第53話 「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねぇよ」
雪枩大輔初主演作品の撮影は、二時間ほどで一段落した。
あらゆる意味で最悪な空気になっている車庫を出れば、「こんな場所にいられるかー」とミステリーの殺され役っぽい捨て台詞と共に現場を逃亡していた奥戸が、顰め面で出迎えてくる。
「あー……終わったかー」
「おう。あの二人がたっぷりと顔に出してフィニッシュだ」
決定的瞬間を撮ったポラロイド写真を指先に挟み、ヒラヒラと振った。
まぁまぁ壮絶な絵面を目にして、奥戸の眉間のシワが更に深まる。
「よくもまー、あそこまでやらせるなー」
「やるなら徹底的にやらないと意味ないからな。後半は完全に泣きが入ってて笑えるぞ。『もうやめてくださぁい』とか『無理です無理です無理ですぅ』とか、もうね」
「笑えねーわ! 心を折るにしたってさー、限度ってモンがあるだろー」
「普通はここまでやらんよ。だけどオク、ウチがどうなってるか見ただろ」
荒らし放題に荒された屋内の様子を思い出したのか、奥戸は溜息を吐いて言う。
「にしてもよー、クソみたいな相手と同レベルまで落ちるのは、どうなんだー?」
「雪枩もその仲間も、躊躇なく何でもやる連中だ。ルール無用な相手とカチ合った時に最も重要なのは、コッチも何でもアリで応じるのをわからせること」
「アレかー、ヤクザの抗争みたいな感じかー」
「大体あってる」
アウトローを気取る連中が暴力性を前面に出す理由は色々だが、地味に大きなウェイトを占めるものに「警告」がある。
揉めたり拒んだり逆らったりすれば、とにかく面倒な結果になると想像させることで、譲歩や妥協や服従を引き出す。
個人間の喧嘩や国家間の戦争でも似たようなものだが、ヤクザや不良集団の場合は警察に介入される危険もある。
意地やら面子やら、そういう下らない理由で大規模な抗争に発展するケースもなくはないが、殆どの関係者は損害に釣り合わない成果しか得られない。
だからこそ、暴力を行使するならば効果・効率・効力を考え、一方的な優位で圧勝できる形に持って行く必要がある。
そして、仕掛けられた側が降伏も逃亡も選ばない場合、相手を怯ませる程のデカい被害を与えて手打ちにする、ってのがベターな落としどころだ。
「とにかく、これで雪枩の親父と交渉する材料ができた」
「雪枩本人を人質にする、って方法じゃダメなのかー?」
「イザとなったら、向こうは警察でも何でも動かして強引に解決してくる。もしくは、クラスの誰かを拉致して交換を求めてくるとかの無茶も、たぶん平然とやる」
「いやー、よく知らんのを人質にされてもなー」
「ただの顔見知りでも、俺らに巻き込まれた無関係なヤツを見捨てられんだろ」
以前の俺なら、依頼内容を最優先にして「多少の犠牲はやむを得ない」と割り切って対処しただろうが、今の俺はその選択はしない――したくない。
俺はもう自分の思うまま、やりたいことしかしないと決めている。
そんな考えを口にすると、奥戸は何故か笑顔で肩をバンバン叩いてきた。
「だから、痛ぇんだってば馬鹿力が!」
「おぅぐっ――」
「おいオク、ヒマだったらこの番号、ココに電話してきてくれ」
「うぁー? どこよこれー」
鳩尾を擦りながら訊いてくる奥戸に、メモと百円玉を渡す。
「雪枩……の、親父の部下につながるはず。息子とその手下のクズ共をまとめて引き取りに来い、って伝えてくれ」
「ヤブの住所も教えた方がいいかー?」
「どうせ知ってるから、俺の名前を出せばそれで問題ない。右行ってしばらく歩くと、クリーニング屋の前に電話あるから。それが終わったら、後は俺だけでどうにかする」
「どうにか、なー……一人で大丈夫かー?」
「この先はまぁ、交渉メインだから心配いらん。電話したらそのまま帰っていいぞ」
絶対にそうはならないだろうな、と思いつつ言い切る。
言われた奥戸も、まるで信じていない表情で背を向けると、ゆらゆらと手を振って庭を出て行った。
それを見送っていると、こちらの話が終わるのを待っていたらしい、黒スーツの長髪と灰色ジャージの金髪が現れて、恐る恐るといった調子で訊いてきた。
「なぁ……俺らは本当に、このまま帰っていいのか」
「言われた通りにヤッたんだから、いいんだよな? な?」
あっさりと脅迫に屈し、雪枩を嬲る役割を引き受けた二人は、今更になって自分らの立場のマズさを認識したのか、かなり平常心を失っている様子だ。
多少なりとも頭が回るならまず雲隠れするだろうが、俺が雪枩の立場なら草の根分けてもこいつらを探し出し、知る限りのあらゆる拷問を加えてジワジワ殺す。
「ああ、構わんぞ。一応言っとくが、雇い主に報告に行くのはヤメといた方がいい」
「行けるワケねぇだろ、クソがっ……」
「ああ、ったく何だってこんなことに……」
あからさまに因果応報なので、どうなろうと「知るかボケェ」としか思えない。
なので逃亡に関するアドバイスもせず、泣き言を連発する二人を黙って見守る。
やがて二人は、ヤバめの煙を噴いてドアも締まらないハイラックスサーフに乗り込み、怪音を鳴らしながら走り去っていった。
「ブフォ、ゲフッ……くっさ!」
発車と同時に撒き散らされた変な酸味のある煙に咽ていると、今度はビデオカメラを手にした瑠佳がフラフラと車庫から出てきた。
強張った笑顔というか、甘みを足した苦笑いというか、どうにも形容の難しい表情を浮かべている。
そんな状態に加えて両目がバキバキなので、強めの異様さを醸し出していると言わざるを得ない。
「いやぁ……凄い映画になりそうだねっ、監督!」
「誰が監督か。あと映画と書いてシャシンと読む玄人志向やめろ」
「ケイちゃんといると、ホントに自分は何も知らないな……って気付かされるよ」
「大体は知らなくていいんじゃねえか」
「お尻の穴があんなに拡がるなんて、全然知らなかったよ」
「知らなくていいこと筆頭じゃねえか」
やらせていた俺も若干ドン引きする、中々にメチャクチャな撮影内容だ。
なのに瑠佳は黙々とカメラを回し、竿役への演技指導まで自然体でこなしていた。
このスイッチの入り方からして、だいぶ映像作家の適性があるんじゃなかろうか。
「そのビデオ、かなりの重要アイテムだから、まずダビングで数を増やしてくれ」
「オッケー。その後は編集してモザイク入れる感じ?」
「一般流通させようとすんな……だけど、編集して映画っぽく仕上げるのも、それはそれで笑えるかもな」
「ウチだとダビングできないから、ネネちゃん先輩のとこ持ち込んでもいい?」
ネネちゃん先輩……ってのは確か、瑠佳の先輩で映研の部長だったか。
そういう立場なら、自宅にもそれなりの機材が揃っているハズだ。
「一応、モノのヤバさは伝えとけよ」
「伝えたらたぶん、っていうか確実に観たがると思うけど……大丈夫かな」
「ヤバいと知ってその反応なら、まぁいいんじゃないか」
サブカル方向か腐女子方向か不明だが、中々にイイ趣味をしているようだ。
テープ代と手間賃として、万札二枚を雪枩の財布から抜いて瑠佳に渡しておく。
「とりあえず五本、よろしく頼む」
「了解了解……終わったら、電話してね。何時でもいいから」
憂い顔の瑠佳に無言で頷き返し、小走りに駆けていく後姿を眺める。
残った連中の様子を確かめに車庫へ戻ろうとすると、ゆっくりとドアが開く。
中から現れたのは、顔面の左側をハデに腫らした高遠だ。
「お前か……他の連中はどんな感じだ」
「大輔は放心状態で、声を掛けても反応ナシ。他のはまだ、まともに動けねぇ」
「もうすぐ雪枩の迎えが来る……逃げたかったら、逃げてもいいぞ」
仏心を出しつつ訊くが、高遠は苦笑いで頭を振る。
「大した忠犬じゃねえか。キビダンゴでも貰ったか」
「親父も兄貴も、雪枩の社員だ……選択肢なんて、ハナからねぇんだよ」
お目付け役を任されていたのは、能力よりも立場的な都合だったらしい。
今回のような、リスクの高い襲撃を止められない時点で、能力はお察しとも言えるが。
車庫の壁に背を預け、不味そうに煙草を吸いながら高遠が言う。
「こっちも終わりだが……そっちも終わりだぞ」
「馬鹿野郎、まだ始まっちゃいねぇよ」
脅し半分なセリフに名ゼリフで応じたが、キョトンとされてしまった。
あの映画が公開されるのは、もう何年か後だったかもしれない。
ともあれ「始まっていない」というのも正直なところだ。
全てを終わらせるために、相手の本丸に乗り込んでいく必要がある。
「大輔も言ってたが……もう詫びてどうなるモンでもないし、逃げてどうなるモンでもない。お前とウチらが揉めてる情報は、もう力生さんまで上がってるから、証拠隠滅も無理だ……マジで、どうするつもりだ」
「やられたらやり返す。やられる前にやる。ナメられたらわからせる……師匠の教えに従って、とりあえず気が済むまで暴れるだけだ」