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おかしな転生  作者: 古流 望
第10章 レーズンパンの恋模様
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088話 新人商人もどき

 モルテールン領で新人が“洗礼”を受けているころ。

 同じく新人として従士に採用されたばかりのラミトは、街商人デココと共にレーテシュ領まで足を運んでいた。

 彼なりに外務官として情報収集任務に就くにあたり、まずは商人としての顔を作るのが目的。目くらましの肩書の為、商人として大儲けする必要が無いし、多少の損失ならば領主が補填してくれるという恵まれた商売人だが、それとて大損しないだけの知識は必要になってくる。


 「麦の粉を扱う際に、商人同士が価格を決める最も重要な要素が分かりますか?」

 「……麦の産地や、麦の良し悪しの見極めだと思います」


 デココの行うレクチャーに対し、一生懸命に青年は答える。

 神王国の南部一帯は、モルテールン地域のような例外を除いて、豊かな穀倉地帯というのが一般認識。麦はこの地域で最もポピュラーな商材である。

 従士の子として、将来は政務に関わるからと教育を受けてきたラミト。自分の答えには、ある程度の確信を持っていた。

 だがその答えに、熟練の商人は首を横に振った。


 「そんなものは商人なら常識の範疇。分からなければ話にならない共通の了承なので、交渉の必要すらない前提条件です。相場以前の問題」

 「じゃあ何が?」


 デココの言う話は、素人が大事だと思う前提条件と、商人が考える相場要因の違い。

 美味しい料理を作ろうと思ったとき。例えば、素人であれば野菜の下茹でであったり、材料の面取りといった部分が美味しく作るコツだと考える。

 しかし、料理のプロからとってみれば、そんな下ごしらえなどは出来ていて当たり前と考える。むしろ、その程度のことさえ分からずに料理をする人間は、プロとは呼べないとすら考える。素材の相性であったり、他の料理とのバランスであったり、客の体調であったり。素人とは見る部分が違う。

 商売人の相場観にも、同じようなことが言える。

 素人が大事だと考える要素などは、商売人にとっては常識の範疇だったりするものだ。


 「麦粉を商う際にまず重要なのは、混ぜ物の内容と比率です」

 「混ぜ物された麦粉があるのですか!?」

 「当たり前です。混ぜ物の無い麦粉などを売っている商人は、真っ先につぶれます。少なすぎず、多すぎず。良すぎず、悪すぎず。混ぜ物の質と量が、麦粉の品質と思いなさいな。燕麦や稗などの安価なものを混ぜ込んで嵩増(かさま)しするのならまだマシ。中には、海辺の白い砂を混ぜるようなこともあります。一見するだけでは分かりづらいので、商人の見習いなどがこの手によく引っかかります。師の居ない状況で家を飛び出した自称行商人などは、こういった手口のカモにされてすぐに消える。商人の世界は騙し合いの世界なのです。騙し方の上手な商人が、儲かる商人というわけです」

 「信じられない」


 体を鍛え、地理を習い、読み書き計算を嗜むラミトとはいえ、商人の常識は世間一般の常識とは全く異なる為、戸惑いが多い。いや、戸惑いしかない。


 「客に売るときには、商人は全員口をそろえて混ぜ物などない、というものです。良心的な商人などというものは、武力の無い騎士と同じ。長生きはしませんし、そもそも向いていない」

 「……デココさんの見方が変わりそうです」

 「私だけは、例外的な良心的商人です」

 「その意味は?」

 「私は、混ぜ物に食べられない物を混ぜたことが無いからです。酷い商人なら、麦の中に石を埋め込んで重さと量を誤魔化す者も居ます。濡らして重さを誤魔化すなんてのは初歩。計りを誤魔化す手や、色にお化粧して騙す手口もあります。小口の取引を何度か行って信用を作り、大口取引を持ち掛けて粗悪品を高値で掴ませるという手口もありました。これには私以外に、何人かが騙されました」

 「デココさんも騙されてるんですね」

 「若い頃には何度となく。時には全財産を危うくするようなこともありましたが、運よくこうして今があるわけです。騙されないようにしようと思えば、自然と騙しの手口に詳しくなります。騙す人間と、騙されない人間は、突き詰めれば同じ人種、同じ思考を持つ人種です。だから、騙されない商人であるほど、騙しも上手い商人なんですよ」


 手品のタネを見破るならば、手品師ほど向いた人種は居ない。詐欺師の手口に一番詳しいのは同業の詐欺師である。この世界の商人とは、大なり小なり騙しが扱えるものだ。

 しかし商売に無知な人間にとって、商売の世界の怖さを聞かされるたびに、世の中を見る目が変わっていく感覚を覚えるもの。

 商人は、各地の法や行政に詳しい国際弁護士であり、自ら大金を差配する経営者であり、金の動きを敏感に察知する投資家でなくてはならない。そして、誠実な詐欺師でなくてはならない。

 商人の数が増えれば領地が豊かになると安易に考える領主は多いのだが、なかなかうまくいかないのもそのためだ。生半可な人間では、商人として大成することはない。増やそうと思っても、簡単に増える人種ではないのだ。起業支援をすれば起業家がわんさか増えると考えるのは、愚かな政治家である。

 世の中の行商人の大半が、人生のどこかで致命的な損失を負って消えていく。そうならない為には、大店のように権力の後ろ盾を持つか、太い金脈の優良顧客を抱えるか、他の誰にも負けない分野を作っておくか。いずれにせよ他の行商人に無い強みが無ければ、まず遅かれ早かれ食い物にされる。

 モルテールン準男爵家と関連する高位貴族の後ろ盾、ロッカーラ街道両端の優良顧客、誰にも負けないモルテールン領の知識。

 全てが適ったデココは、稀に見る幸運な行商人である。


 「習うより慣れろとの言葉もあります。今日は市も立っていますから、麦粉に限定してより良い麦粉を探してみてください。値段の交渉などはその後の話ですからね」

 「分かりました」


 デココの弟子扱いになったラミト。少なくとも怪しまれない程度には商人らしさを身に付けなければならない。本来の仕事を早めに行うためにも、急務と言える。

 麦の質ならば事前に多少の知識があると、ラミトは市を見回った。

 そのうえで、二つほどいいのを見つけたと師匠に報告する。


 「ほう。あそこと、向こうの店の麦粉。なるほど。なぜそう思ったか聞いても良いかな」

 「え? そりゃ、置いてある麦を見比べて、混ぜ物もほとんど無いようだったし、色も上質で……」

 「はぁ……ならば、買って来れば分かるでしょう。その二つ買って来てみなさい。無論、本当に良いものならば私がそれ相応の相場に色を付けて買い取ります。ただし、貴方の目が曇っていたときは、自腹です」

 「はい」


 自分の腹を痛めなければ、教訓は身に付かない。

 デココとて、既に一人弟子を育てた身。初心者が陥りがちな罠が隠されていることなど、とっくにお見通しだ。


 「買ってきました」


 非常に大きな大袋である為、ラミトは馬車に載せて戻ってくる。

 この時にはまだ、ラミトには自信があった。幾ら自分が商人として素人であっても、麦の良し悪しならば多少は自信がある、と。

 何せ、自分たちの村で二十年近く主要産物だったのだ。今でも主力産品の輸出品目。何が良い麦粉なのかぐらいは、知っている、と。

 そんな自信。

 一通りの値切り交渉もしてきたため疲れが多少あるものの、青年の顔色は明るい。

 そして、師匠は厳しい顔をする。


 「では、まず一つ。麦の袋売りの場合、袋の中身が均一だとは限らない。そっちの袋の下の方を、掬ってごらんなさい」

 「はいっ……うわ、何だこれ!!」

 「店の前で袋を開いて見せているのです。上の方にだけ良さそうな粉を積んでおいて、粗悪品を隠すのは常套手段です。売り物だからなどと言って、客に触らせようとしない露店は、まずこの点を疑うべきです」


 掬って出てきたのは、色も黒ずんでいて、カビの混じった粉。恐らくどこぞで何年も保管されていたものなのだろうが、これはとてもこのまま食べられそうにない。食べれば間違いなく腹をこわす。


 「もう一つの方。今度は、袋をよくごらんなさい。下の部分が妙にごつごつしているでしょう」

 「……ほんとだ」

 「これは、袋が二重になっているんです。さっきも言った手口の一つで、石かなにかで重くした分、粉を入れている部分は見た目以上に少ない。腕を突っ込んでごらんなさい」

 「はい。え? うわ酷ぇ、深さが見た目の半分も無い」

 「上げ底は、初心者が最も騙されやすい手口。麦の良し悪しに惑わされていると、大損をするということです」

 「俺、やっていけるかな……」


 特訓初日早々に、自信を打ち砕かれた青年は、思わず愚痴を呟いた。


 「誰しも、そうやって覚えるものですよ。私も師匠に色々と教わってね。半人前ぐらいになれたと思うまで、何年も掛かった。少しづつ教えていくので、教えたことは忘れないように。大丈夫、ラミトなら出来ます」

 「……何故そう思うんです?」

 「最も手ごわい商売人をずっと見てきていると、私は知っているからです。少しでも慣れてくれば、あの人ほど怖い商売人は無いと実感するでしょうし、そこら辺の市場の辻商人なら、比較するまでもない、と思うようになる」


 そう言われて、ラミトの頭に浮かんだのは二人の人物。日頃から商売人とのやり取りをしていたシイツと、自分で勝手に商売人と売買を行っていたペイス。

 どちらがより手ごわいのか、自分には分からない、とラミトは思う。


 「良いですか。麦の買い付けをしようと思えば、こんな人通りの多いところで買い付けるのは止めておきなさい。絶対とまでは言いませんが、良い商品などまずありません。行商人の我々には尚更です」

 「何でそう言い切れるんです? もしかしたら、掘り出し物があるかもしれないじゃないですか。目利きってそういうものでしょ?」

 「この町に常駐する者だけでも、何十人と目利きの商人がいますし、市を仕切る者が売り始めの早い時期に見回りをします。また見習いや自称商人、或いは片手間の買い付けまで含めると、商売敵は何百人と居るわけです。そんな連中が、仮にこんな市場の目立つ位置で良いものが出ていて、全員が揃って見逃すと思いますか?」

 「そう言われると、難しそうな気がしてきます」

 「第一売る方だって、間違いなく売れる良いものならば、馬鹿高い場所代を払ってまで売ろうとはしません。馴染みの商人のところや、大店に持ち込んでおいた方が、手っ取り早く確実に売れます」

 「商売に詳しくない人間なら、もしかしたら良いものと分からず出すかも……」

 「商売に詳しくないなら、尚更信頼できる大店か馴染みの商人のところに持って行きますよ。市場で丁々発止のやり取りなんて出来ないのですから」

 「あ、そっか」

 「市場に並べるということは、場所代を払っても儲かると思うから。つまりは、まず間違いなくぼったくりか詐欺ということになるわけです。貴金属、土産物、工芸品等の腐らないものも同じ理由で避けた方が良い。逆にこれが腐りやすい野菜などになると、より多くの人に手早く売りたい、という理由もあるので良いものも並ぶ。行商の荷にはならないので、買うことも無いでしょうが」


 商売人ならではの常識に、ラミトは感心することしきりだ。

 言われて見回せば、市場でやり取りする人間はどれもこれも素人を相手にしていた。まともな商人とやり取りしている様子が、ほとんど見られない。


 「じゃあ、仕入れはどうやってやれば良いんでしょう? 市場で買うものには碌なものが無いんでしょう?」

 「そうですね、市場では売るだけにしておいた方が良い。仕入れについては……折角ですから、私の仕入れを見学してください」


 自信ありげな言葉を告げ、デココは馬車と共にラミトを先導していく。


 「どこに行くんですか?」

 「私の古くからの知り合いのところです。麦を仕入れるなら、あの人のところから仕入れるのが一番ですから。デトマールにも教えてあるのですよ」

 「デトマールというと、デココさんのお弟子さん」

 「そう。貴方からすると、兄弟子になるのでしょうね」


 着いたところは、一軒の家。看板も無ければ出入りする商人の様子もなく、一見すると普通の民家に見える。

 商人見習いが首を(かし)げるなか、男は中に声を掛ける。


 「お~い、アントニオ。居るんだろ!!」


 呼ばれて出てきたのは、小さな子供。まだ成人の儀式は受けていないであろう年ごろの男の子。

 扉を開けてデココの様子を見るなり、男の子はニコリと笑う。

 これがアントニオなのか、とラミトが疑問に思っていたところで、師匠の方も商売用の笑顔を返した。


 「馬車を頼めるか。裏手に回しておいてほしい。後で荷を積み込むから」

 「はい」


 トトトと駆け寄った少年は、馬車の手綱を曳いて家の裏手の方に誘導し始める。

 慌てて飛び降りたラミトは、家に入ろうとするデココの後ろに駆け寄った。


 「今のがアントニオさん?」

 「はは、そんなわけない。あの子は、アントニオの孫だよ」

 「へ~」


 扉の中は、思った以上に広かった。

 ちょっとした酒場ならば開けそうだと思うぐらいはスペースがあり、机や椅子が乱雑に並んでいる。しかも何人かの先客が居たので、ギョロっと一斉に向けられた目線に、商人見習いは若干怯む。

 デココの方はそんな目線も何のそのと奥へと進み、奥の席に腰かけていた髭面の男に声を掛ける。親し気な口調は、気安い関係だからであり、お客様相手の口調とはまた少し違う。


 「やあアントニオ。元気そうじゃないか」

 「何だ、お前のところは弟子を替えたのか? 前の生意気なのはどうした」

 「あいつは一通りを教え終ったから、独り立ちしていった。こっちのは新しい弟子だよ」

 「ふ~ん。店を構えたって聞いていたが、その様子じゃ上手くいってないのか?」

 「馬鹿言え、絶好調だよ。新しくうちの店で雇うことになって、仕入れを仕込みに来たんだ。ラミト、挨拶しろ。麦商人組合の組合長、アントニオ氏だ」

 「は、初めまして」


 ギロっと強く睨まれて、ラミトは一瞬すくんだ。


 アントニオは、白髪交じりのアゴ髭がもじゃもじゃとしていて、恰幅の良さも相まって威厳を感じる。少なくとも、商人見習いの青年にはそう感じた。

 ふん、と一瞥の後、髭の男はデココに尋ねる。


 「それで、今日はどっちだ?」

 「買いだ。いつもの奴を十くれ」

 「デカイ馬車買ったんだろ? ケチケチすんじゃねえよ」

 「分かった。十五」

 「もう一声だ。弟子に湿気たところ見せてんじゃねえ。みっともねえ野郎だ」

 「十八。今は手持ちが無い」

 「ちっ、まあ良いだろう。払いはどうする?」

 「ここで現金で払う。こいつの勉強だからな。値は変わりないな?」

 「当たり前だ。それがうちの売りだからな。おい、十八だ!!」


 革袋を懐から取り出したデココは、ボーブ銀貨を三枚取り出す。銅貨のお釣りをもらって仕舞い込んだ後、銀貨の検分をするアントニオに声を掛けた。


 「品を確認してくる」

 「おう、好きにしな」

 「ラミト、付いてこい」


 屋敷の裏手には、デココの馬車に大きな麦袋を詰め込む下働きや丁稚の姿があった。そのうちの幾つかの中身を確認して、デココはラミトに向けて言う。口調は、弟子に対するものから取引先の従士に向ける言葉遣いに戻る。


 「ここは、麦を扱う商人が加入する組合です。我々のような行商人に卸すのが専門の問屋ですね。手数料を取られるし、値段は交渉の余地もなく決められているから儲けは殆ど出ません。が、在庫を常に確保しているから卸値も安定しているし、ある程度の需要が確実に有るから買い取りでもさほど叩かれることが無い。信用が掛かる組合では比較的質が良い商品を扱うし、騙しもそれほど無い。不慣れなうちはここで仕入れて、シュタイム辺りで同じように塩と換えると良いでしょう。塩ならどんな村でもそこそこ需要がある。大儲けは出来ないが、大損も無い。もっとも、新人だろうが容赦はしてくれないから、慣れるまでは絞られるかもしれませんが」

 「なるほど」


 しきりに頷く青年の後ろから、髭面の男がぬっと顔を出す。ラミトが素っ頓狂な声で驚いたが、デココはよくあることと気にもしない。


 「デココも、昔はよく買い付けに来てたな。半袋とかケチ臭えこと言うもんで、追い払ったことがある」

 「あれは馬車も無かった時分の話だろ?」

 「はっはっは。ところでデココよ。お前さん、モルテールンには詳しいよな?」

 「え? そりゃもう。店があるぐらいだし。それが何か?」

 「ちょっと怪しい話を聞いてな。お得意さんのお前の耳には入れておいてやろう」

 「怪しい話?」


 そう言って、おっさん二人が内緒話の体勢になる。顔と顔が寄っていて、見た目的にむさくるしいことこの上ない。


 「モルテールンで作られたって飴があったろう。しゃがれ声が治るって飴」

 「のど飴。取り扱ったことがある」

 「どうやら、それの模造品が出回っているらしい。今後も扱うなら、偽物に気を付けろ」


 そう言い置いて、自分の仕事に戻っていったアントニオ。

 後姿を見やるデココは、傍に居たラミトに目を向ける。


 「……ラミト“さん”、本業の方で早速お仕事のようですよ?」


 青年は、グッと気合を込めて背筋を伸ばした。


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