進んでいる途中、黒スーツ集団に囲まれて終わる予感がしてならない。
他のルートがないか場内を見回していると、椅子の上に立った大輔が俺を指差しながら喚く。
「テメッ、テメェは今日で、今日でもう終わりダァらなっ! ああっ!? オゥゴルァ! わぁ、わかってんのぁ、オオォゥン!?」
元から大概だが、だいぶ知能指数が下がっている感がある。
血走った目、荒く早い呼吸、緩んだ口元――
おそらくはアップ系の薬物をキメてやがるな、コイツ。
やってても不思議はない生活環境だが、父親の前でも平然と使ってくるか。
というか、使ってるのを放置する力生も、どういう神経してるんだ。
跡継ぎじゃないドラ息子は、裏社会方面で使い潰す気ってことだろうか。
「吠えんなクソボン。患部にオロナイン塗って安静にしとけ」
「んなっ!? ててててっ、テメェも後で同じ目になぁああぁ――いやぁ、いやいやいやもっとだ! もっとヤベェこと覚悟しとけぁ! ケツに真鯉とかよぉ!」
「まごっ――ブフォ!」
急に出てきた真鯉に、ついつい素で吹いてしまう。
キレにキレすぎていて、本人も何言ってんのか混乱気味なのか。
周囲の黒服たちの大半は事情を知らないのか、反応らしい反応を見せない。
よく知ってるハズの百軒の様子を確認したいが、俺のいる場所からは姿が見えなかった。
「ぶろぁああああああああっ! 笑ってンなクソァ! もういいっ、殺すっ! 殺してやるっ! やっちまぁあああぁ!」
ブチキレを超加速させた大輔が、若本っぽいシャウトを放ちつつ周囲の黒服をドカドカ蹴っ飛ばし、俺の方へと嗾けてくる。
これは行かなきゃダメっぽいな、と察したらしい雪枩配下の皆さんは、たぶん当初の予定とは違うタイミングで俺に向かってきた。
「ちょっ――大輔さんっ!?」
「うっせぇええええええええええええっ! 黙れゃあぁボケ! いいからやれっ! トコトンやるんだってのっ! ミンチになるまでなぁあああああああっ!」
大輔は止めようとする百軒を一蹴し、まぁまぁ無茶な指示を出す。
ここで粗挽かれるワケにもいかない俺は、バラバラに寄せてくる黒服の動きを視認しながら、どういう順番で撃退するかを検討。
相手は十人以上いるし、一斉に来て押し込まれたら、流石に対処しきれない。
まずは数を減らす――乱戦のセオリーに従って、先陣を切って来るヤツを迎撃だ。
「ウルァッ!」
何の工夫もない、原始人が繰り出したような右フック。
若いのにややデコの広い男は、勝ち誇ったようなドヤ顔だ。
速度はあるし筋力もある、だから当たればそれなりのダメージが発生する。
しかし、こんなダラけた拳が命中するハズもない。
「はんっ――」
六角棒で腹を突き、即座に引く。
そして下がった頭を右から左に横殴り。
「ばぬぃ」
奇妙な一言を残し、デコが床に転がる。
「おあぁっ!?」
マヌケな二番手がデコの尻を踏んづけ、警棒を落っことしながら俺の間合いに。
隙だらけの行動を見逃さず、前蹴りで顔面に靴裏を叩き付け、デコに添い寝させる。
三番手のモミアゲ長いヤツは、狭い通路での渋滞を避けるクレバーさを見せ、椅子に乗ってから背凭れを足場に飛んできた。
「もらっ――ぎゃうっ、ぅんがっ!」
せめて二番手と一緒に来い、とアドバイスしたくなるが、そんな暇はない。
無言でノドを突いて跳び退り、受け身もとれずに墜落して呻き声を上げたモミ長の後頭部に、追加で六角棒を振り下ろす。
三人まとめて十秒、とはいかないが三十秒ちょっとで三人は中々の手際だ。
そんな自画自賛をしつつ、力生らのいる桟敷に視線を一瞬送る。
力生が不機嫌そうなのは、自分の指示を無視して状況が進んでいるから、だろうか。
しかし息子や部下たちを止めるでもなく、どこかに電話している。
弓女は――たぶんいるのだろうが、何をしているか確認できない。
桐子は身を乗り出し、不安げな表情で俺を見ていた。
大丈夫だと伝える余裕はないので、行動で大丈夫感をアピールしていこう。
「コイヨオゥラッ!」
「ニシテンダァーラッ! コロセコロセコロセッ!」
「一人ずつ行くな! 一気に潰せっ!」
「ザッケンナ! スゾォラ!」
大輔のも含む無秩序な威嚇ボイスに混ざって、的確な指示が飛ぶ。
こんな状況だろうと、百軒はキチンと頭が回っているらしい。
命令が理解できたようで、突っ込んでくるタイミングを窺っていた黒服たちに、若干の落ち着きが拡がって空気が変わる。
拙いな――頭を冷やされると、多対一はとにかく不利だ。
「コジマとノダは右、タカミとエンドウは左だ……囲むぞ」
右のコメカミからアゴまで、白く長い傷痕が縦に走っている中年男が、低い声で言う。
この傷面男は、現場監督的な立場になるんだろうか。
じりじりと後退しながら、迫り来る黒服たちの奥のステージを見る。
待ちぼうけを食らっている沼端は、ヒヨコっぽい頭をコリコリと掻きながら、つまらなそうにコチラを眺めていた。
「早くしろ、って言いたげだな」
口の中で呟きながら、壁を背にして移動しつつ間合いを調整する。
右から二人、左からも二人、正面から二人、少し離れて傷面男。
長いナイフにバット、ピッケルに木刀と、武器持ちが四人いて中々に殺意が高い。
六人はどいつもこいつも薄笑いで、勝ちを確信している雰囲気だ。
釣られるように、つい俺も口の端が上がってしまう――
「かかったなアホが」
死亡フラグっぽい俺の言葉が聞こえたのか、右から寄せて来たギョロ目のデブが訝かしげに眉を顰めた。
視界の端でそんなリアクションを捉えつつ、バックポケットに左手を突っ込む。
直後、大きく一歩か小さく二歩を踏み込めば、攻撃が届く距離で包囲は完成。
六人の中に一人、だいぶ体臭キツいのが混ざっているな。
余計な情報を獲得しつつ、十センチほどの筒を抜き出して、親指でキャップを外す。
「伏せっ――」
「トロい」
俺の動作に気付いた傷面男が怒鳴るが、言い切る前にスプレーは噴射される。
『××××××××っ!』
『××ぉ! ××××××××ぁ!? ××!』
『××っ、××ぅ、××××っ!』
左右に大きく振りながら液状の劇物を散布すれば、周囲から聞き取り不能の呻き声と喘ぎ声が弾けた。
顔を押さえて頽れたり、奇声を発して床を転がったり、喚きながらデタラメに武器を振り回したりと、瞬時に大混乱が発生する。
コチラも目と鼻に痛みを感じるレベルだし、直撃されたら地獄の苦しみだろう。
練武館で倒したコンビのように、サングラスでもかけていれば多少はダメージが軽減されただろうに、ここが暗い劇場だったのが災いしたようだ。
ただ一人、運良く被害を免れたギョロ目のデブが、我に返ってバットを構えた。
「ごっ……ゴパァアアアアアアアアアアアアアッ!」
「どこの部族の気合だよ」
野球経験者ではなかったようで、大根斬りのフォームでバットを縦に振ってくる。
避けるのも面倒になる、工夫の欠片も感じられない雑な攻撃だ。
こんな雑魚連中を雇っているとは、雪枩グループは慈善事業もやっているのか。
迫るバットを六角棒で跳ね上げれば、ギョロデブは軽々と仰け反って防御力ゼロの状況を晒す。
「ほぁっ――ぁんっ」
大きく一歩踏み込み、右から左に六角棒で半円を描く。
それと同時に、ギョロデブは膝から崩れて顔から床に落ちた。
左側頭部から中々の手応えが返ってきたが、たぶん死んでないだろう……たぶん。
「なっ、ばっ――九人が、九人いて、こんなんっ!?」
「お望みとあらば、すぐ十人目にしてやるが?」
肩に担いだ六角棒をトントンと上下させれば、傷面男は明らかに怯んだ様子を見せる。
蹴散らした雑魚共よりマシにしても、一人で状況を引っくり返せる能力はないようだ。
傷面男が動かないのを確認した後、ジタバタと床で悶えている五人に、追加でスプレーを噴射しておく。
これだけやれば、一時間ぐらいは何もできなくなるだろう。
「……ん?」
景気よく噴射していたら、スカスカと手応えがなくなった。
カラになった容器を捨てかけるが、思い直してポケットに滑り込ませる。
「前座のジャレ合いはもういい……早く始めろ」
力生は不機嫌そうに、イレギュラーな乱闘を前座試合呼ばわりする。
俺としては従う義理もないんだが、ヒヨコのおっさんを倒さないと力生を引きずり出せなそうな雰囲気は否めない。
なのでその言葉に反論もせず、黙って桟敷を一瞥してから、改めてステージの方へと歩き出した。
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