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結論から言おう。
とても酷い目にあった。
具体的に言うと、まず長剣と円形の盾を持たされ、ブラッドが捕獲してきた怪物のアンデッドと殺しあいをすることになった。
鼻も耳もなく単眼で、ぱっくりと笑むように開いた三日月型の口が不気味な、真っ黒に乾いた死骸だった。
体格は僕と同じくらいで、解放されると即座に欠けた爪をふりかざして襲いかかってきた。
……そりゃもう怖かった。
さんざん訓練しておいて何を、と思われるかもしれないが、訓練と実戦は違うのだ。
相手にこちらを殺す意志があるというのは、恐ろしい。
この恐ろしさを、なんと表現すればいいのか……
事故死や大怪我などが極力発生しないように相互の申し合わせで制限された訓練は、どこかに安心感がある。
相手のリスク覚悟の奇抜な行動に対応できなくても大怪我はしないし死なない。
逆にこちらがリスク覚悟で大胆な行動を試して、結果失敗しても大怪我はしないし死なない。
リスクを踏む、という行為に対する代償が軽いのだ。
実戦では、全ての行動にリスクが付きまとう。
ひとつ受け損ねれば。
いちど足を滑らせれば。
たったそれだけで終わることもある。
死だ。デッドエンドだ。
あらゆる行動が、リスクの多寡はあれそれにつながりかねない。
何をすればいいのか、わからなくなりそうになる。
無論、自分には前世の記憶があるけれど、それが極めて稀なものであることは分かるし、また次の生も、なんて期待は元よりしていない。
というか、そんなものがあったとしても生理的に湧き上がる死への忌避感はいかんともしようがない。
致命傷だけに限らない。
目を抉られれば見えなくなるし、腱が切れれば手足は動かなくなる。
喉笛を潰されることも、指が欠損することだってある。
前世のどこかで、鼻を削がれると鼻水が垂れ流しになると聞いたこともあるけれど本当だろうか。
とにかく、相手の殺意とともに、そういうおぞましい可能性がいっぺんに叩きつけられるのだ。
視野が狭くなり、鼓動が早くなる。息が荒くなり、僅かに体に震えが生じて頭が真っ白になり――
……そして、そういうものとは無関係に、僕は一刀で相手を斬り捨てていた。
襲ってきたアンデッドの振りかざす爪を盾で跳ね上げ、斜めに踏み出し、交差しながらカウンター気味の胴薙ぎ。
鍛え込まれた足腰の回転を乗せて、しなやかに剣を叩き込む肩や腕の筋肉。
確かな手応えがあった。
そのまま距離をとって確認すると、乾ききったアンデッドの体は両断され、塵となって崩れていくところだった。
……実戦に恐怖していたのは間違いない。
間違いないのだが、幼い頃から訓練され抜いた勇敢な筋肉は、そんな臆病者の思考は置き去りにして自発的に動いていた。
こう来たらこう動くという手順が、既に反射動作として染み付いているのだ。
よく戦闘訓練を受けた兵士や格闘家なんかを、前世では殺戮機械と称することがあったけれど、あれは実際その通りなのだと今知った。
きちんと訓練した戦士は、機械的な反射で敵対者を殺せる。
いつかブラッドの言ったとおり、恐怖も嫌悪も何もかも棚上げにして、だ。
「ふー…………」
今斬り捨てたのは多分、悪神の一柱、次元神ディアリグマの眷属たる、デーモンというやつだ。
その中でも、位階の低い比較的弱いやつだったはず。
ガスの博物学の授業からなので間違いない。
……ただデーモンは異次元の生き物なので、多くの場合、撃破すると消滅すると聞いていたのだけれど。
アンデッド化もするとは、知らなかった。珍しいケースなのかもしれない。
僕は塵と化す、斬り倒した怪物を見下ろしながら、そんなことを考えていた。
怪物のアンデッドとはいえ人型をした相手を斬り捨てたのに、不思議と、あまり感情は動いていない。
高揚も恐慌も混乱もなかった。いま、同じような相手に再び襲い掛かられても、やっぱり同じように斬り捨てられるだろう。
完全に塵になったのを確認してブラッドを見ると、ブラッドは呆けたような顔をしていた。
骸骨の表情は変わらないけれど、口が半開きになって視線をこっちに向けっぱなしだから、分かる。
「ブラッド、勝ったよ。……どうしたの?」
「お、おう。そうだな、よくやった……あー、初の殺し合いにしちゃ、まぁまぁだったな」
それからすぐに、何でもない事のように話してくるが、声がちょっと浮ついている。
嬉しそうだ。
どうやらブラッド的には、今回の動きはとても上出来らしい。
でも僕に調子づかれたら困るから、ほどほどに褒めないと、とか思ってる口調だ。これは。
「ふふん」
それを感じて、僕も嬉しくなる。
僕はブラッドの教えてくれることを、きちんとものにしたのだ。
とても誇らしい気持ちになった。
……さて。
最初に酷い目にあったと言ったけれど、これじゃそう酷くないじゃないかって?
違う。ここからが酷いのだ。
「あ、こら、調子乗るなよ。まぁまぁだからな、まぁまぁ……」
「またまたー、無理しちゃって。僕って天才でしょ?」
僕はおどけたように言った。
もちろん冗談で、ツッコミ待ちのつもりだったのだけれど……
「……天才、か。そうだな、天才かもしれねぇよなぁ……お前……」
ブラッドはなぜか、割と真剣な声音でその冗談を受け止め、
「……よっし、予定を前倒ししてもっとハードなのいってみっか、天才!」
極めて恐ろしいことを、嬉しそうに言った。
◆
いつも神殿の丘から見下ろしていた廃墟都市。
危険だということで近寄らせてはもらえなかった街の、その地下に、複雑な地下部分があったことを、僕は初めて知った。
入る前に教えてもらったのだが、かつてこの都市には人とドワーフ族が住んでいたのだという。
ドワーフ族は冶金や工学、建築に優れ、大地に親しく、穴倉暮らしを好む種族で、街にも大きな地下街を構築していたのだと。
そして今、この廃墟の地下街は、ブラッドが捕獲してきたような、知性のない凶暴なアンデッドたちが彷徨う危険な場所になっている。
たまに地下からそういったアンデッドがさまよい出てくるからこそ、僕が廃墟都市に近づくことを禁じていたのだ、と。
……僕は、そこに居た。
与えられた装備は衣類に靴に革鎧。長剣と短剣、円盾。
それと背負い袋の中に水の詰まった水袋、パンと干し肉。
これだけ使って一人で脱出して戻って来いと、僕はブラッドに地下街の奥に置き去りにされたのだ。
深い闇が広がっていた。
一歩先どころか、顔の少し前に差し出した手さえ見えない。
薄暗闇とかではなく、光がまったく差し込まない、平衡感覚さえ狂わせる真の闇だ。
……お気づきかもしれないが、最初に与えられた装備のなかに灯りがない。
既に生身の眼球などないブラッドは、どうやら別の超常的な知覚で周囲を認識しているようで、僕は真っ暗の中を抱えられてここまできたのだ。
当然、来た道など覚えられるはずがなかった。
おまけにそのまま灯りも与えられずに、アンデッドの巣窟の中に放置されたのだ。
……スタート条件からして酷すぎる。
が、恐慌していても解決するわけはない。
要はこれは、応用問題だ。
今まで与えられたことを上手く総合すれば解決できるようになっている、筈だ。
息を吸い、触覚を肌より向こうにも広げるような感覚で、周囲の暗闇のマナを感知して同調。
短剣を抜き、手元の盾に慎重に、《創造のことば》で灯りを意味する《光》という語を刻みこむ。
すると、ぼう、と盾が発光し、周囲10mほどが魔法の灯りでくっきりと照らし出された。
この灯りは炎のように揺らめいたりもしないし明度も高い。蛍光灯の明るさに近い。
数時間ほどで切れてしまうけれど、刻まれた《ことば》と周囲のマナを共振させれば、また光りだす便利なものだ。
その灯りで周囲を確認すると、ここは何か、小さな部屋のようだ。
入り口が一つあり、灯りの届かない先は闇。
どこからか風が抜けているのか、低い唸りのような風音がする。
脱出まで、どれだけ長くかかるか分からない。
休息が問題だな、と思った。
単独では見張りも立てられない。
この環境で休むのは相当に神経の図太さがいる。
薄暗い部屋で、膝を抱えて休むことを想像して、少しぞっとした。
前世は何だかんだ、ずっと部屋に独りだったのにな、と皮肉っぽく思って……
それから、ここ10年は3人がずっと一緒にいた事を思い出した。
いつもブラッドが居て、マリーが居て、ガスが居た。
「…………独りって、こんなに寂しくて、不安だったっけ」
思わず、ぽつりと呟いていた。
問われているのは……多分、総合的な実戦力。
厳しい実戦の環境に、対抗し続けられる肉体。
あらゆる状況に対して、柔軟に対応する技術。
そして危地と孤独にも、平静を保ち続ける精神。
三人から教わったことを総合したうえで、三人抜きでも発揮できるようにする。
それが、多分この酷い訓練の意味なのだろう。
僕も数え十三歳、じき十四だ。
この世界における成人年齢は十五だから、独り立ちの時期が近いはずだ。
――最高の成果を見せてあげたいな、と思った。
三人が教えてきたことが、ちゃんと形になっていると。
教えた甲斐はあったと。
自慢の弟子だと。
そう誇ってもらいたい。
……だから、やれる限りのことをやろう。
◆
視界の影から襲いかかってきた棘付きの尻尾を盾で弾きつつ、
「――《沈黙する》《口》!!」
沈黙を強いる《ことば》を淀みなく発声した。
眼前に居る骨の怪物の顎ががちりと締まり、発されようとした《ことば》が中断される。
その隙を逃さずに踏み込もうとするが、それを拒むため嵐のように振り回された短槍に後退を余儀なくされた。
……闇の凝った虚ろな眼窩と、睨み合う。
地下街の広間。
眼前に居るのは、スケルトン化したデーモンだ。
端的に外見を言うなら……人とワニの混ぜ物、だろうか。
身長は2メートルほど。
恐竜を連想するような頭骨。
突起の並ぶ、体格にふさわしい太い背骨。
ひょろりと、奇妙に長く伸びた尻尾の先端には棘までついている。
その人間めいた手には、錆一つない短槍が握られていた。
たしかガスの授業で習った範囲だと、こいつの名前はヴラスクスという。
顎による噛み付きは金属鎧をも砕き、思わぬところから襲ってくる尻尾は暗殺者の一撃に匹敵する。
あらゆる武器の扱いにすぐれ、《創造のことば》による古代語魔法すら操る、比較的位階の高いデーモンらしい。
強靭な鱗とゴムのような外皮、そして分厚い筋肉が、鎧をまとった騎士のような防御力をもっていて、異常にタフなのだそうだ。
今はスケルトン化しておりそれが全て失われているのは、ちょっとした幸運だろう。
ガスは並の戦士を10人並べても死体が10人ぶんできると言っていたが、流石にそれは誇張だったのかもしれない。
……だってこいつはブラッドに比べてずいぶん鈍い。
「はッ!!」
タイミングをはかり、一気に間合いを詰める。
繰り出された短槍を盾で逸らす。ぎゃり! と、盾と槍が擦れる音がする。
懐に飛び込むと、もはや魔法を使えない顎を用いてヴラスクスは噛み付いてきた。
が、これも予想済みで姿勢を低く転がるように回避し――
「やぁァッ!」
跳ね起きざま、尾てい骨の辺りへ長剣の切っ先を突き込む。
即座にねじりを入れて尻尾の接続部を破壊すると、再び死角からこちらを狙っていた尻尾の先端が力を失い崩れ去るのが感じられた。
ヴラスクスが驚愕したように、一瞬動作を止めた。
畳み掛ける。
円盾を構えて、盾ごとの体当たりを敢行した。
当たり前だが通常なら、160センチそこらの僕が2メートル前後の巨体に体当たりをしたところで揺るがせられない。
だが今、相手は全ての肉を失った軽量な骨の身で、おまけに長い尻尾を失ってバランスが崩れている。
全身の力を込めて盾ごと体をぶつけると、反作用の衝撃が全身に走り、次の瞬間にはヴラスクスは転倒していた。
短槍の柄を踏みつける。
が、ヴラスクスは即断で短槍を手放す。跳ね起きつつ両手を伸ばして噛みつきにきた。
……思惑通りに。
既に僕は剣の柄を両手で握って、それを迎え撃つため大上段に構えていた。
「りゃ、あああああッッッ!!!」
満身の気合を込めて剣を叩き下ろし、僕の喉笛に向かってきたヴラスクスの頭蓋を砕いた。
骨片が散り、ヴラスクスの巨体がうつ伏せに倒れる。
――ついでに宙に、くるくると折れた剣の先が舞った。
からぁん、と部屋の隅に剣の先が転がった。
「………………あ」
ヴラスクスが塵となってゆく。
ここまで頼ってきた無銘の長剣は、この強敵を下した対価として、見事に半ばからへし折れていた。
さぁっと血の気が引く。
まずい。
このアンデッドが徘徊する地下街でメインウェポンなしは極めてまずい。
どうしようかと動揺するが、ふとヴラスクスの持っていた短槍が、塵と化さずにそのままなのに気づいた。
拾い上げて観察してみると、それはデーモン風ではなく、ドワーフ風の槍だった。
「んー……」
ひょっとしてヴラスクスの持ち物ではなく、この地下街にあったドワーフたちの作品なのだろうか。
だとして、どうして長年錆もせず……と思って観察してみると、槍の各所に《創造のことば》が刻まれていた。
ガス曰く、かつて神々の戦いの時代には、神々が様々な道具に様々な《ことば》を込め、多くの神剣秘宝を創りだした。
ドワーフたちはその技を部分的に引き継ぎ、武器に《ことば》を込める秘技をもっていた、という。
この、錆びていない槍は――つまりは恐らく、地の民ドワーフたちの魔法の武具というわけだ。
魔法の武具はおしなべて極めて頑強で、霊体のガスのような物理的な攻撃の通じない相手にも効果を発する。
ものによっては、炎を発したり衝撃を生じさせたりといった、強烈な付与効果のついているものもあるらしい。
……ただ、ちょっとこの場では鑑定しきれない。
効果の分からない槍を振り回すのも怖いが、かといってメインウェポン無しはもっと怖い。
後でガスに見てもらうとして、この場はこの短槍に頼るしかないだろう。
ヴラスクスが普通に振り回していた以上、そこまで使い手にとって危険な効果はないだろうし。
そう決断すると、槍の柄を握って、何度か繰り出したり、繰り込んだりしてみる。
……素晴らしく扱いやすい。
「よし」
これでなんとか、進んでみようか。
そう決断した時だ。
「…………!」
強烈な殺気を感じて、振り返った。
ガスがいた。
全身に、殺気をみなぎらせて、僕を見ていた。