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299 夜来たか、浴衣着るよ


 ファーステストの敷地内、西の沢のほとりにある旅館風の和風屋敷には、大きな露天風呂があった。男湯と女湯に分かれており、同時に十人以上が入れる程度の広さに設計されている。


 屋敷に入ってすぐのラウンジのような広々としたくつろぎスペースには、常に数人の使用人が控えており、飲食物の注文を行えた。卓球台やボードゲームなどの娯楽もあり、リクライニングチェアやソファでは仮眠もとれる。


 客室も二十部屋以上存在し、宴会場まである始末。その気になれば本当に旅館として営業できるほどには設備が揃っていた。


 究極の無駄遣い――セカンド以外のパーティメンバーに言わせてみればそうであった。


 しかし、こうして役に立つ日が来ようとは……。




「何度も思うが……最高の環境だ」


「違いない」



 ソファにゆったりと腰掛けた浴衣姿のヘレス・ランバージャックが口にすると、その隣で同じようにしてくつろいでいる浴衣姿のアルフレッドが短く返した。


 浴衣はファーステストの備品である。風呂上がりに着替えられるよう、毎日新しいものが用意されるのだ。



「アルフレッド殿は、今どのような修練を?」


「私は魔術を覚えている途中だ。否、魔魔術か」


「なるほど、魔乗せをできるようにと」


「そう。そちらは?」


「見かねたのだろうな。通りすがりの貴殿のお弟子さんに、弓の扱いを教わったよ」


「ははは、弓を覚えているのだな。ならば私にも助言ができそうだ」


「それは嬉しい! 剣を覚える時は言ってくれ」


「是非」



 二人は風呂上がりに浴衣姿で冷えたドリンクを飲みながら、ラウンジで情報交換をしている。


 合宿が始まって、かれこれ一週間。これが二人の日課となりつつあった。



「しかし、過去にこのような環境があっただろうか?」


「ない。タイトル戦出場者がここまで集うようなことすら滅多にないだろう」


「うむ。そして……浴衣姿のタイトル戦出場者を間近で見られるような機会もない」


「風呂上がりの女性というのは、なんとも言えぬ美しさがある」


「同意だ。大いに」



 ヘレスとアルフレッドの視線の先には、使用人に飲み物を注文するヴォーグの姿。


 彼女もまた、このラウンジの常連であった。


 ここに来る者は、歴戦の猛者ばかり。とても良い情報交換の場である。上昇志向の強い彼女にとっては、利用しない手はないのだ。



「ヘレス、彼女が気になるならば話しかけてきてはどうか」


「私はナンパには自信があるが、しかし、心に決めた人がいるのでな」


「そうだったか」


 ヘレスはまだそれが女装をしたセカンドであると気付いていない。



「おや、先を越されたようだ」


 そうこうしているうちに、ヴォーグへと突撃する者が一人。



「お久しぶり。ここ、いいかしら?」


「どうぞ。私も暇をしていたところだから」



 シェリィ・ランバージャックである。


 ヴォーグはフランクに話しかけてきたシェリィに着席を促すと、リラックスした様子で足を組み、ミックスジュースをストローで少し吸い上げて口を湿らせた。


 シェリィはその様子を見て、少しホッとした顔で向かいの椅子に座る。



「あいつ……何か失礼をしないか心配だ。見てくる」


「いや、待て。大丈夫そうだ」


「何?」



 不安になったヘレスが同席しようとしたところ、アルフレッドが引き止めた。


 何故ならば、ヴォーグが笑っていたからだ。



「……杞憂だったか」


「昨日の敵は今日の友というわけだ」



 シェリィとヴォーグは、霊王戦で当たる敵同士。しかし、プライベートでも敵対し合っているかといえば、そうではない。


 特に今回の場合、共通の敵・・・・がいたため、打ち解けるのにそう時間はかからなかった。



「信じられる? あの男、開口一番にこう言ったのよ。そのペットを逃がしてこい、って!」


「私も言われたわ。流石にペットとは言われなかったけれど、さっさと逃がせって。私が、アクアドラゴンも? って聞いたら、死んでもいいなら残せって言っていたわ」


「……残したの?」


「逃がしたわ。死にたくないもの」



 彼女たちは、セカンドに「テイムしている魔物を逃がせ」と言われたようである。



「でも、アクアドラゴンクラスの魔物が駄目なんでしょ? じゃあ一体どんな魔物ならいいのかしら」


「あの狼女くらいかしらね?」


「……ヤバいわね」


「でも、きっと日中は動けないわ。陽の光に弱いのよ、あの魔人」


「それ本当!? やっぱり! 私も薄々そんな気がしてたのよ!」



 風呂上りのリラックス効果のせいか、ヴォーグは口を滑らせた。ただ、別に教えてしまってもいいか、とも考えての言葉であった。


 情報を隠すことで得られる優位性は、言わば「時代遅れ」になりつつある。この合宿で起こっている大きな変化を間近で見て、そう肌で感じていたのだ。



「えらく盛り上がってるな」


「楽しそうだ、遠目に見ていてもわかる」


「シェリィめ、いつの間にやら社交性を身に付けたか」


「良いことだ」


「昔のあいつを見れば、奇跡に思える変化だ」


「それは、是非とも見てみたいものだが」


「見ない方がいい。頭を抱えたくなる」


「余計に気になるが、そのような状態から如何にして変化できたのか、そちらの方が気になるな」


「それは私もだ」



 嫉妬に暴走して死にかけて人前で失禁した結果こうなったと知ったら、二人は呆れるだろう。



「おや? あれは」


「ロックンチェア殿と、ロスマン殿か」



 すると、ちょうど風呂から出たばかりの二人が、何やら話しながらラウンジを通り過ぎようとしていた。



「や」


「どうも」


「これは! ヘレスさんにアルフレッドさん、どうも」


 ヘレスたちが声をかけると、ロックンチェアは笑顔で立ち止まって、挨拶をした。



「へぇ、皆ここでくつろいでいるのですねぇ」


 ロスマンは小さく会釈をした後、きょろきょろと辺りを見回して、そんなことを口にする。



「ロスマン殿、ここは初めてですか?」


「ええ。いつもはレイヴの修練に付き合ってますから」


「夜遅くまで修練しているのですか。私も見習わなくては」



 ロスマン親子の勤勉な姿勢に感心するアルフレッドに、半ば呆れ笑いといった具合でロックンチェアが返す。



「セカンドさんは、本当に四六時中といった感じですけれどね」


「……あれは真似できませんねぇ」


「流石は私のライバル、負けていられない」


「素晴らしい活力だ」



 呆れるロスマン、燃えるヘレス、目を輝かすアルフレッド。三者三様の反応に、ロックンチェアはくすりと笑った。



「いやはや、どうして自宅にこんな温泉旅館を作ろうと思ったのか。やはり八冠は考えることが違う」


「ヘレス殿、先程からそればかりだな。余程気に入ったようだ」


「これだけ大きいと、管理も大変でしょうねぇ。私には理解ができませんねぇ」


「セカンド八冠は、今のような状況を想定していたということではないか? 私はそのように思う」


「アルフレッド殿、やたらとセカンド八冠の肩を持つなぁ」


「恩があるのでな」


「律儀な方ですねぇ」



 他愛のない話をする三人を楽しそうに見ていたロックンチェアは、ふと気になったことを口にする。



「それにしても広すぎますね。問題にはならなかったのでしょうか」


「む、確かに」



 キャスタル王国としては、このファーステスト邸がどのような扱いになっているのか。ロックンチェアは、兄のブライトンがカメル神国の土地問題で四苦八苦しているのを思い出し、参考程度に尋ねてみることにした。



「セカンド八冠は、ジパングという国の出身だと聞いたな。キャスタル王国民ではないのでは?」


「そうですねぇ。ガラムからは、ジパング国の大使だと聞いたことがありますよ」


「ほう、大使か……大使!?」


「え、ということは」


「免税? この土地も? 何もかも……?」


「……それは、凄まじいですねぇ」



 恐ろしい事実に気付いてしまった四人。



「そうか、だからか! この敷地内では、キャスタル王国の法律ではなく、ジパング国の法律が適応される。ゆえにあれほどメチャクチャができるというわけだ」


「なるほど、だから聖女を……」


「聖女?」


「ゲフンゲフン! いや、すみません。成長・・するのに相応しい土地だと」


「ああ」



 ヴォーグよろしく“リラックスうっかり”で口を滑らせるロックンチェアだったが、土壇場で誤魔化した。


 そうして四人が戦慄していると、次なる風呂上がりの男二人が現れた。




「凄いよ、クラウス。日に日に帰りたくなくなる」


「陛下、ご安心を。私も同じ思いです」


「ボクより活き活きしてるもんね、クラウス」


「毎日が楽しくて仕方がありません。それもこれも、陛下が私を傍に置いてくださったからです」


「なら、母様とセカンドさんに感謝すべきだよ。ボクは最後に判断したまでだから」


「フロン王太后陛下、セカンド八冠にも、同じだけの感謝を。しかし陛下には、それ以上の感謝を申し上げたく」


「……兄上、いつもより饒舌ですね」


「……すまない、マイン。本当に楽しくてな、柄にもないことを言ってしまった」


「いいんです、わかってますから。ボクも兄上が楽しそうで嬉しいです」


「ありがとう。オレも、お前の優しさをよくわかっている。いつか必ず返すから、覚悟しておくといい」


「うん、そうしておきます」



 キャスタル王国国王のマインと、その護衛のクラウスだ。


 二人は浴衣姿で、楽しそうに会話していた。遠目から見れば、ただの仲の良い兄弟のように。



「兄上、やっぱり浴衣を着ておいてよかったでしょ?」


「ああ。皆、着ているな。しかし、護衛には不似合いな恰好だ」


「浴衣だろうとなんだろうと護衛をこなせんのが一流だ。なーんて、セカンドさんなら言いそうですよね」


「確かにな」


「それに、浴衣姿の方が敵の油断を誘えるかも?」


「マイン、お前は柔軟なものの考え方をするな」


「えへへ、兄上に褒められてしまいました」


「ふっ」



 ゆっくりと歩く二人の進行方向には、税金の話で盛り上がる四人組がいた。


 四人組はマインたちの存在に気付き、慌てて姿勢を正す。


 すると、マインは苦笑いで両手を前に出して「落ち着いて」というようなジェスチャーを見せる。


 それから、開口一番にこう伝えた。



「ボクも皆さんも浴衣姿ですから、変に畏まらず、ゆったりとしていた方がいいと思いませんか?」



 ユーモアを交えた上手い言い回しで、挨拶も省略し、無礼講を提案したのだ。


 それもそうですねと頷きやすい、とても気の利いた一言だった。



「いやあ、凄いな。国王陛下までいらっしゃった」


「マイン陛下に、タイトル戦出場者に……このような環境、他にはないな」


「そもそも家の敷地内に温泉旅館とお城がある人なんて、ボクは他に知りませんけどね」



 そして、ユーモアにはユーモアで返しやすい。相手の返しにまで気を遣った一言だったのだと、クラウスはそこで気付き、マインの思慮深さに感心する。


 一気に和らいだ空気。これは聞ける流れだと、ロックンチェアはヘレスに続いて口を開いた。



「陛下、いらっしゃって早々に不躾な質問で申し訳ございませんが……セカンド八冠のこの家の敷地、広すぎやしませんか?」


「本当ですよ! 困っちゃいますね。キャスタル王国駐箚ジパング国特命全権大使ですから、この敷地、大使館扱いですし」


「え、全てですか?」


「そうですよ。後出しでボクの断れないタイミングで狙いすましたかのように申請してくるんですから、頷くしかないじゃないですか」


「陛下はセカンド八冠に甘いきらいがあります」


「クラウス、黙ってて」


「は」



 マインはため息まじりにセカンドに対する愚痴をこぼす。


 皆はそれを聞いて、呆れるよりなかった。



「しかもパーティーメンバーの国籍もちゃっかり変えてて大使館職員扱いですし、使用人は全員奴隷ですから、セカンドさんの所有物という扱いでもちろん免税です。これ絶対セカンドさん一人の知恵じゃないですよ。きっと軍師さんに違いありません」


「えぇ……」


「新聞社は黙らせてるみたいですから誰も指摘しませんし、そのうえ新生R6の活動で治安も良くなってて王都民からの評判も右肩上がりですし、やりたい放題ですね。もうっ」



 堰を切ったように愚痴が噴出するマインだが、その顔は何故だか少しだけ嬉しそうだった。



「というわけですから、ロックンチェアさん、あまり参考にしない方がいいですよ」


「!」



 ロックンチェアが兄の統治の参考にしようと聞いていたことに気付いていたマインが、にっこり微笑んで指摘する。ロックンチェアは不意に肝を冷やし、「失礼いたしました」と頭を下げた。



「ところで……肝心のセカンド八冠は何処へ? かれこれ三日は会っていないが」


 セカンドの話題で盛り上がる中、ふと疑問に思ったヘレスが口にする。



「私は一昨日にお会いしたが」


「私は昨日ですねぇ」


「私も昨日お会いしました」


「ボクとクラウスは、今朝が最後ですね」



 おお、とマインに注目が集まった。


 今、セカンドは何をしているのか。



「そういえば、誰かを呼びに行くと言っていました」



 マインは今朝のことを思い出し、暫しの沈黙の後、口を開いた。




「なんでも――先生・・が増えるようですよ」



お読みいただき、ありがとうございます。


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次回更新情報等は沢村治太郎のツイッターにてどうぞ~。


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