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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
元亀二年 比叡山延暦寺
86/237

千五百七十一年 四月下旬

織田家が擁する将兵の精強さ、将の戦術眼、そして兵を統率する力を見せつけたのは、なにも静子軍だけではない。

同じく参加している明智軍と柴田軍も、静子軍とは違った強さで他の者たちを圧倒していた。

破壊力に関しては織田家随一の猛将・柴田軍が、他の追随を許さなかった。本陣を動かすことなく相対する軍を蹴散らす用兵は、畿内の国人たちを震え上がらせた。

一方明智軍は千変万化する変幻自在の用兵を見せつけた。

全体を見渡すことができる観客は、明智軍がどの様に動いているか判るが、虚実を入り混ぜる運用に惑わされ本命の攻撃を見分けることができない。

ましてや視野が制限される上に混戦となる相手側にとっては思わぬところに突撃を受け、防御に回れば挟撃を食らい手勢を掻き集めれば本隊と分断されると翻弄された。

いつの間にか本隊を散り散りにされ、気が付けば大将旗は奪われていた。

常に後手に回らされ、戦況を把握することを許されぬままに敗北を強いられる、明智軍と相対した武将は言い知れぬ恐怖に震え上がった。


途中から試し合戦ではなく、織田軍の強さを見せつける示威行動と理解した者もいた。

だがそれを言っても何も始まらない上に、仮に口にすれば臆病者と侮られるのは明白、条件が同じである以上は織田家の目論見を挫いて見せねば負け犬の遠吠えの誹りは免れない。

よって矜持を守るためには口を閉ざすより他なかった。賞金に目がくらんだ時点で、彼らの運命は決まっていたのだ。

後は鬼神の如き強さで真正面から打ち破る柴田軍か、それとも神算鬼謀を以て翻弄する明智軍か、一戦ごとに姿を変え、臨機応変を体現した静子軍の誰に調理されるか、それだけだった。

結局、試し合戦は織田三軍が覇を争う形となった。最後まで残っていた軍も明智軍に呆気なく倒される。静子は柴田軍と相まみえる事となり、勝った方が明智軍と戦う組み合わせとなった。


「下手な小細工はやめましょう。向こうは合戦の経験が豊富です。付け焼刃の策を振りかざしたところで通用しないのは目に見えているからね。皆の者、彼らは百戦錬磨の精兵、そして何より今日(こんにち)まで生き抜いた運の強さの持ち主です」


静子の言葉に兵たちが顔を引き締める。相対するだけで屈しそうなほど重圧だった。今までのどこか抜けたような軍ではない。末端の兵まで精鋭の、本当の強者だと理解した。


「今回は単純です。奇策を弄すると思っている相手の意表を突く形で、真正面から全軍による突撃を仕掛けます。敵味方入り乱れる白兵戦になりますが、向こうは勢いがなく、逆にこちらは勢いを保ったまま敵軍の中へ突撃できます。正直な所、これ以外に柴田軍に取れる戦術はないかなと思います」


慶次たちも同様の考えだった。柴田軍に対して様々な戦術を使いシミュレートしたが、どうしても勝ち筋が見つからなかった。

同じ織田軍といえども共同で事に当たるのは稀だ。ゆえに静子たちは柴田軍の戦いぶりを伝聞でしか知らない。

その上、静子が今まで行ってきた政策は、何も静子軍だけが強くなるだけではない。織田軍全体の底上げがされている。他軍であろうと兵の訓練も快く受け入れた。


(参ったなぁ。こんな形で自分の行ってきた結果が分かるとはね)


このことに静子は苦笑するしかなかった。


「両軍、準備を!」


司会進行役の声が辺りに響き渡る。その声に従い、両軍とも所定の配置につく。後は開始の合図を待ってすぐさま、静子は突撃の合図を出せば良い。


「合戦始めぇ!」


開始の合図が耳に届くと同時、静子は突撃の合図を出した。


「突撃!」


だが、その声は一つだけではなかった。今まで本軍を動かさなかった柴田軍もまた、静子軍と同じく全軍での突撃を仕掛けた。

この事に僅かながら静子軍に動揺が走った。この僅かな動揺が命取りとなった。突撃の勢いは柴田軍の方が勝り、最初の激突で静子軍は勢いを削がれてしまった。

こうなると勢いを取り戻す事は難しい。その上、敵味方の区別がつかない混戦状態だ。後方に下がって再度突撃は不可能だ。

また混戦により慶次、才蔵、長可、静子の4人は分断されてしまった。


「背後が甘いぞ、静子殿!」


立て直しを図ろうと静子が動こうとした時、柴田が精鋭を連れて彼女を背後から急襲した。


(まさか本軍の突撃自体が囮! 混戦の隙に後方から急襲とか、正面から相手を破るのが好きな柴田様が、まさかこのような戦術を取るとは!!)


後方から軍を動かし、武力もどちらかと言えば弓や火縄銃など遠距離武器が得意な静子にとって、接近戦が得意の柴田は相性が非常に悪かった。


「(こうなったら……)うおおおおおおおおおっ!」


しかし、今ここで逃亡すれば軍が完全に瓦解すると瞬時に判断した静子は、恐怖しながらも柴田に向かって突撃を仕掛ける。


「むっ! 他の者は手を出すな!!」


静子の突撃は柴田も予想外だったのか、一瞬困惑した表情を浮かべる。だがそこも一瞬、合戦慣れした彼はすぐさま表情を引き締めると、静子の攻撃を迎え撃つ。


(愚かな、馬上槍は馬の制御が失われやすい事を、彼女が知らぬはずはあるまいのに!!)


「ちぇいやー!」


「ふん……なっ!!」


攻撃自体は単調で柴田は難なく防ぐ。普通ならその後、馬の姿勢が崩れて制御不能に陥る、はずだった。

しかし、静子は手綱を離した状態で馬を制御し、僅かに姿勢が崩れただけですぐに体勢を立て直すと、柴田に再度攻撃を仕掛ける。

だが、ある程度戦えるとはいえ、歴戦の猛者である柴田に付け焼き刃の武術が通用するはずがなかった。5合ほど打ち合っただけだが、それで柴田は静子の全てを見抜く。

そこからの静子は、柴田の攻撃を防ぐだけで精一杯となる。


(くぅ! 一撃が重い!! これは長く持たないかな)


自分が耐えている間に、周囲にいる柴田軍の兵を倒し、彼を孤立させる。そんな分の悪い賭けが静子の取れる最後の手段だった。

だが、相手は精鋭中の精鋭、簡単に打ち破れるような将ではなかった。


結局、静子が持ったのは二分程度で、柴田の攻撃を受け止めきれず落馬した。

もはや手に力の入らない静子は抵抗らしい抵抗が出来ず、素早く馬を下りた柴田に呆気なく大将旗を奪われた。


「勝者、柴田軍ー!」


試し合戦は相手の大将旗を奪えば決着がつく。司会進行役が櫓から柴田軍の勝利を叫ぶ。

叫びを聞いた柴田は小さく息を吐く。一見、柴田の電撃戦は静子軍を完膚なきまで叩きのめしたように見えるが、実のところ博打だらけの危険な勝負だった。

柴田は精鋭を自分の周りに配置し、残りの兵を慶次、才蔵、長可の3人を抑える為に投入した。

柴田軍の兵は慶次たちの軍より練度が低いため、長時間打ち合いをすれば瓦解する事は目に見えていた。ゆえに、柴田は精鋭と共に大きく回り込み、背後から静子を襲撃した。

後方から指揮を執る静子ゆえ、必ず軍後方にいると彼は睨んでいた。その予想は正しく、柴田は静子を見つけるやいなや、周りを一切無視して静子へ突撃した。

最後は運が絡んだものの静子を打ち負かし、大将旗を奪う事に成功した。


(だが、何故後方に下がらなかった)


静子の性格から前に兵を出し、後方から弓を射ると柴田は考えていた。だが、実際は静子が単騎で柴田に打ち合いを仕掛けてきた。

暫く悩んだ柴田だが、ふいに視界に入った静子軍を見て答えが脳裏に浮かんだ。


(なるほど。大将が子飼いを守らなければ子飼いはついてこない。また子飼いが大将に忠義も何も感じず、それゆえ守る必要がないと考えるからか)


戦国時代、よほどの理由が無い限り、支城が攻撃されれば国人は後詰め(援軍)を出す義務がある。

もし後詰めを出さなければ、支城の者たちは国人を信用しなくなり、敵に寝返るか、城を捨てる。

この現象が襲撃された城だけに止まらず、他の城にも連鎖的に起こるため、国人は支城を落とされないため、また家臣からの信用を失わないため必ず後詰めを出す。


これは軍でも同じ事が言える。総大将が立ち上がるべき状況で何もしなければ、兵は総大将を信用しなくなる。己の命を永らえる事に終始し、最悪の場合脱走兵になる場合もある。

あの場で静子が柴田に突撃しなければ、静子軍は完全に瓦解し、立て直す事は不可能になる。

だから静子は無謀であろうと突撃してきた。そして時と場合によれば、静子もまた前へ出る覚悟があると周囲に見せつけた、と柴田は結論づけた。


(効率を求める彼女らしかぬ行動。しかし、悪くはない。悪くはないぞ、静子殿)


心の中でひとしきり笑った後、柴田は決勝戦へ気持ちを切り替えた。


決勝戦は柴田軍と明智軍だ。双方とも一長一短あるものの、柴田は力で、明智は戦術で短所を補い、一進一退の攻防を繰り広げた。

最終的に体力の差で柴田軍が明智軍の本軍を倒し、柴田が光秀から大将旗を奪い取った。


「今回の結果に満足せず、今以上に励め」


跪いている柴田に信長は至って普通の表情で告げる。彼にとって織田軍の誰かが優勝するのは確定事項だった。今回の試し合戦は、それを周囲に知らしめただけに過ぎない。


二位については、静子があっさり辞退した事で明智軍のものとなった。もはや静子軍に明智軍と戦えるだけの力は残っていなかった。

今、無茶をすれば最悪死人が出る。そもそも上位3つを織田軍がしめている時点で、静子には戦う意味がなかった。

だが、力が残っていないのは明智軍も同様だった。むしろ2戦も戦ってもまだ体力がある柴田軍の方が異常だった。


「退くべき時に退く、それは簡単なようで難しい。矜持、(ほまれ)、汚名、他の者からの(そし)りや(あざけ)り……それらが考えを曇らせる。だが貴様はそれらを理解して、なお退く事を決断した。また一つ成長したな」


信長も当初の目的を果たした以上、自軍の損害はマイナスになると考え、静子の辞退を受け入れた。そして終わりの時にそれっぽい格言を口にして、マイナスイメージを打ち消した。


三位の報償を受け取った静子だが、金子を渡されても使い道が思いつかず、一つかみ程度の金子を小袋に入れた後、残りを才蔵に渡して兵へ分配するよう命じた。

使い道が思いつかないなら他人に使って貰え、である。

予期せぬ臨時報酬に浮き足立つ兵たちだが、渡される時に才蔵から無言の圧力を与えられたため、はじけた行為をする兵は1人も出なかった。


「京もだいぶ落ち着いたね。上洛当時の酸鼻を極める様子はどこにもないし」


「あちらこちらに死体が転がり、虫が湧いておりました。辻(交差点)には必ず死体の山……しかも死体を狙って野犬や熊が出る始末。あの荒れようから僅か数年で、よくぞここまで持ち直したものです」


信長が上洛した時、京は酷い有様だった。

応仁の乱から100年もの間、破壊の痕跡は修復されず、また治安を守る者たちは地方へ逃げる有様だった。

それゆえ京には死体が平然と転がっている上に、腐乱していたためにハエやウジが湧き、酷い臭いが充満していた。

現代の交差点に当たる辻にも死体の山はあった。腐肉食のカラスや野犬、猪までもが町中に姿を見せた。

治安はあってなきが如し、夜盗や物盗り、野武士などが平然と商人や金持ちの家を襲った。


上洛して京の実権を握ると、信長がしたのは死体の処理と治安維持、街の清掃だ。

武力をもって夜盗や物取りを殲滅し、放置されている死体を街の外へ運んで埋葬し、京の至る所を清掃して目を光らせている事を周囲に知らしめた。

また治安維持隊に徒歩パトロールをさせ、軽微な犯罪でも取り締まらせた。加えて孤児たちを孤児院に入らせ夜盗や物取りにならないよう教育を施した。


一見すると信長に利はなさそうに見えるが、彼は畿内の経済活動を活発にする事が上洛時の目的の一つであり、きちんと彼にとって利に繋がる行動だった。

ただ誰も彼の描く流通による経済活動の活発化が理解出来なかった、それだけだ。この時の信長の行動が真に理解されるのは、彼が上洛してから実に数百年後の事だった。

逆を言えば、それだけ信長の描くビジョンは時代を先取りしすぎていたのだ。


「殿、先ほど伝令が参り、和田様とフロイス様が明日伺いたいとの事です」


才蔵と雑談しながら書類整理をしていると、襖の向こうから玄朗が報告を上げた。


「おや、フロイス殿なら分かるが、そこに和田殿まで加わるとは珍しい。特に問題ないので、明日の訪問を許可します」


「はっ!」


(ほんと、何が目的なんだろう)


疑問に思ったが、特に接点がない和田の考えが分かるはずもなく、静子は明日を迎える。

試し合戦が終わって二日後、和田惟政とルイス・フロイス、ロレンソ了斎、フロイスの元で修行している修道士たちが訪ねてきた。

今までにもフロイスが訪ねてくる事はあったが、和田惟政まで付いてくる事は今までなく、少々困惑しながらも静子は男装してフロイスたちと会談する。


「本日は忙しい中、貴重なお時間をいただきありがとうございます」


フロイスを初めとして全員が深々と頭を下げる。どうして彼らは信長ではなく自分に会いに来たのか分からず、静子は相手の出方を見るより他なかった。


「面を上げて下さい。して、某に何用でしょうか」


「では某の話を」


和田の言葉と共に小姓が盆を運んでくる。目の前に置かれた盆に視線を落とすと、丁重に包まれた文が1つ置かれていた。

静子は和田の顔を一瞥した後、盆の手紙を開いて読む。熟読した後、静子は小さくため息を吐いて手紙をたたみ盆の上に乗せる。


「申し訳ございませんが、文の内容に賛同する事は出来ません」


言葉と共に静子は盆を和田の方へ押す。滅多な事では拒絶しない静子が、明確な拒絶の意思を示した事に慶次たちの顔つきが変わる。

文の内容は分からないが、良くない事が書かれていると三人は考えた。


「おやめなさい。彼らも文の内容は知らぬのでしょう。詳細は控えますが、おそらく送り主の独断です。知っていれば、周りが引き止めるでしょうから」


困惑気味の和田を睨む長可を、静子は手で制する。静子の予想通り、和田は単に手紙を静子へ届けてくれと命令されただけで、その内容は一切知らされていない。


「(外交力はあると思ったけど、政治センスが悪くて長所が生かしきれていないね)文の内容を語れば和田殿がお困りになるでしょう。ここは一つ、何も言わずお引き取り頂く事が、両者の為になると某は考えております。和田殿の意見を伺いましょう」


話を振られても回答に困る和田だった。文の内容は分からないが、内容が良くなければ自分の立場が危ぶまれる。相手は織田家の重鎮、下手をすればまた知行地が没収される事となる。

文を受け取り懐に仕舞うと、和田は一つ咳払いをする。


「そなたの言うとおり、わしは文の内容を知らぬ。だが、そこまで申すなら、互いに知らない事にした方が良いのであろう」


出直そう、と和田が腰を上げた瞬間、人の倒れる音がした。音に反応して三人が静子を庇うように動くが、彼らの耳に届いたのはうめき声だった。

全員が声の出所を探る。場所はすぐに判明した。和田の足下でフロイスがうめき声を上げていたのだ。全員の意識が和田に向いていた為、彼が倒れた事に気付くのが遅れてしまった。


「フロイス様!」


ロレンソや若い修道士たちが、倒れたフロイスを起こす。助け起こされた事にも反応せず、フロイスは肩で荒い息をする。

遠目から見ている静子でも、フロイスが意識混濁を起こしているとはっきり分かるほど彼は苦しんでいた。最初は風邪かと思った静子だが、時期からして嫌な予感を覚える。


「失礼」


周囲の人をかき分けて静子はフロイスの横に移動すると、フロイスの熱や目の状態を診察する。

フロイスの体温は火のように熱く、目は結膜炎を起こしている。そして顔面に発疹が出ていた。


「質問です。ここ数日、フロイス殿は高熱で寝込んでいたりしていませんでしたか。その際、咳き込みが酷くありませんでしたか」


「え? あ、はい……確かにフロイス様はここ数日寝込んでおられました」


「やはり、ですか」


静子は深いため息を吐く。もはやフロイスはある病にかかっている事は疑いようがなく、静子はこれからの計画を頭の中で組み立てていく。


「彼はいかような病に?」


「フロイス殿は赤斑瘡(あかもがさ)にかかっています。恐らく発疹期……四日間は発熱が続くでしょう」


赤斑瘡という言葉に和田の表情が強ばる。古くは赤斑瘡、現代では麻疹と呼ばれる病は天然痘や水痘と共に恐れられた病だ。

特に戦国時代は天然痘や麻疹が一番流行った時期だ。江戸時代以降も栄養不足が原因でたびたび流行が起き、多くの人が病で亡くなった。

静子を筆頭に慶次、才蔵、長可、そして彼らの兵は麻疹に対する抗体を持っているが、和田や若い修道士たちは抗体を持っているか怪しかった。


「誰ぞある!」


「お呼びですか、殿!」


静子の怒声に玄朗がすぐさま駆けつける。彼は部屋を一目見て、ただならぬ事態だと察する。


「京に麻疹が流行する可能性が高い。明智様へ早馬を送り、急ぎ対策が必要と連絡しろ。手の空いている者に隔離病棟を作る準備をさせよ。数は15、だが30作れる心構えで対応せよ」


「はっ!」


恭しく礼をした後、玄朗は駆け足でその場を去る。すぐさま彼の号令が響き渡り、静子の屋敷が緊張感に包まれる。

僅かな時間で衛生兵5人が部屋に駆け込むと、いまだ事態が飲み込めていない修道士たちを押しのけ、フロイスを診察する。結果は静子と同じだった。


「殿の予想通り、麻疹でございます。恐らく、菌は京の至る所へ散らばっているかと……」


「急ぎ感染者を隔離する必要があります。明智様、そして京治安維持警ら隊と協力し、病を封殺します。でなければ、また多くの人々が病に倒れるでしょう。あなた方には苦労をかけると思いますが、よろしくお願いします」


頭を下げる静子に衛生兵はにこりと笑うと首を横にふる。


「頭をお上げ下さい、殿。あなた様がいなければ、我々は皆死んでおりました。大恩に報いられるのなら、これからの忙しさなど些細なことです」


フロイスを担架に乗せると、衛生兵たちは彼を隔離病棟に運ぶため急いで部屋を後にした。


「残念ながらあなた方も感染している可能性が濃厚です。失礼とは存じますが、彼らの指示に従って頂きます」


ようやく事態を把握できたロレンソたちだが、彼らが何か行動を起こす前に新しい衛生兵たちが部屋に入り、有無を言わさず彼らを連行した。

聞こえたかどうか不明だが静子は彼らに向かって宣言した。フロイスたちと行動を同じくしていた彼らが感染していないと考えるのは無理がある。

修道士の彼らがキリシタンと共に行動し、それが更に感染した人間を増やす可能性が高い以上、感染力の強い病にかかった人を隔離施設に収容する以外、取れる対策はない。


「我々もやる事をやりますよ」


静子の言葉に三人は表情を引き締めて頷いた。







京に麻疹が流行する可能性が濃厚、という静子の報告に明智たちは勿論、岐阜に戻っている信長も衝撃を受けた。

信長や家臣の一部が数日前まで京にいたが、それらしい兆しは一つもなかった。それが僅か数日で状況が変わる所に、改めて病の恐ろしさを認識した。

京の治安が乱れる事は商活動の停滞、敵勢力が暴動を扇動する可能性がある。逆に言えば織田家主導で流行病を防げば、それは周囲に織田家の力を見せつけられる。

麻疹の流行を押さえ込む事は、将来において織田家の利益になると考えた信長は、光秀や畿内の国人たちへ静子の指示に従うよう命じた。


「楽と言えば楽なのだけど……男装の時間が長くなって疲れる」


光秀や国人たちの動きは早かった。信長からの命が届くや否や、翌日には静子の元へ挨拶に窺い指示を仰いだ。

流行病は相手を選ばない。国人だろうが、朝廷だろうが、寺社であろうが、所構わず猛威を振るう。その恐ろしさを畿内の国人たちは覚えていた。


静子が彼らに出した指示の内容は非常に簡単だ。

細川と光秀には朝廷や将軍家の対応を追加で依頼したが、他は感染したと疑わしき者は隔離病棟(長屋)に隔離する。指定する食事を与える。解放するのは回復期から4日後。対応する者は過去10年に麻疹に罹患し抗体を持つ者に限定した。


フロイスの麻疹感染発覚から5日、連鎖反応を起こすかの如く麻疹の症状を訴える人は現れ、患者数はネズミ算式に増加していった。

その様子から、三週間ほど前から京は麻疹ウィルスに曝露(ばくろ)(細菌・ウイルスなどにさらされること)されていたと考えて良い。


「殿。柴田様、丹羽様、滝川様、木下様、森様、佐々様から後詰めが来ております」


「後詰め……? ああ、確かに色々と人を取られるから、治安維持に不安が残りますね。そのお話、ありがたく頂戴すると連絡して下さい」


麻疹対応に追われて京の治安維持を疎かにする訳にはいかない。その事を見越して兵力を貸してくれたと静子は思い、彼らに感謝した。


「はっ」


一礼すると伝令兵は素早く立ち去った。しかし、彼と入れ替わりのように別の伝令兵がやってきた。


「殿。将軍家の使者が来ておりますが……」


「細川様の所へ行かせなさい。将軍家への対応は、全て細川様にお願いしております。朝廷から来ても同じです。今は彼らの相手をする余裕がありません」


「はっ」


ここ数日、矢継ぎ早に上がってくる情報に対応しているだけでも忙しいのに、更に朝廷や将軍家の相手をするなど静子には不可能だった。


「(忙しい時に限って上は余計な事をするなぁ。もうちょっとどっしりと構えて欲しい)衛生衆の到着はまだですか?」


「明日の朝に到着の予定です」


「慶次さん、勝蔵君。後詰めの兵を二人で分けて、京の治安維持に当たって下さい。才蔵さんは私の護衛で……反織田連合の動きが読めない状態なので、気を引き締めて任務にあたって下さい。治安悪化を狙う相手なら、多少手荒な真似をしても構いません」


「承知した」


それぞれ得物を片手に二人は部屋を後にする。別の意味で血の雨が降る可能性が高いが、治安維持には毅然とした態度が必要だ。それを怠れば、相手が弱みにつけ込んでくる。

その後も1時間に20人ぐらいの伝令兵と相手をし、簡素な昼食を取った後、静子は京にある17の隔離病棟の内、フロイスが入っている第8隔離病棟へ足を運ぶ。


「そろそろ下熱している頃かと思いますが、フロイス殿の様子は如何でしょうか」


「はっ。今朝は意識もはっきりし、こちらの質問に明確な受け答えが出来ました。恐らく、3日後には退院可能と存じます」


フロイス担当の衛生兵を捕まえて話を聞くと、今朝より快方に向かっているとの話だ。だが、回復期に入っても麻疹は依然として感染力を持つため、数日は様子を見る必要がある。


「ありがとうございます。それにしても、ここも一気に人が増えましたね」


「はい。ここは第8隔離病棟ですが、既に収容限界に達しています」


「第18,19隔離病棟を急いで用意させていますが、それもすぐに限界に達するかもしれませんね」


「麻疹の感染力は恐るべきものです。なにしろ、数日でこれほど多くの人が運び込まれます故。これはまさに病とのいくさと言っても良いでしょう。無論、我々は負ける気は毛頭ございません」


衛生兵は力拳を作ってやる気を見せる。彼は天然痘で両親を、麻疹で兄妹と我が子を失った。

彼だけではない。衛生兵は病によって家族を失った者が多い。現代なら病院へ行けば良い程度の病でだ。

親しき者を失った時の無念が原動力となり、衛生兵という戦国時代では馬鹿にされやすい仕事を嫌がらず、それどころか率先して行う力となっている。


「(彼らが将来の医を担う人となるでしょう)我らがここで励めば、国は安らかなり。されど、それで無理をして倒れてはいけません」


「はっ! お言葉肝に銘じます! では、某はこれで失礼致します」


姿勢を正して頭を下げた後、衛生兵は小走りに去って行った。彼が担当する患者は両手では数え切れない。

もっと衛生衆を充実させる必要があると静子は思った。それには今以上に武功が必要だった。軍を充実させるには武功を上げる以外に方法はない。


「失礼します。フロイス様、容態は如何でしょうか」


病で弱っている時は些細な事でもめ事に発展する。余計な混乱を生まぬよう、フロイスは他の患者と違い個室に移動させていた。その部屋へ静子は才蔵と共に入る。


「これは頭巾宰相殿、ごほっごほっ……このような形で失礼します」


「お気になさらず、安静にして下さい。(前から思っていたけど、何で私は頭巾宰相って呼ばれているのだろう。何か今さらな気がして聞くに聞けない……って自己紹介していないせいか。でもこれを被っていろと言ったのはお館様だし、素性を明かして良いものなのか)」


「ごほっごほっ、咳がまだ続きますが鼻水は収まりました。発疹はもう少しすれば綺麗になくなります。大変な時期ですのにご迷惑をおかけしました」


京にいれば嫌でも情報は入るのか、それとも和田から織田家の事情を知らされているのか、フロイスは申し訳なさそうな表情で謝罪してきた。


「謝罪する必要はありません。貴方は流行病にかかった、某は病の流行を防ぎたい、それだけの話です」


「それでも感謝の気持ちは、ゴホゴホ……述べさせて頂きます。死の淵にいた所を助けて頂きありがとうございました」


病気の時に神へ祈るのがキリスト教徒だが、彼は日本文化を熟知している。ゆえに、日本では感謝の気持ちを述べる事は大事だと考えていた。


「そのご様子なら、明日には固形の食事を取れましょう。あと数日は窮屈かと存じますが、何とぞご理解のほどお願いします」


「ええ、そこは大丈夫です。それより、ここまでして頂いて申し訳ない気持ちです」


「伴天連であろうと、生臭坊主であろうと、衛生兵にとって病にかかった者は一人の患者。患者を助ける事が衛生兵の仕事です。某は彼らを纏めているに過ぎない。もし、感謝の気持ちを述べるなら、彼らに示してやって下さい」


それだけ言うと静子はフロイスに背を向ける。しかし、部屋を出たところでフロイスの方へ向き直ると、頭を深々と下げた。


「お連れの修道士様も麻疹にかかっているご様子。しばしこの病棟に隔離しますが、万全の体制をしいて対応しますので、ご安心下さい」


言葉とともに才蔵が部屋の扉を閉めた。







麻疹の猛威は凄まじく、フロイス感染発覚から一週間後には3000人以上の感染者が出た。

カタル期のフロイスと接触し、そこから感染者が広まったのか、それとも元々感染者がおり、フロイスはその人物から感染したのか、今では調べようもなかった。

分かっている事は麻疹の感染拡大を阻止する事は叶わず、畿内一帯は勿論、中国地方、中部地方、果ては関東方面まで麻疹は広まった。

幸いにも畿内は信長、そして朝廷や将軍家が麻疹に対して適切な対応を各国に命じた事で、この隙に事を起こすような不届き者は出なかった。

また、静子が疫病対策をとり続けていたお陰で、尾張・美濃では小規模な流行は発生したものの、すぐに封殺されて大流行することはなかった。


今回の麻疹流行は交通の便が良くなった事で引き起こされたと言っても良い。

現代では飛行機や船舶に乗れば世界中を移動出来るが、これが本来は風土病だった病を世界に広めた原因になってしまった。

それと同じで信長が日本の商活動を活発にしようと尾張や美濃、畿内の交通網を整備した結果、商人や彼らに雇われた人々が活発に移動するようになった。

それがごく限られた地域にいる人で収まっていた病を各地に広げてしまうことになる。

病気を検査する道具がない以上、交通の便を良くする事は病の流行を助ける弊害も甘受しなければならなかった。


「状況報告をお願いします」


「はっ。現在、300名の衛生兵を20の隔離病棟に配置させ、麻疹の治療に当たらせています。しかし、麻疹の猛威は凄まじく、京周辺だけで患者は万に届く勢いです。おそらく寺社が非協力的な事が、感染拡大に影響していると思われます」


フロイスの感染発覚から二週間後、静子は恒例の状況報告を受けたが良い内容とは言い難かった。

病にかかると神仏に祈る風潮と、寺社勢力が非協力的な事が影響して防疫が遅々として進んでいない。

寺社勢力だけではない。反織田連合にいた武家たちもまた防疫に対して消極的だった。各陣営の政治的な思惑も絡んで、静子たちが防疫出来る範囲は京周辺が限界だった。

その関係で京において麻疹による死者は、合併症を起こした者たち数十名だけだったが、畿内の一部では麻疹によって命を落とした者が既に1000名を超えていた。

調査出来ない畿内以外の状態は推測しか出来ないが、抗体を持つ商人からの報告によれば悲惨の一言では済まない状態だった。商業都市が死の街へ変わっている所もあったとの事だ。


無論、協力的な人物もいる。細川家や京の有力者は織田家の申し出を快く引き受け、隔離病棟を建てる土地の用意や、様々な救援物資を提供してくれている。

またフロイスが治療された事でイエズス会も率先して協力を申し出てくれ、その関係でキリシタンも静子たちに協力的だった。

寺社にも協力的な所はある。畿内や長島は非協力的だが、美濃や尾張の本願寺は信長に協力的だ。


「……仕方ないですね。我々が管轄する区域の感染者数と死亡者数、それ以外の場所での感染者数と死亡者数を入手して下さい。民へ目に見える形にして、差を知らせれば我々の言葉に耳を傾けてくれるでしょう」


織田家とそれ以外で死亡者数の推移に差があれば、明確な死を感じ取っている民は寺社ではなく織田家へ来ると静子は考えた。

それでもなお、寺社を頼るなら致し方なしと切り捨てる他ない。嫌がっている相手を救えるほどの余力はない。


「はっ、承知しました」


「何かあればすぐに報告を上げて下さい。早馬の数が少なければ申し出れば、後4人は増やせます」


各隔離病棟には報告専門の早馬を6人置いている。些細なヒューマンエラーが時に大事故へ繋がる事があるため、些細な内容でも報告を上げる必要があった。

しかし、早馬を置いても報告を上げにくい環境では意味がない。そこで静子は何人かの兵を使って報告を逐一上げさせ、隔離病棟に報告を上げやすい空気を作った。

隔離病棟からスムーズに情報が上がれば、後は司令部にいる静子と兵たちが精査し、問題の解決方法を見出す。

最後に解決方法を纏めた書類を隔離病棟に送る。無論、現場で片付けられる内容もあるが、その対応方法が他の隔離病棟で使える可能性も考慮し、事後でも報告を義務づけた。

こうして集まったノウハウ集が整理され、最後に信長へ報告される仕組みになっている。集積された知識こそ信長の切り札の一つと言っても良い。


「はっ!」


報告を終えた兵は一礼すると部屋を後にした。その他にも報告を聞き終えた静子は光秀に渡す報告書を作成する。

立場上、安易に移動できない静子は、報告書で状況を知らせるしか方法がなかった。

右筆ゆうひつを使って報告書を書くわけではないので、その分時間のロスや認識の違いが起きないが、全部を静子が書かなければならない。

途中、報告を受けながら光秀に送る報告書を纏めると、本日の静子の業務は完了した。


「ん~! 流石に事務処理ばかりだと疲れるね。明日にはヴィットマンたちが到着するし、後2週間ぐらい待機かな」


数日で帰還するから連れていかなかったヴィットマンたちだが、数週間京に滞在が必要な現状を考えると、彼らを呼び寄せた方が効率が良い。

護衛役に彼らが加わるならこれほど心強い事はない。慶次や長可が治安維持に努め、傍に才蔵がいるとはいえ用心するに越したことはない。


静子の心配は当たっていた。慶次や長可、才蔵が留守にしがちな彼女の屋敷には間者が入り込んでいた。

人の出入りが激しい事が隠れ蓑になり、間者が入り込んでくるのを許してしまった。無論、見た目に反して情報のガードが堅い静子から、重要な情報を聞き取れた間者はいない。

それでも頭の良い人間なら、末端に流している情報から中核部分を察する可能性もある。できうる限り、情報が漏れないよう配慮する必要があった。

それと同時に、情報が漏れた時に被害を最小限に抑える対策も怠らなかった。


特に目立った問題は起こらず、翌日静子の元にヴィットマンたちが到着する。それを境に間者が静子へ近づくのは困難となる。

四六時中、ヴィットマンたちが周囲を囲っている上に、資料が保管されている場所へ入ろうにも、すぐに彼らが気付くからだ。


ヴィットマンたちを呼んだ理由は他にもある。

麻疹は合併症がなければ10日から14日で完治する。今はフロイスの感染を確認してから15日が過ぎた頃なので、初期に隔離病棟へ運ばれた患者が完治し、順次解放されていた。

把握しているだけで約1万2500名が、信長の影響力がある畿内での患者数だ。

内、死者は合併症や栄養失調で亡くなった子が約60名、大人が約30名、60歳を超えた人たちが約120名だけだった。

つまり、麻疹が完治した者が徐々に増えるので、今以上に人員が割かれる可能性がある。そんな時期に護衛が不安と周囲に思われたくないので、静子はヴィットマンたちを呼んだ。


織田家の影響力がない地域は感染者が今もなお増え続け、その内の8割が病死していた。

これに対し、京周辺は感染者数に対して死亡者数は異常と言えるほど少なかった。

理由は現代でも行われるビタミンA摂取をしたためだ。麻疹感染が濃厚な人物には、事前にビタミンAを投与すれば死亡率が下がる事が現代では証明されている。

しかし、ビタミンAを大量に抽出・濃縮する工場がないため、静子は食事によもぎ、小松菜、卵黄を含めてビタミンAを経口摂取するようにした。

ビタミンAは肝臓で作られ、必要以上に生成されないよう制限されているため、過剰摂取の心配は必要ない。

卵黄はともかくよもぎや小松菜は栽培が容易、かつ入手しやすい作物だ。多くの患者に摂取させる事は可能であった。


周囲の警護を含めて準備を整えた静子だが、それから数日後、彼女の予想とは違う形で人員が割かれることとなった。

合併症が起きた人間と、抵抗力の強化が間に合わなかった者以外、麻疹にかかった患者は命を落とす事なく病を治す事ができた。

そして麻疹が完治した人は静子の屋敷を訪れ、感謝の言葉を述べながら拝むため、屋敷には人垣が出来上がった。

その結果、間者には人の出入りが激しい状態に紛れて忍び込むのが困難となった。


徐々に病人が減り、それに反比例して屋敷へ人が押し寄せてくるので、静子たちは屋敷周辺が人で混乱しないよう兵士を配備した。

兵士からの視線と人々からの視線をかいくぐって、屋敷内部に侵入する事は難しい。

伝令兵の格好をして侵入しようにも、入る時に門番から所属と伝令番号を尋ねられ、これを知らない間者は答えられず、そのまま捕縛されていった。


「駄目だ、どこも人、人、人だらけだ。これでは忍び込むのは不可能だ」


人通りの少ない細道で4人の間者が秘密裏に集まる。

人の出入りが激しい時は、所属と伝令番号の確認に対するロスと間者が入り込むリスクを天秤にかけ、ロスが少なくなる方を優先した。

しかし、現在は患者数が減り始めているため、ロスを考慮する必要がなくなった。

そのため、所属と伝令番号を確認するようになり、それを知らない間者は突然謎の事を聞かれて答えに窮し、答えられない者を怪しんだ衛兵に引っ捕らえられていた。


「どうする、このままでは……」


間者の命は軽い。有益な情報を得られなければよくて左遷、悪ければ責任を取って斬首だ。

自分たちの命が軽い事を知っているからこそ、間者たちは核心部分に当たる情報を得られず焦っていた。


「みぃーつけた」


だからこそ自分たちに忍び寄る危険に気付けなかった。ぞわりと背筋に悪寒が走った瞬間、その場にいた間者の内、3名は飛び退けたが最後の1人はその場に呆然と立ち尽くしていた。

空気を裂く音がすると同時、肉が潰れる音と水気のものが飛び散る音がした。立ち尽くしていた間者の頭が潰れ、見るも無惨な姿へ変わっていた。


「昨日から人の周りをちょろちょろしていたネズミはお前らか」


間者の1人をバルディッシュで絶命させた長可が、残りの間者を一瞥しながら語る。突然の長可登場に間者たちは動揺するも、すぐに冷静さを取り戻し武器を手に長可と相対する。

3対1という普通なら不利な状況でも、長可は楽しそうな笑みを崩さない。唇を舐めると長可は間者たちを威嚇するようにバルディッシュを振り上げた。

肉厚感のあるバルディッシュの刃に、間者たちは僅かな間だが怯んだ。その僅かな隙を長可は見逃さなかった。

間者との距離を一気に詰めると、一番手前にいる間者の頭にバルディッシュを叩き込む。頭蓋骨が砕け、脳みそが脳汁と共に飛び散る。

ぶち撒けられた飛沫を避けようと、間者が思わず手をかざす。隙だらけの状態を晒した間者の脇腹に、長可のバルディッシュが食い込む。

胴を半ばまで切断された間者は受け身など取れず土壁に叩きつけられる。瞬く間に3対1が1対1になった事に、残された間者は愕然とする。


「逃げなかった事は褒めてやる。さて、頭を潰されるのが良いか? それとも身体を真っ二つがお好みか。好きな死に方を選ばせてやるぜ」


傲慢な物言いだが、実力差を考えれば大口も当然だ。間者は生き残ったのではない、長可に生かされている状態だ。

彼がその気になれば自分の命は消える、それを理解した間者は一筋の汗を流す。この場を乗り切る方法はないか、彼は模索する。しかし、それは無駄な事だった。

沈黙している間者に対し、長可は宣告なくバルディッシュを薙ぐ。重量感ある刃が遠心力で加速する。間者の足が耐えられるはずもなく、片足は千切れ、もう片方の足は膝の骨を粉砕した。


「ああああああああああああああっ!!」


少し間を置いて気を失うほどの痛みが、間者の全身を駆け巡る。だが叫べたのもつかの間、長可がバルディッシュからモーニングスターに持ち替えると、フルスイングで右肩を強打した。

右肩だけではない、左肩、肘、腹、顎、と長可は無言で、されど笑みを浮かべて間者を殴り続ける。引きちぎられた間者の肉片が壁や地面にへばりつき、血や脂が地面や壁を染める。

やがて物言わぬ骸と化した間者を見下ろし、いつもと変わらない表情で長可は言葉を発する。


「全く、くだらない事に時間を使わせるな。あー、ちょっとすっきりした」


間者の死体を蹴り飛ばした後、長可は控えていた兵たちを呼ぶ。凄惨な光景を見て吐き気がこみ上げてくる兵士はいたものの、吐いたら何を言われるか分からず無理に飲み込んだ。


「どうせ大したものは持っていない。穴を掘って埋めておけ」


身元を証明するものはなに一つないと長可は踏んでいた。だからこそ、間者に質問を投げる事なく片付けた。

間者を人知れず始末しているのは長可だけではない。静子軍の隊長格も同様の間者狩りを行っていた。

京内にいる間者を次々に始末していく。それは生き残っている間者へ、次はお前だぞと教えるに十分な内容だった。

危険を察知した間者たちは、蜘蛛の子を散らすように去って行く。残ったのは織田家が放っている間者か、それとも完全に溶け込んでいる間者の二種類しかいなくなった。


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