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戦国小町苦労譚  作者: 夾竹桃
幕間 耳嚢
223/237

艶本騒動

戦国時代の日ノ本に於いて書物と言えば手書きの物が主流であり、ごく一部の限られた地域にのみ出版された書物が流通している。

その限られた地域とは帝のおわす政治の中心地である京と、最先端の流行を発信し続ける尾張となる。

何故ならば印刷の(かなめ)となる輪転機及び、大量のインクと紙を用意できるのがその二拠点のみに限られるからだ。

静子の義父にあたる近衛前久(さきひさ)が主導している京の出版物は、主に新聞や仏書に歴史書などといったアカデミック色の強いものが多い。

一方の尾張では静子の統治ゆえか、通俗な娯楽書も認められており、高い識字率も相まって庶民の間に読書文化が根付いていた。

この文化を下支えしたのが、かつてガラスペンを所持していたことから静子に囲われた少女達だ。


彼女たちの名前を(うた)(うみ)と言い、前久が京屋敷で定期的に出版している公家向け新聞である『京便り』に絵巻物を寄稿している。

公家の間では正体不明の人気作家となった二人だが、彼女らの本質は衆道をこよなく愛する腐女子であった。

詩は高い教養と豊富な語彙力に裏打ちされた文章を紡ぎだすことに長じており、海は天才的なセンスによって似顔絵や風景を描くことを得意としている。

それぞれの得意分野が融合した結果、この時代の似顔絵と比較して写実的な筆致の大きなイラストが添えられた紀行文風の衆道小説が誕生した。

作家としては天才的な二人だが、『京便り』への絵巻物を定期的に寄稿するにあたり致命的な問題が表出する。

それは二人ともが趣味人であるため、執筆活動に没頭するあまり日常生活を疎かにしてしまうという点だ。

これを是正すべく静子が派遣したのが(みお)という名の少女であり、二人と同年代ながら家事全般を得意とし、連載の進捗管理から食事に掃除にと世話を焼いてくれるお母さん的存在だ。


三人の少女達が一組となり、本業である絵巻物の合間を縫って執筆される衆道娯楽小説は、一世を風靡(ふうび)していた。

尾張に於いてはそれなりの部数が印刷され、庶民の間には貸本屋を通して届けられることとなる。

貸本屋では常に人気のタイトルであり、新刊が届けば即日全てが貸し出し済となり、既刊ですら返却待ちとなることが多い程の人気を博していた。

これまでの書籍と言えば知識を継承するための堅苦しい物であり、そもそもが高価であるため購入できるのも仏家や武家、公家などに限られている。

しかし、娯楽作品の流通と貸本屋という業態による安価での供給により、庶民たちの手に届くところとなって熱狂を生み出すこととなる。

彼らは数人で金を出し合って本を借り、仲間内で回し読みをしては感想や考察を語り合い、やがては自分たちでも作品を書いてみたいと思うようにまでなった。

これに目聡く反応したのが生き馬の目を抜く業界に生きる商人達だ。


彼らは特殊な機材が必要となることから競合他社の少ない、所謂(いわゆる)ブルーオーシャンである出版業へと進出する。

静子や前久は常に最新式の輪転機を使用しているが、型遅れとなった旧式の輪転機は払い下げられて市場へと流出していた。

前述の商人達はこれを買い取り、運用方法や消耗品などを静子の御用商たる『田上屋(たなかみや)』から仕入れる形で出版会社を立ち上げる。

尾張には旅籠(はたご)用のガイドブックを出版した折に、ガリ切りなどの出版に関するノウハウを持った人材が生まれていた。

それらの人材を雇い、また自分でも娯楽小説を書かんと志した作家の卵を囲い込むと様々な出版物を刊行し始める。

東国に於いて尾張が最も金回りの良い庶民が集まる国であるため、こうした小規模出版社を支え得る土壌が形成された結果、娯楽小説だけに留まらず様々なハウツー本やガイドブックに相当するような書籍までもが出版されるようになった。

教養人である仏家や公家などからは娯楽作品など低俗でけしからんという声もあったが、実質的な東国の統括者たる静子が容認している以上、表立って文句を唱えることもできないでいる。

こうした特異な環境下に於いて庶民の娯楽が醸成され、史実での江戸時代に先駆けて大衆文化が花開くこととなっていた。


「それで、言い訳があるなら聞くよ?」


「申し訳ございません!」


静子の冷ややかな問いに対して詩と海は揃って綺麗な土下座を披露した。

一瞬の遅滞すらなく土下座を敢行する様は、既に土下座慣れしているのでは無いかと思えるほどであり、そんな二人の後ろで澪も疲れた表情を浮かべて頭を下げる。

二人が何をやらかしたのかと言えば『艶本(えんぽん)(性交渉を絵や文章で表現した本、春本とも)』を流出させたことにあった。

お上がこれと言った規制をしなかったのを良いことに、執筆者側はどんどん過激な作品を世に送り出し始め、その流れが行きつく果てに艶本がある。

海の手による耽美な筆致の春画は、絶大な影響を生み出してしまった。

露悪的なまでの性表現の発露を受け、流石に静子としても規制に乗り出さざるを得ない状況へと発展した結果がこれである。


「流石にこれは公の目に触れて良い物ではないよね?」


「仰る通りにございます! どうか御寛恕(かんじょ)下さいませ!!」


詩と海は必死であった。何せ静子の匙加減一つで、己の全身全霊を掛けて生み出した我が子とも呼べる作品の行く末が決まるのだ。

規制の程度が軽ければ流通の制限で済むが、最悪の場合は作品回収の上に焚書(ふんしょ)となる可能性すらある。

なんとしても我が子の命を繋ぎたい詩と海であった。


「……まあ良いでしょう。澪、これに関しては貴女に一任します」


今回の件で何が問題になったかと言えば、所謂『生モノ(実在の人物をネタにすることを指す隠語)』であり、流石に本名そのままでは無礼討ちもあるため多少改変していたのだが、明らかに元となる人物が判った。

これは詩と海の作品では無いが、例えば森蘭丸を『(もり)家のお(らん)』という女性として描いた作品までもあったのだ。

静子としてはこれらの先駆けとなった二人の作品を規制することで、近い将来起こりうる大惨事を回避したいと言う思いがある。

出版業界に於いては巨匠のように崇められている二人を罰することにより、業界全体に対して警告を発することさえ出来れば焚書まではしなくても良いと考えた。

その結果、二人を監督する立場である澪に裁定を(ゆだ)ねることとしたのだ。


此度(こたび)の件は、静子様のお手を(わずら)わせることになり申し訳ございません。この二人には私からキツく言い聞かせます」


澪は二人の監督者として静子に謝罪すると、問題となった作品の版元となる原稿を受け取った。

澪が原稿を受け取った瞬間、詩と海が期待のこもった目でこちらを見ていることに彼女は気付く。

三人が静子との面会を終えて静子邸を辞すと、詩と海は希望から絶望へと叩き落されることとなった。

わざわざ京より尾張まで呼び出され、主君より直々にお叱りを受けた上での沙汰預けである。

三人は城下町でとっていた旅籠に帰りつくと、澪が二人に向かって底冷えするような声音で言い放った。


「二人ともここに座りなさい!」


「え、でも……」


「せ・い・ざ!」


いつも慈母(じぼ)の如き笑みを浮かべている澪が、能面のような無表情になっていることに恐怖を覚えて板の間に正座する。

僅かな口答えすら許されない空気に、二人はようやく澪のご機嫌が恐ろしく悪いことを自覚した。

詩は視線を澪から彼女が睨んでいる紙の束へと移す。

それは二人の原稿を用いて謄写(とうしゃ)版(ガリ版とも)にて印刷された製本前のものであった。

既に領主である静子の名に於いて布告が出されており、度を超えて過激な出版物は販売を禁ずる旨が通達されている。

これに震えあがった出版社は製本前の印刷物を二人の許へと送り返したという経緯がある。

出版社に原稿を送り返されたのは二人に限った話ではないため、尾張の各所でこのような光景が繰り広げられていることだろう。


「私は二人に忠告したよね? 実在の人物を題材にした艶本は止めなさいって。二人が頷いたから、理解してくれたかと思ったんだけれど甘かったようだね」


澪の手から原稿が滑り落ちた。詩と海は澪が何をするか理解していたが、凄絶な表情を浮かべている澪を止めることなど出来るはずも無かった。

部屋に作りつけられている囲炉裏にくべられる原稿に火が点き、徐々に燃え広がって灰になるさまを呆然と眺める二人。


「二人はちゃんと反省すること。今回は今後出版する物に関して規制で済んだけれど、最悪の場合は今までに世に出した作品を全て回収した上で死を(たまわ)ることすらあったんだからね!」


二人を心配するあまり涙声になりながら、心を鬼にして彼女たちが大事にしている原稿を燃やす澪の姿は、見惚れるほどに美しかった。


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