331 君臨、苦
* * *
《変身》する。
ポーションを飲む。
《銀将抜刀術》を放つ。
すべきことは、これだけだ。
たったこれだけ。何も難しいことじゃない。
“不死龍”が湧いた。
3回目のはばたきが終わり、翼が上に来たタイミングで《変身》を発動すれば、8秒後にちょうど目の前へ来ている。
――目を瞑れ。
暗闇の中には、常に自分がいた。
超えるべき自分だ。
毎日出会い、毎日超えてきた。
できる。
それは呼吸するように自然なこと。
――音を聴け。
《変身》には“音”がある。今が何秒なのかは、俺の体が知っている。
さあ、ポーションを飲もう。
音はここだと告げている。
飲んだら次は、《銀将抜刀術》だ。
不死龍はきっと目の前。
……七世零環の抜刀が、当たった感触。
目を開ける。
ダメージは――
12,244,402
* * *
メヴィウス・オンラインには、“過回復”という状態が存在する。
過回復とは、HPやSPなどが上限を超えて回復している状態を指す。
その状態を作り出す方法は非常に限られているが、最もポピュラーなものとしては、《変身》の無敵時間を利用することだ。
変身直後の無敵8秒間は、ダメージを受けないわけではない。ダメージが“保留”され、変身完了後に全て無効化されるため、無敵なのである。
この保留はダメージに限らず、回復にも当てはまる。
無敵8秒間に上限を超えて回復した数値は、保留状態としてステータス上に存在するのだ。
すなわち、HP10000/10000のキャラクターが無敵時間中にポーションで300回復したとすると、変身完了までの間のHPは10300/10000となる。
これが過回復の状態だ。
一見すると、全くの無意味。その上、たったの数秒しか維持できない。
だが、この過回復状態を唯一活かせるスキルがあった。
【抜刀術】である。
【抜刀術】の純火力は、(STR+DEX+AGI+VIT)/5.12+残SP/10^4(帯刀時火力128%)という式によって計算される。
このおまけのように足されている残SPを10の4乗で割った数値が、【抜刀術】においてはVIT貫通攻撃となる。ダメージとしては微々たるものだが、VITが高くHPが低い特殊なスライム系の魔物などには効果絶大だ。
このVIT貫通攻撃部分を過回復によって爆増させるというのが、唯一の活用法であった。
では、どのようにして爆増させればよいのか。
単純にポーションをがぶ飲みしたところで、大したSPにはならない。そもそも、無敵8秒間のうち自由に動ける2秒間で飲めるポーションは1つが限界である。
ここで、【数術】が活躍する。
通常、【数術】によって付与できる倍数は九段で3.00倍が最大値。加えて、バフポーション類への数術付与には倍数キャップが存在するため、効果にも限界があった。
だが、回復系ポーションにおいては、その限りではない。
何故なら、コストが上回るのである。過剰な回復量を持ったポーションに需要はないと考えられていたためだ。
必要以上に回復するポーションは、その分の《調合》の手間や素材が無駄になる。HPやSPの最大値ほどの回復量があれば、それだけで十分なのだ。
それゆえか、回復系ポーションにのみ、数術付与の倍数キャップが存在していないのである。
「スタ爆って……本当にあれをやるんですか?」
「ワタシ知りません。なんですかそれ?」
ラズベリーベルの口にした“スタ爆”という単語を聞いたリンリンは、ドン引きの表情を浮かべる。
一方、零環は“スタ爆”について何も知らないようであった。
当然と言えば当然である。“スタ爆”は【抜刀術】実装後、しばらく経ってから発見された裏技なのだ。【抜刀術】実装後のメヴィウス・オンラインを知らない零環は、辿り着けなくても仕方がないと言えた。
そして、辿り着けない理由はもう一つ。
《変身》の無敵8秒間のうち、自由に動けるのは2秒間のみ。ポーションを飲み始めてから飲み終えるまでの時間が――1.45秒。
自由に動けるようになった瞬間、寸分の狂いもなくポーションを飲み始められたとしても、その過回復状態を活用できる時間は「0.55秒」しかないのである。
たったの0.55秒で何ができるのか?
……たった一つだけ、理論上は、できることがあった。
《銀将抜刀術》である。
【抜刀術】の中で最も早い攻撃方法は、溜めゼロで《銀将抜刀術》を放つこと。
スキル準備開始から発動まで――0.52秒。
ギリギリ0.55秒以内に収まる。しかし。
「SPを過回復で爆増させて、銀将抜刀術を当てる。抜刀術のVIT貫通ボーナスで異常なダメージを出す裏技や」
「……No way」
「猶予は合計0.03秒しかあらへん。0.015秒ビタでポーション飲み始めたあと、0.015秒ビタで銀将抜刀術を繰り出すっちゅう無茶苦茶やで」
無敵時間6秒経過時点から0.015秒以内にポーションを飲み始め、ポーションを飲み終えてから0.015秒以内に《銀将抜刀術》を準備・発動しなければ、“スタ爆”は成功しない。
《銀将盾術》の反撃パリィでさえ、猶予は0.027秒。その上、敵の攻撃を目視できるため、タイミングを計ることができる。
全くの目視なしで、0.015秒以内の判定を2回連続成功させる――これは、並大抵の難易度ではない。
「多分、馬鹿みたいに練習してるんで、あの人。成功させますよ」
「せやな」
リンリンはセカンドの成功を確信していた。
これまで幾度となく見てきたのだ。彼の、本番の強さを。
それは、ラズベリーベルも同様に。
「百聞は一見に如かず、ですネ~」
零環は、とても楽しそうな笑みを浮かべて、どかっとその場に座した。
胡坐をかいて、落ち着きなくゆらゆらと揺れる彼の、その両の眼は、少年のようにキラキラと輝いている。
「……来ますね」
そろそろ、アジ・ダハーカが倒れて1分が経とうとしている。
リンリンの呟きに呼応するように、セカンドはインベントリから一本のポーションを取り出した。
スタミナウルトラポーション(*4782969.00)――アイテム名は、そのようになっている。
「あれは、うちが調合してん」
ラズベリーベルが、鼻高々にそう言った。
スタミナポーションは、《調合》スキルによって7段階強化が可能となる。
回復量100のスタミナポーション
→300のスタミナポーション+
→900のスタミナポーション++
→3000のスタミナハイポーション
→4500のスタミナハイポーション+
→6000のスタミナハイポーション++
→10000のスタミナエクスポーション
→20000のスタミナウルトラポーション
このように、調合強化によって回復量も上がっていく。
その《調合》の工程それぞれに《数術》の3.00倍を付与することで、最終的に凄まじい倍率を掛けることが可能となる。
具体的には、スタミナポーション(*3.00)3個を《調合》《*3.00》することでスタミナポーション+(*9.00)となり、さらにこの3個を《調合》《*3.00》することでスタミナポーション++(*81.00)となる。
上位ランクのポーション調合には必ず下位ランクのポーションが3個必要となり、1個+1個+1個という風に内部的に調合処理が2回行われるシステム上、《数術》の倍数はポーション調合1回につき2回掛かってくる。
こうして《調合》《3.00》を続けていった結果、最終的な倍数は「4782969倍」となり、スタミナウルトラポーション(*4782969.00)が出来上がるのだ。
このポーションを作るためには、《数術》によって同倍数の付与されたポーションを3個ずつ《調合》する必要がある上、それ以外にも各ポーションに応じた素材が別途必要となり、加えて《調合》スキルのランクも如実に影響してくる。
そのため、一から全て自分で《調合》しようとすると、とんでもない手間がかかってしまう。
だが、各段階で《数術》の倍数を掛けていくには、必ず全てを手作りしなければならない。
……この「スタミナウルトラポーション(*4782969.00)」を完成させるにあたって、ラズベリーベルは2000個を優に超える数のポーションを手作業で《調合》していた。
たった一つのポーションのために、そこまでの労力をかけていた。
まさしく愛である。
そして、それだけ手間暇をかけたポーションが、わずか2秒間のために、今、消費されようとしている。
「出た……!!」
スタンピードイベント最終ボス、“不死龍”が出現した。
全身がタールに浸ったような、黒々とした光沢のある鱗に覆われた、体長15メートルを超える不気味な翼竜である。
空から飛来した不死龍は、翼を大きく広げて悠々とはばたき、下降してきた。
「皆、よう見とけ。8秒やで」
セカンドが《変身》を発動すると同時に、ラズベリーベルが小声で告げる。
場は異様な緊張感に包まれ、静まり返っていた。
誰もがその瞬間を見逃さないようにと、固唾を呑んで見守っている。
変身開始から6秒経過、セカンドがスタミナウルトラポーション(*4782969.00)を使用する。
そして…………一閃。
一撃――12,244,402ダメージ。
プレイヤー以外の誰も彼もが、今、目の前で何が起きたのか理解できなかった。
しかし、その余りにも鮮烈なダメージだけは、くっきりと目に焼き付いて離れない。
1224万。
彼らは一生、その数字を忘れることはないだろう。
そして、彼の背中の「世界一位」という文字の意義を理解する。
忘れていた呼吸を取り戻し、心臓がドクンドクンと大きく鳴り出した頃、彼らは心の底から実感を覚えた。
“伝説”を目の当たりにしているのだと。
そんな男と同じ時を生きているのだと。
それは、なんと、なんと尊いことなのだろうと。
「あえて見せてん、センパイ」
「あえて?」
「この世界は、こういうこともできるんやぞっちゅうことをや」
「……つまり、こういった知識をも、彼らに教えてしまおうということですか?」
「そうなんやない?」
「それは……」
危険過ぎる。リンリンはセカンドの考えに、俄かには賛同できなかった。
だが、セカンドの性格を考えれば考えるほど、頷ける話でもあった。
ブーストをかけているのだ。
そもそも人にものを教えるというのが好きな人ではなかった。リンリンの目にはそう映っていた。
しかしこの世界では、大勢の人に手取り足取り様々なことを教え、まるでサブキャラクターかのように手塩にかけて育成しているではないか。
それは何故か?
……ああ、誰もわかっちゃいない。
オレにはわかると、リンリンはセカンドの背中の文字を見つめて同情する。
彼には彼なりの苦しみがあった。
現状では、虚しいだけなのだ。
こんな世界一位では、虚しいままなのだ。
だから育成する。
早く匹敵せよと、早く比肩せよと。
本当の、本物の、価値ある世界一位となって、再び君臨するために。
「…………?」
セカンドは、不死龍を一撃で斬り伏せてから、一歩たりとも動かないでいた。
余韻に浸っているのかと、皆はそう思っていた。
しかし、余りにも動かなさ過ぎる。
不自然に思ったラズベリーベルは、迎えに行こうと観戦場所から歩み出た。
「――来るな」
「!」
背を向けたままのセカンドが、ラズベリーベルへと静かな声で伝える。
ラズベリーベルはどうしてかわからないまま、その場で止まって言葉の続きを待った。
「不死龍を倒した時点で、報酬のドロップがなかった」
「……う、嘘やろ……っ」
ボス討伐の報酬は、ボスラッシュが全て終わった瞬間に、参加者それぞれの功績に応じて抽選され、一斉に参加者の足元へとドロップする。
今回のボスラッシュ参加者は、セカンドのみ。ゆえに、5体目の不死龍が倒れた瞬間、セカンドの足元へと5体分のボス討伐報酬がドロップするはずであった。
しかし、ドロップがないということは――。
「まさか、6体目……?」
その可能性を疑うよりない。
この世界は、アップデートされている。以前からセカンドが指摘していた懸念だ。
ラズベリーベルは、リンリンは、零環は……祈った。
そうであってほしくない、と。
6体目のボスともなれば、不死龍が比にならないレベルの強さであることは想像に難くない。それを完全初見で、現状の不完全なステータスで、本当に死ぬ世界で、戦うことになるなど、恐ろし過ぎて考えたくもないのだ。
だが、セカンドは違った。
「しまった~、終わったと思ってタイマー止めちまったよ」
そう言って、ぽりぽりと頭を掻く。
ちらりと見えたセカンドの横顔に、リンリンが心底辟易したような表情で口にした。
「あーあ、笑っちゃってる……」
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