第34話 屍鬼の詭弁
その名前には聞き覚えがあった。
もちろん、迷宮で俺のことを助けてくれた、あの少女冒険者だ。
今は何をしているのだろう。
あれから、俺は外出するときはいろいろ目立たないように気を付けているため、出くわすこともなく今に至っている。
だから、彼女の現状については情報が何もない。
果たして彼女は、ソロからは抜け出したのだろうか?
腕は悪くなかったから、冒険者組合がしっかりパーティメンバーを斡旋しているだろうと思うが……。
まぁ、今はいいか。
それよりは目の前の騎士風の男だ。
さらりとした金色の髪に青い瞳、精悍でさわやかなその容貌は、まさに絵に描いたような騎士のようである。
「……まず、あなたは……?」
とりあえず話すにしろ話さないにしろ、その素性を確かめてからだろう、と思って俺がそう尋ねると、その男はそうだった、という顔つきで名乗った。
「これは、失礼を。私はヤーラン王国第一騎士団所属の騎士イドレス・ローグという」
第一騎士団、と言えばヤーラン王国の騎士の中でもエリートしかいないと言われる王国一精強な騎士団だ。
そこに所属するのは、有力な諸侯の子息や、才気溢れる剣士など、どれも将来一角の人物になるだろうと思われる者ばかりで、普通の人間はまず、所属することが出来ない。
そんな人物が、リナを探している?
なぜだろう。
気になって俺は尋ねる。
「そのような、りっぱなかたが、どうして、しょうじょなどを……?」
この質問に、男は逡巡したような顔を見せたが、特に隠すようなことは無く言う。
「いや……恥ずかしい話なのだが、そのリナ、という少女は私の妹なのだ。細かい事情については恥をさらす話なので割愛するが、ある日、出奔してどこかへ消えてしまってな。どうやら冒険者になったらしい、という話と、この都市マルトで似た娘を見かけたという証言を得たので、やってきたのだ」
「では、りな、というのは……りな・ろーぐ、さま、ということでしょうか?」
「そうなるな……知らないだろうか? 他のところでも聞いてみたのだが、冒険者組合は個人情報はそうやすやすと渡せないと言うし、酒場などでは騎士は煙たがられてな……」
それで、鍛冶屋など冒険者が利用しそうな店を回って、聞いて歩いている、というわけか。
ついでに客にも、と。
冒険者組合とは言え、国から要求されれば断れないだろうが、この男はそこまではせずに、ただ素直に聞いて歩いているのだろう。
個人として聞かれれば、冒険者組合も、簡単には情報を渡さない。
そもそも冒険者組合に所属する人間の多くは脛に傷を持っている。
探られたくない過去を探るようなものが現れれば、基本的には突っぱねるのだった。
それで、俺はどうするかと言えば……。
「りな・ろーぐ、というおなまえに、ききおぼえは、ないです」
「……そうか。残念だ。もし、どこかで見つけたら連絡をくれ。私はしばらくはこの街に滞在している予定だ。騎士団には休暇をもらっていてな。それほど長くはないが……見つけて家に連れ帰りたいのだ」
そう言って、自分の宿泊する宿を告げ、とぼとぼと店の中に入っていった。
クロープたちにも尋ねるつもりなのだろう。
なんだか寂しそうな後姿で哀愁が漂っているが、リナのことを言うのは本人の許可を得ていないのだからよろしくないだろう。
おそらくだが、イドレスの言ったリナ、というのは俺が会ったあのリナのことで間違いないと思う。
俺はこの街の冒険者組合では古株の方で、それでいて女性冒険者でリナ、という名前のものはあのリナしか知らないからだ。
まぁ、俺が冒険者組合に行っていない間に新たにもう一人現れたという可能性はないではないが、かなり低いだろう。
ただ、名前が違う、という問題があるが、十中八九、リナ・ルパージュという名前は偽名であろう。
冒険者組合の登録システムは非常に単純で、別に偽名であろうと何であろうと普通に登録できてしまう。
本人の自己申告だけが頼りなのだ。
そして嘘をついていると判明しても何の処罰もない。
ただ、依頼をこなしていればそれでいい、というのが基本的な姿勢なのだ。
もちろん、罪を犯して逃亡している人間である、と判明した場合は素直に国や官憲に突き出すのだが、それと分からず働いている場合も少なくない。
一目で犯罪者だと判別できない以上、仕方がないことだ。
それに、冒険者はそう言った者にとって、非常に使いやすい組織である。
だからこそ、冒険者は胡乱な目で見られることが少なくない。
もちろん、リナがそんな奴らと同じだ、とか言う気はさらさらない。
ただ、名前を隠すからには見つかりたくはないということなのだろう。
そう思って、俺はイドレスに聞いたことがない、と言ったわけだ。
実際、リナ・ルパージュの名前は聞いたことがあっても、リナ・ローグについては一度も聞いたことないし、嘘ではない……まぁ、詭弁か。
同一人物だろうと概ね推測しているわけだし、たぶん当たっているからな。
まぁ、いいだろう。
俺には俺のやることがあるし、何かあるようであればそのときにリナに助力してやればいい。
あんないかにもな騎士がこの街で何かやれば、目立つからな……。
そうして、俺は歩き出す。
とりあえず、迷宮探索だな、と思いながら。
◇◆◇◆◇
向かう場所は、もちろん、《水月の迷宮》である。
その未踏破区域。
つまりは、あの骨巨人の出現した場所を目指して、俺は進む。
《水月の迷宮》はいつも通り、静かだ。
たまに戦っている鉄級冒険者にも出くわすが、彼らは必死なので離れた位置を通り過ぎる俺の存在には気づかない。
魔力や気などの気配を発するものを出来るだけ体の奥に押し込み、気づかれにくいようにしているというのもあるが。
昔はそんな技術など使わずとも俺の力など大したものではなかったから、すこし忍び足をすれば人にも魔物にも見つからなかった。
今は、こうしなければ見つかるくらいにはなった、というのは喜べばいいのか面倒になったのか。
まぁ、強くなったからこその悩みだし、今のところは大した問題でもないからいいか。
魔力や気を隠すというのはそれらの力を操作する訓練にもなるしな。
隠し通路を抜け、転移魔法陣のところに辿り着くと、俺は迷わずそれに乗る。
一度乗っているため、危険は感じない。
中には毎回同じ場所に跳ばされるわけではない転移魔法陣というのも存在するらしいが、そこまでの意地の悪さはこの迷宮にはないと信じたいところだ。
高難易度の迷宮ではそういうことも比較的よくあるらしいが、ここはそうではないし……。
と、どれだけ言ってもただの希望に過ぎない話だが。
幸い、その希望は叶えられて、俺は見たことのある場所へと飛ばされた。
そこは、あの、骨巨人と戦った場所であり、俺は剣を構えてそっと前に出る。
なぜそんなことをするのかと言えば、もう一度、あの骨巨人が湧出しないとも限らないからだ。
ここはおそらくはボス部屋だったが、ボス部屋の魔物は一定時間経つと復活するものと、初回のみ出現するものに分かれる。
ここがどちらなのかは、詳しい調査をしなければはっきりとはしないが、出る可能性がある、と思って対処しなければならないところだ。
しかし、転移魔法陣の外側に出て、どれだけ待っていても、あの骨巨人が湧出する気配はなかった。
間隔が足りないのか、それとももう二度と出ないのかは分からないが、とりあえずは安心してもよさそうだと俺は剣を下げる。
とは言え、まだ鞘に戻すつもりもないが……。
周りを見ると、何もないがらんどう。
なぜ、こんなところにもう一度来たのか、と言えばそれには理由がある。
今、俺が降りた転移魔法陣。
これはあの骨巨人を倒した直後に出現したものだ。
俺はそれを、あのレストランの店主、ロリスが気絶している間に探索し、見つけた。
しかし、だ。
俺が見つけたのは別にそれだけではなかった。
転移魔法陣は、実はもう一つあった。
ちょうど、ここに来るために載った転移魔法陣と対称の位置にあるそれは、おそらく別の場所につながっているはずだ。
そう、《水月の迷宮》は、まだ、先があるのだ。