第15話 「ガキを相手に刃物とか」
瑠佳が吐き出す言葉には、様々な感情が奔流となって渦巻いていた。
主成分となっているのは憤怒と悲哀と怨憎、だろうか。
そこに不安や恐怖や嫌悪といった、諸々のマイナスが大量混入。
血走った眼からは、三日三晩かけても言い尽くせない程の、巨大な感情の高まりが伝わってくる。
「いいかい、瑠佳ちゃん……さっきも言ったけど、パパは今ちょっとだけ困ってるんだ。だからね、助けてくれないかなーって、お願いしてるんだけど」
「うるっさい! 何がパパだっ!」
「とりあえずさ、落ち着いて事情を聞いてよ。パパが困ったままだと、ママも、汐ちゃんも困ったことになる。それに、瑠佳ちゃんへのお願いも今よりもっと大変になる……だからね? わかってよ」
「このっ……クソ野郎……っ!」
子供は親を選べない――家族が原因の不幸は、世の中にいくらでもある。
ここから半世紀先の未来でも見飽きるほど遭遇した、ありふれた不幸だ。
だからといって、その当事者が甘んじて環境を受け入れる必要なんてない。
以前の瑠佳はきっと、全てを諦めて人生を捨ててしまったのだろう。
たった一人でこの場に放り込まれたら、きっと抵抗する気も起きなくなる。
だけど、ココには俺がいる――だから、諦めるなんて許さない。
「ふぅ……門崎さん、随分とまぁ元気のいい子だな」
「いやぁ、お恥ずかしい。やっぱり片親に育てられるとダメですなぁ」
「ふっ――ふざけたこと言うなっ、お前っ!」
木下と門崎のやりとりに、瑠佳はますます激発し、絶叫する。
険悪な気配に怯え切っているのか、汐璃の肩や膝が震えていた。
ニヤニヤしている木下は、鼻からムフーと煙を吐き出すと、隣の手下に命じる。
「おいスギ……カメラ回してな、こういうシーンも撮っとけ」
「ウス」
「後々どうなるかとの対比でな、効くんだわ。強気な娘のブチキレなんてのは、いいアクセントになってくれるぜ、なぁ?」
「……ウス」
スギと呼ばれたチンピラは、ソファの脇に置かれた鞄に手を突っ込んで、ハンディタイプのビデオカメラを取り出す。
パスポートサイズをウリにした、8ミリテープで録画する懐かしの――
いや、この当時ではそれなりに新しい型の、現行製品なのだろうが。
「ビデオって、やっぱり……」
「あぁ、そんなビビるな。お前が想像してるタイプの撮影はたぶん、半年とか一年とか先だな。その前に、別の仕事が待ってるから」
「なっ、何をさせる、気なの」
「そいつはまぁ、飼い主の気分次第だな。お前は奴隷になるんだよ、パパの借金を返すために。ケッケッケッケッ……どんな変態に飼われるか、楽しみにしとけ」
木下からの宣告を受けて、瑠佳の顔色がサッと白く転じる。
さっき俺が語った内容そのままの脅しが目の前のヤクザから出て来て、自分の置かれた状況を再認識するハメになったのだろう。
こんな無茶が罷り通るのも時代性か――いや、今でもかなり無理があるし、こいつらがイカレてるだけだな。
「どっ、奴隷⁉ 何なの、それ⁉ ワケわかんないから! そんなの、そこの、そのオッサンにやらせりゃ、いいでしょ!」
「ハッ! こんな四十過ぎの不健康なオッサン、必要なカネに全然足りんわ」
「酷いなぁ、木下さん。こう見えて僕だって、まだまだイケますよ」
「じゃあ門崎さん、アレはどうだ? 生きてる人間をナイフでもってな、ちょっとずつ削り取ってみたい、って言ってるドイツ人いるんだけど」
「いやいや、それやって借金なくなっても、僕もいなくなるじゃないですか」
「ガッハッハッハ! そりゃそうだなぁ!」
ゲラゲラ笑う木下と、ヘラヘラ笑う門崎を前にして、瑠佳の表情はますます曇る。
にしても、凌遅を再現したがる筋金入りのサディストまで顧客にしているとは、木下も手広く商売をしているようだ。
木下は半分ほど吸った煙草を揉み消すと、不意に凶暴な視線を瑠佳へと向ける。
「あんまり反抗的なのも、面倒くせぇな……おい、お前」
「自分っスか」
「そうだよ。お前な、ちょっと妹の方を二、三発殴っとけ」
俺を指差して、木下がフザケた命令を発してきた。
瑠佳はより強く妹を抱き締めながら、当然キレて反論する。
「なっ……何で! 汐璃は関係ないっ!」
「そうやって、キーキーうるせぇからだ。お前が言うこと聞かねぇと、全部そのチビガキにケジメつけさせるぞ」
「そんなっ――」
「お前が言われたこと全部にハイって言っときゃ、それでよかったんだろうが! 全部お前のせいなんだよ、お前の! わかってんのか、わかったらハイだよハイ!」
理不尽に話を進めて、強引に思考停止へと追い込み、反論も拒絶も許さない。
典型的なヤクザ論法だが、古から反社連中に愛用されているメソッドなだけあって、効果は覿面だ。
しかもこの場合、暴力を背景にした脅迫もセットになっているので、女子高生と女子小学生のコンビには抗う術はなかったと思われる。
「おぅお前、早くやれ。グーだと死んじまうかもしれないから、パーでやれよ」
「ういっス。こんな感じ、ですかね?」
「ぶぼらっ――」
重ねて命令された俺は、トットッと木下の方に二歩踏み込んで、270度の弧を描いたビンタを振り抜く。
まるで予期できていなかったらしい木下は、「べぢっ」という鈍い音と共に、スギと一緒にソファごと転げた。
そんな光景を至近距離から目撃して、門崎は阿呆面で硬直する。
一方で、俺の行動に慣れ始めている瑠佳は、妹を抱えて部屋の隅へと退避。
「さっきから、何を騒いで……あぁ? 何だよ、こりゃあ」
両開きのドアから、キツめにブリーチした短髪を逆立てた男が出てきた。
色の薄いサングラスの奥から、鋭い眼光で応接室を睥睨している。
コイツが恐らく、この『HST総合管理』社長の貞包だ。
180くらいの瘦せ型で、年齢は二十代の半ばから後半、といった辺りだろうか。
ジャケットにジーンズのラフなスタイルだが、身に着けている腕時計やダイヤのピアスなどは、かなり金を持っているヤツの装いだ。
多少の胡散臭さは否めないが、青年実業家っぽい雰囲気もキチンと漂っている。
「芦名ぁ、どうなってる⁉」
「いや、それがオレにもよく――」
「そこのガキの、カチコミっすわ! 殺っていいですよね? 殺りますよ⁉」
貞包に芦名が状況を説明しようとすると、ボスと一緒にコケていたスギが身を起こし、話に割って入った。
その手には、どこからか出してきた短刀が。
木下の方は仰向けに倒れたまま、盛大に鼻血を噴いて気絶している。
兄貴分がこの状態なら、子分としては復讐するしかないってのはわかるが――
「ガキを相手に刃物とか……ヤクザなのにヘタレすぎない?」
「うるっせぇクソガキっ! てめぇは絶対ブチ殺すっ!」
軽く煽っただけで、笑えるほどにブチキレ絶好調だ。
完全にカルシウム不足のスギは、殺る気マンマンで短刀を突き出してきた。