023話 小細工
ペイストリーが芋虫になっても少女を守っていた頃。
父親たるカセロールは屋敷を包囲していた。包囲するはカセロール家の手勢三人と、公爵家・辺境伯家の増援十四名。そして傭兵扱いの数十名。
どこで噂を聞いたのか、公爵家や辺境伯家の屋敷の方に押し掛けていた連中までいつの間にか加わったことで、今なお手勢は増え続けている。
「大将、いつでもいけます」
「うむ、我が息子も待ちくたびれている頃合いだな。突入班の編成は?」
「3名づつを5班。囲んでいる連中には何と伝えますか?」
「そうだな……いや、私から伝えよう」
教会に屯っていた有象無象の仕官希望者達を、咄嗟に動員したわけで、その扱いは難しい。暴走させてしまえば、当然モルテールン騎士爵の責任となるのだから。
彼らは、この誘拐事件で武勲と手柄を立てて、どこぞの貴族家に従士として取り立てられることを目的にしている。
突入というのは華々しいし、中に敵方の人間が居ることも予想される以上、手柄にもつながるだろう。
しかも、相手方に予想される戦力は質も量も劣勢。正規の専門軍人たる従士隊に質で劣り、数に置いては言うまでもない。圧倒的に優位な立場で戦える戦場ともなれば、手柄などは濡れ手に粟。我先にと突入したがる。
だが、彼らには包囲を続けてもらわねば、結局は賊を逃がす可能性が出てきてしまう。
無秩序にさせることなく、かつ彼らを納得させる作戦を立てねばならないのだ。
これを行うには、一つの才能が要る。
「諸君、これより我らは屋敷への突入を敢行する。ついては諸君らに、最重要の場を任せたい」
いよいよとなり、辺りに緊張が走る。
必要な才能とは、煽りの才能である。誑しの才能と言っても良い。
事実を誇張し、或いは矮小化し、美辞麗句を飾り、人の感情を盛り上げる手段。それに長けていなくては、人を束ねる者にはなれない。
軍人であれば士気の鼓舞。外交官としては交渉の手段。内政家としては民心の慰撫に用いられるその才能は、貴族としては重宝する。
そして、カセロール=ミル=モルテールン騎士爵は、この才能に長けていた。
「我々は、最も危険な任につく。それは敵を追い立てることだ。ここにはカドレチェク家とフバーレク家の精鋭が居られる故、突入は我らで行う。狭い室内では鍛えられたお方々の力こそ役立つ。そして我々に追われた賊は、必ず外へと逃げようとするだろう。その中に、賊首領が含まれている可能性は極めて高い。ネズミ一匹逃がさぬよう、諸君らに要請する。野郎共、準備は良いか!!」
「「おぉ!!」」
明らかにやる気を持って包囲網を整えた無給の傭兵たち。雇われているわけでも無いので、本来であればカセロールの命令に従う義務は無い。あくまで自発的な厚意での参加であるため、無理強いは出来ない。故に要請であった。本来であれば、手柄を求めて突入側に回りたがっても不思議はない。
だが、傭兵たちはカセロールに煽られてしまった。話術に乗せられたと言い換えても良いだろう。
狭い場所では兵の質が物を言うのは明らかであり、数の利を活かすには外の広い場所に居た方が良い。待ち受けて袋叩きにするのは、危険も無く美味しい。ましてほぼ確実に手柄首が出てくるのだ。裏口か表玄関か、はたまた横の窓からか。当たりを選ぶにはどうすればいいか。
彼らはそう考えていた。突入に参加するかしないかでは無く、何処の包囲に参加するかを考えていた。誰の思考誘導かも気づかぬままに。
それを見届けた後、カセロール達は友家の従士と共に堂々と表玄関に立つ。
「流石ですね。口上が上手い」
「何の、私よりも口が達者な連中なら、宮廷に嫌と言うほど居ますよ。それでは……突入!!」
号令一下、玄関の扉が破られる。
元々、家主が粛清されて空き家になっていたものであるから、数人が一斉に蹴りを入れるだけで蝶番がはじけ飛んだ。
中に突入したモルテールン騎士爵旗下十五名の突撃部隊は、屋敷に入ったと同時に戦闘になった。
「くっそ、何だよ」
「こいつら貴族の私兵だ。強えぞ」
「ぐぎゃぁぁっ!!」
突入部隊は無理をしない。
剣を向けて手向かうものには、敵一人に対して三人で当たって確実に仕留める。逃げだす者は無視する。
「おい邪魔だ、どけ!!」
「うるせえ、おまぁぐぼぁ」
「おおぉぉ、我こそはカルモナ家従士ラミロが子ミケル。我が槍によって賊を打ち取ったりぃぃぃ!!」
そして、そうやって逃げた先では、報奨と就職先に飢えた、目が金になっているような物欲の亡者が待ってましたと襲い掛かるのだ。
こちらに至っては一人に対して十人以上が飛び掛かってくる。ぎらついた欲望の塊によって、逃げた者は悉くが討たれていく。
そんな猟場と化した旧アーマイア邸の中を、我が物顔で歩く三人組。
モルテールン家の当主とその従士は、手向かうものをしばきあげつつ屋敷の最奥に向かっていた。
「あそこか?」
「坊の連絡が正しいなら、残っているのはあの部屋だけですぜ」
「よし、私が行く。お前たちも続け」
「ちょ、大将っ!!」
駆けだす三人。
先頭を切って駆けているのが現場の司令官という無茶に、慌てたのは腹心のシイツとグラサージュだ。無謀を平然とやってのける自分たちの主を、急いで追いかけた。
ドアを蹴飛ばすようにして、部屋に飛び込んだカセロール。
目の端に、見慣れた青みの掛かる銀を見つけた瞬間叫んでいた。
「ペイス、無事か!!」
「坊、無事ですかい」
「若様、御助けに参りました」
父親の乱入と共に、どやどやと後続がなだれ込む。
「僕は無事です。それよりもリコリス嬢を」
「分かっている。もう大丈夫だ」
今の今まで、睨みあっていた頭目と少年であったが、ここに至っては、形勢は圧倒的に傾く。無論、ペイストリーが有利であるという方向に。
団長は不利を自覚する。人質になりそうな少女は早々に安全を確保され、目の前の少年からは目を離せず、かといって増援もまた手強そうで、おまけに外の喧騒が蹴破られた扉の向こうから聞こえてくる。
「不味いねぇ、ここは逃げるしかないようだ」
「そう簡単に、逃がすとでも?」
薄く笑みを浮かべる少年の身のこなしには、隙がない。無論、子供である以上倒せないことは無い。だが、長年戦いの中に身を置き、それなりの手下を率いてきたストルーデルからしても、倒すのは手間取るだろうと思われた。それほどに年不相応に鍛えられている。
子供と大人の体力差もあるのだから、時間さえかければ確実に勝敗が決まる。だが、時間を掛けるわけにはいかない。
扉の方には更に手強そうな騎士と思しき連中。銀髪の小僧を倒し、騎士と剣を合わせた上で扉だった場所を突っ切って逃げる手を考える。だが、流石にこの手は無い。
フバーレク辺境伯の娘を監禁する為に、逃げ難い部屋をわざわざ選んで居たのもここにきて悪手になっている。
これを狙ってやっていたのだとしたら、相当に頭の切れる奴が裏で絵を描いている。いや、場所がバレる早さや、手回しの良さから考えても、誰かしらの意図から嵌められたとみるべきだ。大人しく捕まる訳にもいかない。
となれば、ストルーデルが取る道は一つ。
「道が無いなら、作るまでだっ」
ぐっとしゃがみ込んだ男は、地面に手を付いた。
明らかな隙を見せた敵に、ペイスは躊躇もせずに立ち向かう。少年が、気合の一刀を持って突き入れた時。
手ごたえの無さと共に事は起きる。
「うぉぁおっ」
「地震か?」
家の中の全てが揺れ動くような有様に、思わず体が泳ぐ面々。
幾ら体を鍛えていようと、足場が揺れることなどを想定して訓練などしていないのだから当然だ。
文字通り、足元が揺らいでいる。
体勢を整えるころには、頭目は姿を消していた。
「やっぱり、逃げましたね」
「予定通りだな」
しかし、実戦経験豊富な当主と従士たちには動揺は無い。相手が魔法使いの可能性が高かった時点で、逃げられてしまう可能性は考慮済みだ。
カセロールのように、瞬間移動で無いだけまだマシと言える。
「何事ですか」
突然の揺れという騒動に敵味方問わず混乱した中、カセロールやペイス達の元に駆けこんできた者達が居た。
今回の婚約騒動を持ちこんだ二家の従士たちである。
これは丁度良い。と、騎士爵とその息子はお互いに目を合わせたままにやりと笑い、そのまま面倒事を彼らに押し付ける。
「リコリス嬢は無事保護した。彼女を早く父君の元にお送りするように。貴方達の方が先方に顔見知りも多く話が通りやすい。適任でしょうから、任せます。それで、この騒動の容疑者は?」
「自らを公爵と名乗るルハインゴ=アーマイアなるものを捕えてあります。裏口から逃げようとするところを、当家の者が捕えました」
「結構です。それが首魁でしょう。そのまま両閣下の元に連行する様に」
「はっ」
早速の指示の下、動き出す他家の従士をみつつ、しめしめとほくそ笑む悪人が二人。
良く似た親子の悪い顔に、怪訝そうな表情を浮かべつつも残った従士が声を掛けてくる。
「それで、皆様方は如何されるので?」
本来であれば、誘拐された御令嬢を父親の元へ送るという栄誉は、身を挺して守り切ったペイス達の権利である。だが、娘を誘拐されてやきもきしている所にのこのこ顔を出せば、これでもかというほどに質問攻めにあう事は目に見えていた。出来る事なら、誰ぞを先にやって事情を粗方説明させておいた上で、簡単な報告のみを後日行うぐらいにしたい。
それ故、親子二人は打ち合わせもしていないのに息を合わせて答えた。
「「残党を始末してくる。後の事はシイツに任せた」」
「ちょっ!!二人とも、それはねえでしょう」
「「魔法で追いかけられるのは自分達だけだし」」
綺麗に重なった二重奏に、シイツは堪忍袋の緒が切れそうになる。
確かに、相手が魔法使いで穴を掘って逃げられるらしいことから、追いかけるには移動か追跡に長けた魔法使いが好ましいというのは正論だ。シイツの魔法は情報収集には長けていても、追跡にはやや不向き。使えないことは無いが、遠目に敵が見えた所で追い足が無ければ意味がない。
仕事を押し付けられる理不尽さが、いわく言い難い憤りになるだけの事であり、本音と建て前を見事に調和させた主君と次期主君の才能には褒め言葉すら浮かぶ。
「この性悪共が」
出た言葉は罵りであったが。
「さて、それじゃあ探しに……ペイス、どうした?」
早速追いかけよう、とした矢先。
少年は、あることに気付いた。
「あの男は、何処に逃げるつもりでしょう……」
「そりゃあ……あっ、そうか」
息子の言わんとすることに気付いた父親が、はっとした表情で剣を持つ。
少年もまた、短剣をしっかりと構え、周囲を伺いだす。
「どうしたのですか?」
面倒事を部下に押し付け、自分達だけで逃げた残党を追いかけようとしていたのに、それが急に剣を構えだす。
不思議そうな様子なのは、従士のグラサージュ。彼は弓の腕は良いし、それなりに機転も気配りも出来る小器用な男ではあるが、咄嗟の事に戸惑う癖がある。
「実際に戦ってみた感触ですが、逃げた男の魔力はそう多くなかったです。もし穴を掘って逃げたとしても、遠くに行けるほどの魔力は無いと確信します。近場はうちの手勢が取り囲んでいますし、今でもあちこちから駆けつけて来ている所。そんな只中に逃げるというのもおかしな話です」
「確かに」
「遠くに逃げられず、近場に逃げるのは意味がない。言葉を交わした限りでも狡猾さは見て取れましたし、冷静な判断力もありました。これぐらいのことは考えることも容易でしょう」
「それで?」
「逃げるに逃げられないが、窮地を脱する方法。となれば……」
ペイスが言いかけた言葉を、一人の男が引き継いだ。
「逃げたように見せて隠れ、粗方をやり過ごした後にゆっくりと逃げる。と考えるわけだよな」
のっそり地面から姿を現した、傭兵団頭目のストルーデルだ。
ペイスとその父が、戦った感触などから推察した通り。隠れてやり過ごす気であったストルーデルも、流石にその作戦に気付かれてしまったことに気付いた。
故に、不意打ちも出来ずに、掘った穴から出るよりほかに無かった。
「元貴族のあの阿呆を捕まえたなら、それだけで満足しておけって話だろうよ。あれが主犯なわけだしよう。こうなりゃ、ここに居る全員ぶっ殺して、逃げるしかねえよなぁ」
「面白い、やれるものならやってみろ」
そう受けて立とうとしたモルテールン騎士爵。自身の剣の腕には、いささかなりとも自信があったが為である。
だが、それを少年が押し留めた。
「父上は手出し無用。これは、元々僕の獲物です」
「言ってくれるねえ」
ストルーデルは助かったと思った。
幾らなんでも、魔力枯渇で魔法の使えない状況の上、騎士や従士を複数人相手取って戦うのは勝算が無い。
それに比べれば、一番くみしやすいと思われる最年少が、一騎打ちを所望ならありがたい。上手く組み敷いたうえで人質にでもすれば、逃げられる目も出てくる。
ちらり、とストルーデルは足元のやや先を見る。そこには自分の剣が落ちている。
奇しくも目の前の青銀の髪をした少年に不意打ちで叩き落されてしまった剣だ。
「せりゃっ」
男は軽く身体を揺すったフェイントを掛ける。
今にも体当たりをしそうなほどに低い姿勢で、腰を落としたまま前に進んだ後、転がるようにして剣を取る。
使い慣れた剣の重みが心地よい。
「死ねや!!」
立ち上がった男は、気合一閃。低い位置から、子供の骨ごと切りそうな剛の剣をもって切り上げた。
ペイスは咄嗟に、後ろに倒れる様にして躱す。
「ぐっ」
「貰ったぁ」
振り上げた剣の勢いそのままに、手首を返して振り下ろすストルーデル。
幾千、幾万と振ってきた練磨された剣戟である。この勢いは子供の非力では止めようが無い。
そのはずであった。
キンと甲高い音がする。男の長剣を、ペイスが短剣をもって軽く横から払った瞬間。男の剣が根元から綺麗に折れた。
手入れを欠かしたことの無い愛剣が、事もあろうに子供の短剣で折られるなどあり得ない。思いもかけない想像の埒外に、男は一瞬戸惑う。
そんな隙を見逃すほどに、ペイスが受けて来た特訓はぬるくない。少年は、迷わず男の喉首を掻き切った。
「ぐひゅ。手前ぇ……」
「忠告です。戦場において一度手を離れた剣が、二度使えるとは思わぬことです」
どたりと倒れる男を見やり、少年は父親の元に戻る。
辺りには、生血の臭いが漂い始め、戦場跡の香りと成り果てた。
「見事ですね、坊。いやさ、若。いつの間に剣に小細工をしていたんで?」
「捕まっている時にちょっと。助けが来なければ、そのまま使おうと思っていた小細工でしたから、まあ備えあれば憂いなしということで」
「よくもまあ、あんなズル賢い手を思いつきますね。折れる剣を相手に持たせた上で、一騎打ちを誘うとか」
「その言葉、グラサージュの娘か、コアントローの息子に言うべき言葉ですかね」
「ルミとマルカルロか。あの悪餓鬼ども、要らんことにだけは頭を使いやがって」
そこに居た大人たちは揃って、悪餓鬼どもの高笑いを幻聴するのだった。