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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
元亀元年 第一次織田包囲網
78/237

千五百七十年 九月下旬

ゲリラ戦に前線と道徳はない、ゲリラの基本はこの一言に尽きる。ここで言うゲリラ戦とはあらかじめ標的を定めず、戦線外において小規模・散発的に行われる非正規戦闘を指す。

静子は軍から悪逆非道な行為に対し、忌避感を抱かない者たちを集める。最終的に800名が志願した。当初予定していた定員の1000名より若干少ないが計画に支障は無いと判断した。


「……君たちまでついて来ることないよ?」


静子についてくる慶次、才蔵、長可に半分あきれ顔で言う。彼らは所謂いわゆる名門の出であり、忌み嫌われる汚れ仕事に手を染める必要はない。

対して、静子は綾小路という名字があっても戦国時代では一族など持っておらず、その手の面目を守る必要がない。


「気にするな。たまにはこういうのも良いかと思っただけだ」


「どのような場所でもお付き合いします」


「面白そうだからな」


「まぁ……良いけどさ。ちゃんとついてきてね」


3人の軽口に呆れつつも我が身を案じてくれる事を嬉しく思う。

一同は夜陰に紛れて道なき道を疾駆する。月明かりも射さないぬばたまの夜を昼間と大差ないスピードで走る静子に3人は絶句する。

万が一の案内に犬こそ連れては居るものの、伸ばした己の指先さえ不確かな闇の中を先頭を切って走る静子の背中を見失わないよう必死で走る。

やがて闇に浮かび上がる光を見出し、どの勢力かは判断できぬものの敵方のものと思しき陣幕を発見する。一同はおそらく浅井か朝倉の陣であろうと見当を付けた。

陣幕まであと150メートルというところまで近づくと、静子は持ってきた黒色の双眼鏡(倍率7倍、口径50mm)で陣内の様子を窺う。


「(油断しているね。ならば、混乱するように、陣幕へ放火しますか)」


どれだけ周囲を警戒しようとも完璧に陣を守ることは不可能である。だからこそ夜討ち朝駆けが成功する場合もあるのだが、今回は正規軍を率いての夜襲ではなくゲリラ戦法を使う。

よって、戦中作法や人道その他のお題目など一顧だにしない。コンパウンドボウを背中から下ろすと、静子は腰に下げていた小道具を地面に置き、先端に綿のついた矢をつがえた。

ファイヤーピストンで火種を作ると、綿に近づけて火をつける。火矢を作り終えると、静子は素早く陣幕へ放つ。少し陣幕が燃え始めたころ、警備の人間が気付いた。


「(さーて、では次はこれをあげますよ)」


静子が次につがえた矢には矢本体に筒が括りつけられていた。その筒から伸びている導火線に火をつけると、先と同じく素早く矢を放った。

今度の矢は陣幕ではなく、火を必死に消そうとしている兵士たちと陣幕の間に落ちた。

瞬間、静子の後ろで見守っていた3人は雷鳴にも似た轟音を耳にする。音が収まったころ、その場にいた兵士たちは大小さまざまな傷を負っていた。


「(はい、終わり。戻るよー)」


コンパウンドボウを背中に背負い、小道具を素早く回収すると静子は3人に小声で話す。


「(な、何が何だか分からんが……取りあえず撤収だな。あちらさんも敵襲に気付いたし)」


来たときと同じように極力音を立てず、静子たちは中腰で移動する。嗅覚が優れた犬を先頭に、静子たち4人は敵兵を避けつつ、宇佐山城を目指す。


木や草が生い茂った場所を夜間迷いなく移動できる理由は、犬による案内のおかげだ。

童話『ヘンゼルとグレーテル』において幼い兄妹がパンくずを撒いて帰りの道標みちしるべとしたように、静子は配下の犬を事前に訓練し特殊な薬剤の匂いを覚え込ませた。

そしてその薬剤を布に染み込ませたものを追跡させることに成功した。今回はその布を夜陰に紛れる黒布とし、昼間の明るいうちに一定間隔で設置していた。

夜の明かりと言えば月明かりや星明りしか無い戦国時代において、人が夜間に黒布を発見することは困難だが、犬には鋭い嗅覚があり多少離れていても発見することは容易い。

犬に黒布の場所まで案内させて布を回収することを繰り返せば、月明かりさえもない真の闇においても道に迷うことなく移動できる寸法だ。


敵陣へ迷いなく移動できた理由も匂いだ。三万もの軍勢が移動すれば、どれだけ隠そうとも移動の痕跡は残る。

出入りの商人や信長お抱え商人に敵陣で商売をさせれば、それらの痕跡を残すことも容易だ。

浅井・朝倉連合軍も行軍中の軍を発見されることは恐れていたが、行軍後に残った痕跡から情報が読み取られることまでは考え付かず、さまざまな痕跡が残されていた。

後は痕跡を地図に照らし出せば、敵の移動速度とルートがある程度割り出せる。そこからさらに計算して次の布陣位置を割り出し、最終調整を犬にさせて敵の陣幕を発見したのだ。


「所でさっきのは何だったんだ?」


敵兵に見つかることなく宇佐山城の近くまで来たころ、慶次が静子に尋ねた。爆発物を投げ込んだのは分かったが、凄まじいまでの爆音に反して一見して即死した兵はいなかったように思う。


「黒色火薬を固めて雑菌が繁殖した黒曜石、石ころ、鉄のさびと一緒に包んだものだよ。爆発すると黒曜石とか鉄のさびが飛び散る仕組みね」


「それにしては殺傷能力が低かったな」


「ゲリラ活動はあくまで『精神的な重圧を与え続けること』だから、簡単に死なれると困るのよ。敵兵イケニエを精神崩壊寸前まで追い込んで、その様子を見た周囲が恐怖で士気を落とす作戦だからね。ま、ほかにもいろいろとしているけど、数日はこんなことばっかりするよ」


その宣言どおり、静子は徹底的に嫌がらせをした。

浅井・朝倉連合軍の食事に毒きのこ(摂取しても毒で死なない部類のきのこ)を混入させて兵士を下痢状態にしたり、深夜とも言える時間に大量の爆竹を鳴らしたり、進軍方向に穴を掘ったり、撒き菱まきびしもどきをばらまいたり、野生のイノシシを捕まえて進軍している連合軍に突っ込ませたりと、己がやられたら心底嫌だと思う事を躊躇なく実行した。


警戒している敵兵に何度か発見されることはあったが、幸いにも負傷者が出ることはなかった。

ゲリラ活動に志願した味方から卑怯・卑劣な行動を繰り返すことに不満が噴出するかと危惧していたが、今まで誰も見たことも無い未知の戦法にむしろ戦意高揚さえしている様子だった。

長可など最初は嫌そうな顔をしていたが、翌日には率先してゲリラ活動に参加した。

次第に彼独自のゲリラ戦法を編み出すに至った。


例えば敵の斥候を捕まえたのち手足を縛った上で土に埋め、首から上だけが露出するようにする。その状態で蜂蜜を耳や鼻の中に塗り込んで放置する。

すると甘い臭気に釣られて様々な虫が塞ぐことの出来ない穴に殺到するという非道な内容だった。

被害者の上げる悲鳴を聞きつけた味方が救出すれば死には至らないものの、抵抗できぬまま己の体内を虫どもに蹂躙される有様は敵を恐怖に陥れるに充分であった。


静子たちがゲリラ活動にいそしんでいる間、森可成は静子隊6500、森可成隊500、信治隊1000を連れて坂本に陣を張る。

いくら静子たちがゲリラ戦術を行使しても、依然として浅井・朝倉・延暦寺・本願寺連合軍の方が兵力に勝る。

敵味方が相手取り正面から激突する流れは変えようがなかった。それでも、朝倉・浅井兵の何割かが脱落したことで兵力の差が少し縮まった。


「……後三日あれば、もう少し手の込んだことができたのだけれどね」


「そんな悠長なこと言っている余裕はないぞ。明日にも連合軍と合戦になるのは必至だ」


「感染症の流行ならず、か。そろそろ勝蔵君と才蔵さんは戻って、兵を動かした方がいいね。慶次さんは散らばっている人たちを集結させて。多分、これ以上のゲリラ活動は不可能だと思うから」


「了解」


全員が返事を返すとおのおの目的地に向かって走りだす。

静子も周囲に溶けこむように気をつけつつ、宇佐山城に一度戻る。宇佐山城には、補給と称していろいろな武具を隠し運んでいる。

さすがにこの手の類いは静子本人の命がなければ、持ち出すことを禁じていた。周囲に散らばっていた兵士たちと慶次、才蔵、長可が宇佐山城に戻ると、全員に身なりを整えるよう静子は命じる。


「例のものを坂本まで運ぶよ」


「了解しました!」


二刻後、準備を終えた静子隊の残りは急いで森可成の陣に移動する。道中、僧兵の襲撃などなく、無事到着することができた。

静子の合流後、森可成はすぐに軍議を開く。『ここで足止めをする』ことを目標とし、そのために一丸となって戦う覚悟でいた。

ゲリラ活動のおかげで連合軍は3万から2万5000に兵の数を落とし、内ほとんどが朝倉軍という状態だ。

本願寺勢力は信仰心を拠り所に結束しており、重圧を加えると弾圧に対抗する時のように余計に結束を強める結果になるだろうと森可成は感想を述べる。


「もともと、本願寺は一向宗の頂点に立つ寺。一向宗は独立して仏の治める国を作ろう、という自治・独立運動が盛んです。悪い言い方をすれば、国を乗っ取る考えですね。一応、仏の教えを広めて救済し、国の税をお布施として仏の加護を得よう、と考えていたようですが」


「その考えに従えばわれわれは邪魔ということか」


静子の言に森可成がこぼす。


「これは私が住んでいた国の皮肉なのですが、『信者と書いて儲かると読む。ゆえに、宗教は信じる者を増やす』と。要するにどれほど美辞麗句な言葉で飾っても、宗教勢力が欲しいのは結局お金ですよ、お金。後、権力もですかね」


「もはや寺に精神的な権威はない、ということか」


森の言葉に静子はうなずく。


「森様。一向一揆衆はたとえ身体を焼かれても、決して歩みは止めないでしょう。彼らを止める方法はただ一つ、速やかに命を奪うことです」


森可成は決意を読み取るように、静子の目を見つめる。


「私は武将の狙撃に専念します」


静子は森可成の目を見つめ返し、はっきりとその言葉を口にした。







本願寺には「王法為本」 というものがある。「現在の統治者に従い、政治と秩序を助けることが仏法の道である」という考えである。

本来一向宗は「仏法領(仏の治める国)を作り上げる」という自主独立の考えであり、本願寺はむしろ一向宗の自主独立の動きを抑制すべく「王法為本」を推進した。

だからこそ当初、本願寺法主の顕如は、自ら進んで信長へあいさつに赴き、いきなり彼に軍資金提供(5000貫)を要求されても即座に応じた。


しかし、この考えは受け入れられず一向宗門徒は「自主独立」の動きを強め、ついには一向一揆が勃発。加賀の国主は自害しここに一向宗の国が誕生するに至った。

自分たちの国を得た事で一向宗は奮い立ち、「自主独立」の動きは加速していった。こうして各地で土地を支配する国人たちとの対立・抗争が始まった。

本願寺は権力者と真っ向から対立する動きを抑えようとするが、その間にも信長の要求は苛烈さを増し、ついには重要拠点の石山本願寺を明け渡せと言い放った。


本願寺は各地の門徒や僧から、「一向一揆の動きを認めてくれ」という突き上げを受ける。

さらに信長の要求を受け続ければ自主性が失われ、独立を保てないと本願寺内部から突き上げを受け、止めとばかりに時の将軍足利義昭からも「信長を討て」との要請を受けるようになる。


こうした情勢に加え、顕如の個人的な悩みや不安が重なり、彼は九月十二日についに信長へ反旗を翻すことを決意する。

これを機に浄土真宗の総本山「本願寺」は無くなり、代わりに本願寺家という武装宗教集団が誕生した。


「本願寺は毛利家と同盟を結び、毛利家子飼いの『村上水軍』が海上輸送にて補給を担う。一向宗と友好的な勢力である『雑賀衆』へ救援を要請し、彼らは要請に応じる。本願寺顕如の檄文げきぶんによって長島一向衆や加賀一向宗国など、各地にいる一向宗門徒が一斉に武力蜂起か。見事なまでに四面楚歌そかだな。静子の『複数の敵勢力を同時に相手取ることが無いよう注意してください』という指摘は忘れたのかね?」


「……分かっておるわい」


足満の指摘に信長は不機嫌な表情でそっぽを向く。今、彼らは2人で秘密の会談をしている最中だった。

敵に囲まれている状況で2人だけの会談は、守備の面で不安はあるが足満の剣技は間者程度ではどうにかなるものではなかった。

すでに何体もの死体が彼らの周囲に転がっていた。言うまでもなく三好三人衆か本願寺が放った間者であろう。死体には直刀ごと真っ二つにされているものもあった。


「分かっておらぬ。長島一向衆が動くということは、貴様の弟がいる小木江城が攻められるということだぞ。それだけではない。浅井や朝倉も本願寺に合わせて動く。きっと延暦寺もこの流れに乗じて動くだろうな。さて、もはや周りは敵だらけの状態だ。どうするのだ? 織田の殿様」


「神輿(注:足利義昭のこと)を連れて京へ戻る」


「あのばかはすでに本願寺側だぞ。わざわざ連れて行く必要もあるまい。本願寺のところに捨てておけば、やつらが勝手に拾って持って帰るだろう」


「腐っても神輿は神輿。やつに余計なことをされたら、たまったものではない。いったんは京へ戻る。その後は各個撃破だ。貴様としてはまず誰を狙うのが良いか、意見を拝聴したいな」


「比叡山延暦寺への焼き討ち」


信長の問いに足満は迷いなく答える。懐から小刀を取り出すと、彼は夜の闇に向かって投じる。

遠くの方で重たい何かが落ちる音がしたが、2人はそれに注意も払わなかった。


「今更善人ぶる必要もあるまい。貴様はこの国にいる旧勢力をすべて敵に回した。仏敵だと言われて怖気づいて二の足を踏むのなら、いっそこの手でその生を閉ざしてやろう」


「ふん、今更その程度のこと躊躇ためらいもない」


「その言葉が口だけでないことを祈る。さて、問われる前に答えておく。比叡山延暦寺を狙うのは何も近いからだけではない。貴様の家臣たちに決断を迫るためだ。天下とは、この世のすべてを敵に回す覚悟がある者だけ、手にすることができるということを」


「……」


「そろそろ戻ろう。良い加減、家臣たちが不安に思うだろう」


「そうだな」


その言葉を最後に彼らは会談を終え、家臣たちのいる本陣へ戻った。長時間の不在に不安を隠せない家臣たちを前に、信長は不敵な笑みを浮かべて宣言した。


「京へ引き返すために江口の渡しへ向かう。殿しんがりは柴田と明智だ、しっかりついて来い」


だが、事態は彼の想像を絶するほど悪化していく。

九月二十日、信長と本願寺との和議が決裂すると、顕如は自ら兵を五千率いて信長本陣へ襲いかかった。







時は少し戻って九月十七日、坂本口にて宇佐山城守備隊を含む織田軍9000と、浅井・朝倉・延暦寺・一向宗の連合軍2万5000がにらみ合っていた。

森可成は周辺の街道を封鎖し、志賀や穴太に伏兵を配した。1000人ほどを宇佐山城の防衛に残し、残りすべての兵を坂本口に集結させた。

内容は森可成隊500人、信長の弟・信治隊1000人、静子隊7500人だ。


此度の戦闘目的は時間稼ぎということで、静子隊の装備はコンクリートと竹と木材を重ねた盾とメイス、手斧、1.5メートルほどの片手槍だ。

劣勢であり相手を気遣う余裕など皆無であるため手段は選ばなかった。彼らの武器にはすべて雑菌が塗り付けられている。カプサイシンを塗ろうと考えたが、数が圧倒的に足りないため中止した。


「静子殿、檄を頼む」


緊張で唾を飲み込んだとき、近くにいた森可成が言葉を投げる。一瞬、驚いた顔をした静子だがすぐに表情を引き締め、小さくうなずくと前に出た。


「聞けい、わが兵たちよ!」


静子の声に静子隊の顔つきが変わる。普段は声を上げない彼女が、ここで初めて声を上げたのだ。いや応なく彼女へ視線を向けてしまう。


「今、われらは敵の襲撃を受けた。だが、予定に何も変更はない。すべて想定どおりの状況だ。現刻より作戦を開始する」


コンパウンドボウを取り出し、ゆっくりとした動作で静子は矢をつがえる。


「勇敢なる(つわもの)たちよ、今こそ武器を取り無知蒙昧な逆徒共に死の鉄槌を振り下ろせ! 今より我ら獣となり、不遜ふそんやから喉笛のどぶえを食い破らん!!」


言い終えると同時、静子は矢を放つ。


「おおーー!!!!」


静子隊の兵士たちが大音声を上げる。

彼らの声は遠く離れた浅井・朝倉軍の有力武将たちにも届くほどだった。最前列の兵士たちに至っては、余りの声量に思わず耳を手で押さえる。

その間に静子が放った矢は弧を描いて飛び、そして最前列にいた武将の首に突き刺さった。







初めて己の意思で他人をあやめる。命を奪う一撃を放ち、あやまたず死をもたらしたが静子の心は、凪いだ水面のように静かであった。

そのことに驚く暇は残念ながら彼女に与えられなかった。先制して武将首を取られたことに、連合軍の兵士は激昂し突撃を仕掛けてきた。

本来なら遠距離武器の弓や石投げから始まり、その後突撃が行われるのが戦国時代の合戦の様式だ。ただし、本来の武器防具の類いを装備していれば、の話ではある。


「投石開始!」


スタッフスリングを装備した投石兵が、一斉にレンガブロックを投擲する。

戦国時代の石投げは基本的に素手であり、武田信玄率いる投石衆でもなければ有効射程は50メートルにも満たない。

しかし、スタッフスリングはてこの原理で威力と飛距離を強化し、射程距離は実に100メートルから150メートルになる。

和弓と同等の射程距離を誇り、さらに弓とは異なり大人の拳ほどもあろうかと言う角ばった石材が降り注ぐのだ。兵士としては思わず足を止めてしまうのも無理はなかった。


「次弾装填そうてん!」


投石部隊は弾となる石さえ準備しておけば、何度も繰り返し投擲を行う事が可能である。

一方歩兵による突撃は一度走り出せば、簡単には方向転換も停止することも叶わない。足を止めようにも後続が次々と押し寄せるため下手をすれば踏み潰されて命を落とす。

4回から5回の投石を受けた連合軍は、ようやく50メートル手前まで近づく。

投石部隊は左右に別れて後退し、次に最前線に出たのは巻き上げ機を使わずに手で装填可能な小型の片手クロスボウと盾を装備した兵であった。

盾を連ねて壁となし、その隙間よりクロスボウで狙撃して敵兵を次々と打ち倒していく。

当たり所が良く即座に命を落とさずとも、クロスボウの矢は信長考案の出血を強いる矢に改造されている。

無理に抜こうとしても折れてしまい、出血を止めるには切開を必要とする凶悪な代物だ。

反面、中空構造に由来する軽さと重量バランスの偏りのため、射程距離が極端に短くなっている。

が、ここまで敵が近ければそれも問題にならない。前にさえ打てば目を瞑っていても命中するのである。


遠距離攻撃に終始しているが、もともと兵力に差があるため接敵される前に兵を削らねば、圧倒的な数によって蹂躙されてしまう。

事前のゲリラ活動が功を奏したのか、浅井・朝倉の兵たちは精彩を欠いていた。しかし、一向宗は死をも恐れぬ死兵と化しているため、こちらをどうにかしなければ織田軍に勝機はない。


「浅井兵と朝倉兵は放置して良い。優先的に一向衆と僧兵を始末して。できれば指揮を執っている人間を狙って。さすがにそれは高望みだろうけど」


スタッフスリングは装填そうてんに時間がかかる。その合間を縫って兵士たちが殺到してきていた。

もう混戦は免れないことを理解した静子は、各部隊に指示を出す。


「前田隊は機先を制して一撃せよ! 可児隊は突破口を押し開け! 勝蔵隊は遊撃し蹂躙せよ!」


「承知!」


それぞれの隊が返事と共に飛び出す。

慶次率いる前田隊は派手な衣装や異質な行動で敵の目を惹き、勢いに乗せて一撃を加えると即座に離脱し、また隊を整えて一撃するという行動を繰り返す。

才蔵率いる可児隊は寡黙な彼のように、前田隊が穿った穴を押し開き黙々と敵を始末していく。

草を刈るかの如く声一つ上げずに敵兵を刈り取るさまに、敵の兵士たちは恐怖を覚えた。

長可(勝蔵)隊はとにかく手がつけられない暴れ馬状態だ。それでいて無意識に合戦全体を把握し、軍師並みの戦術眼から敵にとって最悪のタイミングで攻撃を仕掛けていた。


各部隊ともに兵士の特性を生かし、それぞれに特化することで近代的な軍の兵科さながらに戦場を分担し支配していた。


(若いのに……いや、若いからこそ才能が芽生えたか。勝蔵……わしはお前の活躍を誇りに思うぞ)


長可の活躍ぶりに森可成は心の中で彼を褒める。

最初は長可の傍若無人ぶりに頭を悩ませたが、わずか1年で大人びた顔に代わり、ついには自分の主人から一文字名前を拝借するまでに成長した。


(ここで散ったとしても悔いはない。勝蔵が森家のため、お館様のため、立派に役目を果たしてくれよう)


十文字槍を握り締めて森可成は叫ぶ。


「前面は彼らに任せ、われらは側面より来る敵を倒すぞ! 兵どもよ、わしについて来い!」







十七日の戦闘は織田軍が連合軍に、2000から3000ほどの損害を与えたところで終了した。

手痛い損害を被った連合軍は無策に突撃を繰り返しいたずらに消耗するのを嫌い、一度撤退して軍を立て直す事に決めた。

翌十八日に各勢力の代表を集めて軍議を開いたが、それぞれが己の利益を優先するがために建設的な結論は出ずに貴重な一日を浪費した。

更に十九日に持ち越された軍議でも、皆がそれぞれの腹の探り合いに終始したため連合軍は停滞を余儀なくされた。


彼らが互いを信じきれない原因の一つに、宇佐山城に1万もの兵士が居たことが挙げられる。

本願寺の要請を受けて挙兵した浅井・朝倉・延暦寺の将兵たちは、宇佐山城の兵力は1000名程度と報告を受けていた。

そのため3万もの軍勢で押せば一気呵成に押しつぶせると考えていた。

しかし、ふたを開ければ、1万近い兵士が配置されていた。

斥候の役を担っている延暦寺の僧兵は、兵数の増加を浅井・朝倉側へ伝えていなかった。このことから浅井・朝倉側は延暦寺に不信感を抱くに至った。


延暦寺側が報告出来なかったのも無理はない。

静子たちの率いる兵士たちは一か所に集結することをせず、少人数の部隊で宇佐山城周辺に配置されていたため、斥候たちは敵の総兵数を把握しきれていなかった。

さらに静子たちのゲリラ活動が功を奏し、部隊間の連絡が途絶し負傷兵が増え続けることへの対応に追われ、余裕がなくなってしまった。


浅井・朝倉と延暦寺間だけでなく、浅井と朝倉の間でも不和の芽は育っていた。

ゲリラ活動によって負傷兵が発生したのは朝倉側、体調不良を訴える兵士が発生したのが浅井側だ。


このときに朝倉兵がもう少し辛抱強く戦っていれば、決定的な決裂は回避できたのかも知れない。現実は負傷兵が増え、その悲惨な有様に色めき立って朝倉兵はわれ先にと逃げ出した。

ゲリラ活動に対して朝倉側が抗戦した様子はなく、抵抗らしい抵抗もなしに退却したことに対する、浅井側からの抗議に対しても非を認めずにのらりくらりと話を逸らす始末だ。

こうなると背中を任せる味方たり得ない。いつ崩れるか判らない壁に寄り掛かる馬鹿は居ない。浅井兵はこう考える。


己の損耗を嫌ったため、朝倉側はわざと負傷兵を出して退却したのではないか。

指揮官も野村合戦(姉川合戦)では朝倉孫三郎(景健)だったが、本願寺が動いた今回の合戦には朝倉孫次郎(義景)が自ら出陣している。

共同作戦と言いつつ自分たちを格下に見ているのではないか。


ひとたび、疑心暗鬼に陥れば、敵を同じくしてはいるが目的を違える浅井と朝倉だ。容易には修復できない不和が生まれ、今では互いを出し抜き利用しようとする始末。


そんな浅井・朝倉・延暦寺の醜態に本願寺勢力は呆れ果てていた。

連合軍は内部崩壊に陥り軍の体を為していない、今では協力して織田家を討たん、という言葉がむなしくなるほどだった。

こうなると数の強みが出せず、各勢力がそれぞれ織田軍と戦う形となる。


連合軍がもめている間に織田軍は信長に救援要請を出し、次に備えるため補給活動を行う。

幸いにも京側から支援が有り、さらに青地茂綱が兵2000と物資を手土産に、織田軍の援軍として駆けつけてくれた。

兵の数は1万を超え、先日の合戦で戦果を挙げた兵たちは「連合軍恐るるに足らず」と気炎を上げた。

自信はそのまま士気を高め、織田軍は末端の兵士を含めかつてないほど燃え上がっていた。


「……なーんか、おかしくないか?」


慶次が不審そうな顔でつぶやく。

二十日の戦いも織田軍の勝利で終わったが、成果を上げた慶次はどことなく不服そうでもあった。慶次だけではない。才蔵や長可も同じようなことを感じていた。


「左様。朝倉や浅井兵の士気が低い。そして、行動も鈍い。こちらとしては良いことだが、何かしら策を講じてるやも知れぬ」


「二日間、全く動かなかったのも何かあるかもな」


「単に互いが信じられなくなっているだけだと思うよ。もともと、連合軍は織田討伐を理由に結託した。そのことが現実味を帯びてきたから、織田討伐後のうまみ(・・・)を優先しようとしているのだろうね」


寝転がっている静子が3人の疑問に答える。当たらずといえども遠からずで、二十日の連合軍は甘い汁をより多く得ようと、ほかの勢力を使い潰そうとした。

敵側の勢力が小規模かつ散発的であったため、スタッフスリング等の遠距離武器の成果が落ちたが、相互不信に陥っていると判ったのは収穫だった。


「ま、油断は禁物だよ。こういうとき、突然団結心が高まってやられることもあるからね。連中が撤退し、比叡山に逃げ込むまで安心はできない」


「そうだな。しかし、今回の静子は大活躍だな。お前1人がどれだけ敵の武将をつぶしたか、数え切れぬわ」


長可の言葉どおり、静子の戦果は『異常』の一言だった。

彼女は人をうまく扱う才能があるためか、敵陣の中にいる武将などの指揮官を探すのがうまかった。見つければ後は簡単だ。

首級しゅきゅうを上げて褒美をもらうことが武将の基本だ。だが、静子は前提条件が違い褒美を手に入れる必要がなかった。現状以上を必要としない彼女は、ただ単に敵を倒せば良い・・・・・・・


弓騎兵隊として、また数年も野生動物を狩猟していた静子は、弓の腕にかけては一流の武将にも比肩し得るものとなっていた。

弓騎兵隊の成績最上位者でも有効射程90メートルが限界だ。だが静子は100メートル以上先の目標を、およそ7割の精度で射抜いていた。

野生の鹿という害獣を処分するため、より遠くから狙い続けることを日常とした彼女は、いつの間にか弓の才能を開花させていた。


コンパウンドボウの最大射程は到達位置だけで言うなら1kmにも及ぶ。最大有効射程は弦の強さによって変わる。

静子のそれは威力を高めた狩猟用の75ポンド弦を使用している。

コンパウンドクロスボウは、巻き上げ機を使って矢を装填する185ポンドの物まで開発したが、貫通力こそ増すものの飛距離は伸びなかった。

最終的に片手で引ける程度の強さの弦を用い、矢の形状を工夫する事で飛距離を伸ばした。最も、狩猟より先に戦場で使われることになるとは思いもしなかったが。


「合戦を効率良く進めるには、有利に戦える場所を相手より先に取ることが重要よね?」


「確かにな。地の利が良いってだけで、作戦も幅が広がる」


「それ以外にも、もう一つ方法があるの」


「ほぅ、それは?」


「敵の有能な人間をつぶしていくことよ。存在自体が足軽たちの士気を上げる人間、伝令を行う人間、指揮能力や戦局分析能力の高い人間からつぶしていくとより効果的よ。ただ後に手駒にできる武将が減るって欠点もあるけどね」


その言葉に3人は背筋を凍らせた。

平時の静子は虫も殺さないような考えをしているが、合戦などの非常時になると合理性を重視し、相手の心理を徹底的につく戦略をとり、そして躊躇ためらいなく実行に移せる胆力を見せた。


その辺りの定石破りは指揮にも表れた。

通常、軍の指揮系統は上意下達が原則であり、具体的な命令が無い限りは勝手な行動は許されない。

指揮官死亡時等の非常時には現場の判断での行動が許される場合もあるが、上位者の命令は絶対でなければ命のやり取りをする戦場では秩序を保てない。


対して静子軍は一言で言えば『大ざっぱ』である。彼女は軍事作戦を『連合軍を比叡山へ追い払う』の一言で済ませた。

だが、軍事学における戦いの九原則には『簡明(簡単で明確)』というものがある。

ゆえに、己が何をどうすれば良いのか、がはっきりしている『連合軍を比叡山へ追い払う』は静子軍に一瞬で浸透した。

余談だが戦いの九原則とは目的、攻勢、物量、戦力の節約、運動、奇襲、警戒、簡明、協調である。


軍事学を専門的に学んだわけではない静子には軍師の真似事は出来ない。

余計な指示で部隊を混乱させては駄目だと考えた静子は、近代プロシア軍が作った指揮系統を部隊単位にするアメーバ型指揮系統を採用した。

これは部隊に軍事作戦を認識させ、その後役割と目標を与えて、作戦が開始すれば後は部隊長の判断に任せる方式だ。

慶次、才蔵、長可の役割は『敵部隊の混乱』だ。静子直卒の弓騎兵隊は『部隊長の始末』だ。最後の静子指揮下の歩兵を中心とした足軽隊は『部隊同士の分断』だ。

慶次らの部隊が敵を混乱させ、それを立て直そうと声を張り上げ、叱咤する人間がつまり現場の指揮官である。

自軍に向かって叫ぶ者を弓騎兵隊が次々に射抜く。あとは右往左往して自身の行動を定められない敗残兵だけが残る。これを主力の足軽部隊が各個撃破する。

この戦法で寡兵ながら数で上回る連合軍と拮抗状態を作り出していた。


静子が武将を難なく狙える理由の一つが兜だ。兜は威厳と風格、信仰、その人物にとって大切なものが盛り込まれている。

それ以外にも手柄をアピールするとき、自身の無事を知らせるときに使っており、基本的に目立つ兜に仕上がっている。つまり、目立つ兜を身に着けている者は、一定の身分を得ていることと同義だ。

静子は手柄をアピールする必要がないので、目立つ兜を的にして当てれば良い。


しかし、この作戦は、連合軍が連携できずに戦力を漸次投入しているため成り立っている。

連合軍が作戦を切り替え、損耗を承知で包囲殲滅作戦を採用すれば、多方面を同時に相手出来ない寡兵側は容赦なくすり潰される。


「私は単に運が良かっただけで、そして将としての義務を果たしただけにすぎないよ。別に褒められることでもないしね」


「そう言うな。強い将がいるだけで、足軽たちの士気が上がるんだから」


「……そうだね。そこは理解しているよ」


静子は兵士たちの士気が、いつまでも保つと思っていなかった。

連合軍の兵力は堅実に削れているが、無論織田軍の兵士も無傷という訳にはいかない。徐々に損害が増えており、兵数に劣る織田軍はじり貧になる。

だが、信長が京に戻り兵を率いて宇佐山城に到着するまで待つ以外、連合軍を退ける方法はない。


(史実では二十四日に到着している。ならば、後四日は石に齧り付いてでも耐え抜くのみ)


その後、天が織田軍に味方したのか、連合軍内でまたも責任のなすり付け合いが始まり、今度は予想以上に膨らんだ損害を誰に請求するかでもめ始めた。

もめるのも仕方ない。現状では浅井や朝倉側に実りが全くないのだ。何か利益を得ないと今度は家臣から責め立てられる。

結局、連合軍はここで二日を空費し織田軍を攻めきれないでいた。


しかし、信長が八方ふさがり状態であるように、森可成と静子にも最悪の事態が訪れる。

連合軍は前日までの損耗を嫌う戦法を止め、織田軍の弱点を突く大攻勢に出た。


「勝蔵隊、森様の軍と合流し、敵を押し返して。才蔵隊はここで敵を食い止める。慶次隊は左翼側の支援を!」


早朝から昼までは正面一点のみの力押しだった戦法を、昼を境にがらりと変え三方面より同時挟撃へと切り替えてきた。

切り替えたというより、朝方の攻めは側面攻撃をする兵たちの存在を気付かせないためのおとりだったのだ。

接敵されてしまえば弓騎兵や投石部隊の射程距離を活かした戦法は使えない。距離を取れぬまま泥沼の混戦状態に陥った。

それでも、静子の位置からならば遠くの人間は狙撃できるため、騎兵の馬を重点的に狙った。


「これは厄介です。連中、包囲して数で押し切る考えです」


「分かっていたけど、こうも分散されると厄介よね」


乱戦状態となり隊列を維持できないため弓を連ねての一斉射撃が使えない。三方面から攻めたてられるため盾で壁を作る意味が無い。

連合軍はここに来て織田軍の強みを分析し、それを潰す作戦を実行してきた。


「おらぁ! どけ、雑魚どもが!!」


森軍に合流しようとしている長可隊だが、無数の敵兵が邪魔で思うように近寄れなかった。


「チッ、あいつらおやじを狙ってやがるな。お前ら! とっとと突き抜けるぞ!」


激を飛ばしても数の差は消せない。着々と数を減らす森軍に長可は焦りを感じる。


(急がねぇと、俺は何のためにここまで来たんだか分からなくなる!)


偉大な父の背中、その背に視線を向けたところで長可の視界を不吉な影がよぎった。

敵の弓兵が父の背に矢を放たんとしている光景が。


「おやじ! あぶねぇ! 避けろ!」


そう長可が叫び、森可成が反応して顔を長可へ向けた瞬間、敵の矢が彼に深々と突き立った。







戦場の気配を鋭敏に感じ取った才蔵は悟る。戦の趨勢すうせいは決してしまったこと、そして自分たちは負けつつあることを。


「全員、静子様の元へ向かうぞ」


勝敗が決した以上、誰かが殿しんがりを受け持ち敵の追撃を防ぐ必要がある。才蔵は誰に命じられるまでもなく、己の役目であると考えた。

才蔵隊の面々も彼の思惑を理解したのか、何も言わず無言で才蔵の後を付いていく。


「静子様、口惜しいですが勝敗は決しました。貴女は今すぐ撤退してください」


コンパウンドボウで敵を倒す静子へ、才蔵は静かに告げる。だが、彼女は顔を才蔵へ向けることなく、首を横に振る。


「私は責任者です。ここで最後まで務めを果たさねばなりません」


「それはなりません」


才蔵は静子の言葉を即否定する。そして、彼女が口を開く前に、さらに言葉を続ける。


「今、この場で絶対に命を落としてはならぬ人物は貴女です。貴女は宇佐山城にいる人間へ道を示す責務があります。結果がどうあれ、最後まで役目を全うしてください、静子様」


「才蔵さん」


「さ、お急ぎ下さい。殿はそれがしが仕ります。何、追い縋る部隊を蹴散らして追いついてみせましょう」


「殿ぉーーーーーー!!」


才蔵が退路を手で示すと、遠くから玄朗の声が静子の耳に届く。細く危なげな道だが、連合軍の猛攻を抑えこみ足軽たちが退路を作っていた。

静子が玄朗の方へ顔を向けたとき、足軽たちの防御をすり抜けた敵兵が玄朗に斬りかかる。


「何すんじゃ、この糞餓鬼がぁ! ここは殿が通る道だ!!」


軽く斬られたことに激高した玄朗が、小刀を手に敵兵の喉を突き刺す。


「殿、こちらですぞー!」


小刀を抜いて敵兵の死体をその辺に投げ捨てると、彼は大きく手を振って静子を呼ぶ。


「……ご武運を。それと、死んだら許しませんからね!」


迷えば彼らに迷惑をかける。そのことを理解した静子は、素早く撤退行動に移る。思い切りの良さに才蔵は小さく笑みを浮かべ、わずかな兵を率いて撤退する静子の背中に向かってつぶやく。


「ご安心を。某の死に場所はここではありません」


才蔵が前を向くと同時、彼の顔つきが変わる。1人のいくさ人となった才蔵は、槍を強く握り締めると目の前にいる敵兵を斬り捨てる。

槍を振るう速度があまりに速いため、斬り捨てられた敵兵は己に何が起きたか判らぬまま倒れる。周囲の動揺をよそに、才蔵は次々と敵兵を斬り捨てていく。

剛力と言えばまず慶次の名が挙がるが、才蔵もまた静子の元で数年過ごしているため、彼に劣らぬ膂力りょりょくの持ち主だ。

単純に槍を振るうだけでも、並の者なら反応などできず斬られる。


(最初は興味本位だった。女に仕えよなどと、ばかにしているのかとも思った)


槍や矢を防ぎながら才蔵は次々と敵兵を斬る。鬼神の如き奮戦に敵兵が怯み、槍の間合いに兵が居なくなると、才蔵は槍を構え直す。


(だが静子様と共に行動するにつれ、なぜ織田様が静子様を重用するか分かった。あの方はまばゆい、それも包み込むような陽の光。きっと織田様は無意識に手放したくないと思ったのだろう。それは……某も同じだ)


そこで不敵な笑みを浮かべると、才蔵は息を小さく吐く。彼の周りには死体が積み重なり死屍累々の体を為し、咽かえるような血臭が漂っているが才蔵は意に介さない。


「死にたいやつは前へ出ろ! 可児才蔵、参るッ!!」


名乗りと同時、彼は槍を片手に敵兵の中へ突撃した。







戦場を見渡して、そして空を見上げて、慶次はぽつりとつぶやいた。


「こりゃ負け戦だな」


悲観的な言葉とは裏腹に彼はとても楽しそうだった。彼は煙管をぷかりと吹かした後、中の灰をその辺りに捨てた。槍を構え直すと、彼は静子へ撤退するよう進言する伝令を放つ。


「さぁて、ここからが俺の本番だ」


すでに三方が包囲されている状態で、いつまでも残り続ければ待っている未来は死だ。

しかし、慶次は不安も後悔も感じさせない表情で、これから遊びに行くような雰囲気のまま突撃の構えを取る。

その彼に待ったをかけた人物がいた。


「旦那、あんたはここで死ぬ人じゃない」


それは名も無き兵士の1人だった。男は両手を広げて慶次の前に立ち、首を横にふっていた。

背中には何本もの矢が刺さっており、顔から血を流している様は命の炎が燃え尽きる寸前であることは明白であった。

それでも、男の目は死んでいなかった。否、決死の覚悟が燃えていた。


「俺は頭が悪いから、難しいことは分からねぇ。でも……あの人に必要なのは俺みたいなやつじゃない。旦那みたいな人が、きっと必要なんだと思う」


慶次は黙って男の言葉に耳を傾けた。男の覚悟を決めた目に、言葉は不要と感じたからだ。


「あの人さえ生きていれば、おふくろも、母ちゃんも、俺のガキも、何も心配いらねぇ。そうだろ、旦那」


「……ああ」


「へ、へへっ。じゃあ……頼んますわ。死にゆくじじいが哀れと思ってくれるなら、どうか……あの人を守ってくだせぇ」


周囲で戦っている兵士たちも同じ気持ちなのか、慶次を見てはうなずいていた。たくさんの思いを受け止めた慶次は、一度大きく息を吐き出し、そして兵士たちに向かってほほ笑んだ。


「お前らの夢と明日は任された! 達者でな!」


それは実に気持ちの良い笑みだった。名もなき老兵は慶次の笑みに、こちらも死を覚悟した者特有の透明な笑みを返し頭を下げた。

男が再び顔を上げたとき、傷ついた老兵ではなく、己の命と引き換えに敵を屠る修羅の姿だった。慶次は馬の手綱を握ると静子の元へ駆け出した。

振り返ることなく駆け抜けていく慶次を見届けた後、死兵と化した修羅たちは出血からか緩慢にしか動かぬ足を気力で奮い立たせ敵陣へと突撃した。

その後、男は敵将に斬られつつも、その喉笛を食い破り相打ちとなり果てたが、そのことを慶次が知ることはなかった。


「大丈夫か」


静子は長可と共に負傷した森可成を連れ、坂本から撤退していたことを知った慶次は、殿として残った才蔵の元へ駆け付ける。

慶次が才蔵と合流したとき、彼は頭の天辺てっぺんから足の爪先まで血まみれだった。

どこまでが己の血で、どこまでが敵の返り血かわからぬほど、彼は長い間戦い続けていたのだ。


「問題ない」


そんな彼は慶次の姿を見つけると、いつものように気難しい表情をしつつ返答した。斬りかかってくる敵兵をなぎ払いつつ、慶次はいつものように屈託なく笑みを浮かべて言葉を口にする。


「行くぞ」


「分かった」


性格も何もかも違う2人だが、それだけで相手の考えが分かった。慶次と才蔵はわずかな兵と共に坂本からの撤退に成功する。







宇佐山城の戦いは織田軍の敗北に終わる。しかし、浅井・朝倉連合軍は織田軍の殿部隊に足止めされ、全く前へ進めていなかった。

勝敗は決しているのに、なかなか進軍できないことに朝倉はいら立ちを覚える。


「相手は総崩れしたのだろう! なぜ、これほど手間取っている! この様な場所で刻を取られている場合ではないのだぞ!!」


総大将の義景が報告にきた伝令に怒鳴り散らす。

怒鳴り散らしても事態は変わらないのだが、彼には僅か1000人程の兵に、万に届こうかという軍が足止めされている現実は理解できなかった。


「は……しかし宇佐山の兵は死兵と化し、そのすさまじい士気に雑兵たちがおびえております。特に……中央にいる3000の兵は手がつけられませぬ!」


伝令の報告どおり、死兵と化した織田軍の猛攻に、勝った方の浅井・朝倉連合軍の兵が防戦一方を強いられていた。


「は、離せ! き、貴様何をっ!」


「へ、へへ……俺はさみしがり屋なんだ。だから、あの世まで付き合ってもらうぜ!」


背後から組み付いた敵武将の腹を、織田兵が小刀で突き刺す。当然、組み付いている自分ごと突き刺すことになるが、織田兵は全く意に介さない。

彼は刀で身体を貫く前から身体には無数の矢が刺さっており、腹からは止めどなく血が流れ、傷口からは臓器がはみ出ており、出血多量によって視力がなくなっていた。

いまさら傷が一つ増えることに、織田兵が躊躇ためらう理由はなかった。


「ごば……こ……この……あ……」


「わ、わりい……な。道案内……頼む……ぜ……」


刀を突き刺した状態で2人は絶命する。その死に顔は対照的だった。浅井・朝倉軍の方は恐怖に引きつった顔をしていたが、織田兵は痛みも何もかも感じさせない穏やかな顔だった。

彼が特別ではない。合戦場の至る所で、死を恐れぬ織田兵の猛攻が繰り広げられていた。

命を捨てた者は身をかばわない。矢が刺さろうとも、槍や刀で斬られようとも、足が動く限り織田兵は戦い続ける。

対して浅井・朝倉軍の兵は、生きて帰らなければ恩賞も何もかもが無に帰する。傷が元で死んでも同じだ。

生きなければすべてがなくなる者と、命を含めてすべてを捨てている者、どちらが危険か考えるまでもない。


「ひ、ひぃ! こ、こここんなところで死んでたまるか。俺は逃げるぞ!」


獣の咆哮を上げて襲い掛かってくる織田兵におびえた朝倉兵は、恐怖に縮み上がる。

遮二無二激突する織田兵と朝倉・浅井兵が重なると同時、血飛沫しぶきがあがり、絶叫と怒号が上がり、無数の命が惜しげも無く散っていく。

織田兵が倒れると同時、前線に立っている浅井・朝倉兵が何人も倒され、何時間もの間、浅井・朝倉連合軍の進軍を止め続けた。

すさまじい突撃を続ける織田兵の数が100を切っても、浅井・朝倉連合軍は恐怖に飲まれなかなか前に進めなかった。


ようやく立っている織田兵がいなくなり、全員がホッと胸をなでおろして進軍を開始する。

しかし、死んだように見えた織田兵は、実は何人か生きており、自分をまたぐ者を捕まえて地面に倒し、その喉にらいつく。

憤怒の形相で喉にらいつく織田兵を見て、浅井・朝倉兵たちが恐怖の悲鳴を上げる。

恐怖にかられた彼らは何度も織田兵を斬る。力が足りず助かった者もいるが、大半は喉を食いちぎられていた。

助かった者も自分の喉に歯型が刻まれたことを理解した瞬間、声にならない悲鳴を上げて発狂した。その恐怖と狂気が前線部隊に波及し、浅井・朝倉軍は大混乱に陥る。


織田軍1万1000の内、森可成隊500人、青地茂綱の兵1500人、信長の弟・信治隊1000人、静子隊4500もの兵が犠牲となった。

犠牲になった兵の壮絶な最期に、勝ったはずの朝倉と浅井兵は言い知れぬ恐怖を抱き、撤退する織田軍を追撃することができなかった。

彼らは弱兵とからかわれる織田軍でも、死兵と化せばどれほど恐ろしいか身を以って理解した。

玉砕覚悟で向かってくる集団へ追撃すれば、たとえ全軍で打ち合ってもただでは済まないことを思い知った浅井と朝倉は、不要な損害を避けるため追撃を諦め陣中へ撤退した。


坂本の戦いは織田軍の敗北に終わり、信長はさらに苦境へ立たされることとなる。


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