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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
永禄十二年 伊勢平定
66/237

千五百六十九年 五月上旬

会談の後に、静子は前久にお土産として醤油、出汁味噌、梅干しを一週間分ほど渡した。

それが最後の罠である事を知らない前久は、静子から渡された土産を顔を綻ばせて受け取ってしまった。

このお土産こそが遅効性の毒であり、お土産を使い切った後の冷めきった味気のない粗食に耐えられず次の会談を指折り数えて心待ちにしている自分に、前久は愕然とするのであった。


静子が提示した二つの要求のうち、より重きを置いていたのは前久の取り込みではない。

本当の目的は、本願寺第十一世宗主顕如の長男・教如きょうにょと前久の猶子ゆうし関係の解消だ。


これを静子が目的とした理由は、本願寺の歴史を紐解く必要がある。

語るまでもなく信長の宿敵は石山本願寺という宗教勢力だ。十一年にも及ぶ石山合戦は、信長の天下布武を阻む最大の障害となった。

問題の石山合戦が始まった日は、元亀元年(1570年)九月十二日だ。

その日を境に中立を保っていた石山本願寺と一向一揆衆が、反信長の旗幟を鮮明にした。


その裏に前関白・近衛前久がいた。

畿内で第一次信長包囲網の動きが出てくると、前久は三好三人衆より顕如に決起を促す説得を依頼をされた。

朝廷の実力者である前久が、俗世の権力と無縁と思える石山本願寺の顕如をいかに動かしたか。

それにはまず本願寺の裏事情を知る必要がある。


本願寺は親鸞聖人の教えを説いて、下層の民の支持を集める事に成功した。

しかしその後、本願寺は大きな問題に当たる。巨大化した組織、広大な所領と膨大な数の門徒、それらを守り抜く力が、当時の本願寺にはなかったのだ。

だが解決策がない訳ではない。あるものを手に入れれば、それが可能になる。

それは朝廷から与えられる『守護使不入権(しゅごしふにゅうけん)』だ。


守護使不入しゅごしふにゅう守護不入しゅごふにゅうとも呼ばれている。

これは幕府が定める特定の公領や荘園が行使可能な権利であり、これに認定されると段銭徴収や犯罪者追跡という名目を以てしても、守護(守護大名)や守護使(守護大名が派遣した役人)の立ち入りを拒否する事が出来る。


元々、『守護使不入権(しゅごしふにゅうけん)』は鎌倉幕府が成立した時、守護や地頭の横暴から朝廷や寺社の所領を守るために設定されたものだ。

だが畿内ではいつしか、有力寺社へ田地を寄進する動きが活発になっていった。これはいずれも租税免除を目的とした動きである。

この動きのお陰で、国家への租税を拒否出来る『不輸の権ふゆのけん』だけでなく、荘園外からの使者の立ち入りを拒否する事が出来る『不入の権ふにゅうのけん』を得る荘園が現れ始めた。

こうした権利の広がりによって、寺社勢力の土地や民衆の私的支配が開始されていった。


その『守護使不入権(しゅごしふにゅうけん)』を獲得するには『門跡寺院もんせきじいん』になる必要がある。

門跡寺院もんせきじいん』とは、親王か五摂家の出身者が住職を務める寺院で、それらの寺院には朝廷から『守護使不入権(しゅごしふにゅうけん)』を含む様々な特権が与えられていた。

当然、本願寺宗主は親王でも五摂家の出身者でもない。

通常では『門跡寺院もんせきじいん』となる事は不可能だが、『猶子(ゆうし)』という方法を使えばそれが可能となる。


猶子(ゆうし)とは、兄弟や親類、他人の子と仮の親子関係を結ぶ制度だ。

養子と違って擬制的な要素が強く、また都合が悪ければ関係を解消する事が簡単に行える。

例として大内(おおうち) 義長よしながの場合を紹介しよう。

義長は豊後大友氏の第20代当主・大友おおとも) 義鑑よしあきの次男として生まれる。

尼子氏と大内氏との戦いに於いて後継者を失った、大内(おおうち) 義隆よしたかに請われて猶子関係を結ぶ。

しかし、後に義隆に実子の義尊が誕生した際に猶子関係を解消され豊後へと帰国している。

無論この一方的な縁組解消は九州諸大名にかなりの衝撃を与えたとされている。


盤石の立場ではないとは言え、それでも五摂家の誰かと猶子(ゆうし)を結ぶ事が本願寺宗主には絶対必要だった。

五摂家の猶子ゆうしになれなければ、『門跡寺院もんせきじいん』の資格が得られないからだ。

そこで本願寺第十世宗主の証如しょうにょは、朝廷の後ろ盾を手に入れる為、五摂家の一つである九条家に接近し、第十五代当主・九条(くじょう) 尚経(ひさつね)猶子ゆうしとなった。

彼の長子である顕如も、九条家の第十六代当主・九条くじょう) 稙通(たねみち猶子ゆうしとなっている。

これにて本願寺は『門跡寺院もんせきじいん』となり、『守護不入権(しゅごふにゅうけん)』を獲得した。

第九世宗主の実如から第十一世宗主顕如の百年の間、本願寺の教勢は著しく発展し、絶大な影響力を誇る一大勢力の地位を獲得した。

だがそれも朝廷の後ろ盾というものがあってこそ、である。


つまり朝廷と同等の勢力と思われた宗教勢力も、実際は朝廷の支配体制と無関係ではおられず、むしろ従属しなければ生き残れなかったのである。


話を織田家へと戻そう。

時は流れて先の会談から二週間が経過し、本日静子は近衛前久と再び会談を行っていた。

前久からは前回程の敵意や警戒心が感じられなくなったものの、静子の提示した要望を無条件に受け入れる程の信頼関係を構築するには至らなかった。

とは言え会食に際して毒見を廃するなど、確かな進捗を見せていた。

先の会談よりすっかり前久のお気に入りとなった食後の梅こぶ茶を飲んで一息ついた後、前久が本題に切り込んだ。


「さて、前回の要望に対する返事をする前に確認したい事がありまする」


言い終えると同時に、前久の顔つきが変わる。旨そうに茶を啜っていたどこか隙がある前久ではない。

動乱期に関白左大臣・太政大臣を務め、魑魅魍魎が跋扈する朝廷の世界で実に十四年もの間関白を務めた傑物がそこにいた。

相対するだけで心臓が鷲掴みされ、重圧に押し潰されそうになった静子だが、奥歯を噛んで気合で耐え切る。


「お答え頂きたい、静子殿。貴女の話に賛同するとして、私にどのような利がありましょう」


前回と違い前久は静子の名を口にした。その意味を静子は嫌というほどに理解していた。

例え静子が十も年下の女であろうと一人の人間と認めたと同時、女子どもであろうと前久は一切の手加減もしないという事だ。


「近衛様の問いに答える前に、この会談は私の独断であり、我が主である織田弾正忠様の意向を受けてはおりません」


下手をすれば『謀反の心あり』と取られる、静子の独断行動だが彼女はこの会談は命をかけてでも成功させなければならなかった。


「改めて申し上げます。近衛様の望みは公方様と二条関白様の排除、と私は見ております」


「ほぅ……いや、腹芸はすまい。確かに私の望みは、静子殿の仰る通りだ。だが織田殿は公方殿を擁して上洛された。その織田殿が、公方殿の排除に協力的になるとは思えぬが?」


「無実の罪を着せて、傑物と名高い近衛様を追放するような愚か者に、いつまでも我が主が仕えるとは思えませぬ」


「ははっ、静子殿は遠慮がない」


「本音で語り合う、という事ですので私の公方様の評価を正直に語らせて頂きました」


「ふっ、そうだったな……良かろう、静子殿の話に賛同しよう」


意外にもあっさりと前久は了承の言葉を口にした。

その言葉を聞いた静子は、思わず身体から力が抜けそうになる。


「ただし、静子殿の要望に相応しい無茶を飲んで頂こう」


前久の言葉に再び身体に気合を入れる。


静子が語った前久と信長との利害の一致は結果論であり、対価として供される利にはなり得ない。

織田陣営に移り、教如きょうにょとの猶子関係を解消するには、それ相応のものを彼が手にしなければ釣り合いが取れない。


「そうだな……ふむ、私の知り合いが脚病(かくびょう)(脚気のこと)を患っております。薬師の煎ずる薬湯や加持祈祷に至るまで手を尽くしたものの快復の見込みがなく、是非とも静子殿に治して頂きたい」


「そ、それは幾ら何でも無茶です!」


前久の言葉に長治がいち早く反応する。

脚気はビタミンB1が発見された後も難病扱いで、1950年後半になるまで多くの死者を出した。

しかもこれは昭和時代の話であり、戦国時代ならば不治の病扱いである。つまり前久の要求は、不可能を可能にしろという無理難題となる。


「静子殿の仰る猶子の解消というのは、それほどの難事。ならばこちらも、相応の無茶を通させて頂かねば釣り合いが取れぬ。さて、それでは静子殿の返答をお聞かせ願おうか」


「問題ありません。その程度(・・・・の事で、近衛様のお力添えを頂けるのでしたら安いものです」


「ほほぅ、脚病を治せる自信があると。失礼ですが脚病が何なのか、静子殿はご存知なのでしょうか」


「まずは食欲不振、全身の倦怠感。次いで動悸、息切れ、感覚の麻痺、足のしびれやむくみ。更に進行すれば手足に力が入らず寝たきりになりますね。最後には心の臓に異常を来たし死に至ります」


「……その通り。そして脚病を患い死を賜る人間は多い。反して病が癒えた人間は極僅か。それでも治せると仰るか」


「ええ、私の回答は変わりません」


「良かろう。では脚病が治った暁には、私は織田家にお味方する事を確約致しましょう。しかし、治らなかった場合は、それ相応の覚悟をして頂きます」


脅し文句を言う前久だが、静子は表情を変えず小さく笑みを浮かべながらこう言った。


「委細問題ありません」







最後に一波乱を見せた静子と近衛前久との会談は、およそ二時間という短いものだったが、傍らに控えていた長治と彩には半日にも感じられる程の緊張を強いられるものであった。


会談から日を空けずに前久は脚気患者を岐阜へと運んだ。会談前から準備をしていたかのような段取りの良さに静子は驚きを隠せなかった。

念のため静子は患者を診察することにした。

簡単な問診から腱反射を診る木槌での膝蓋腱(しつがいけん)反射確認を取ったところ、やはり周囲の見立て通り、公家に多い脚気の典型的な諸症状が確認できた。


脚気の要因はビタミンB1不足であり、治療法は単純にして明快。

ビタミンB1を与えれば良い。ゆえに静子は前久に次のような治療方針を語った。


「私からの指示は三つです。一つ、食事は日に三度摂る事。一つ、毎食必ず麻の実を三つ、大根とカブの葉のぬか漬け、一夜酒を飲む事。一つ、三度の食事以外は自由にする事。以上を守って頂ければ、十日と経たずに目に見えて症状が改善されるでしょう」


脚気と言えば死病であるという認識がある前久は、あまりにも呆気なく告げられ、薬湯も飲まさない方法に己を謀っているのかとも考えた。

だが前久の眼を以てしても静子は大真面目であり、それで充分治せるという確信が感じ取れた。

結局、前久は静子の指示通りの食餌療法(しょくじりょうほう)を患者に施した。


治療を開始して七日後、予定よりも早く前久側から会見の申し入れがあった。

即座に了承の返事をし、静子は岐阜の別邸へと足を運んだ。

患者の快気報告だとの推測を胸に馬を走らせた。予想は的中したが、想定外のおまけもついてきた。


「まずは結果をご報告しよう。静子殿の指示通りにした結果、脚病の友は数日前の容体が嘘のように快方した」


「そうですか。それは良うございました」


「約束通り、私は石山本願寺を出て、織田殿の陣営として微力ながら力を尽くしましょう。また静子殿に迷惑にならない方法で、教如殿との猶子関係も解消しよう」


「ありがとうございます」


「しかし静子殿のご要望は二つ、私はまだ一つしか無茶を通しておらん。もう一つ要求をさせて頂きたい」


「私に可能な事でしたら如何様にして頂いても問題ありません」


「ははっ、少々脅し気味でしたな。何、二つ目の無茶は、織田殿と会見する席を設けて頂き、直接織田殿に奏上したい」


「は? はい。あの、お館様に相談する必要があるため時間がかかります。しばし日にちを頂く事になりますが、宜しいでしょうか」


「そうだな。静子殿が問題ないなら、織田殿との会見までこの家に間借りしたいのだが宜しいかな?」


「え……でも、言ってはなんですが、この家は狭いですよ?」


元々、静子の別邸は居住する為に建てたのではなく、どうしても尾張に戻れない時に、寝泊まりだけをするために建てた家だ。

よって最低限の生活環境が整えられてはいるが、公卿くぎょうが起居するほどの設備は無い。

近衛家当主が住むには、とてもではないが格が足りないと静子は思った。


「構わぬ。無常観漂う庭園を、私はとても気に入っております。それに最近は、何も考えず、ただあるがままに過ごす刻が欲しいと思うようにもなりました」


「それでしたら問題ありませんが……」


ひとまず静子の目的である近衛家を織田陣営に引き込む事、そして前久と教如の猶子関係解消もひとまず成功した。

本願寺側の説得工作はあるだろうが、彼が約束を反故にするとも考えられない。


(これで反織田連合の結束力を弱める工作は半分終わったかな。何しろ反織田連合の軸は本願寺ではなく、近衛家当主の近衛前久なのだから……)


義昭、朝倉、浅井、本願寺、延暦寺、武田、その他大小様々な勢力が結託し、信長を大いに苦しめる『信長包囲網』は、本願寺が主軸のように見えるが実はそうではない。

穏健派の顕如に挙兵を決断させたのも、十一年後に石山本願寺を開城させたのも、前久が大きく関与していた。

最初は己の力を過信し朝廷から前久を追放した義昭も、後に信長と関係が悪くなると、前久の力を借りなければ反信長連合軍を構成出来ない事が痛いほど分かった。

つまり義昭が顕如を説得するには、朝廷は勿論の事、多くの国人、そして寺社にまで縁故と人脈を持ち、絶大な影響力を保持する五摂家筆頭近衛家の力が絶対不可欠なのだ。


(残りは甲賀の取り込みだけだね。お館様は独自に饗談きょうだんという忍集団を持っているけど、甲賀は欲しい所。あ、伊賀は無理だね。あそこは伊賀上忍三家が支配しているし、簡単に諜略は受けないだろうからなぁ……でも馬鹿息子の大虐殺は止めないとね)


伊賀・甲賀と織田家の関係が悪化し始めた天正6年(1578年)、信長の次男である織田信雄が八千という大軍を率いて伊賀に独断で侵攻を行う、いわゆる「天正伊賀の乱」事件が起きた。

ただしこの時、伊賀は今で言うゲリラ活動を行い、僅か数百の伊賀忍軍に信雄軍は壊滅。信雄本人も這う這うの体ほうほうのていで逃げ帰った。

なお信雄軍の武将の名誉の為に語るが、元々信雄の伊賀侵攻は周囲が必死になって考えを改めるよう進言していたほど無謀な作戦だった。

その為、侵攻する前から軍の士気は低く統制は完全に失われていた。そんな状態の軍では、例え伊賀でなくとも簡単に壊滅させられたであろう。


何の成果も挙げぬまま八千の兵から六千をすり減らし、更に重臣である柘植保重が討ち取られるなど、散々な結果に信長は激怒した。

だがこれにより信長は忍に対して警戒心を高めてしまい、数年後に織田軍が全軍を投入し伊賀を侵攻する『第二次 天正伊賀の乱』が起きてしまった。この時の総大将も信雄である。

信雄は『第一次 天正伊賀の乱』の恨みを晴らすが如く、陥落した寺院や里で老若男女問わず全て皆殺しにしていった。

後の世では信長が伊賀の忍を虐殺したと言われるが、実際は馬鹿息子と名高い信雄が片っ端から皆殺しにしただけだ。


「(まぁそこは伊勢侵攻後に考えよう。近衛様の動向に少しばかり不安はあるけれども……藪をつついて蛇を出すようなことはしない方が良いね)それではこの家は、近衛様に進呈致します。どうぞ、お気に召すままお使いください」


最後まで気が抜けないと思いつつも、一定の成果が見えた事に静子は肩の力を抜いた。







二条城築城の目処が立った信長は光秀に後事を託し、それ以外の人間を連れて岐阜へと戻る。

帰国直前、彼は伊勢について義昭と話をした。流石に南伊勢を支配する北畠との戦には、義昭も難色を示す。

何しろ北畠氏は公家出身、将軍より高い従三位の位を持ち、更に権中納言を任官している。

つまり義昭は北畠氏を、室町幕府を支える一員として認識している。同じく室町幕府を支える一員たる信長との戦を認める訳にはいかなかった。

とはいえ義昭の立場から言えば、信長の話を無下に断る事も出来ない。どうすれば良いか義昭は頭を悩ませる。

神輿の反応を見る程度の気持ちだった信長だが、これは予想外に面倒だと再認識した。

信長は説得と言いくるめを駆使し、今年中に戦の決着がつかなかった場合は義昭を仲介して和睦、そうでなければ伊勢国平定を許す、という確約を義昭から取り付けた。


事実上の免状を得た信長は即座に伊勢国平定へと乗り出すと思われたが、周囲の予想に反して沈黙を保っていた。

岐阜から動こうとせず、配下たちを労い、鍛錬をするだけだった。

即断即決を信条とし、電光石火の如く行動する信長の沈黙に各国の国人は一様に緊張を強いられた。

実の所は軍需物資の備蓄が規定量を下回ったため、物資の消費が激しくなる行軍を控えていただけであった。

軍備が心もとない状況で無理を押して伊勢を侵攻するより、情報収集に徹して機会を伺う方が得策だと彼は判断した。

その備蓄も『三組之一街』政策を尾張・美濃全土に敷いているため、九月から十月になれば莫大な量が手に入る。

よって信長は推定収穫量が計算出来る八月下旬まで動く気はなかった。そして九月から侵攻しても伊勢を平定出来る勝算があった。


岐阜に戻った信長は早速静子を呼び出し、近衛前久との会談の目的を探ろうとした。


「女の秘密を暴き立てようなど、あまり無粋な事をなされますな」


だがそれに待ったをかけたのが、他ならぬ濃姫だった。


「このまま放置しておけと、貴様は言うのか?」


「今まで静子は、必ず殿を通して話を進めていました。それが今回、独断で話を進めたのは殿を通さないことが、殿の利になると判断したからでしょう」


「……はぁ」


盛大に溜息を吐いた後、信長は荒々しく腰を下ろす。


「ふふっ、仲間外れにされてご立腹ですか?」


「さてな。それにしても近衛家を我が陣営に引きこむとは……相変わらず静子の才には驚かされる」


「ええ、相変わらず埒外の行動で楽しませてくれる女子おなごですよ、静子は。さて、そんな静子が引き込んだ近衛家当主様から、殿に会談の申し入れがありますが……返答は如何なさいますか?」


「言うまでもなかろう。静子が念入りにしつらえた席、ここで引くようでは男が廃るわ」


会談の準備はすぐに行なわれた。

二日後、信長は静子の別邸へ向かった。自分の居館でも問題なかったが、静子の別邸を見た事がないのを思い出し、こうして足を運んだ訳だ。


「お初にお目に掛かる、織田弾正忠殿」


かたや朝廷随一の実力者であり五摂家筆頭近衛家当主の近衛前久。かたや京の実権を握り天下人に最も近い国人の織田信長。

歴史の転換点とも言える二人の出会いの瞬間に立ち会ったのは、庭園をねぐらとする虫たちだけだった。


しばらくの間、二人は無言で見つめあったが、意を決したように前久が口を開いた。


「さて、いつまでも見合っていても始まりませぬ。茶を一杯進ぜましょう」


「……頂こう」


「肩肘をはる必要はありませぬ。これは茶の湯ではなく煎茶。形式にとらわれず、茶を飲みながら清談を交わしましょうぞ」


「……」


「と、静子殿に教わった。これが中々に良い。最近では庭を眺めながら、茶を飲む事に凝っております」


前久の言葉通り、彼の作法は信長が京で学んだ茶の湯とは全く異なっていた。

しかし茶の湯とは違う優雅さが感じられ、これはこれで面白いと信長は感じた。


「不思議な女人にょにんだ、静子殿は」


「そうだな。わしも時々驚かされる」


差し出された茶を受け取ると、信長は躊躇いなく茶を一口飲んだ。


「旨いな。茶の湯で味わう茶とはまた違った味わいよ」


「ふふっ、もありましょう。私も最初は面妖な茶を出すものよと思いましたが、今は夕涼みに一杯飲むのが楽しみになりました」


そう言って前久も茶を一口飲む。


それから特段会話はなかった。ただ庭を肴に茶を飲む、それだけだった。

だが二人を包む空気は清々しく、何者も立ち入れぬ静謐さがあった。


「では、本題と参りましょう。私はもう一つ静子殿に要求することを許されております。そしてその裁可を織田殿に頂きとう存じます」


「もう一つ? 一つ目は何なのだ」


「静子殿は私に織田家への協力を願った。代わりに私は、友の脚病を治す事を願い、既に叶えて頂きました」


「あのうつけ者が……」


脚病は不治の病扱いされているが、信長は静子より発病の仕組みから治療法までを伝え聞いている。

そのアドバンテージを利用し、脚病が多い公家を取り込もうと考えた。しかしその秘匿すべきカードを、静子は近衛前久との会談で使ってしまったのだ。

十九歳で関白に任じられた俊英の前久だ。脚気には何が良いか、おおよその見当はつけられているだろう。


(近衛家の力を手に入れた事で、その失態は相殺そうさい出来るか)


「静子殿のもう一つの願いは教如殿と猶子関係の解消とのこと、これは近日中に動きましょう。そして対する私の願いを申し上げます」


爽やかな笑顔を浮かべた前久は、その表情と裏腹にとんでもない事を口にした。


「私は静子殿と猶子を結びたい」







静子が近衛家当主と仮の親子関係を結ぶ。それは信長にとって、青天の霹靂とも言うべき内容だった。

もし静子が近衛前久の猶子となった場合、その影響がどこまで及ぶか、信長は想像すら出来なかった。

信長の様子から彼の心情を察したのだろう。前久は小さく息を吐くとこう言った。


「ご安心召されよ。これはまだ静子殿にも言っておらぬ。そして静子殿が断れば、それで終わりの話」


「近衛殿は静子を随分と高く買っておいでと見える」


「然もありましょう。世に出る事の無い女人の身でありながら、この私を前に一歩も引かず、己の望む所を通した。なかなかどうして出来る事ではありませぬ」


そこで一呼吸置き、前久は残っていた茶を一気に飲み干す。

軽く息を吐いた後、彼は言葉を続けた。


「織田殿が天下統一の道を進むなら、いずれ静子殿は重要な位置を占めるであろう」


「本人は表に出ず、裏に隠れて色々と画策するのを好んでおるようだがな」


「ははっ、そうでしょう。だがいずれ彼女は表に立たなければならなくなる。誰かの手によって、ではない。乱世という存在が、彼女が裏に隠れる事を許さなくなる。時代が彼女を必要とし、必ずや表舞台に立つ日が来るでしょう」


「まさか……その為の猶子か」


「然様。世に出た時、単なる女子では都合が悪かろう。私の猶子なら、それなりの箔はつく」


信長にとっては、箔がつくどころの話ではなかった。


「……確かに箔はつくだろう。だがその猶子を結ぶ時期は、こちらで指定したい」


「お任せしましょう。元より静子殿を守るための策。親元たる織田殿が良かれと思う時に宣言なされよ。その時までに私は朝廷での立場を確固たるものにしておきましょうぞ」


「それは……」


「織田殿の夢は天下統一であろう。ならば、いずれ現関白殿と公方殿が邪魔になる時期が来る。でなければ、覇道は為し得ませぬ」


「ふっ、確かにそうだな」


前久の歯に衣着せぬ物言いに、信長は楽しげな笑みを浮かべた。

その後、鷹狩りという共通の話題がある事に気付いた二人は、日が沈む直前まで語り合った。







六月中旬。

歯車やクランクなどの動力伝達機構の研究は順調に進み、夏の盛りを前にしてようやく一定の品質を保ちながら量産化の目処が立った。

技術街の婦人たちの垂涎の的であった水車動力式自動洗濯機(以降は水車式洗濯機と略す)は前述の動力伝達問題をクリアした事で、規格化された製品として組みあがった。

現在試作品を運用中だ。耐用試験をクリアすれば水車動力が得られる場所ならば、どこでも水車式洗濯機を設置できる。

洗剤として使用しているムクロジ粉末は生分解性が非常に高い為、洗濯排水を河川に流したところで重篤な水質汚染を招く恐れは低い。

とは言え絶対という事は有り得ない、また魚毒性(魚が摂取して生体濃縮を行い毒性を持つこと)があるため、排水の取り扱いには充分に注意を払う必要がある。


醸造街も各種醸造施設と、職人たちが住む長屋が完成し、準備が整った人たちから移住を開始している。

街の管理も技術街のノウハウがある為、特に問題等が起きる事なく順調にスタートを切った。

米酢・塩麹・みりん・味噌・醤油・清酒や焼酎を含む日本酒など、日本の代表的な調味料をはじめ、発酵が絡むものなら何でも製造する。


勿論、技術街や醸造街は一つだけではない。信長は今後、この様な街を分散して各地に建造する予定だ。

分散管理と集中管理の手法はそれぞれ一長一短あるものの、信長は技術漏えいのリスクを冒してでも分散管理を選択した。

生産拠点が分散することで管理コストや技術漏えいリスクが倍化するものの、分散化によって災害や戦で拠点が崩壊しても技術や生産が途絶せずに、他所で代替可能であるという可用性に重きを置いた。

またそれぞれの生産拠点が補完し合える事で、他国にとっては攻め入るべき致命の急所を判断できなくするというメリットもある。


給料(salary)の語源たる塩は重要な軍需物資であるとともに、味噌や醤油の製造に欠かせない生活物資でもある。

これの増産に力を入れた結果、流下式塩田の規模の拡張や生産担当の村も増え、流通量が格段に増加した。

一時期市場への流入が需要を超え、塩の価格破壊が起きた。

元々高価であったため需要が低かっただけであり、潜在的な需要は人の数だけある。

すぐに供給量に釣り合う需要が掘り起こされ、価格は徐々に安定していった。

今では尾張・美濃に限り塩は貴重品ではなく、庶民ですら気軽に入手出来る調味料となった。


生産拠点の拡大に伴い、静子が実施した技術指導のお礼として農作物や塩、醸造品や工業製品が静子の元へと届けられた。

純粋に指導に対するお礼でもあるが、我々はここまでの物を生産できるようになりましたという、先生に対する習熟度合を見せる意味合いもあった。

とは言え受け取るのは静子一人であるため膨大な物資が集まる事になり、物資集積用の蔵を急遽建て増しすることとなった。


「……ないのも困るけど、多すぎても困るよね」


個人で何百キロもの塩を消費する事など出来るはずもなく、様々な保存食を作った後、余ったものは信長の軍備として備蓄する事にした。


戦国時代、賄賂と礼銭れいせん礼物れいもつと呼ばれる謝礼の境界線は微妙であった。

礼銭を賄賂と見なし、厳しく禁じられたのは統一的権力を打ちたてた江戸時代以降の事だ。

つまり権力者側からの都合で農業改革が行なわれたとしても、それで利益を得た場合、農村側が礼銭を贈るのは当然の礼儀・道理だった。


しかし彼女の元に届けられる大量の贈り物の中には、感謝以外の意図を含んだ物も混じっていた。

尾張だけで消費しきれない物資は当然商人を介して、日本全土へと流通していく。

少しでも目端の利く者であれば静子本人には辿りつけずとも、技術指導を行う中核組織が存在する事は容易に知れた。

となれば情報を欲して袖の下や心付けを出入りの商人に仲介させる者も出てくる。

静子の元に届く不相応に高価な品々は、甘い汁の源泉を見つけようとする意図が明らかであった。


「これは諜略(引き抜き)だね。人を経由させてまで、諜略ってするものなのかな」


語るまでもなく戦国時代は実力主義であり、派閥や血筋などに関係なく汗と実力だけで成り上がれる時代だ。

そしてある程度の才がある人間は、他所から引き抜き工作を受ける事が多々ある。

それは信長による尾張・美濃の農地改革を、裏で主導した静子でも例外ではなかった。


「余所の国人に知れ渡る程の才覚を示した功罪と言ったところか」


届けられた贈り物に付随していた文を読んだ奇妙丸が、苦笑しながらそう呟いた。


「ふん。頭ごなしに軍門に下れとは、静子だけに留まらず天下に覇を唱える織田家も随分と軽く見られたものよ」


長可は眉を吊り上げて不服そうな顔をしていた。

何の根拠も示さず、我が元へ来れば織田家以上の厚遇を約束するという空手形。

この紙切れ一枚で静子を自由に出来るという増上慢が気に入らない。


「それにしても、こんな工作しても無意味って分からないのかな。でも返そうにも仲介した商人諸共、相手方の顔を潰す事になるから返してはならぬ、という話だけど」


「ふむ。ま、どう片付けるのじゃ。別にあれこれは言わんが、どう扱う気かは興味がある」


「茶器は興味ないから文と一緒にお館様に贈ればいいかな。金品は必要ないから、これもお館様に渡して織田軍の論功行賞で功のあった者に還元して貰うのが良いんじゃないかな? 私のところでお金が溜まり続けるのは不健全だしね」


権力や金子を不相応に求めない静子にとって、茶器は手に余る物品だ。茶道具をコレクションする趣味はないし、何より名のある茶器を持つ事に優越感を感じない。

そして茶の湯は政治に深く関わりを持ち、権力の演出装置として信長が巧みに利用する事を彼女は知っている。

故に権力へ過剰に近づく恐れがある茶の湯は、静子にとって危険しか感じられないのだ。


「そもそも今さら私が抜けた所で、お館様の改革は止まらない段階に来てるんだけどね」


「ほぅ、それは興味ある話だな」


「何も難しい事じゃないよ。私は自分が居なくなっても、改革機構が進むようにしているからね。その機構が構築された今、私が抜けても停滞は生まれるだろうけど、長い目で見れば大した影響はないよ。まぁだからと言って、ほいほい他の所へ行く気もないけどね」


農業改革を行う時、静子は自分がいなければ成り立たないシステムが、一番危険だと考えた。

自分の負荷が許容量を超えたり、身体を壊したりすれば全てが停止するからだ。

故に自分がいなくても問題なく稼働するシステムを構築する事に心血を注いだとも言える。


「分からんなぁ。それだとお前は、いつか捨てられるって事だぞ?」


静子の考えにいまいち納得出来ないのか、腕を組んで長可が呟く。


「どこでも変わらないけど、他の人より飛び抜けて先駆ける人は、常に命の危険に晒されるの。私は臆病だから他人に殺されるのは嫌よ? だったらある程度の道を作った後は、さっと身を引く方が危険は少ないわ」


「そんな愚か者の嫉妬など、気にする必要はないと思うがな。所詮、他人を妬むだけの奴など、存在価値はないと自ら語っているようなものなのだし」


「さっきも言ったけど、私は現実主義の臆病者なの。他人から悪意を向けられる事を当たり前に生きていけるほど楽観的にはなれない。私の所だけ収穫が良ければ、いつか周囲に嫉妬されて襲撃される。だから尾張・美濃全土の生産力を上げたの。権力を求めないのは、政治的な派閥争いに巻き込まれるのを避ける為だし。それに平和になった時、確実に武官と文官は権力闘争をするから、それにも巻き込まれたくない。私は静かな余生を過ごしたいから、権力闘争なんてご勘弁です」


「まあ貴様がどう考えていても、織田家は貴様を必要としているからな。そう簡単に静かな余生は訪れないのじゃないか」


「女の私が言うのもあれだけど、感情を優先しやすい女に過剰な権力を与えない方が良いよ。ただ感情を優先するが故に、母は我が子の為に悪鬼羅刹になれる。女は弱し、されど母は強し、なんて言葉もあるぐらいだしね」


『女は弱し、されど母は強し』は、七月王政時代からフランス第二共和政時代の政治家であり、フランス・ロマン主義の詩人、小説家であるヴィクトル・ユーゴーの言葉だ。

見た目がか弱い女性でも、母親という存在は子どもを守るためにどのようにも強くなれる、という意味だ。


「確かに唐の歴史を紐解けば、女の悪影響で滅んだ王朝は幾つもあるからな。いや、別に静子がそうだとは言わんが、確かにその点は注意するべきか」


「別に気にしてないよ。それに、私もいつ理論より感情を優先するようになるか分からないしね。だから保険として、誰かが止められるようにしておかないと。まぁ、今はそれがお館様だけども」


「なるほどなぁ。つまり他ではその保険が上手く機能せず、暗殺されるかもしれないから他所へは行かないという事か」


「それも理由の一つかなー」


「俺は政のような難しい事は分からん。分からんがお前が認められないのは悔しい」


「ふふっ、ありがとね」


長可の言葉に嬉しくなった静子は、思わず長可の頭を撫でそうになったが、すんでの所で手を止めた。

彼は早く元服して大人になりたがっている。そんな彼に子供扱いするのは悪いと思ったからだ。


「まぁ御託を並べず簡単に言うと、私はここが好きだから。ここは私の第二の故郷みたいなものよ」


微笑みながらそう言った静子に、二人は何処か嬉しそうな、それでいて満足気な表情で頷いた。







信長は技術街へ二回目の視察に訪れていた。

以前から目に見えて変わった事は屋根瓦の施工法である縦桟ビス止め工法が、ある程度形になった事。

木製旋盤が完成した事。自動洗濯機が完成した事。歯車やクランクの研究成果が日の目を見たことだ。


「おお! これが『旋盤』か! 何とも奇っ怪な形をしておるが、これ一つで職人何人分の作業を省略できることか!」


目の前で行われたデモンストレーションに信長は頬を緩めて褒めちぎる。何しろ不格好に製材された角材が、あっという間に均一な太さの棒へ変わったのだ。

今まで見たことも聞いたこともない加工の流れに、信長は興奮を抑えきれない。

加工された棒を振り回し、球体を掴んではあちこちへと転がして球面の滑らかさを確認していた。


「(凄いはしゃぎっぷり……)あ、あのお館様、お楽しみ中申し訳ありませんが、足元に転がると流石に危険ですから……」


「おお、すまん。四角い端材が短時間でここまで見事な玉になるとは……ついどの程度丸いのか確かめたくなってな」


「(つい、で人が居る所に転がさないで欲しい。職人たちが別の意味で怯えている)コホン、『旋盤』の性能は見ての通りです。使い方次第で今まで職人が長時間かけて仕上げていた加工が、誰でも短時間で同じ精度の製品として仕上げる事が出来ます」


「うむ、あの麻糸を加工するからくりにも驚かされたが、今回はそれ以上じゃ」


そう言われて静子は思い返す。信長がシュリヒテン剥皮機の視察を行った時の事を。

あの時も信長は喜色満面で操作していた。今回の視察に同行する馬廻衆が少ないのは、その様子を見られないようにするためか、と静子は何となく理解する。


「シュリヒテン剥皮機ですね。消耗部品の製造に時間がかかるので、現在でも六台しか稼働しておりません。しかし、六台でも生産力は桁違いです。絹糸用の紡績機は十二台を一組と計算すれば九組あります」


「確か絹糸に出来ないものを、貴様は真綿と言っていたな。あれで作った掛け布団は実に良い」


大量の絹糸を生産している静子だが、全ての蚕から生糸が作られる訳ではない。生糸の品質に至らない蚕の繭も出来る。

そこで低品質の繭を集めて加工を施し真綿を生成する事にした。真綿は白くて光沢があり、柔らかく保温性に優れている為、掛け布団の中に詰め込む素材としては優秀なのだ。

なお中世日本における養蚕は専ら真綿の生産の事を意味した。主に中国から輸入される絹糸ばかりが持て囃されたため、国内で生糸を絹糸に紡ぐ技術が失われてしまったからだ。


「歯車やクランクについてはまだまだ改良の余地があります。これらの機構を応用することで、金平糖を製造する機械を作りました。黒砂糖の消費が激しいですが、何とか金平糖の試作品は完成する所まで出来ました」


「これが金平糖か。ふむ、伴天連の貢物と少し違うがこれも旨い。ふふっ、伴天連どもの驚く顔が目に浮かぶわ」


(その為に金平糖を作れ、なんて言ったわけじゃーないですよね?)


金平糖の潜在能力(味は勿論のこと栄養価、保存性、可搬性など)に魅せられた信長は、早速静子に製造を命じた。江戸時代でも個人で製造が可能なほど、金平糖のレシピは難しくない。

芯材に対して延々と熱した蜜を掛けては冷やすという工程を繰り返すという忍耐が試される作業なのである。

その辺りの作業を軽減するために歯車やクランクが必要となった。ただし、それでも高熱環境での長時間作業という過酷さは変わらない。


「これをもちまして説明を終了させて頂きます。ご質問等が無ければ、続いて食事処へとご案内致します」


「確か南蛮のパオンという食べ物を準備していたのだったな」


「はい。欧州での主食になります。ジャガイモという別の主食もありますが、こちらは量産体制が整っておらず、民草の口に入るのは来年以降になるかと思います」


「食材が増えるほど我が国は豊かになる。余裕のある量産体制を整える事を優先せよ」


新しい作物は徐々に生産拠点を増やし量産体制に入っているが、やはり一年程度では全ての生産拠点に充分な量の種苗を提供できず、代替作物を作付けしてる拠点も出ている。

来年以降ならば近隣の村へ提供し、そこで問題がなければ『三組之一街』に配布する。そこまで軌道に乗れば一気に生産出来るのだ。


「『三組之一街』も順調だ。既に尾張・美濃は他国の追従を許さない。食の不安がないお陰で、民からの不満も少なくなった。正直な所、食料が不足しない事が、これほど効果があるとは思わなかったな」


「明日の食事に事欠かない環境であれば、民は多少の事には目を瞑りますから……」


「かの曹孟徳は民の食料を十分確保した上で、行軍出来る軍備を確保した。わしもその手法を利用させて貰う」


「では……」


信長は小さく頷いてから言葉を続ける。


「行軍の為に買い占めを行えば、治安が悪化する事は歴史が証明している。進軍中に足元が揺らぐなどたまったものではない。他国の手引で一向一揆もありえる以上、民には程よく飯を与えている状態が良い」


「衣食住の内、食がもっとも効果的だと私も思います」


「それだけではない」


「わぷっ」


信長は静子の頭をわしゃわしゃと撫でる。突然の事に、静子はされるがままだった。

彼女の髪型が愉快な感じになってしまったが、信長は気にせず言葉を続ける。


「わしは今まで食事とは生きる為の作業だと思っておった。だが貴様の作る料理はわしの目を楽しませ、香りを楽しませ、食感を楽しませ、味を楽しませる。今なら分かる、お濃めが食事にこだわっている理由が……全く、貴様は大した奴じゃ。いつもわしに様々な可能性を見せてくれる」


それから暫く、静子は信長に頭を撫でられ続けた。







技術街に続いて醸造街を信長はおとなった。

こちらは信長と静子だけでなく、主だった家臣たち、静子の馬廻衆である慶次と才蔵、そして近衛家当主の前久も同伴した。


今回の醸造街視察の目玉は酒、それも清酒だ。

戦国時代の酒は基本的に濁酒(にごりざけ)であり、また酒の製造は寺社勢力がほぼ独占していた。

清酒の始まりは正確には分からない。一説によれば摂津鴻池の山中勝庵が、濁酒に灰を入れて清酒を作ったのが始まりと言われている。

しかしそれ以外にも、現代の清酒の製法に近い方法が「御酒之日記」、「多閉院日記」に記録されていたりするため、いつから濁酒から清酒へ切り替わったかははっきりしていない。


酒は単なる嗜好品に留まらず人生を豊かにする。

脈々と受け継がれる酒の歴史を知る静子は、現役を引退したり寺社に囲い込まれていない状態の杜氏とうじ)を集め、現代の清酒の製造方法を伝授した。

清酒の製法は濁酒のそれと比べると必要とする作業工程が多く、杜氏達は半信半疑であった。

だが誰も作り得ない澄んだ水の如き旨い酒と聞いては、その道の専門家としては挑戦せざるを得なかった。


基本的に清酒製造工程の九割は寒い時期から梅雨の時期辺りで終わるが、最後の工程に貯蔵があり、二ヶ月で終わらせる場合もあれば三年をかける場合もある。

この辺りは酒の種類、出来具合で変わる。

今回仕込んだ清酒は選び抜いた尾張米を贅沢に削り、実に外側の4割を削った本醸造酒とした。

約半年をかけて試作を繰り返し、信長に提供できるだけの品質を確保できた樽(半年熟成)の初のお披露目であった。


「さて、それでは初呑切りと参りましょうか」


酒を検査するため、タンクの呑口を開ける事を「呑切り」と言う。これは初呑切りが行われる六月から、出荷される秋まで一ヶ月ごとに行なわれる。

江戸中期頃まで日本酒は一年中作られていた。静子の醸造街も例外ではなく、濁酒だがほぼ一年中酒造りが行なわれている。

今回の初呑切り対象は、品質の優れたものが出来る「寒造り」で作った清酒だ。


仕込み用の大樽から今回の初呑切り用に用意した一斗樽に移される。

清酒が放つ芳醇な香りが辺りに充満すると、皆一様に陶然とした表情になった。

家臣の中でも佐々と柴田と慶次は、今か今かと待ちきれない様子で、やたらそわそわしていた。


「本日は初呑切りにお集まり頂き、誠にありがとうございます。清酒が何か、という詳しい説明は省きます。百聞は一見にしかずと申します、まずはお上がりください」


そう言って静子はまず黒色の酒坏に清酒を注ぐ。濁酒ではない、という証明だ。

次に白色の酒坏へ注ぎ、その透明さを信長や主だった家臣たちにアピールした。


「おお、まるで水のように透き通っておる」


狙い通りの反応を得られた静子は、ひときわ立派な二つの酒坏に清酒を注ぐ。

彼女の主君である信長用と、近衛家当主の前久用だ。酒坏を盆に乗せてまず信長に差し出す。

信長は無言で酒坏を受け取る。続いて前久が酒坏を受け取った。


二人はまず杯に顔を近付け香りを楽しむ。


「ふむ随分と酒精が弱いのか、濁酒程の匂いはせぬな」


「そうですな、代わりにやや甘い果実のような香りがしますな。桃の様でいて瑞々しい酸味も窺わせる実に芳醇な香り、これは味も楽しみだ」


封を切った際に香りをかいだ静子は、ライチに似た香りだなと感じた。

前久の言を受けて、二人は同時に杯を傾けた。

水のような見た目とは裏腹に意外に強い酒精が喉を焼く、カッと喉を熱くする液体が喉を通りぬける。一瞬の間を鼻を抜ける果実にも似た甘い香りと舌に炸裂する酒精と米の旨み。


「これは思ったよりも強い酒だな。カッと熱くなるような喉越しと後に残る香りが素晴らしい」


「濁酒のような雑味が無い分、米本来の旨さを味わえますな」


「静子、可成たちにも呑ませてやれ。そろそろ我慢しきれそうにない奴が、三人ほどいるからな」


信長の言葉通り、柴田と佐々と慶次は今にも樽に手を突っ込まんばかりの形相だった。

苦笑しながら静子は各武将たちに酒坏を配り、清酒を注いでいく。

やはり主君が旨そうに飲んでいた影響か、注がれた人は我先と言わんばかりに酒坏を傾ける。


「いつも呑んでいる酒とは別格ですな」


「水のように透き通っておるのが良い。酒坏に絵があれば、なお風流じゃろう」


「問題はついつい呑み過ぎてしまわぬよう、注意する事ですな」


好感触を得られた事に、静子はホッと胸を撫で下ろした。


「お酒だけ飲んで頂くのも良いのですが、清酒は料理と一緒に飲んで頂くとまた別の顔を見せます。昨日網に掛かった魚で良い物がありましたので、いくつか料理してみました。お酒のあてにお摘み下さい」


静子が合図をすると奥に控えていた彩や下女が、膳を持ってやってくる。

陶器の皿に笹の葉を敷いて盛られた魚の塩焼き。敢えて塩の粒が残るように塗して焼いた目にも美しい白身が映える。


「この魚はヒラマサと呼ばれます。淡白で上品な味を身上としていますが、自己主張しすぎないので是非お酒と共に召し上がってください」


静子の言葉に真っ先に箸を取ったのは、やはりと言うか信長であり次いで前久が箸で身を解して口に運ぶ。

もはや毒見がどうのと言う無粋な話をする輩もいない。


「ほう! 鯉のような身でありながら、まるで泥臭さがない。流石は海の魚と言ったところか、そして焼けた塩の甘味、塩辛さが魚の旨みを引き締める」


「京ではこの味は到底味わえませぬな。鱒や鮎、岩魚も旨いが、そのどれとも異なる旨さがある。ただやや淡白すぎるきらいがありますな」


そして次に清酒を一口流し込む。口の中に満ちていた塩味を艶やかな香りと共に押し流す。


「なるほど、これは良い。酒と一緒に食すと、淡白すぎる味が逆にもう一口と食べたくなる」


「塩味の強い肴と辛みのあるスッキリした酒。これを交互にやるのが今までにない快感ですな」


上座の様子を息を飲んで見守っていた面々も次々に箸をつける。あちこちで歓声が上がり、清酒が受け入れられた事に静子は顔を綻ばせる。


「こちらを付けて召し上がって頂いても美味しいですよ」


静子の合図で今度は赤い小山が皿の脇に添えられる。


「これは醸造街で漬けました梅干しの実を解して、少量の酒と出汁で練りました梅醤うめひしおでございます」


淡白な白身に塩味、そこに梅の風味と酸味が加わる事で爽やかさがいや増す。


「なんと! 梅醤と共にヒラマサを食べた後に清酒を飲むと香りが変わるぞ!!」


未だ日本には伝来していないため皆は知らないものの、ライチのような甘やかな香りに梅の風味が加わることで果実のような香りからスパイスのような複雑な香りへと姿を変えた。


「これが清酒……これが世に出回る事になれば濁酒を駆逐するやもしれぬ」


前久は驚愕の表情でそう呟いた。


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