幕間 008 冒険者ギルド酒場のヒュプノ 3
酒を飲む冒険者たちで賑わう、夕暮れ時の冒険者ギルド。
テーブルにはカプレーゼ、カポナータ、シーザーサラダにマッシュルームのカルパッチョ――彩り豊かなアンティパストが並ぶ。
冒険者の間では『ギルドで料理が食べられるようになった』という噂が広がり、酒場で食事をする人が増加していた。
「なぁ、ヒュプノ」
「なんだ? グラトニー。今忙しいんだが、料理ぐらい運んでくれるのか?」
料理にお酒に、一人で用意して運ぶヒュプノ。
カウンターで酒を飲むグラトニーを、相手にする暇はない。
そんなヒュプノに、グラトニーはマッシュルームを食べながらつぶやく。
「な~んか物足りないんだよなぁ」
「は?」
ジョッキの酒を飲みながら、グラトニーが不満を漏らす。
「もっとこう、ビールに合うような……ガツンと旨くて、腹にたまるつまみが欲しいんだよ」
忙しなく動いていたヒュプノの頭に、一気に血がのぼる。
ギルドの仕事の合間を縫って、二度も料理を習いに行ったというのに、この男はまだ文句を言うのかと。
「パンとソーセージ焼いてやるから、食ったら帰って寝ろ!!」
「いやいや、そこはそうじゃねぇだろ?」
腹を立てたヒュプノは、無節操な元相棒・グラトニーを怒鳴りつける。
しかし歴戦の冒険者であるグラトニーには、どこ吹く風であった。
「ピコピコの店長だったら、こんな時どんな料理を作ってくれるんだろうなぁ~」
「ぐぎぎっ……」
注文した料理をしっかり平らげながら、グラトニーはヒュプノを煽る。
自身も一目置いている、ピコピコの店長。彼を引き合いに出されたら、ヒュプノは言い返すことが出来ない。
店長ならきっと、要望にピッタリの料理を作るだろうと、ヒュプノも確信していたから。
「好き勝手言いやがってっ! 覚えてろよっ!!」
「へいへい。そんじゃ、お代な。楽しみにしてるぜ、ごちーそーさん」
グラトニーに渡されたお代を握りしめ、ヒュプノは闘志を燃やしていた。
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「――と、いうワケなんだよ! 本当腹立つ! こっちは忙しく働いてるってのによ~」
「ははは……付き合い良いですね、ヒュプノさん」
いたりあ食堂ピコピコ、ランチ営業後の休憩時間。
昼営業の片付けをする店長に、ヒュプノは酒場の愚痴をぶつけていた。
「ガツンと旨くて、お腹にたまる……ですか」
どんな料理がいいかと、考える店長。
しばらく考えた末、ヒュプノに質問する。
「ヒュプノさん、揚げ物ってできます?」
「うん? まぁ、鍋も油もあるし、できると思うぞ」
揚げ物が出来ると聞いて、店長の中で教える料理が決まった。
手軽で一気にたくさん作れる、揚げ物料理――
「それじゃあ、ゼッポリーニとフリット・ミスト――揚げ物の盛り合わせにしましょう」
「ゼポ……なんだって?」
「ゼッポリーニ。ピザ生地を揚げた料理で、カリッモチッとした食感がクセになるんですよ」
そう言うと店長は、ニコニコしながら粉類を調理台に並べ始める。
「生地の発酵に一時間ほどかかるので、さっそく作り始めましょう」
「ああ、よろしく頼む」
急いで手を洗い、ヒュプノはキッチンに入っていく。
ヒュプノの準備が出来たのを確認すると、店長は調理の説明を始めた。
「まずは、ドライイーストと砂糖とぬるま湯を合わせておきます」
小さなボウルに、粉状のイーストと砂糖を入れ、ぬるま湯と混ぜ合わせる。
合わせ終わると、店長は別の大きなボウルを取り出し、スケールの上に置いた。
「それからボウルに、強力粉と薄力粉と塩を量って入れる。ここに最初にぬるま湯と合わせたドライイーストを入れて――」
店長は材料をどんどん量り入れ、ぬるま湯で戻したドライイーストを合わせる。
そして最後に取り出したのは、磯の香りのする生青海苔。
「味付けは……青のりでいきましょう。今朝ポセさんが、良い生青海苔を持ってきてくれたので。これらを全部入れたら、よく練り合わせて、ひとまとめにします」
生青海苔をボウルに入れると、シリコンのスパチュラで混ぜ合わせていく。
やがて生地がひとまとまりになると、店長はボウルにラップをかけた。
「これであとは一時間ぐらい、常温で置いて、発酵させます」
「一時間か……酒場が始まる前に、準備しておかないとな」
「そうですね。営業前に一日で使い切るぐらいの量を発酵まで仕込んで、冷蔵庫で保存しておくのがいいかも」
一旦ゼッポリー二の生地が入ったボウルを端に寄せ、調理台を拭く店長。
綺麗になった調理台の上に、次の仕込みの道具を準備する。
「次は一緒に盛り付ける食材の準備をしていきましょう。フリットと言いましたが、ゼッポリーニに合わせるので、素揚げやから揚げが良いかなって思います」
冷蔵庫を開け、店長はフリットに良さそうな食材を見繕う。
「今、店にある物だと――魚介はエビとイカ。野菜は、えのきといんげんにしましょうか。一緒に下処理していきましょう」
「わかった」
イカは捌いて胴体の部分を輪切りにし、イカリングを作る。
エビは殻を剥き、背ワタを取り除く。
店長のやり方を真似ながら、イカとエビを処理していくヒュプノ。
「やっぱりヒュプノさん、器用ですね。俺より速いや」
「そ、そうか~?」
照れくさそうに笑いながら、ヒュプノはどんどん下処理を進める。
「下処理した魚介は軽く塩胡椒しておいて、えのきは小束に分ける。いんげんはスジを取っていきます」
店長はいんげんのスジ取りを見本にやって見せ、残りの作業をヒュプノに任せた。
そしてその間に揚げ油を用意して、鍋に火をかける。
「スジ取り終わったぞ、店長」
「それじゃ、揚げていきましょうか。魚介や野菜を揚げてるうちに、発酵も終わると思うので」
チラッと調理台の端を見て、ゼッポリーニの発酵具合を確認する店長。
ほどよい発酵まではもう少しかかりそうだと判断して、他の食材から揚げていくことに。
「まず揚げ油を180度位まで温めます。衣生地を入れて、鍋底に付かずにすぐ浮いてくる程度ですね。薄力粉で少し衣を作って、入れてみましょうか」
小皿に小麦粉を少量入れ、同量の水で溶く。
少しトロッとした生地を数滴、温まった油の中へ入れた。
生地は油に少し沈むと、すぐに浮き上がってパチパチと花を開く。
「……よし、良さそうですね。魚介に片栗を軽くまぶして、揚げていきます」
店長はボウルに入ったエビとイカに片栗粉をまぶし、もみ込む。
サラサラした生地が、薄らと魚介を包んだ。
「揚げる加減の、目安とかあるのか?」
「そうですね……揚げ物の気泡は、食材や衣の水分が熱で蒸発してる状態なんですが、気泡の勢いが収まるぐらいが目安ですね。俗にいう、音が変わる瞬間ってやつなんですけど」
「なるほど……?」
試しに半量の魚介を、油の中に入れる店長。
水分の多いエビとイカは、バチバチと勢い良く油をはねる。
しばらくして気泡の勢いが収まってくると、きつね色の魚介の唐揚げが姿を現した。
「このぐらいですね。音の変化、わかりました?」
「いや……ちょっとわからなかったな」
「じゃあ、次は音を意識して聞いててください。食材が浮いて、良い揚げ色がついた後くらいに、音が変わりますからね」
「わかった」
店長は揚がった唐揚げをバットにとり、残りの魚介を油の中へ入れていく。
今度は油のはねる気泡をみながら、しっかりと聞き耳を立てるヒュプノ。
やがて、ゆっくりと油の気泡が収まっていく――
「! 言われてみると、確かに音が変わった」
「でしょ? このぐらいが目安です。それじゃ、次はえのきといんげんを揚げていきましょうか」
二回目の唐揚げをバットに上げる、えのきといんげんの入ったボウルを油鍋に寄せる。
「えのきはカリカリになるまで、しっかり揚げます。いんげんはシワシワになるくらい、二分くらい揚げます」
油の中に入れられたえのきから、細かい気泡が上がる。
焦げ色に変わっていくえのきは、上の部分が木の枝のように広がっていく。
「おお……えのきって、揚げるとこんな広がって、カリカリになるんだな」
「面白いでしょう?」
「ああ! いんげんも、良い色合いだ」
えのきといんげんをバットに上げ、店長はゼッポリーニのボウルを確認する。
生地はふっくらと膨張し、最初の倍ぐらいの大きさになっていた。
「そしていよいよ、ゼッポリーニを揚げますよ! 良い感じに、発酵もしたみたいです」
「うおっ!? 倍ぐらいにデカくなってやがる」
「へへっ。これを、普通はスプーン二本で団子にしながら、油に入れていくのですが……今日はコレ――ディッシャーを使います!」
カシャカシャと音を鳴らしながら、店長はディッシャーを取り出す。
8ccの小ぶりなディッシャーで生地を取り、ボウルの縁ですり切りながら団子を作っていく。
「おおっ! カシャカシャするだけで、どんどん団子になって、生地が油に入っていくぞ!」
「ヒュプノさんも、やってみます?」
「いいのか?」
「もちろんです!」
店長からディッシャーを受け取り、ヒュプノは生地を団子にして油に入れる。
ディッシャーのおかげで、すごい勢いでボウルの生地が団子になっていく。
「こいつはスゴい……俺でもあっという間に終わっちまった……」
「文明の利器は、利用しないとですよ」
ゼッポリーニの生地で埋め尽くされた鍋は、油がジュウジュウと勢いのある泡を立てる。
気泡に乗って、海苔の良い香りが漂う。
「一口サイズなので、すぐ……二〜三分くらいで揚がりますよ。あ、この辺とか、もう揚がってますね」
程よいきつね色になったゼッポリーニから、店長はバットに上げる。
カリッとした表面の団子で、瞬く間にバットが埋め尽くされた。
「揚がったゼッポリーネや魚介・野菜を盛り付けて、完成です! あ、ソースも付けましょうか」
大皿に揚げ物を、山のように盛り付けていく。
そしてソース用に小さなココットを取り出し、調味料を混ぜ合わせる。
「ケチャップとマヨネーズを混ぜ合わせて……簡単にですが、オーロラソースの完成です! さ、揚げたて熱々を食べましょう!」
「おお!」
完成した料理をカウンター席に運び、二人は急ぎで食事の準備を進めた。
揚げ物を、熱々で楽しむために。
「「 いただきます! 」」
席に着くや否や、店長はゼッポリーニを指で摘んで口に放り込む。
ヒュプノもそれを真似て、ゼッポリーニを口に入れた。
二人は美味しそうな表情と共に、カリカリとした子気味の良い音を立てる。
「うんッッッまいっ!! このゼッポリーネってパン、海苔の香りと油の旨みがグッときて……くうぅ! ビール飲みてぇ!!」
「これだけで、瓶ビール一本イケちゃいそうでしょ?」
「イける! 俺なら、二本目だってイけるぜ!」
ゼッポリーニの味に感動しながら、ヒュプノは揚げ物の山の中で、一際異質な形をしているえのきをつまむ。
「それに、このカリカリのえのき。食感の良さと旨みが相まって、いくらでも食えそうだ。いんげんも、アクセントになって、食べる手が止まらねぇ!」
早いペースで食べ進めるヒュプノは、イカリングにオーロラソースをつけて口に入れる。
「ンン! このソースと魚介の組み合わせも、たまんねぇな。ほどよい酸味と旨味で、揚げ物が進むこと進むこと……」
「オーロラソースは、レモン果汁を入れてサッパリさせたり、おろしニンニクを入れてパンチを出したり、アレンジしても楽しいですよ」
「へぇ~……」
ソースやゼッポリーニのアレンジの仕方を聞きながら、食事の時間が過ぎていく。
あまり料理にこだわりの無いヒュプノであったが、店長の話は楽しく聞き入っていた。
「いやぁ、今回も勉強になったわ」
「それじゃ、これが今回のレシピです。ゼッポリーネに入れる具材のアレンジや、野菜の素揚げのバリエーションも、書いておきました」
「何から何までやってもらって……すまねぇな、店長」
「いえ! そんな、気にしないで下さい!」
いつものようにレシピを用意してもらい、ヒュプノは恐縮する。
深々と頭を下げられ、店長も慌てて応えた。
「冒険者ギルドの人達に、うちの料理を楽しんでもらえるのが嬉しいんです。それに揚げ物ならお腹にたまりやすいから、ヒュプノさんの仕事も少しはラクになるかなって……」
「て、店長……!!」
「へへっ。変なこと言っちゃいましたね」
ヒュプノはレシピを受け取ると、ニカッと笑って腕まくりをしてみせる。
「店長に教えてもらった料理、酒場でとびきり美味しく作って出すからよ! 見ててくれよな!」
「はい! 頑張って下さい!」
調理と食事の片付けを終えると、ヒュプノは冒険者たちの待つ酒場へ帰って行った。