027話 幼い商売人
世界は不自由に出来ている。
人が産まれてから死ぬまでの間、自分自身の好き勝手に生きていける人間など居ない。しがらみや立場の制約。金銭や地位による制約。年齢による制約。能力による制約。人は色々な制約の中であがき、必死に生きていく。
「分かるか?」
「師匠、難しすぎます」
「いずれ分かる時が来る。私たちのように、旅から旅に生きていれば、煩わしく思う世の中のしがらみが、大切なものであることにも気づくだろう」
そう、自身の人生論を語る男は、デココ=ナータ。行商人としてのキャリアは早二十年近くなるだろう。
諸般の紆余曲折から、つい先日弟子を抱えるようになった。初めて出来た後進に、偉そうなことを賢しらに言うのは面映ゆい。
「じゃあ師匠は、どんな制約に縛られているんですか?」
「私かい? そりゃあ商人たるもの金以外に縛られちゃいかんよ。女に縛られて破産した商人や、人付き合いのしがらみに縛られて財産を無くした者は随分と多い。お前も気を付けることだ」
行商人は、世間一般では金に縛られる生き方を強いられるものとされる。土地に縛られる農民に比べれば、移動の自由こそあれ、ちょっとした気のゆるみで食えなくなる緊張感は金に縛られるがゆえである。
「でも、師匠はこのあいだ大儲けした~って噂になっていましたよ? そんな師匠でも金には縛られるんですか」
「そりゃそうさ。私の夢は自分の店を持つことだからね。まだまだ稼ぐつもりだ。それに、どうせ何かに縛られて生きるなら、何に縛られるかぐらいは自分で選びたい。否応なく金に縛られる生活よりは、ね」
「じゃあ、とっとと俺に稼ぐ方法を仕込んで、さっさと隠居してください」
「全く、口の減らない奴だ。言われんでもそうする。厳しいからと言って泣き出すなよ?」
「泣きゃしませんよ。ほら師匠、見えてきましたって」
先ごろ、デココは大儲けをした。商ったのは何とも家丸ごとを二十軒という大商いだった為に、利益も相応にでかかった。
その利益を元手に、馬車を二頭引きで屋根付きの幌馬車にし、今日も今日とてそれに荷物をふんだんに詰め込んで、とある領地に向かう途上にあった。二頭引きにしたことで重たい鉄製品を運べるようになったし、屋根付きにしたことで雨に弱い生石灰なども積める様になった。
石灰は水に濡れると熱を持つため、行商の荷としては危険であるが、消石灰への加工や、漆喰などに使われる為に用途は広く利幅は大きい。これから行く場所では、まず間違いなく高く売れるだろうことを見極めて運んできたのだ。
師匠と弟子とが、山道の急峻な道程の終わりを見た時。彼らの目的地であるモルテールン騎士爵領が見えてきた。
「へぇ、ここがモルテールン領ってわけですか。今見えているのが、師匠が一から作ったっていう村ですか?」
「まあな。ル・ミロッテという村だ。ここから更に行けばザースデンがある。ただ、私が作ったのはあの村に建っている家だけだし、建てたとは言っても資材や人手を工面しただけだがね。しかし……」
行商人は、情報が命。耳聡いことはイコール金であり、無知は赤字と同義である。
そんな行商人を長い間の生業としてきたデココは、自分の耳には自信があった。しかし、自分の目の前にある物はそのちっぽけな自信すら失ってしまいそうな光景だった。それ故、彼は弟子に掛ける言葉に詰まる。驚愕と言って良い。
村からよく見える所に、見慣れないものがあったからだ。
「へぇ、出来たばかりの村にしちゃ、農地も綺麗に整備されているじゃないですか。流石にモルテールン騎士爵は名領主と名高いだけありますねぇ。あそこに見えるのは何です?」
「いや、私も分からん。つい先月に、この村を離れた時にはあんなものは無かったのだが。あり得んだろう。一体全体何があったのか……」
デココがあんなものと評したものは、ペイスが賊から盗んだ。いや、無断で複写した魔法で作った貯水池である。
「またまたぁ、師匠も嘘が下手ですね。あんなどでかいものを作るのに、一月やそこらでやろうと思えば、百人は働き手が要りますよ。そんな大仕事なら、噂の一つぐらいは有りそうなものです」
「そうだ。だから私も首を捻っている訳だ。これは、気を引き締めて掛からねばな」
モルテールン領の領主家との付き合いは長い。お互いにそれなりに培ってきた信頼や信用はある。
それに、馬車も無い駆け出しの頃から、籠一つを背負って山道を往復していたのだから、勝手知ったると言っても良い土地。気候風土や地理的条件などはそらで言える。季節柄変動する物資の需要に、村々の冠婚葬祭の予測まで出来るようになった。
最近では、レーテシュ伯爵領の各町で物資を買い付ける時点で、ある程度の利益を目算できる程度には慣れて来ていたので、緩みがあったのかもしれないと、デココは気を引き締めた。
「気を引き締めるっていってもねぇ。モルテールン卿ってのも、師匠はよく知っている方なんでしょう?」
「ああそうだな。お若いころからお世話になっている。だが、モルテールン領で商売する時には、要注意な取引相手が三人居る。まあ一人はそのカセロール殿だな。この方は、騎士爵位を持つ以上に武人だ。下手に隠し事をしたり、嘘をついたりすると、ことのほか嫌われる。もし何かこちらに不利益になりそうなものでも、誠実に話をすれば分かって下さることも多い」
デココは、まだ幼い弟子に言って聞かせる。
少年にはまだ伝えてはいないが、いずれ自分が何処かで店を持った時、今まで培ってきた人脈や交易ルートを譲るつもりでいる為だ。
自分が知る限りの情報や、気を付けねばならぬ事などを、機会があるごとに言って聞かせている。偶には、師匠らしいことでもしないと面目が無いというのもあるが。
「なるほど、誠実にですね。分かりました。それで、後の二人とは?」
「一人は、モルテールン領の従士長にあたる方でシイツさん。家名は、従士になってから新たにビートウィンを名乗っているらしい。が、ご本人は自分ひとりきりだから家名は呼ぶなと言っておられる」
「あの覗き屋シイツですよね」
「そうだ。だが、その二つ名を本人の前で言うなよ。豪く嫌っているからな。一度冗談めかして言って、本気で関係を切られかけた」
まだ若いころの話だったか、とデココは笑う。今でこそ笑い話になりこそすれ、当時は折角の金脈を切られかけて大変に狼狽えた。
大戦の折から広まっている二つ名だけに、本人も承知の事だろうと調子に乗った苦い経験だ。未だ幼い弟子等が、ポロっと言って失敗しそうなことだけに強く戒めておく。
従士といえ、シイツは騎乗を許可されている準騎士。ことモルテールン領内に置いてはある程度の臨時裁判権を有する立場であり、うっかり侮辱と取られて斬られることもあり得るのだ。
「うへぇ気を付けます」
「交渉相手としても手強い。あの人が取引でしてやられた話など、他の連中に聞いても皆無だしな」
モルテールン領が大きくなってきている昨今、行き来する行商人もちらほら出だした。多くは昔のデココのように、駆け出しがやむを得ず辺境で日銭を稼ぐようなものではあるが、熟練の行商人仲間であっても、彼の御仁が後手に回ったという話はついぞ聞かない。
「そして、一番気を付けておかねばならないのが……」
「師匠、あれ!!」
師の言葉を遮ってまで、弟子の少年は見つけたものに騒ぎ出す。
彼の目の前には、幾人もの子どもと、更には大人たちまでが集団で走っている光景があった。特に子供たちなどは必死に全力で走っている様子が見て取れたのだが、一体何事だろうかとデココと弟子も集団に近づいていく。
先だって、この近辺で盗賊禍があったのは記憶に新しい。その被害を受けた難民予備軍たちにそれ相応の利息を持って金を貸し付け、モルテールン領に誘ったのは他ならぬデココだ。
必死に走る人々を見て、盗賊から逃げている可能性に思い至るのに不思議は無かった。
「ぜぇはぁぜぇはぁ」
「しんどそうですけど、大丈夫ですか?」
疲れて足を止めている一人に、行商人は声を掛けた。
声を掛けた相手は見知った相手で、デココが金を貸し付けた相手の一人である。それ故、男の方も行商人師弟を見て息を荒げながら笑顔を見せた。どうやら盗賊では無さそうで、デココは内心胸をなでおろす。
「やあ、デココさんじゃないか」
「こんにちは。そんなに疲れるまで走って、一体どうしたんです?」
「いやね、あれ見てくださいよ」
そう言われて、師弟が目を向けた先にあったもの。水の流れる小川のような物があった。
「なっ!!」
それに一番驚いたのは、行商人だった。弟子の方は、単にそんなものもあるんだなと感心する程度であったが、師匠の方は驚愕の内容も至極具体的だった。
彼は、このモルテールン領に往来しだして二十年。領地の気候風土から悲喜交々の問題を数多く見知ってきた。
両の指では数えきれないほどの問題は有るにせよ、まず真っ先にこの地で問題になるのは水の無さ。雨の少なさ故に水気に乏しく、井戸を掘るなら相当に深く掘らねばならず、作物が枯れて収穫が駄目になった過去を何度か見てきた。
そんなモルテールン領で、この大量の水は一体何なのか。
「何でも、領主様の御子息が、魔法でどでかい溜池を三つほどこしらえたらしくて、折角だからと水を村まで引く工事までされたんですよ。で、今日はその最終確認だとかで、上流から水を流したそうで」
デココは、驚愕を隠すのに自身の経験をフルに使う必要があった。
幾らなんでも、村一つ潤してしまう規模の溜池をひと月もたたずに作ってしまうなど、規格外も度が過ぎると言うものだ。
「それで……走っていたのは、水がちゃんと流れるか追いかけていたわけですかね?」
「ええまあ。子供らは単に追いかけるのが楽しくて走っていたらしいですが」
「そうですか。ちなみに、ご領主様はどちらに? 本村の方ですかね?」
「いや、確か領主様はこの用水路の上流で、指揮を執っておいでのはずです」
「そうですか。ではそこにご挨拶に行きますよ。教えてくれてありがとう」
儲け話の匂いだ。それもかなり特上の儲け話の匂い。
デココは、モルテールン領についてであれば、自分が一番良い耳を持っていると自負している。その自分でさえ知らなかった用水路の情報は、他の行商人などは知るはずもないと確信があった。
最も大きな問題であった農業用水の問題がもし本当に解決しそうなら、モルテールン領で作られている麦や豆はかなりの収量が見込めるはず。上手く相場に乗せられれば、一儲け出来そうな雰囲気が漂ってきている。
「でも師匠ぉこの上流ったって、登りの荒れ道です。馬車だと積荷を降ろした方が良いですよ。下手すれば馬がへたってしまいます」
良い馬車を買えたことで、少々積荷を欲張ったのは事実。その自覚のあった行商人は、体一つで難所を歩いていた若いころを思いだしたこともあって、荷馬車をその場に残していくことに決める。
「よし、お前はそこで馬車を見張っていろ。私は領主様に挨拶してくるから。ついでにこの用水路の事も聞けると嬉しいが」
「よく分かりませんが、俺はここでじっとしてりゃいいんですね」
「ああ。それじゃあちょっとの間、積荷は頼むぞ」
そう言って、デココは用水路の上流に向かって行った。
後姿を見送るデココの弟子。
名前をデトマール=シュトゥックと言う。癖のあるこげ茶がかった髪の少年で、デココが取引している村の、村長の息子だ。四男坊という事もあって、丁稚の奉公先を探していたタイミングと、デココが丁稚を欲しがっていたタイミングとが噛みあったために、旅路の供となった。
そんな行商人見習いの少年が、退屈を持て余していた時。村の方から、幾人かの集団がやってくるのが見えた。
しかも、どう見ても子供にしか見えない連中。一番背の低い銀髪の子が、他の二人を従えているようにも見えるものの、仲の良さそうな雰囲気が伝わってきた。デトマールは、それなりに長い待ち時間に暇をしていたのもあって、少年たちと挨拶を交わす。
「やあ、こんにちは」
「こんにちは」
「君たちはこの村の子かい?」
「そうですね、まあ村の人と言えなくもないでしょう。そういう貴方は、デココさんのお連れさんですか?」
「ああ、師匠を知っているのか。デトマールと言うものだ。まあ、よろしく」
商売をする上で、予め下調べをしておくのは大事なことだ。些細な話を切っ掛けに、商売の種になると言うようなことは珍しくない。世間話から商売の話を引き出すのは、商人としての話術の一つだと教わっているデトマールは、早速目の前の少年たちに実践することにした。やや尊大な物言いになってしまっているのは、自信の無さを無意識に隠そうとした未熟さ故。
「それで、デトマールさんはデココさんと一緒に、何を売りに来たんですか?」
「ん? 石灰とか鉄製品とか。後は木材を積んできた。うちの馬車はそれなりに重たい物でも運べるからな」
「それは素晴らしい。特に、石灰の行商とは珍しいですね」
「お、そういうのに興味ある? いや実はちょっとした縁でアスロウムからの行商人から仕入れたのよ。ここなら高く売れると思わないか?」
見習い行商人は、会話の流れに自画自賛の念を持つ。
さり気に商品の宣伝をしつつも、軽く市場調査まで出来ている。これは師匠にも褒めて貰えるほど良い感じのやり取りじゃないか。と、考えるほどに。
地元の人間と仲良くしておけ、との師匠の厳命にも合致する。自分がいっぱしの商人になったような気さえしてくるから不思議だと彼は思う。
「ええ、確かに。普通なら高く売れるでしょう。それは間違いないですね」
「だろ? まあ実際に商売するのは師匠で……うおぉ!!」
噂をすれば影が差すという言葉もあるように、人が人の話題で盛り上がると何故か当人が現れるのはよくある事。少年たちの話題にしていたデココその人が、いきなり現れたものだから肝を冷やしたのは弟子の方だ。デトマールが“村の子”と評した少年たちは、驚いていないのだが。
見習いの少年は、師匠の傍に初めて見る男が立っているのを目ざとく見つける。この人こそがモルテールン卿であろうという予測と共に。
首狩りのカセロールと言えば瞬間移動が有名であるし、モルテールン領に来るぐらいだからそれぐらいは知っている。
更には、瞬間移動らしく突然現れたとなれば、推理も容易い。
「お帰りなさい師匠。そちらがモルテールン騎士爵様ですか?」
「こら、無礼だぞ」
「構わんさ。どうせ田舎の貧乏人だからな。偉ぶるほどの者じゃない」
「お会いできて光栄です」
やはり騎士爵であった。そう知れたことに、弟子の少年は深く安堵する。有名人に会えたという高揚感も手伝って、彼はとてもいい笑顔をしている。
「ところでデトマール。この方たちは……」
「いい事聞いてくれました師匠。今しがた仲良くなった村の子で、色々とお話ししていたんですよ」
弟子の笑顔が更に深くなる。もし彼が犬であったなら、尻尾は盛大に振られている。
師匠の言いつけどおり、村の人と仲良くなって、商売の種になりそうな話もしていたんですよと言外に語る。
その弟子の様子をみて、デココは盛大に溜息をつく。
「デトマール。お前が仲良くなったという方はな。ペイストリー=モルテールン卿。ここに居られるモルテールン騎士爵の御子息だ」
「ええっ!!」
「そして、言いかけていていたがな。……例の三人の最後の一人だ」
図らずも、その場に居た全員の目が、一人の少年に集まる。
青みがかった銀髪。鳶色の瞳のその少年は、実に清々しい笑顔で自己紹介する。
「ご紹介に預かりまして。ペイストリーと言います。先ほどは、興味深い話を色々と聞かせていただきありがとうございました。色々と、ね」
ペイスの笑顔。
それを見てデココは、せめて大損はしませんようにと神に祈るのであった。