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竜亡き星のルシェ・ネル  作者: 不手折家
第二章 別荘での暮らし
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第032話 朱い針

 おれは、その感情の現れに大きな不信感を抱いた。なんだ? 両腕が健在な状態で負けたのに、今や利き腕を失った。普通に考えたら絶望的な状況のはずだ。


「これだけはやりたくなかったが、仕方ない」


 バルザックが右腕を振り上げると、勢いのまま肘から先がぽろんと取れて宙を飛んだ。吹き出すはずの血液が、水飴のような粘度で糸を引いて肘との間を繋いでいる。

 そして、バルザックは左手に持った剣で、空中に投げられた右腕をぷすりと刺した。

 なんのつもりだ? 剣に腕など刺したところで、重くて邪魔になるだけだ。しかし、これほどの剣士がこの状況で意味のないことをするはずがない。


 次の瞬間、バルザックはこちらを見た。ちらりと、まるでこちらの位置を確認するかのような視線の動きだった。

 そこに特定の意図を感じ、ゾッとしたおれは、すぐにしゃがみ込んで地面に手を当てた。


「しゃがんで!」


 おれは思い切り魔力を流し込んで、地中の岩の結合をブロック状に引き裂きにかかった。さっきのようにドームにする時間はない。

 ゲオルグはどうする。見ると、間を置かず前に出ていた。バルザックの懐に思い切り飛び込もうとしている。


「おおおっ!」


 バルザックが叫ぶ。剣は、奇妙な形状に変化していた。

 流体金属が腕を巻き込むように球状になり、キュウウウウ! と甲高い音を奏で始めた。

 赤と白銀(しろがね)のまだらが流転して、超々高圧になりながら擦れ合う摩擦が音を発生させているように見えた。


(さけ)べ! 哭死剣(こくしけん)!」


 ブロック状に結合を切り割いた岩塊を、その下から突き上げる。表土ごと岩塊が隆起した。

 二人の姿が見えなくなる瞬間、懐に飛び込んだゲオルグの一撃が、バルザックの体術で躱されているのが見えた。

 こちらが攻撃されると、ゲオルグは対応すべきか迷うかもしれない。俺が作った攻撃を防ぐ壁が見えれば、ゲオルグを安心させられるだろう。岩が隆起し、二人の姿が見えなくなると、キュオオ・オオ・オオ――と、神経を逆なでするような不気味な高音が響いた。


 そして、パパパパン――と小さな爆竹が何百個も弾けるような音が聞こえ、それが来た。

 突然の土砂降りのような細かな衝撃が、ばしゃっしゃっ、と辺りを穿った。岩を撫でるように掃射され、それが終わるとあれだけ(やかま)しかった攻撃音がシンと静まった。


 左右には、赤と銀が混ざりあった、輝きのない赤い銅のような金属が針のようになって何百本も刺さっていた。

 これが奥の手だったのか。

 凄い技だ。台座に乗せた重機関銃を鈍重に旋回させるような動作ではなく、腕を一閃するような瞬間的な素早さで掃射され、しかも密度と拡散範囲は五本のツララ(ソークローデュ)の比ではない。


 おれはすぐに岩塊の上に飛び上がりゲオルグの安否を確認した。


 ゲオルグは――生きていた。

 畳んだ左腕を頭の上に傘のように被せたようで、左腕から肩にかけて十本以上の針が刺さっている。

 一本辺りの威力は拳銃弾くらいしかなかったようで、針のほとんどは鍛え上げた腕を貫通することなく止まっているように見える。

 庇いきれなかった左足にも何本も刺さっていた。腕の隙間から通った、あるいは肉が薄い側部を貫通してしまった針が頭をかすめたところは負傷しているようだ。


 だが、生きている。 

 バルザックはゲオルグの攻撃から逃れながら、飛び上がって打ち下ろすように攻撃したようで、かなり角度がついていたらしい。

 そのため、折りたたんだ左腕から肩にかけての肉と装備が有効に機能し、生命維持の根幹に関わる胴体の部分には一本も刺さっていない。


「――やるじゃないか」


 ゲオルグはそう言いながら、立ち上がった。

 やはり頭に針は刺さっていないが、大きな裂傷は幾つも負ったようで、血がどくどくと流れて顔面の半分が真っ赤に染まっている。

 一番ダメージの大きい左腕はもう使いものになりそうにない。左足にも重症を負っている。


 だが、ゲオルグの闘志はいささかも衰えていないようだった。

 右手に持った聖剣で、左腕から足にかけてぶら下がっている金属の針を、埃でも払うかのように断ち切った。


「いよいよ幕切れが近いな。行かせてもらうぞ」


 ゲオルグは無事である右足と右腕を後ろに下げ、半身に構えた。

 後ろに下げたのは、頼りになる右足を蹴り足として使っていくためだろう。使い物にならない左腕も、前に出しておけば防御に使える。

 既に体はズタズタになっているが、その構えはさすがに様になっていた。


 対して、バルザックを見る。

 手に大きな柄だけになった剣を持ち、右足を庇うようにして立っていた。現在は例の術で止血しているのだろうが、ズボンには大きな血の染みができていた。先ほどの技を放つ際の交錯で、ゲオルグに深く斬られたのだろう。


 ゲオルグのほうが派手に出血しているし、明らかに負傷が大きいが、そう悪くない状況に思えた。

 考えてみれば、あんな強力な技があるなら最初から使っていたはずだ。回避に追いすがる掃射の速さ、広範囲に敵を捉える拡散性、そして攻撃の隙間を埋め敵を捉える密度。どれをとっても一級品で、近接戦闘では最高に扱いやすく強力な性質を備えている。別に腕を犠牲にしなくても、おそらく必要だったのは適量の血液なのだろうし、適所適所で使えばゲオルグを圧倒できていただろう。

 それをいよいよ追い詰められるまで封印していた。それには、なにか理由があったはずだ。


 発射された針の質量は、ざっとみても元々の剣の二倍や三倍では収まらない。質量的にかなり膨張してしまっていて、質感も大きく変化して金属的な光沢は失われている。

 あれは、流体金属に圧力をかけて血と混ぜると、なにかしら可逆性のない変質が起こることを利用した攻撃だったのではないか。


 つまりは、せっかくの聖剣を使い捨てにする技だったのではないだろうか?


 だとすれば、バルザックがぶら下げている柄は、もはや何の役にも立たない。杖の何本かはどこかに隠し持っているのかもしれないが、それで戦うしかない。

 それを考えれば、ゲオルグが圧倒的に不利だとは必ずしも言えない。


「はあ――うんざりだ。この、死にたがりの老いぼれが」


 バルザックは、心底嫌そうな顔をして言った。

 そして、柄だけになった剣を放り捨てた。


「おい、やれ!」


 バルザックは、共に来て控えていた六人のほうに向けて言った。

 は?


 おれは混乱の中でやるべきことを考え、すぐにしゃがみ込み、あらん限りの魔力を注ぎ込んで、足元の岩塊の運動を操作した。

 ゲオルグが飛び込む。

 おれは、魔力を注ぎ込む両手で岩塊を掴んで、わずかでも助けにするため腕の筋肉まで使いながら、渾身の力を振り絞って何トンもある岩塊を投げた。


 岩塊は、跳ねるゲオルグと六人との間に、轟音を立てて突き刺さった。

 六人が放った様々な魔術は、遮蔽物となった岩塊に命中して阻まれた。だが、それは全てではなかった。

 直接狙いを定めた氷槍は全て岩塊に突き刺さったが、多少狙いがそれても効果を発揮する圧縮空気系の魔法、それと火球のいくつかがゲオルグの足元を抉り、バルザックのところに辿り着く前に、ゲオルグは吹っ飛ばされてしまった。


「やめろ!」


 六人は、次の魔術を準備している。おれは思わず叫んだ。

 新しく岩塊を切り出す時間などない。

 ゲオルグの向こうに気体の壁を作る。それに防御力はないが、屈折率の違いが生じるせいで、ゲオルグの見かけの像を現実とは別の場所に結ばせることができる


 しかし、六人はお構いなしに魔法をぶっぱなした。

 生身の人間が木っ端微塵になるような暴力的な魔法は、その大半が外れたが、おれの魔法を見てわざとバラつきを作ったのか、被害半径が広がってしまった。


「ゲオルグ、避けて!」


 おれは無理であることを知りながら叫んだ。

 次の瞬間、数人がかりで何十本もバラまいた氷の矢が、グサグサとゲオルグの周囲に刺さった。

 うち一本が、明らかに腹部を貫通した。


「あっ――」


 その瞬間、何も考えられなくなり、霊体の中で編んでいた発現素子(はつげんそし)がパラパラと解けた。

 やられた? ゲオルグが。


「いやああああああ!! ゲオルグさんっ」


 悲鳴をあげて駆け寄ろうとするネイを、おれの横を通り過ぎようとしたところで服を掴んで止めた。


「やめろ」

「でもっ、ゲオルグさんが!」

「どいてろ」


 おれは思い切りネイの服を引っ張り、後ろに放り投げた。

「痛っ」

 地面に尻もちをついたネイが、小さく悲鳴を上げる。


「おい、バルザックとかいう、お前! これはどういうことだ」


 不思議な感覚だった。

 頭に血が上った感覚とも違う、白い炎のような怒りが燎原の火のように精神を燃え上がらせている。

 こいつは、侵されるべきでない神聖な決闘を侵した。それはゲオルグの高潔な精神に対する最大級の侮辱だ。


「決闘の最中に仲間を使ったな。なにか釈明があるなら聞かせてみろ」

「――ふん」


 バルザックはやはり負い目を感じるのか、少し気まずい様子で、だが鼻で笑ってみせた。


「何が悪い? 戦いとは元々手段を選ばんものだ。子供には分からんだろうがな」


 戦いならそうだ。だが、これは決闘だ。話がまったく違う。


「あんたは、決闘に勝ったといいたいのか?」

「そう言っても問題なかろうな。どうせ、お前たちはこれから死ぬのだから」


 むろんのこと、おれたち全員を殺してしまえば、ゲオルグを決闘で下したと主張しても、身内の口止めさえしっかりできれば異を唱えるものはいない。


「そうか。じゃあ、ゲオルグの聖剣を取れ」

「なに?」

「お前は今、剣がないだろう。ゲオルグの聖剣を取れと言っている。それとも、歩けもしないのか?」


 バルザックは顔に疑問符を浮かべ、地面に落ちている聖剣を見た。

 爆発を食らった時に手放してしまっており、ゲオルグが倒れている近くに落ちている。


「何を言っている? 俺はお前と決闘などせん」

「おれもそのつもりだよ。決闘とは名誉の奪い合いだ。自然、双方とも名誉を尊ぶ者でなければ成立しない。(ほま)れを(ぬす)んで恥と思わない者は、元より決闘という行為にそぐわない。お前は決闘するに値しない(くず)だ。そんな人間と最後の決闘をしたゲオルグが可哀想だよ」

「――ふんっ」


 バルザックは言い返してこなかった。開き直っているのだろう。

 元より恥を知らない者に、こんな話を説いても意味がない。


「だが、剣を持たない男を殺せば、おれの名誉が汚れる。さっさと剣をとれ」

「生意気なガキだな。俺が怪我をしているから勝てるとでも思っているのか?」

「どうせ拾って持って帰るつもりなんだろ。さっさと拾えよ」


 おれの妙に自信のある態度を見て、わずかな距離だし拾っておいたほうが得策だと考えたのだろう。バルザックはおれと聖剣との間を見比べると、なんのリスクもないと判断したのか、右足を引きずりながら拾いに向かった。

 後ろの六人は魔術を放つ手をしっかりと構えている。

 おれは攻撃を誘発しないよう、ゆっくりと歩いた。倒れ伏しているゲオルグの、剣を挟んだ対角線上に移動していく。

いつもお読みいただきありがとうございます!


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よろしくお願いします<(_ _)>

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