千五百七十年 五月中旬
信長の挑発行為に朝倉は為す術もなく撤退した。その事実に、朝倉家家臣と浅井の親朝倉派は衝撃を受けた。
朝倉家と言えば平安時代から続く名家中の名家であり、第二の京と呼ばれるほど京文化が花開く雅な文化都市を一乗谷の城下町に築いた、名実ともに有数の力を持つ国人だ。
京に近い事から朝倉家は朝廷や将軍家と密接な関係を持っている。特に将軍家からは毎年のように将軍自らが越前へ訪れる破格の待遇を受けていた。
しかし今回の件で朝倉家は名家ではなく、あれだけの挑発行為をされても一乗谷へ逃げ帰る腰抜けという印象を周囲に与えてしまった。
この事で何人かの家臣が朝倉義景を見限り、将来性のある織田家へ寝返る事となった。
転げ落ちるように没落したのは久政も同様だった。
信長と長政の会談時に醜態を晒した久政は、親朝倉派の家臣から「親朝倉派の頭としては若干問題」と見られるようになった。
こちらも将来性を見限った浅井家の家臣たちが、手のひらを返して長政陣営へ寝返る。
浅井久政と朝倉義景の勢力が徐々に失われていく。そこまでは信長の予想内だった。
しかし彼は痛恨の失敗をする。二人を早急に追い詰めすぎた事、そして油断してしまった事だ。
信長は浅井家の家臣は強い方につく体質である事を理解していた。そして朝倉も内部崩壊を阻止するため暫く動けないであろうと考えた。
だから追い詰められた久政に注意を払わず、そして長政にも久政を注視するよう進言しなかった。
1570年(元亀元年)5月14日、歴史的大事件が発生する。
浅井久政と朝倉義景の二人が結託し起こした、浅井長政の暗殺未遂事件「小谷城の変」。
この日に起きた「小谷城の変」こそ元亀争乱の始まりであり、同時に第一次織田包囲網の始まりの日だった。
1570年(元亀元年)5月11日、朝倉家家臣の一部が織田家の領土である美濃へ侵攻する。
この事に信長が激怒したのは言うまでもない。彼は柴田勝家を征伐軍の総大将に任命すると、彼へ「一切の降伏を認めぬ」と直々に殲滅を命じて出陣させた。
朝倉軍はすぐに殲滅出来ると信長は考えていた。しかし1570年(元亀元年)5月14日、援軍の準備をしていた長政へ、突如挙兵した久政軍が襲いかかる。
クーデターの勃発に混乱した長政軍は、久政軍に次々と斬り伏せられていく。長政本人が刀を振るって抵抗するも、一度混乱した軍の立て直しは困難を極めた。
長政は直経の進言を受け、彼は妻子と僅かな家臣を伴って小谷城から脱出する。
多数の兵を失いながらも長政は脱出に成功するが、この事に長政陣営は壊滅状態となる。
久政陣営に勢いがあると考えるやいなや、あっさり手のひらを返して長政陣営から多数の家臣が離反したのだ。
最終的に長政に付き従った家臣は、彼の右腕とも言える遠藤 直経と彼の朋輩である三田村市左衛門、他数名の家臣と兵三千だった。
絶望の淵に立たされた長政だが、彼は僅かな望みにかけ、妻子を連れて美濃を目指す。
朝倉軍の美濃侵攻と小谷城の変から、浅井久政と朝倉義景が結託した事を知った信長は、手元に残った軍の内、一万の兵を秀吉に与えて近江国への侵攻を命じる。
名目上は「お市の救出」だったが、信長は秀吉へ長政軍を救援するよう密かに命じた。
僅か一日で進軍した秀吉だが、一つ大きな問題があった。長政軍が何処にいるか、全く見当が付かなかった。
長政軍は久政軍に見つからぬよう隠れて移動している上に、軍の規模が小さくなり過ぎて見つけにくくなっていた。
信長や秀吉は間者を放つも良い情報は得られず、いたずらに時間を浪費するだけだった。
しかし信長も、秀吉も、長政も、誰も彼も予想外の軍が先に長政と合流していた。
それは東南アジアから遠路はるばる届いた胡椒の苗木と種を受け取りに行った静子軍だった。
「斜陣千五百! 左翼に弓五百展開! 仁助、四吉、弓騎兵を十連れて弓兵と馬を重点的に狙撃!」
静子が久政軍と合戦している理由は、いくつもの不幸が重なった結果だった。
まず静子はフロイスから胡椒の苗と種が届いた連絡を受け、行軍訓練を兼ねて武具一式を装備した黒鍬衆含む全軍を連れ京へ入った。
そこで胡椒の苗と種を受け取り、すぐさま尾張へ帰還すれば浅井家のお家騒動が勃発する前に岐阜へ到着していた。
しかし壊血病の特効薬が予想以上に効果を発揮した為、イエズス会は静子に口止め料を兼ねて胡椒の苗と種と共に、献上用の動物を日ノ本へ運び込んでいた。
当初イエズス会は数匹程度と考えていたが、もやしの効果に驚いて若干混乱している最中に指示を飛ばしたため、連絡内容が伝言ゲームのように差し替わってしまった。
最終的に各地で動物を集める必要があると勘違いされ、様々な動物が集められる。
まず懇意のイスラーム商人からターキッシュアンゴラのつがい三組を買い取る。
ターキッシュアンゴラとは、トルコの山岳地帯で自然発生した品種だ。ターキッシュは「トルコの」という意味、アンゴラとはトルコの首都アンカラの古い呼び方だ。
十六世紀にヨーロッパへ渡った時から現代と変わらぬ容姿が記載されている為、少なくともヨーロッパへ渡る数百年前には品種として確立したと考えられている。
しかし猫登録協会(CFA)に登録されているターキッシュアンゴラは原種ではない。これにはいくつかの理由がある。
まずヨーロッパ人が数を増やす為にペルシャと交配させた事で、純粋なターキッシュアンゴラがトルコ国外で絶滅した。
次に第二次世界大戦でトルコにいるターキッシュアンゴラが絶滅の危機に瀕してしまった。
1950年代に入り、トルコのアンカラ動物園で保護飼育されていた所をアメリカ軍人が見つけ、アメリカへの輸入を交渉した。
だがトルコで「生きる国宝」として大切にされていたターキッシュアンゴラに対して、欧米人がした蛮行を覚えていたトルコは国外への輸出に対し難色を示した。
最終的にアメリカへ輸入され、タイの至宝であるサイアミーズと交配し、ペルシャのようなずんぐりした体型から、元のスリムな体型に戻す繁殖計画が始まった。
つまり現代のターキッシュアンゴラは、ターキッシュアンゴラとペルシャとサイアミーズの三品種から生まれた品種である。
無論、静子に渡されるターキッシュアンゴラは、ペルシャやサイアミーズと交配されていない原種のターキッシュアンゴラだ。
次に印度駐在のキリスト教宣教師が珍しい犬(ドイツ原産の牧羊犬ジャーマンシェパード)を所有しているとの話を聞き、交渉し雌を数匹買い取る。
出港直前、とあるポルトガル商人がスペイン商船から大きな亀を買ったと自慢している話を聞き、半分脅して六頭買い取る。
そして出港後、補給目的で寄った琉球国で商売していた中国人商人から真孔雀のつがい二組を買い取る。
イエズス会はフロイスの報告書通り犬、猫、鳥を集め、更に珍しい動物として象亀を追加し、それら全ての動物が堺から京へ運ばれ、そして静子に手渡された。
人を動物園の園長か何かと勘違いしてないか、と呆れた静子だが更に不幸は訪れる。
静子に動物を押し付けた後、フロイスはロレンソと共に堺の用事を片付けるため京を離れる。
更に象亀を一目見ようと静子の元へ訪れた明智光秀と細川藤孝が、象亀ではなくターキッシュアンゴラの魅力に陥落した。
二人は家臣の目も気にせず猫を愛でた後、静子に一匹譲ってくれと頼み出した。
結局、二人の熱意に根負けした静子は発情期に二匹を引き合わせる事を条件に、明智光秀に雄のターキッシュアンゴラ、細川藤孝に雌のターキッシュアンゴラを譲った。
だが京での騒動はこれだけでは終わらない。
ターキッシュアンゴラは細身と繊細な被毛からデリケートな猫に思われがちだが、意外にも筋肉質で順応力が高い猫だ。ただし他の猫と同居が苦手で、基本的に単独飼いする必要がある。
そんなターキッシュアンゴラは高い所と上下運動が大好きだ。そのため明智光秀、細川藤孝それぞれの猫部屋にキャットタワーを作る必要があった。
静子は黒鍬衆を連れてそれぞれの猫部屋にキャットタワーを設置するため、京で使う屋敷を留守にしがちになった。
その間、二組のつがいを愛でていた長可と彼の兵士たちだが、ある日静子がいない時に一匹のターキッシュアンゴラをキャットケージから出してしまった。
冒険心が強いターキッシュアンゴラは、あっという間に屋敷の外へ飛び出し行方不明となる。
これに慌てた長可たちが甲冑を着込んで猫大捜索を開始し、途中から警ら隊と京の民を巻き込んだ大騒動を繰り広げた。
最終的に外へ飛び出したターキッシュアンゴラを回収したのは、蚊帳の外だった慶次である。
大騒動だったが殆どの人間はお祭り気分で楽しみ、更にターキッシュアンゴラの見た目に一目惚れする民が続出し、連日静子の元に猫を譲って欲しいとの頼み込みが急増した。
最終的に猫の譲りは一切拒否、子猫が生まれるまで待てと一方的に宣言し、静子隊は駆虫が済んだターキッシュアンゴラ、象亀、真孔雀、シェパードを連れて尾張を目指した。
近江国を通過中に久政のクーデターが勃発する。更に兵は少ないが織田軍が近江国で進軍している、と情報を入手した久政が織田軍(中身は静子軍)を潰すべく襲撃を仕掛けた。
ここまで来ると踏んだり蹴ったりで、静子も自分の不幸に嘆きたくなった。ただし久政の襲撃に静子軍は瓦解する所か、逆に軍の意志が統一され士気がうなぎ登りに上がった。
原因は言うまでもなくターキッシュアンゴラだが、装備一式が揃っていようとも兵四千程度では心許ない。
久政軍を返り討ちにした後、静子は美濃国へ向かうべく急いで退却する。だが長可と彼の兵士たちが殺気立っていたため、退却命令が届く前に逃げた久政の兵たちを追いかけた。
それを引き止めるため残りの静子軍が慌てて彼らを追いかけるも、合流した場所は久政が長政を討ち取る寸前の合戦場だった。
長政陣営から新たな敵と疑われ、久政陣営からは織田軍討つべしと攻撃を仕掛けられ、それに反応した長可が久政軍に突撃をかけ、もはや混沌とした合戦と化してしまった。
幸いにも長政の顔を知っていた静子は、まず周囲の長政軍を説得しつつ、長政の陣中にまで入り込んでいる久政軍を追い払う。
長政の陣中が安定した所で、静子は長政たちに自分たちは織田の援軍だと語り、共に久政を返り討ちにする共闘を提案した。
先ほどまで討ち取られる寸前だった事もあり長政は静子の提案を受け入れ、織田の援軍が来た事を兵士たちに伝えるため伝令を放った。
度重なる敗戦や地元民の裏切りに、当初三千いた長政軍は今や千程度にまで数を減らしていたが、織田軍の援軍が来たとの情報に、彼らは失いかけた士気を取り戻し始める。
静子軍四千と長政軍千は、久政軍六千と距離を取って睨み合う間に陣形を立て直す。
しかし負傷の激しい長政軍は長政を守るために後方へ下がっており、実際は久政軍六千と静子軍四千の睨み合いだった。
両者の睨み合いは突撃の準備が整った久政軍によって破られる。
突撃してくる久政軍に対し、静子は雁行の陣を敷く。そして先頭の足軽たちをコンクリート補強された竹束で固めた。
斜方を密集させる事で正面からの突撃をかわし、その間に側射で久政軍を討つ作戦だ。
「相手は六千ほど! なら一人二殺すれば良い!」
久政の自分勝手な態度に頭にきていた静子は、的確な指示を各部隊に飛ばし、徹底的に久政軍を追い詰めていく。
普段怒らない人は怒ると怖い、を地で行く静子を見て、静子軍の何人かは肝を冷やした。
「弓兵射撃! 気にするな! 敵はどうせ大した事言っていない! どんどん撃ちまくれ!」
五百名による矢の雨に敵の兵士は次々と命を落とす。運良く矢の雨を避けられた兵士も、斜陣を構成する重歩兵の手斧や剣鉈によって命を落とした。
敵の弓兵や騎兵は、コンパウンドボウを装備した弓騎兵の縦横無尽な動きに翻弄されていた。
このまま終わるかに思われたが、相手もそこまで馬鹿ではない。矢の雨の中を突撃するのは自殺行為と考えて一旦後ろに下がった。
「笛を鳴らして慶次、才蔵、勝蔵部隊に突撃の合図を送れ!」
笛の音が鳴ると同時、斜陣の前曲と後曲から慶次、才蔵、長可隊が前に出て久政軍を左右から挟み込む。
正攻法の削り合いから突如囲い込みされた久政軍は浮足立ち、静子軍の襲撃に抵抗らしい抵抗が出来なかった。
「死ね死ね死ねぇ! 人の猫に手を上げる奴なんざ、この鬼棍棒で嬲り殺してやる!」
大声で叫びながら、長可は若干長くしたモーニングスターを振り回す。彼がモーニングスターを振り回す度に鮮血が舞う。彼だけでなく長可隊の足軽たちも、槍や刀で敵兵を斬り伏せていく。
無論、慶次隊や才蔵隊も彼らに負けじと、浮き足立っている敵兵を倒していく。
静子軍に囲い込まれた久政兵は進退窮まる。突撃しようにも静子隊本軍は斜陣で堅く守られ中央突破は不可能、更に弓兵による斉射が待ち構えていた。
これ以上の合戦は不可能と判断した久政陣営は、包囲網で最も薄い部分へ強行突破を行う。
しかし包囲が薄い部分は長可たちが久政兵を誘い込む為に、あえて包囲を弱めただけだった。
それに気付かず誘い込まれた久政兵は、次々と物言わぬ肉塊に成り果てる。最終的に久政は長政討伐隊六千の内、実に二千もの死傷者を出す結果となった。
「よし! 敵が撤退していくのに合わせ、こちらも撤退するよ! 深追いは厳禁、あっちにはまだ無傷の軍が残っているからね!」
長政討伐軍を撃退したが、浅井久政の本軍は無傷で残っている。対して静子軍に死者は出なかったものの、三割近く負傷兵が出ていた。
長政兵も疲労の限界に達しており、これ以上の追撃は手痛いしっぺ返しを貰うと考えた静子は、未だ怒り心頭の長可の首根っこを掴んで撤退を開始する。
勝利に浮き足立っている兵たちにも釘を刺し、不要な荷物に全て火を放つと静子は長政と共に撤退を開始した。
午後三時頃にようやく秀吉軍の斥候に発見され、静子軍と長政軍は秀吉軍と合流する。これにより長政軍、静子軍、秀吉軍合わせて一万五千の兵力にまで膨れ上がった。
「あっぱれじゃ、よくぞ浅井備前守殿の窮地を救った」
「は、はぁ。どうもありがとうございます」
秀吉に褒められた静子だが、彼女は殆ど無我夢中で途中何があったか覚えていなかった。
突如久政兵に襲われ、混乱しながらも返り討ちにした頃から秀吉に合流するまでの間、殆ど記憶が残っていなかった。
故に静子軍の足軽たちが妙に静子を恐れる理由も分からず、首を傾げるばかりだった。
「明日には関ヶ原へ到着する。奴らもこれ以上深追いが出来ぬから、明日到着すればひとまず安心だ」
秀吉の言葉は決して慢心から来る言葉ではなかった。
彼は頭の中で久政と近江国の状況、朝倉軍の動き、それらを纏めて考えて出た結論が「浅井久政はこれ以上軍を動かせない」だった。
そして秀吉の考えは正しかった。久政が独自に軍を動かせる時間はもう残っていない。何故なら、これ以上軍を勝手に動かそうにも家臣たちが付いてこないからだ。
あくまでクーデターが浅井家の為になる、と考えてついてきた家臣たちを前に、久政は浅井家の当主として咲き戻った事を宣言し、改めて近江国の国人を名乗らなければならない。
それ以外にも朝倉や他の反織田組織と連携を深めるなど、これ以上長政に時間をかけられないのだ。
「近江国と同盟解消となると、岐阜と京を結ぶ要路の安全が確保出来ません」
「その点については心配ない。既にお館様は近江侵攻に向けて動いておられる。今回は静子も従軍するかもな。何せ今回一番の働きを見せたのは貴様だからな」
「そうですね。今回は流石に駄目かと思っていました。何しろ何処で合戦をしているか、調べる所から始めなければなりませんでしたので」
「(斥候を放つ余裕がなかったって事かな)ご期待に沿えるよう頑張ります」
頬をかきながら静子が呟くと、ふいに味噌の匂いが鼻孔をくすぐる。
「お、ようやく来たか。早く持ってこいー!」
秀吉も味噌の匂いに気づくと、待ちきれないといった態度の給仕を急かした。彼らが持ってきたものは若干、否、通常よりかなり脂が浮いている汁飯だった。
(ペミカンと焼き味噌玉と乾飯を混ぜたのですね)
それは竹中半兵衛と静子が考えた戦時飯の一つだった。
ペミカンはカナダ及びアメリカに住むインディアンたちの伝統的な携帯保存食だ。
夏でも気をつけておけば一週間は品質を保つ。ただしこのペミカンは肉や野菜、果物を動物性脂肪で密封して固めるので非常に脂っこい。
よってそのままでは確実に腹を下す人間が出る。故に一度火に掛け液状化した油分を少し減らす手順を追加した。
それでも脂ギトギトの飯を食う事は抵抗があるので、ササミなどの脂肪分が少ない肉をだし入り味噌で包んだ肉味噌玉を溶かしこんで豚汁もどきにした後、乾飯を混ぜる事にした。
余計な脂を完全には捨てない理由として戦時では高カロリー食が必要だからだ。ただし平時でペミカンの野戦食を食べれば、体調を崩す事は間違いない。
「脂がきついのぅ。だが軍事行動の時、食い過ぎは良くないから、これで食べる量が減ると考えれば……良い方かの?」
「ふむ、まだ改良点はありますね。そう言えば静子さん、弓を装備させた馬兵……なんと申しましたか」
「え、ああ、弓騎兵ですね」
弓騎兵とは端的に言うと騎射を行う騎兵の事だ。だがこの弓騎兵は優れた馬術と弓術、そして鞍や鐙などの優れた馬具が必要になる。
必然的に馬が生活の一部に溶け込んでいる遊牧民が、弓騎兵を構成しやすい。よく弓を装備した騎兵を竜騎兵と呼ぶが、実際は銃などの火器を装備した騎兵を竜騎兵と呼ぶ。
弓騎兵のメリットは優れた機動力と卓越した弓術による命中力の高さだ。
特に偽装退却と騎射の戦術を取った弓騎兵は、歩兵には天敵とされた。同じ機動力を持つ軽騎兵でさえ、弓騎兵には手を焼いた。
日本では平地が少ないが、静子の部隊にいる弓騎兵たちはコンパウンドボウの利点を活かし「敵の認識外から騎射を行い、相手が気付く前に安全地帯まで撤退する」という長距離射撃戦術を基本とした。
優れた弓術は勿論、卓越した馬術も同時に要求される事から、構成人数が僅か三十人と少数精鋭だ。
訓練も常軌を逸した内容だ。手綱を使わず足だけで馬を操作し、山岳地帯を走り抜けさせる。
急流に揉まれつつ流れてくる的に、川の流れに対して垂直に馬を走らせながら75m以上の距離から当てる。
飛んでいる鳥や、川を泳いでいる魚を撃ち抜く訓練も行う。無論、余さず食べきる事までが訓練内容だ。その他の基礎訓練は長可が指導し、更に様々な座学なども修得させている。
家柄や血に左右されないが、才能と努力と多少の運がなければ入れない。それが静子の弓騎兵部隊だ。
「そうです。話では一丁(約100m)先から矢を当てる部隊とか」
「騎射と即時撤退が基本戦術ですからね。遠くから当てられるなら、それに越したことはないと思いますから、そういう訓練をさせています」
弓などの遠距離武器が「武士の武器ではない」と考えられるようになったのは、江戸時代に起きた島原の乱を鎮圧してからだ。
それまで弓は決して卑怯者の武器ではなかった。鎌倉時代は和弓を使う騎兵が主戦力であり、戦国時代の国人や武将は弓や火縄銃を多く揃える事を誇っていた。
理論上、和弓は30mが甲冑を貫く距離と考えられ、火縄銃はその倍の60mと言われている。
100m離れれば和弓や火縄銃の殺傷圏内から離れられる。それが戦国時代の常識だった。
しかし静子の弓騎兵は甲冑を貫ける距離がおよそ100m,殺傷圏内は150mだ。当りどころが悪ければ200m先の人間も射殺出来る。
「所で浅井様やお市様は、どちらにいらっしゃいますか?」
「流石に父上の挙兵は堪えていたようだ。しばし考える時間が欲しい、との事でそっとしている」
完全に仲違い状態でも、真面目な長政には親に命を狙われた事は心身ともに堪えた。
意気消沈し肩を落としている姿を見て、秀吉や竹中半兵衛はそっとしておく方が良いと考えた。
だから今、長政は秀吉や竹中半兵衛、静子の前に姿を見せない。
「明日になれば関ヶ原に到着する。そこからは岐阜まで一直線だ。朝倉も駆逐が終わっているだろうし、今日は疲れを癒せ」
翌日、秀吉と静子、そして長政の連合軍は、日が昇る前から移動を開始する。
久政が襲撃する可能性が低くとも、間者を使った非正規軍の襲撃が排除しきれない以上、素早く美濃へ辿り着く方が良いと判断した。
幸いにも久政の追撃はなく、一行は関が原を通過し岐阜に到着する。岐阜で連合軍は解散され、長政と秀吉は信長の元へ、静子は尾張へ向かう。
しかし岐阜から出発する直前、ターキッシュアンゴラの件で静子は信長に報告を命じられる。
その後紆余曲折をへて、信長と彼と一緒にターキッシュアンゴラを見た前久も、明智光秀たちと同じような事を言い始めた。
諦めの境地に達した静子は、乾いた笑いで譲る条件を伝えた後、雄を信長、雌を前久に譲る。
その時、静子は信長に土地を拝借したいと願った。ターキッシュアンゴラに見惚れていた信長は、気前よく4000坪(約13000平方メートル)もの土地を静子に与えた。
言質を得た静子はキャットタワーの設営を黒鍬衆に依頼した後、逃げるように家へ帰る。
実際、逃げたかった静子は行軍速度を早め、日が沈む1刻前に自宅へ到着した。
負傷兵を再度治療した後で軍を解散した。治療を終えた兵士たちから各自帰路につき、静子たちは村の門をくぐり抜けた。
「お帰りなさいませ、静子様。道中の件、お聞きしております。風呂の準備は既に済んでおりますので、お疲れを癒して下さいませ」
出迎えた彩の言葉に従って四人は風呂で身体を癒す。
入浴後、静子はまず象亀にカボチャ、桑の葉、葛の葉、野草、小松菜を与える。
亀の種類に詳しくないが、スペイン商船から買い取った話が事実なら、ガラパゴスゾウガメの可能性が高いと静子は思った。
ガラパゴスゾウガメは1535年にガラパゴス諸島が発見されて以来、西洋人に生きた食料と水筒として扱われた。
ガラパゴス諸島の乾季は水が枯渇する事が多く、そのためガラパゴスゾウガメには心臓付近にある心嚢という場所に水を貯蓄する能力がある。
この能力の為、ヨーロッパの捕鯨船や商船の船乗りが飲料水目的に多くの象亀を捕獲した。
肉が甘く大変美味であった事、水を貯蓄する能力がある事、足が遅い事、餌を与えずとも数ヶ月は生き続ける事が理由で象亀は乱獲され続けた。
マスカリン諸島のロドリゲス島では、1732年から1771年の間に28万頭の象亀が食料として捕獲された記録がある。
ガラパゴスゾウガメで最も有名な個体は、2012年6月24日に死亡したピンタゾウガメのロンサム・ジョージだ。
ピンタゾウガメ最後の一頭であり、繁殖を試みるも近い亜種との繁殖は全て失敗、近縁種の雌を使って卵の人工ふ化を試みたがいずれも失敗に終わった事から、ロンサム・ジョージは絶滅危惧種の象徴だった。
「いやインドからだからアルダブラゾウガメの可能性も無きにしもあらず。でも甲羅がドーム型だよね……ま、いいか」
甲羅がドーム型である事から、食料が豊富な場所にいた事は確実だ。そして餌への食いつきから、数ヶ月近く食事が抜かれていた事も確実だ。
象亀を飼育する場合、運動量が極端に減るため餌の頻度は一日に一回、枯れ葉や繊維質の多い草を中心とした餌やりと、ビニールハウスなどの温室が必要になる。
「シェパードは病気も考えて、四ヶ月か五ヶ月は隔離する必要があるかな」
病気を考慮して隔離されたシェパードたちだが、運動不足にならないよう広い土地を用意した。
また寝所になる犬小屋も設置し、雨露がしのげるよう配慮した。
ジャーマンシェパードは人類が品種改良の末に生み出した犬種の最高傑作に数えられる。
知能が高く社会性に富み、主人に忠実である。また訓練を好み高い専門性を獲得し得るエリート犬として知られている。
反面しつけを誤れば支配欲が強く攻撃的な性格になり、これを矯正することは難しい。
精悍な顔立ちやしなやかで強靭な体つきからペットとしても人気が高く、警察犬や軍用犬として非常に優秀である。
ただし静子が受け取ったジャーマンシェパードは現代で警察犬や軍用犬として使役されているジャーマンシェパードではなく、原種という単語が冠せられたオールドジャーマンシェパードである。
作業犬種の能力を重視して繁殖されてきた犬種の為、筋肉質の体格で脚もジャーマンシェパードより太めである。背は平らだが首は太く頑丈で、また腰もしっかりしている。
「真孔雀たちは暫くため池で我慢してねー」
ジャーマンシェパードの処置を終えた後、静子は真孔雀たちを簡易的な柵で囲った住処に移動させる。
真孔雀は翡翠色の飾り羽が美しい最大のキジだ。落ち葉や昆虫など非常に雑食性が強く、口に入る昆虫や無脊椎動物、両生類など多様なものを餌とする。
更に神経毒の耐性を持つので、毒サソリやキングコブラなどの毒蛇類も好んで食べる。
「野菜だと菜類、ニラ、ネギ、玉葱だったかな。まぁ適当な野菜くずを少なめに置いておけば良いか」
逃げないように柵を設置し、象亀と同じく真孔雀たちに餌を与えた静子は、最後に不幸を招く代名詞になりかかっているターキッシュアンゴラをヴィットマンたちに引き合わせた。
進入禁止の柵に近づかないよう教育しているため、ヴィットマンたちが象亀や真孔雀に近づく事はない。
だがターキッシュアンゴラは別だ。束縛を何よりも嫌い、自由気ままに過ごすターキッシュアンゴラは、最初に顔合わせをしておかなければ捕食される可能性が高い。
案の定、ヴィットマンたちはターキッシュアンゴラに警戒心を剥き出しにし、ターキッシュアンゴラも大型の捕食動物であるヴィットマンたちを見て唸り声を上げた。
はらはらしながら見守っていると、何かを受け入れたのかヴィットマンたちは警戒心を緩め、ターキッシュアンゴラは唸り声を上げるのを止めた。
ほっと胸をなでおろした静子は、今なら問題ないと思いターキッシュアンゴラをキャットケージから出す。
瞬間、ケージから一匹のターキッシュアンゴラが飛び出す。活発さから雄と思われるターキッシュアンゴラは、ヴィットマンたちの周りをちょこちょこ歩き回る。
鬱陶しいと思ったのかカイザーが前足で押すようにターキッシュアンゴラを転がす。
それが面白かったのか、それとも反撃のつもりなのか、起き上がったターキッシュアンゴラは素早くカイザーに接近すると、彼の前足に猫パンチを叩き込む。
爪があたって痛かったのか、カイザーはまたターキッシュアンゴラを転がす。そして猫パンチの応酬を受け、また転がしていく。
静子の目の前で仁義無き狼パンチ対猫パンチの合戦が始まった。
そっとしておく事が一番と思った静子は、カイザーとターキッシュアンゴラの合戦を視界の外に追いやると、ウォードの箱に入れた胡椒の苗木と種を確認する。
(やっぱり船旅はきつかったか……話ではかなりの苗木があったけど、腐っている苗木が沢山あるね)
苗木の損傷が軽微なのを喜ぶべきか、というほど腐った苗木は数が少なかった。
静子は気付いていないが、彼女が苗木にした措置が幸いにも良かった為、枯れるのを免れた苗木が多かった。もし彼女以外が受け取っていれば、七割は使い物にならなかっただろう。
(苗木が1……2……全部で四十五本、種は七十粒。これだと種の発芽は五粒、苗木は十四本が期待値ね)
大量の資金を投入して胡椒の苗木を九〇本、種を百粒購入した。しかし様々な被害を受け、苗木は四十五本、種は七十粒にまで数を減らした。
それでも儲けものと思う事にしたが、胡椒栽培は最初に最大最悪の障害が待ち構えていた。
「ウォードの箱で育成しているけど……種の発芽率がやっぱり悪すぎる……」
最大の障害、それは発芽率の悪さだ。
通常、胡椒栽培は挿し木用の若いつるを苗床で三ヶ月から四ヶ月かけて育てる。
次に支柱に添わせて苗木を定植し、後は成長させるだけだ。早ければ一年半、遅くとも二年から収穫が可能になり、最大二十五年もの間、一本の胡椒につき約二キロ収穫出来る。
しかし種からの育成となれば話は別だ。発芽温度は二十五度で好光性、更に乾かさず管理する必要がある。
この発芽温度が非常にシビアで、現代であれば保温ヒーターなどがあるが戦国時代ではそんな便利な道具はない。
高すぎても低すぎても問題になる発芽温度を、どうやって維持するかが難問だった。
胡椒の木は高さ五メートルから九メートルに達するため、それなりの高さが要求される。
静子は胡椒の苗木を鉢植え、種は湯に浸した布で包んだ。それらの措置が終わると、彼女は戦国時代式ビニールハウス一号に運びこむ。
ビニールハウスと言っても、育成場所だけがビニールで覆われるだけで、それ以外の場所はガラス窓や木板になる。これは強度を保つためと温度調整をするためだ。
バイオプラスチック製のビニールは石油ビニールより耐久性、機能性が劣り、更に分解されにくい(分解に長時間かかる)利点を捨てている。
試験しない事には不明だが、静子は短くて五年、長くて一〇年に一回はビニールの総張り替えが必要だろうと考えていた。
胡椒はカンボジアやベトナムなどで栽培される熱帯性植物だ。七度以下になる事は許されず、四度以下になれば問答無用で枯れる。
日本では冬になれば四度以下になる事は、さして珍しくもない。故に温度調整を行う事は非常に重要だ。
温度を知るためには温度計が必要になる。
そこで静子はアルコール式温度計(寒暖計)を製造する。アルコール式温度計は精度が悪いものの、構造がシンプルで、赤く着色した感温液を使用するので水銀より安全だ。
胡椒は湿度も敏感なので、静子は毛髪湿度計を製造した。
これは毛髪の性質を利用したもので、気象庁の気象業務観測などでも使われていた信頼性のある湿度計だ。ただし肝になる毛髪によって性能が左右される欠点がある。
温度計と湿度計は原器になるものが必要だったが、静子は姉の購入品であるトラベルキットの温度計と湿度計を原器とした。
これにより温度計と湿度計の性能が保証され、静子は本格的に胡椒栽培に取り掛かった。
初期の胡椒栽培は計測一辺倒だった。毎日、温度と湿度を記録し、胡椒の苗木の状態を記録し、種の発芽状況を記録し、それらを纏める作業ばかりだった。
「うん……二十四号ちゃん、本日死亡を確認」
連番が振られた苗木の内、静子は黒くなった胡椒の苗木二十四号を引っこ抜く。栽培開始から十数日の五月三十日で既に十二本が駄目になった。
種はもっと悲惨で七十粒ある内、発芽したのはまさに奇跡の一粒だけだった。
「気温と湿度が悪いのかな。もう少し考えよう……」
成長を続けている苗木が五本、発芽した種は一粒だけという状態だ。これまで順風満帆な栽培を続けてきた静子だが、流石に胡椒を戦国時代で栽培する事は困難を極めた。
しかし計測器や薬品がない戦国時代の日本で、胡椒の苗木が五本も成長している事に静子は僅かばかりの希望を抱いた。
「八号、十三号、二十一号は順調、三十六号と四十一号が少し元気ないかな」
それから更に数日後、駄目かと思われた苗木の内、実に十本もの苗が息を吹き返した。
この事に静子は大変喜んだが、その希望を踏み潰すかのように翌日二本の苗木が勢いを失う。
一度苗木がしおれてしまえば、静子に出来る手立ては殆どない。故に今までの栽培記録から色々と手を打ち枯れないように奮闘するも、その努力の甲斐むなしく苗木は枯れてしまった。
七十本の内、成長を続ける苗木は十二本だけだった。キリスト教徒が運んだから十二使徒か、などと自嘲気味になりかけた静子だが、両手で頬を叩いて活を入れる。
気分を変えようと考えた静子は、接ぎ木したミカンとレモン畑に移動する。こちらは胡椒と違って成功率が高く、既に殆どの穂木から芽が出ていた。
もう少し成長すれば防水用の蝋を塗った木綿布を外し、植木鉢に移し替えて各地に発送する予定だ。発送される苗木の大半がみかんだが、レモンも僅かばかりの数が発送される。
残った苗木は果樹園の一角に植えられ、台木を植えていた土地は適切な時期に新たな台木を植える事となる。
果樹園には新しい仲間も増えた。中国原産の金柑・寧波金柑とサクランボ・支那実桜の二つだ。
支那実桜は中国桜桃、唐実桜とも呼ばれ、平安時代の書物に『桜桃』の名で出てくるほど古い栽培種だ。
しかし現代日本では甘果桜桃が主流で、酸味の強い酸果桜桃や中国桜桃が市場に出回る事はほぼない。
サクランボは多くの栽培種が自家不結実性(自分の花粉では受粉せず、他の品種の花粉を受粉する)だが、中国桜桃は自家結実性であり、一本でも結実する。
二つは植木鉢で栽培しているが寧波金柑は接ぎ木、支那実桜は種を植えて栽培している。
寧波金柑の台木になるカラタチの栽培数を、今以上に増やす必要があると静子は思った。
「ここにいらしてましたか、静子様」
果樹園の様子を見ていると、突然彩が声をかけてきた。少し息を切らしている所を見るに、急報が届き、慌てて静子の元に来た事が窺える。
「急報かな?」
「朱印状が届けられました。朝倉と浅井征伐の件についてと思われます」
彩から手紙を受け取り確認すると、彼女の言う通り朱印状には竹矢を増産する旨の内容が書かれていた。
竹矢は矢軸の材料に矢竹を用い、職人たちが熟練の腕によりをかけて製造する。
しかし静子にとって矢は『芸術品』ではなく『消耗品』という認識だった。故に職人を揃えて生産ではなく、部品を製造し最後に組み立てる工業生産方式を採用した。
矢尻、矢軸、羽根、筈を規格に従い製造し、最後に組み立てて検品し出荷する。
静子の半工業生産体制は最初こそ不良品や時間の損失が多かったものの、次第に不良率が下がり、今では職人に頼らず効率良く生産する事が可能となった。
「竹矢は今の倍を生産して。後、臨時報酬を支払う準備もして頂戴」
「かしこまりました」
「合戦の準備も必要だね。出来れば尾張を離れたくないけど……まぁ二ヶ月後なら良いか」
「それと技術街かられ……れんずが届いております。かなり厳重に封がされていましたので、中を検める事は出来ませんでした」
「大丈夫だよ。出来てなかったら、すぐ分かる代物だしね」
困惑した表情の彩を見る限り、厳重な封が施される事は容易に想像出来た。
しかし中身が静子の思い描いているものなら、厳重にしている理由は中を調べられる事を回避するより、蓋が開いて中のものが飛び出さないようにする為の措置だ。
僅かに破損するだけでも一から作り直しなのだから、職人たちが運搬中の事に神経を使うのも当然だ。
「……一体、何をお作りになられたのですか?」
「んー、合戦の常識を覆すものだよ。後で彩ちゃんにも見せてあげるよ」
彩の問いに静子は肩をすくめて軽く答えた。
技術街から届けられた箱を彩から受け取ると、静子は厳重な封を外して蓋を開ける。箱の中には静子の予想通り、大小様々な対物レンズと直角プリズムが入っていた。
(ようやく……ようやく出来るね、双眼鏡とフィールドスコープ)
ガラス製造をした最大の目的、それは双眼鏡とフィールドスコープの二種類を作る事だ。
胡椒栽培と合わせて静子は大量の資産を投入し、対物レンズの完成を急いだ。
ガラス研磨機がない以上、レンズやプリズムの出来栄えは職人の腕次第になる。短期間で職人たちにガラス製造の完成度を高めるよう叱咤した事もあるが、それもようやく終わりだ。
(よし、組み立てるぞ)
対物レンズが入った箱を手に、静子は大敵のホコリを除去し物を置いていない部屋へ移動する。
ホコリの殆どは衣類や布団、カーペットなどの綿ホコリだ。発生源を減らすだけでも一定の効果はある。後は空気の対流を作り、なるべくホコリを追い出すようにすればホコリは溜まらない。
身体に付着しているホコリを払い落とし、部屋に入るとレンズとプリズムを組み立てる。
(今回の対物レンズは大型だけど、機会があれば小型の対物レンズを作って顕微鏡を作るかな)
小型の対物レンズがあれば、静子の時代で普及しているペーパークラフト顕微鏡が作れる。
これは九割が紙で出来ており、残りはレンズが必要なだけの極シンプルな設計だ。
更にレンズも精密機械で製造した精密カーブガラスレンズではなく、普通の球面レンズで問題ない。紙の形を変える事で明視野顕微鏡や蛍光顕微鏡に変える事も可能だ。
発展途上国でも、ほぼ無料で作れる疫病検知道具として、また顕微鏡で手軽に観察出来る教育道具として、ペーパークラフト顕微鏡は非常に優れた性能を持つ。
(ペーパークラフト顕微鏡のレンズ作りが問題かな。後は疫病とかその手の時しか要らない。そもそも私は医学関係にそこまで詳しくないし……将来、誰かが役に立てる時に使うぐらいかな)
問題点があるといえば、対物レンズが小さくなる点だ。望遠鏡に使用する大きさのレンズでも、研磨には非常に長い時間をかけている。ピンセットでつまむ程度のレンズ製造は不可能に近い。
使用頻度を考えればペーパークラフト顕微鏡よりも、構造がシンプルな光学顕微鏡の方が現実的だ。
(まぁ将来の課題にしよう。顕微鏡だけあっても、使い道がないからね)
顕微鏡は将来の課題と結論付けると、静子は双眼鏡の組み立てに集中する。一見単純で簡単そうに聞こえる作業だが、双眼鏡の組み立ては神経を使う。
特に正立プリズムは二、三個の直角プリズムを、正確に九〇度ずらして組み立てる必要がある。
この傾きに失敗すると、正確に正立せず対象が傾いて見える「倒れ」という現象が発生する。
静子は組み立てた後チェックし、失敗していれば分解・調整・再組み立てを行った。結局、双眼鏡三個とフィールドスコープ二個作るのに、一〇数回の調整を行った。
出来上がった物は信長用の六倍三十口径と八倍四十二口径双眼鏡、三〇倍と六〇倍のフィールドスコープ、そして自分用の七倍五十口径双眼鏡の計五つだ。
フィールドスコープは別名地上望遠鏡と言われ、正立プリズムを組み込んでいる事が天体望遠鏡との大きな違いだ。
双眼鏡とフィールドスコープの違いは主に使用用途だ。
フィールドスコープは測量や地形把握、定点からの敵軍監視などに使える。対して双眼鏡は戦場での展開確認や状況確認などに使える。
静子は自分用の七倍双眼鏡を構えると、微調整しつつ性能を確認する。
(ちょっと重いけど、性能的には申し分なしよね。次はフィールドスコープの性能を確認しよう)
ピント合わせのつまみを弄りながら、静子はフィールドスコープで周囲の確認を行った。どちらも性能を満たしている事から、最終確認は問題無いとの結論を出す。
ただし双眼鏡もフィールドスコープも二十個作れるレンズ数がありながら、最終的に出来たのが五個という点は、まだまだ作業を見直す必要があると感じた。
「さぁて、これで鬼丸国綱は頂きかな。もうすぐ姉川の戦いが始まるし、さっさとお館様に手紙を出そう」
双眼鏡、フィールドスコープのレンズ部分に木蓋を被せた後、静子は文を書くため机に向かう。
文は信長の好奇心が刺激される内容を書く。合戦が近い事を理由に、視察を後回しにされては困るからだ。
反静子派を黙らせ、職人たちの名誉を守るには、合戦が始まる前に信長が双眼鏡を知る必要があった。
文を受け取った信長は文面から静子の思惑を知ると、家臣を引き連れて彼女の元を訪れる。
「今回は合戦の常識を覆す、という話だったな」
好奇心を抑えられないといった表情で、信長は静子に問いかける。
「はい、その通りでございます。様々な問題に直面し、本日までお待たせする事になりました事を深くお詫び申し上げます」
「ふふっ、良い。さてその前に渡しておこう。持ってまいれ!」
信長の一喝に小姓が木製化粧箱を抱えてやってくる。小姓が箱を開けると、中には一振りの刀が収められていた。刀を小姓から受け取ると、信長はそのまま静子に差し出す。
「約束の鬼丸国綱だ、受け取るが良い」
「え、でもまだ……」
「構わん。貴様が自信を持って出すのだ。それ相応の代物なのだろう。それとも貴様は、自分の作に自信がないのか?」
「そ、そんな事はありません!」
「ならば受け取る事に何の問題もなかろう」
そう言って信長は促すように刀を更に差し出す。今度は躊躇わず、静子は鬼丸国綱を恭しく受け取った。
「では、ものを見せて貰おうか」
「はい、こちらでございます」
刀を彩に預けると、静子は信長を指定の場所まで案内する。そこは程よい広さで、簡素な櫓が一つだけ建てられていた。
「お館様、あそこに立て札がございます」
「ああ、見えるな。何を書いているかまでは見えぬ」
静子や信長から500m近く離れた場所に、小さな立て札が立てられていた。勿論、遠すぎて立て札に何が書かれているかは誰も分からない。
「で、その黒い筒のようなものが、今回の主役という訳か」
「ご慧眼恐れいります。細かい説明は後で……まずはどう使うか私が実践します」
静子はレンズカバーの蓋を外すと、ピント合わせを行い立て札に焦点をあわせる。
この時、信長たちがどういう顔をしていたか静子は分からないが、少なくとも奇妙な顔つきなのは間違いないと思った。何しろ傍目には筒を覗きこんでいるだけにしか見えない。
若干恥ずかしい気持ちもあったが、静子はピント合わせを完了させた。
「……大丈夫です。お館様、ここを覗きこんで下さい」
「うむ」
静子の指示に従って信長はフィールドスコープを覗く。だが、すぐに顔を上げ、驚いた顔で立て札を凝視する。
立て札を見てはフィールドスコープを覗く動作を数回繰り返した後、信長は静かに息を吐く。
「静子……詳しい説明は後で聞こう。可成、貴様も見てみろ。確かにこれは合戦の常識が覆る」
「はっ」
信長の命を受け森可成もフィールドスコープを覗く。彼も信長と同じく、何度もフィールドスコープから顔を離して立て札を凝視した後、またフィールドスコープを覗く動作を繰り返した。
「用途は違いますが、双眼鏡というものもあります。こちらもどうぞご確認下さい」
静子は用意していた八倍の双眼鏡を信長に手渡す。フィールドスコープの時に慣れたのか、信長はさして驚く様子もなく双眼鏡を覗いて笑った。
「この丸い部分で見え方が変わる。ぴたりとはまるとぼやけた世界が、綺麗に見えるようになるな。可成、貴様はどう思う」
「た、確かにこれは合戦の常識が覆ります。あれほど遠くにあるものを、近くに寄らなくても見えるとなると、敵への監視体制が大きく変わります」
「そうであろう。櫓があるとなると、あれにもこの黒筒を用意しておるな?」
「はい。あの櫓は約三十三尺(大体10m)の高さです。一つだけ注意がございます。決して天道(太陽)を覗かないでください。目がやられてしまいます」
静子の言葉に頷くと信長は櫓に登る。そこで三十倍のフィールドスコープを覗いては、何か楽しそうに笑みを浮かべていた。
「確かにこれは合戦の常識が変わる。静子、これを作るのは難しいのか?」
「理論さえ知っていれば、後は実践あるのみです。ですが今の日ノ本では誰も修得していない技術です。これから先、仮に身につけようとしても一年はかかるでしょう。更に、これを作る上で重要な素材が、海でしか取れません」
ガラス製造で透明度を上げる為にはソーダ灰が必要になる。更に研磨剤は金剛砂(ガーネットの粉末)と、多種多様の素材を集めて、初めて透明度の高いガラスが完成する。
更に現代ならガラス研磨は機械で出来るが、その様な機械がない戦国時代では職人たちが研磨の腕を磨く以外にない。
毎日、寝ても醒めてもガラスの事を考え、千を超えるガラスの研磨訓練を得て、ようやく技が身につくのだ。
無論それだけの試行錯誤を繰り返せる財力が必要になるが、それは資金力を持つ静子が担当した。
「なるほど、つまりそう簡単に手に入る代物ではないのだな」
「はい」
フィールドスコープが50倍の場合、1000m先のものを覗くのと、20mまで近づいて肉眼で見るのとほぼ同じになる。
これは1000mも離れて陣幕を監視する事が可能になる。重量は増えるが、倍率を上げればもっと遠くから監視する事も可能だ。
普通ならこの情報を伝えに移動、となるがフィールドスコープがあればそれも不要だ。
敵の進軍を知らせる旗を振り、それを別の監視員が更に旗を振り、と旗振り通信を行えばあっという間に伝わる。情報の伝達が素早く行われる、敵にとってこれほどの脅威はない。
「静子、このれんずとやらの性能を上げよ。これは今後、海の上でも使えるであろうからな。より良いものを作っておくに越したことはない」
「承知しました」
信長は満足気に頷くと静子の肩に手を乗せ、若干声のトーンを落として囁くように言った。
「話は変わるが、年の瀬に旨いものを食べたと、奇妙丸が自慢話に花を咲かせておったな」