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90 え、由々しき奇手ゆえ?


「よいか。今後あの男には絶対に手を出してはならぬ」


 王都郊外に佇む『ミックス家』別荘の一室、鬼穿将きせんしょうエルンテはつい一時間ほど前にあった土下座の屈辱などすっかり忘れたように、目の前の姉妹へと語りかける。


 言葉を受けた姉のディー・ミックスはぞくりと体を震わせて、妹のジェイ・ミックスは意外といった風に眉をあげて反応した。


「何故です、お師匠様。あの男、怒りにまかせて己の手の内をさらけ出すような戯け者。私たちの敵とは思えません」

「馬鹿者。あの男の手の内があれだけと思うたか」

「……しかし」

「よう考えてみよ。ディーは完全にシルビアとやらの不意を突いたのだ」


 エルンテの言葉を受け、ジェイは黙した。


 冷静になって思い返してみれば、セカンドは食事中という最も気の抜ける時間に、それも自身ではなく隣の者に対しての不意打ちを防いだどころか、皿を使ってパリィして見せたのである。それは、単なる“反応の速さ”だけで片付くような話ではなかった。


「ディー。ジェイ。お主らは鬼穿将戦のことのみ考えよ。決して報復しようなどと思うな」

「ですが、このままでは引き下がれません!」


 ジェイは怒りを前面に押し出して食い下がる。彼女は人生で初めて土下座をしたのだ。その短くない人生の中で、まず間違いなく最大の屈辱であった。それはディーも同様であったが、姉の失態のせいで何の責任もない自分まで恥をかかされたという身勝手な被害者意識が彼女の心により一層の激憤を掻き立てていた。


「……あの黒衣の女と、謎の精霊。未だ掴み切れぬ。またあの男は一瞬にしてその姿を変えた。一体何のスキルやら、その効果が如何ほどか見当も付かぬ。勝てると思うか?」

「でしたら闇討ちいたしましょう。三人ならば、負けようもないかと」

「話にならん。ジェイ、己が上であるという考えは捨てよ。常に挑戦者たれ。油断や慢心は余裕の隙間に入り込む。己を厳しく律し続けることこそ鬼穿将への道と知れ」


 エルンテは一方的に語ると、話は終わりとばかりに立ち上がった。そして、去り際に一つだけ言い残す。


「あのシルビアという女、えらく反応が鈍い。当たらば“急戦”で攻め潰せ」


 土下座と引き換えに得た情報。ディーとジェイは「はい!」と素直な返事をする。

 エルンテは満足そうに頷き、二人に背を向けて去っていった。


 ……その顔に酷く歪んだ笑みが浮かんでいることなど、姉妹は知る由もない。





  * * *




 ショッピングの翌日。

 俺は早朝からシルビアとエコを庭に呼び出した。そう、組手訓練の開始である。


「とりあえず俺と一回ずつやろう。それから今後の方針を決める」

「うむ。よろしく頼む」

「りょうかーい!」


 今回の組手には“対局冠”ではなく“決闘”システムを利用する。どちらか一方から決闘を申請し、もう一方の受諾が得られれば成立する。決闘の設定は、タイトル戦と同様に致命傷を受けてもHPが1だけ残りスタンするルールで行うことにした。


「シルビアからだな」

「……うむ」


 少々緊張しているようだ。


 俺は見かねて「リラックスリラックス」と笑いかける。シルビアは「ああ、そういえば」と困ったように笑い、目を閉じて深呼吸すると、両手で頬をパチンと叩いて「さあ来い!」と弓を構えた。駄目だ、何も分かってねえ。


 まあ、いいや……やろうか。




  * * *




 優しげなセカンド殿の顔。

 私は胸を借りる思いで、戦闘態勢に入った。


 次の瞬間――セカンド殿の表情が、一瞬にして冷たいものへと変貌する。



 ……その直後、であった。



「――っ!!」



 気が付けば、私の顔面わずか数センチのところに矢が飛来していた。


 一体いつ射った? これは、何だ? 《歩兵弓術》か? 《飛車弓術》か? 分からない。


 ただ、これだけは分かる。絶対に当たってはいけない――本能がそう判断したのだろう。私は反射的に屈み、ギリギリのギリギリで回避した。



「ぐえっ」


 次の瞬間、私の頭部に途轍もない衝撃が加わる。

 回避しきれなかったか? 否、追撃だ。


「いっ、あぐっ、うがっ」


 2発、3発、4発……私は回避もままならず、次々と矢を喰らう。全てが頭部に、まるで吸い寄せられるようにして直撃する。


 ぐらぐらと脳が揺れた。思ったよりも痛みはない。が、セカンド殿の姿をまともに捉えられない。


 そうして、何一つできないまま、私は意識を手放した。






「っは……!?」


 目が覚めて、理解する。負けた。完膚なきまでに。


「だいたい分かったぞ」


 仰向けに倒れる私の横で、いつもの通りの表情でそんなことを言うセカンド殿を――私の最愛の人を――目にして、初めて「怖い」と思った。

 彼は、私を殺そうと思えばいつでも簡単に殺せるのだ。それこそ、赤子の手を捻るように。


 ……何故だろう。私は恐怖と同時に、不思議な興奮を覚えた。


 彼に全てを握られている。その恐怖に決して抗おうとせず、身を委ねてしまうことが、凄まじい快感に思えたのだ。

 もっと教えてほしい。もっと愛してほしい。沸々と湧き上がる感情。私はそういったおかしな高揚感を噛みしめながら、セカンド殿の背を見送った。



 そして、エコとの決闘が始まる。


 私の時と似たようなものであった。


 しっかりと盾を構えながらも腰が引けているエコに対し、セカンド殿はまるで散歩にでも出かけるかのようにのほほんと、しかし確実に歩み寄り、距離を詰めていった。


「っきゃ!」


 1発、2発、3発。どんどんと攻撃が入っていく。

 エコが必死に抵抗しようにも、その全てが《銀将盾術》のパリィで返され、エコの方へとダメージが蓄積していった。


 それから30秒と経たないうちにエコは気絶し、セカンド殿が勝利する。



 ……あまりにも一方的であった。


 いくら何でも、一発は与えられると思っていた。多少のステータス差はあれど、条件は対等のはずなのだ。【盾術】に関してはむしろエコの方が有利である。


 しかし、手も足も出なかった。


 何が違う? 何の差だ? 私たちとセカンド殿との間に差があり過ぎて、全く分からない。



「じゃあ朝メシ食った後に方針伝えるわ」


 今後、その差が埋まることがあるのか。だとすれば、どのような方針でどのような訓練をするというのか。


「…………うむ!」


 気になって仕方がない。

 私の心の奥底で、何かが静かに燃え上がったような気がした。




  * * *




 勝負以前の問題。


 ……俺の出した結論である。


 シルビアとエコからは、勝とうという気概が微塵も感じられなかった。

 死を恐れているのか、痛みを恐れているのか、それとも戦いたくないのか。分からない。


 そもそも、彼女たちは本当にタイトルを獲得したいと思っているのだろうか?

 もしも半端な思いなのならば、やめておいた方がいい。そう考え直さざるを得ないほどに、二人の戦いは酷いものだった。



「このままではタイトル獲得はおろか初戦敗退だ」


 隠していても仕方がないので、ストレートにそう伝える。


 二人は「やはり」というような顔で頷いてから、ゆっくりと口を開く。


「私とエコの気持ちは既に決まっている」

「あたし、でたい。たいとるせん。むらのみんなを、よろこばせたい」

「うむ、私も出場したい。特に、ディー・ミックスには負けるわけにいかない」


 二人の決意は、思いの外、相当に固かった。


 そうか……では、方針を伝えようか。



「これから残りの期間全てで、覚えられる限りの“奇襲戦法”を身に付けてもらう。基礎? 常識? クソ喰らえだ。いいか? お前らは弱い。どうしようもなく弱いが……まぐれで一発ブチかましてやれるような、爆発力のある出場者になれ」



 当初の予定では、基礎からみっちり教えるつもりだった。それこそ、それぞれのスキルにおいて存在する“定跡”と呼ばれる緻密な戦形の変化や、“手筋”と呼ばれる有効なスキルの繋がり、“寄せ”と呼ばれる終盤の鋭い決め手、などなど。俺の中にある対人戦の全てをパーペキに暗記させ、その身に刻み込ませて、いちいち意識せずとも体が勝手に動くようになるくらいまで育成しようと思っていた。


 だが。二人の現状では、残り3週間足らずで基礎から教えたところで初戦敗退は確実。また来季ということで、俺はそれでも一向に構わないが、恐らく二人は納得しないだろう。


 で、あれば。もう、奇襲戦法という名の“ハメ手”を使うしかない。


 PvPにおける奇襲戦法は、しっかりとした対応をされてしまえば、厳密には「受ける側が有利」である。


 だが、これまでの経験からして「初見で奇襲戦法を完璧に受け切れる者などこの世界には存在しないだろう」というのが俺の予想だった。何故なら、この世界の人間が奇襲戦法への正確な対応を知っているとは到底思えないからだ。


 奇襲という名の奇手ならば、格上相手でも一発入る可能性がある。


 きっと奇襲された相手はたまったものではないに違いない。突如として予想外の由々しき事態へと陥り、冷静に受けなければならない状況にも関わらず、その内心は焦りまくりの大混乱となるだろう。ペースを乱されるだけで終わればいいが、一度乱してしまえば多分流れのままに押し切れる。狙いはそこだ。


 他のタイトル戦出場者は少々かわいそうなことになるだろうが、これも勉強だと思って懲りずにまた来季挑戦してほしいところである。



「奇襲戦法か。ふむ、望むところだ」

「きしゅーする、きしゅー!」


 シルビアもエコも、かなり乗り気だ。


 よし。


「特訓開始だな」




  * * *





 一人の男が王都ヴィンストンへと入った。

 年に二回。この季節になると、男は必ずこの街を訪れる。


 男は名をロスマンといった。


 歳は40半ば。短い黒髪に少し後退した前髪、中肉中背の体格、少し皺のある目元と、気持ちの悪いほどに鋭い眼光をした、何処にでもいそうな風貌の中年である。



 人は皆、彼を「一閃座いっせんざ」と呼ぶ。



「ロスマン一閃座、お待ちしておりました」


 彼を出迎えた男は、身長2メートルはあろうかという大男。


「おや、お久しぶりですねガラム君。大剣はやめたのですか?」

「ええ。ワケありまして」


 第二騎士団所属騎士ガラム。彼は先の内乱の責任を取って副団長の座を降り、現在は平の団員として無償の労働を行いキャスタル王国に奉仕している。彼の処分がこれほどに軽くなった理由は、ひとえに彼の人徳によるものであった。


 彼もまた、冬季一閃座戦へと出場する者の一人である。


「なるほど。はてさて誰の入れ知恵か」

「一人、面白い男がおりますよ」

「おおこれはこれは、楽しみだ……」


 にんまりと笑うロスマンの顔を見て、ガラムのその巨体に怖気が走った。


 ロスマンは、もうかれこれ20年以上の間、一閃座の名を有したままである。彼の実力は誰もが知っていた。そして、過去に剣を交えたことのあるガラムは、誰よりも。


「退屈しのぎになるでしょうかねぇ」


 随分と楽しみな様子であった。


 しかし、ガラムもまた存外に楽しみな様子であった。それは、このロスマン一閃座と当たるだろうあの男との死闘を想像してのものに相違ない。


「今季は荒れるやもしれません」


 ガラムの本心からの呟きに、ロスマンはくつくつと喉を鳴らして笑った。



お読みいただき、ありがとうございます。


しばらく不定期更新。

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