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内政が楽しくてはしゃいでいたら、「恋愛していなかった罪」で女神様にやり直しさせられました!

作者: 雪野原よる

「……やり直しを要求しますわ」


 久しぶりに見る女神様は、それはもう怒っておられた。


 蒼玉の如き双眼が、きりりと吊り上がってこちらを睨み付けてくる。その目はとても大きくて、印象としては顔の半ばを占めるくらい、これが普通の人間だったらちょっとした異常か、それとも不世出のアイドル様か、というところなのだが、なにせ神様なので不思議と違和感がない。二次元の美少女じみた女神様なのだ。


 ちょっと悪役令嬢っぽいけれど。喋り方とか。



「貴女、自分の使命を何だと思っていらっしゃいますの?! わたくしが何のために貴女を転生させたと? 八十九年前、貴女をこの世界に転生させたときに、言いましたわよね、はっきりと! 覚えていらっしゃるの?!」

「ええと、もちろんですよ」


 私はにっこり笑って、堂々と答えた。


「内政、ですよね?」


「恋愛よ!!!!!!」



 返ってきたのは、もはや悲鳴に近い怒号のような声だった。


 どうやら、私は女神様の虎の尾を踏み抜いてしまったらしい。






 八十九年前、平凡な女子高生だった私はごくありきたりな(?)トラック転生によって、女神様の管轄する異世界に生まれ変わった。


 やや寂れた領地を持つ伯爵家の娘。冴えない役人風の父、おっとりした母、活発な弟たちに囲まれ、贅沢三昧とは言えないがそれなりに心豊かにすくすく育った。どうやら私はドアマット主人公ではないらしい。幼少期からの粗暴な婚約者もおらず、将来的に浮気男に嫁がされて白い結婚を言い渡されそうなほど行き詰まった状況でもない。ただ、領地の経済は停滞しきっている上に、日々の生活を便利にするような物品はまるで開発されておらず、その年の冬が厳しければそこそこの数の凍死者が出る……



 N A I S E I !!


 これはもう、内政するためにあつらえたような境遇……


 私の転生は、内政のためにある!



 それなりにラノベ、ネット小説を嗜んだ私は拳を握った。たかが女子高生の浅知恵(それとラノベ知識)しかなくても、無我夢中で突き進み、努力を重ねるうちに、本当にラノベの定番(テンプレ)のような展開が起こって回り始めたのだ。これはもう「面白い」しかない。



 まずはド定番のマヨネーズ作り。私は別にマヨネーズに思い入れはないし、失敗したらマズいものだ(食品衛生上の問題で)と思いながらも手をつけてみたのだけれど、これがするりと成功してしまった。そして、転生者なら一度はやるであろう、ふかふかパン作り。ポテトチップス。唐揚げ。サンドイッチ。アイスクリーム。味噌。減塩料理。カレー。チョコレート。


 石鹸。化粧品。公衆衛生。上下水道。温泉。九九一覧表。洗濯機。冷蔵庫。ドライヤー。もはや何でも有りである。なんでこれが成立するのか分からないものまで成功してしまうこの世界がいっそ怖い。だが、完全に内政脳になった私は突き進んだ。


 国一番の富裕貴族となった財力を活かし、本命の改革に取り掛かる。領民の労働環境を向上させるのだ。具体的に言えば休日を取らせ、医療や見舞金制度を整え、汚職や搾取を取り締まった。人々の生活に大きな影響を及ぼしているのは教会なので、そこは教会の神官とタッグを組んで当たった。そして、子供たちの教育制度を拡充し、女性の権利を向上させ……


 ひたすらに内政に打ち込んだ。


 恋愛? 知らない言葉ですね……


 王子様? 夜会? 婚約?




 そんなものより内政だ!!!!




 そうして歳月が流れ、私は多くの人に惜しまれ、「もはや事実上の国母」と呼ばれながらも実り多き八十九歳の生涯を終えたのだった……




〈完〉




 とはならないもので。


 私は激怒した女神様に呼び出され、魂だけとなった身で滅茶苦茶怒られている。


「わたくしはジャンル『異世界恋愛』の女神なのですわ! ジャンル『ファンタジー』の女神ではないのです! 恋愛要素ゼロで終わるなんて、わたくしの神権そのものが貶められたようなものですわ」

「神様にジャンルとかあるんですか」

「あるんです!!」


 金のドリル髪を忌々しそうに後ろに払いながら、女神様は私を睨み付けた。


「わたくし、抜かりなく用意しておいたはずですわ! 貴女の一番傍に、それはもう恋に落ちるのにちょうどいい、どこからも文句の出ない美形を配置しておいたはずです。それをまるっと見過ごすなんて……」

「え、そんな人員いました?」


 どこからも文句の出ない美形。それは結構難しいことなのではなかろうか。世の中には枯れ專とかデブ專とか平凡厨とか、さらに一歩回って美形アレルギーの人だっているのだ。誰からも好かれる美形? それはもはや人に合わせて姿かたちを変える異次元生物とかそんな感じでは?


「ちょっと!!! また妙なことを考えていますわね?!」

「いや、どうしてもそれが誰だか分からなくて……」

「大神官エーデルフですわ!!」

「あー……」


 確かに美形だ。


 正直、


(今、女神様に言われるまで気付かなかったけど……)


 それに彼は、もはや同志というか兄弟というか、そんな感じだ。


 教会の高位神官であるエーデルフは、神託によってあらかじめ私のことを知らされていたらしい。初めて出会った時、上から下まで黒を基調とした神官衣をゆったりと纏った彼は、にこやかに微笑みながら私に握手を求めてきた。


「貴方が、神によって遣わされた転生者の方ですね。この地に一層の繁栄をもたらして下さると聞いています。及ばずながら、私も貴方の力になれるよう努めましょう」


 年の頃は私の少し上くらい。高位神官というよりは、穏やかで頼れる近所のお兄さんという感じで、本人もそのつもりでいただろう。なにしろ最初から、貴族女性に対する優雅な礼とかじゃなく、男同士が友情を結ぶような握手だったし。


 エーデルフの顔が整っていようがいまいが、「内政!!」な私には関係がなかったし、エーデルフは敬虔な聖職者だ。恋愛など頭に無かった、そう断言できる。それが、まさか、恋愛要員として配置されていたなんて……


(エーデルフが知ったら泣いちゃうな)


 だが、この世界において、私の事情を知るエーデルフは絶対的な、唯一の味方だ。八十九年間、全力で内政に励み、そのまま駆け抜けることが出来たのは彼のサポートあってのことだ。エーデルフは泣いちゃうかもしれないが、黙っているわけにもいかない。


(でも、どうするんだ、本当に恋愛できるのか、彼と私が)


「いいですこと?! 貴女がきちんと恋に落ちない限り、何度だってやり直しですからね! 百回でも二百回でも無限ループですわ! 魂が擦り切れても知りませんことよ?!!」


 それは怖いな。


 とりあえずエーデルフに相談しよう。


 絶え間ない内政、改革の日々の中、最大の助言者、協力者であったエーデルフである。お互い高齢になって、それぞれの領地に引っ込んでからも、老いた手で互いの近況を手紙に綴り、送り合っていた。なお、当然のようにエーデルフも生涯独身で、そのことを嘆いていた様子もない。聖職者として、生涯独身は当然だと思っていた節がある。なお、私たちの送り合った手紙は一冊の書簡集にまとめられて、「事実上の国母と偉大なる聖職者の友情の記録」として、国の歴史に残る名著と言われている。


 そんな彼に、こんなことを相談しなければならないのだ。果たして、私たちは女神様が納得する答えを導き出せるのだろうか。

 





「まずは、恋愛という言葉の定義を知らなければなりませんね」


 三度目の人生、再び巡り合ったエーデルフは冷静だった。


 私たちが初めて会うのは私が十四歳、初めて生まれ故郷を出て王都の大聖堂を訪ねた折だったので、今世もそれと同じ状況だ。


 初対面(二回目)のエーデルフは十七歳。前回、お互い皺だらけの老人になったところを見て知っているので、こうして若い姿で相まみえるのが何とも不思議な感じだ。


 エーデルフは元々ほっそりした、いかにも神官らしい体型の男だったが、若い頃は一層細く見える。神官服の立て襟の奥に覗く首筋が白くて、折れそうなほど繊細に見えて、なんだか怖い。


(まだ十七歳だったんだな。前回はすっかり大人に見えていたけれど。それにしても、十七歳で神託を受ける大神官で、王都の大聖堂を牛耳ってるとか、天才か。すごいな)


 私も転生者ゆえに色々と規格外だったので、ついその事実を見過ごしていたのだ。今、改めてエーデルフを見て、その若さと天才ぶりに心底しみじみとした目をしていると、エーデルフが苦笑した。


「……孫を見るような目で見るのは止めて頂けますか? 正直に言うと、私も前回の記憶が残っていますので、どうしても貴方が幼く見えて、生まれてもいない息子の生まれてもいない孫と対面したような気分になっていますが、この状況でそのようなことを言っていても始まらないでしょう」

「それは本当にそう」


 私は頷いた。


 今回、私たちの前に置かれた課題は、これまでにない大難問である。


 恋愛。


「貴方も私も、恋愛なるものについての知識も見識も皆無ですからね……」

「そうだな、まずは定義から考えなければならん状態か」


 私は顎に手を添えてむっつりとした顔を支えた。


 いちいち言動が色っぽくないとか、言葉遣いが令嬢に相応しくないとか、そういうところは見逃して欲しい。何と言っても前世年齢八十九歳以上、そして内政だけに打ち込んだ人生で、初々しい女言葉とか仕草なんてものはとうの昔に失われているのだ。


 こうして若返って新たな人生を歩んでいるので、肉体年齢に引っ張られて精神が若返るかと思いきや、むしろ肉体の方が引き摺られて枯れたような気すらする。乙女心? なんだろうなそれは……。今の私は、暴漢に襲われているところを白馬に乗った王子様が現れて救ってくれたところで、微塵も「トクゥン……」とならない自信がある。女神様的に、あってはならない自信だが。



 そして、それから数ヶ月ほど、私たちは国内外の文物を漁り、広く助言者を探し、有益そうな情報を探し歩いた。そんなことをしていないで、手を繋いで花畑デートでもしていた方がいい? それでさっさと恋に落ちられるような関係なら、私たちもここまで苦労していないのである。



「恋愛小説というものを山ほど読んだが、恋愛の定義に近付くどころか混乱が深まるばかりだ。でも、幾つか定番らしい話の筋を拾うことが出来た」


 その日も、大聖堂の奥深く、ひっそりと存在するエーデルフの私室の一つで、私たちは傍らに山ほど本を積み上げながら報告し合っていた。


「まず、婚約破棄。浮気王子に捨てられた令嬢が王子に反撃し、勝利したところで、唐突に現れた男が『今までずっと貴女が好きだった』と言いながら跪いて求婚する」

「それが恋……恋なのですか?」


 エーデルフが首を捻っている。


「どう考えても、恋というより、単なる政略の誤りではありませんか?」

「私もそう思う。この王子というのは、存在するとは思えないほど愚かでどうしようもない男というのが定番なんだ。まず、そんな王子が世継ぎの座に着けているのがおかしい」

「そんな国でしたら、内政する余地もなく滅びるのではないですか」

「ああ、かなりの割合で滅びるんだ」

「恋愛はどこに行きましたか?」


 これは素朴な疑問というやつである。


 エーデルフの疑問に私では答えることが出来ないので、さっさと次の事例を取り上げることにした。


「女性がひたすら虐げられている恋愛小説も多い。相手の男は浮気を繰り返し、女性を徹底的に無視し、周囲に虐げられていても気付かず、他の男と連れ立った時だけ執拗に付き纏って怒鳴りつける。だが、最後の種明かしとして『不器用で、思ったような行動が取れなかっただけで、本当はずっと好きだった』と言う。それで全て許されてハッピーエンドだ」

「恋愛とは……いったい……?」


 エーデルフが「頭痛が痛い」みたいな顔をしている。


 私は眉尻を下げた。


「……ごめん。色々と読んではみたが、私には納得できる解が見つからなかった。今の王家の状況的に、ちょうど都合よく婚約破棄してくれそうな王子もいないことだし」

「この国を滅ぼすつもりですか?」

「国が滅んだら、もっと強い国の王子に乗り換えるんだよ」

「なるほど、恋愛とはしたたかな側面があるのですね……」



 エーデルフは納得したように頷き、次の瞬間、「いや、納得できてないんですけど?!!!」みたいな物凄い顔の顰め方をしたのだが、一瞬でその表情を引っ込めた。さすがは全国から陰険な頭脳派が集まる教会においても飛び抜けた期待の星、いや違った、どこまでも清廉潔白で生真面目なエーデルフ大神官である。動揺のかけらも見つからない、静まり返った水面のような穏やかな顔をしている。



「では、私からも、考えたことを申し上げましょう。まず、恋愛という言葉の『愛』という文字ですが」


 長く痩せた指が、積み重なった本の革表紙をそっと撫でる。


「これは他の多くの文字と結び付きます。『情愛』『親愛』『友愛』『博愛』『性愛』など。どうやら、どんな言葉とも結び付く、そこに何かしらの情があることを指し示すだけの、いささか軽薄で多情な言葉だと思われますね」


 おい。


 この神官、仮にもあまねく人々に愛をもたらすべき教会の使徒ともあろうものが、『愛』を尻軽だと言って切って捨てたんですけど。いいのかこれ?


 罰当たり過ぎない? 今ここで神罰の雷とか下らない?


 巻き込まれたら嫌だな、と戦々恐々とする私に構わず、エーデルフは優しげな口調で続けている。


「もう一つの言葉、『恋』についてですが。この言葉について、私はなかなかしっくりと来る定義が見付からず、深く悩んだのですが、どうやら、何かを欲しながら手に入らない状態、を指すのではないかと」

「手に入らない状態?」

「そう、欲望を抱いていても満たされない、得られないものに焦がれる、成就しないものの儚さ、といったものを指す言葉です。ゆえに、思春期の渇望や初々しさといったものと相性がいい。得られなかったものほど美化される傾向にありますから、ことさら美しい文言で修飾されることが多い」

「……だとしたら、我々にとってはそれこそ、本当に全く縁がないものでは?」

「いえ、むしろあります」


 エーデルフは言い切った。


 その確信と慈愛(多分)に満ちた姿、教会の壇上に立って無数の民を導く聖職者の理想の姿そのものである。


「私たちはほぼ同じ時期に生涯を終えましたが、一度たりとも男女として結ばれたことがありません。つまり、成就しなかったものの儚さ、麗しさの条件を満たしている」

「ん……んん? そうかもしれない……? だけど、それでは女神様が納得しなかったから、やり直しになっているんだろう?」

「万人の目に触れる形で証拠を残すべきです。具体的には、これから私たちが文通する際、それらしき文言を付け加えます。例えば、『私の心の中の永遠の妻』とか、『結ばれることはなくとも、あなたを心から想っています』などという言葉を書いておけば、後の人はこれぞ悲恋、最高の純愛だったと納得してくれるでしょう。要するに、私たちは行動を改める必要はない。ただ、我々の関係に対する外部の認識を書き換えればよいのです」

「なるほど」


 歯の浮くような言葉を書き加えるのは苦痛だが、逆に言えばそれだけで済むのだ。


 最小限の努力で、最大の効果。


 私たちが本当に結婚する必要すらない。つまり、恋愛に時間を取られるはずだった時間が浮く!


「やった! 今世も内政できるぞ!」


 内政! 内政! NAISEI!!


 前回やり切れなかった仕事が私を待っている!


「前回、堤防の厚みが足りなかったせいで洪水が起きたことがあっただろう。今回は最初から備えたいと思うんだけれど」

「そうでしたね、至急、技術者を集めましょう」


 私たちは恋愛的参考文献の山を押しやり、実り多き内政の道を突き進むべく、頭を突き合わせて真剣な話し合いを始めた。


 もちろん、お互いの手紙にそれらしき言葉を加えるのを忘れず、怠らず。地道な努力というやつである。そうして、私がこの世界に生まれ直して八十九年後、この世を去る頃に出版されたエーデルフとの書簡集は「結ばれなかった事実上の国母と偉大なる聖職者の愛の記録」として絶大な人気を誇り、前世を凌ぐベストセラーとなって人口に膾炙したのであった。


 ひそかに互いを想い合いながら、その立場に縛られて結ばれず、口づけすら交わすことがなく、生涯他の相手に目を向けることなく独身で、一途な愛を貫いた二人……なんという崇高な恋愛……全国民が泣いた……演劇の舞台となり、二次創作的な詩が書かれ、吟遊詩人たちが各地で歌い広め、人々の心を永遠に揺さぶる……





 その頃、私は魂だけになって、女神様に滅茶苦茶怒られていた。




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