第028話 別荘
家に帰ると、おれは地下室への扉の前に立った。
二枚ある重厚な扉は強靭化されているため音をほとんど通さない。なのでノックなどは意味がない。予め決めておいた符丁の振動を魔力で送ると、しばらくして強靭化が解除されて扉が開いた。
恐る恐るという感じで、ネイが現れる。
「……ルシェ。どうだった?」
「やっぱり魔王軍だったみたい。イーリは?」
「イーリ様、大丈夫のようです。どうぞお手を」
イーリはネイに手を引かれて地下室から出てくる。
「やはり連中だったか。ゲオルグはどうした」
「村長と少し話してから帰るって。復興しようとしないで集団離村したほうがいいよ、って説得するみたい」
「そうか」
「それでね、アリシアを拷問しようとしてた魔王族が……ああ、実際に拷問はされなかったんだけど、ゲオルグとイーリの名前を出してて、居場所を探してるみたいだった」
おれがそう言うと、イーリはやはり顔色を変えなかった。
その分というか、ネイのほうは素直にびっくりしている。
「そうか。拷問を……アリシアは喋ってしまったのかい?」
「うん。でも、聞いた魔王族はすぐに殺したから情報は漏れていないはずだよ」
おれがそう言うと、イーリはおもむろに一歩近づいてきて、おれの体を抱きしめた。
なんだなんだ。
「アリシアに裏切られた気がして、辛かったかい?」
真っ先に気になったのは、そこなのか。
おれの辛さなんて、どうでもいいことのような気がするが……。
「……うん、まあ」
「真っ先にアリシアの安否について話さなかったから、何かあったのかとは思ったが……。でもね、アリシアを責めてはいけないよ」
おれは責めているのだろうか?
責めてはいないとおもう。でも、消化のできないようなやるせない想いが胸の奥で燻っている。
「他人の弱さとは、赦すものだ。卑劣には怒ってもいい。でも、弱さは赦しなさい。そして、自分は強くあろうとしなさい。そんなルシェを、私は誇りに思うよ」
イーリはそう言うと、抱え込んだ頭の後ろをすりすりと二回撫でた。
そうか。アリシアは弱かっただけなんだ。それも特別に弱かったわけではない。そして、少なくとも、自分の命を救おうとする行為のことを卑劣とは呼べない。
そうか。おれはアリシアを憎んだり、責めたりする必要はないんだ。
そう考えると、もやもやと心にかかっていた霧が晴れたような気がした。
「うん……」
「よし。じゃあ、引っ越しの準備だ。希少品をバッグ一つに纏めなさい。家は燃やしてしまうからね」
「えっ、燃やすの?」
この家には思い入れがある……。
できればそんなことはしたくなかった。
「……ルシェの気持ちはわかる。でも、全ての本を持ってはいけないし、一冊一冊外に出して燃やすのは時間がかかりすぎる。取り残しがあったら魔族に利用されてしまう。家ごと燃やしてしまったほうが確実だ」
「……うん、そうだね」
「なに、皆が無事なら思い出はまた作れる……。さ、ルシェは作業室に行って、特級棚の中身をみんなバッグに詰めておくれ。他の棚は、みんな引き出しを床に投げて瓶を割ってしまいなさい」
特級棚とは星鱗の他、巨人族の脳脊髄液だとか亜竜の心臓近くにある魔力器官の乾物だとか、そういった非常に希少で抜群の効果を持った素材だけが収めてある棚だ。
「わかった」
「ネイは、金庫を開けて中の金貨と宝石を全部出して、回路の図面をキッチンの竈で燃やしておくれ。万が一にも燃え残ったりしたら困る。あれだけは魔族の手に渡ってはいけないからね」
「分かりました」
「さ、行きなさい」
イーリが抱擁していた両腕を離すと、おれはすぐに駆けていった。
◇ ◇ ◇
作業にはさほど時間を要しなかった。
イーリもネイもさほど荷物は多くない。着替えを含めても、それぞれバッグ一つに収まる程度だ。お金持ちなので、捨てても後で買えばいいという考えが染み付いているのだろう。
一時間もすると、ゲオルグが帰ってきた。
「進んでいるようだな」
戦闘よりむしろ話し合いのほうが疲れたといった様子だ。
「どうだった」
「今日中に村を捨てるそうだ。俺たちはもうここを去るから、明日また敵が来たとしても守ってはやれんと言ったら決心した。傭兵も全滅したしな」
「そうか。まあ、それがいいだろう」
イーリがそう言うと、ゲオルグはおれのほうを見た。
「あと、ルシェ。アリシアが謝っていたぞ。ごめんなさい、と伝えてくれと」
「そう……村は出ていくって?」
「ああ。そうするつもりのようだった」
「それならよかった」
後でもう一度会うことがあったら、冷たい態度をとったことを謝ろう。
「さて、荷物を取ってくるか」
ゲオルグは家に入ると、こちらが話を始める暇もなく、一分もしないうちに出てきた。
「ルシェ、お前の荷物に入れておいてくれ」
ぽん、と薄い皮でできた巾着袋のようなものを渡してきた。
ずしりと重いが、片手の上に乗るくらいのサイズしかない。
「もしかして、これで全部?」
ゲオルグの部屋は見たことがあるが、確か長い背負い紐のついたボストンバッグくらいの袋を持っていたはずだ。
「荷物をいつでも捨てられるように、大事なものはまとめてあるからな。寝袋だの野営道具だのは捨てていく」
「そ、そうなんだ」
着替えの一着も持っていかないとは、身軽にもほどがある。
「それで、どうするんだ? 予定通り燃やすのか?」
「ああ。そうするつもりだ」
「もう火をつけていいのか?」
「うん」
イーリがそう言うと、ゲオルグは家の中に入り、すぐに出てきた。
付呪具で火をつけたのだろう。
「万が一のことを考えて、山道を使おう。尾根筋を通って丘陵の反対側に出れば、東からオルメリスに入る街道に出られる」
「……だが」
イーリが言うと、
「お前は俺が背負っていく」
と、ゲオルグが言葉を被せた。
特に体を鍛えていないネイもきついが、イーリはかなり体が弱いので山歩きなど耐えられないだろう。
「心配のしすぎと思うかもしれないが、こういう追われる状況で面倒を嫌がると、後々もっと厄介なことになるからな」
「……分かった。なら、よろしく頼む」
「よし、すぐに出発だ」
ゲオルグがしゃがみこみ、イーリに背中を向けると、イーリは遠慮がちにその背中に胸を預けた。
家にはまだ火が回っていない。
天井を伝って玄関から漏れた煙の臭いが、少しだけ鼻をついた。
◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇
おれたちが住んでいた別荘は、東西に大きなひだのように隆起した丘陵の、南に枝分かれした支稜の端っこに建っていた。
ゲオルグが想定しているのは、十キロメートルくらいある支稜を根本に向かって歩き、そのまま大きな丘陵の反対側の斜面を下っていくルートだろう。
別荘から五十メートルほどの高さを登っていくと、斜面が途切れて頂点の部分についた。ここから、山を馬に例えればタテガミや背骨が通っている部分、つまりは尾根が始まる。
「ハーッ、ハーッ、ハーッ、ハーッ……」
一番しんどそうなのはネイだった。日頃運動をしていないので、だらだらと汗をかいて息を荒げている。
「ネイ、荷物を持つよ」
「――っ、いい。はーっ、はーっ」
「いや、ここから長いから体力を温存して」
前と後ろにリュックを背負った状態だと、うまく斜面を登れないので今まで申し出なかったが、ここからの尾根道にはそれほど急な坂道はない。
「……はーっ、はーっ、わかった」
ネイが素直に渡してきたリュックを、腕を通して体の前にかけた。
背中が当たっていた部分が汗でじっとりと濡れている。なんだか、普段嗅いでいる自分の汗の匂いとは違う匂いがした。
「ゲオルグ、ここをまっすぐでいいんだよね?」
「ああ。そうしてくれ」
イーリを背負っているゲオルグは、さすがに額に汗をかいている。
先頭のペースメーカーはおれがやっていた。
まあ、ここからはほぼ平坦な道が続くので、それほどしんどくはないだろう。丘陵と合流するところに少し坂道があるくらいだ。
この尾根は二つの急な坂が合わさった突端という感じではなく、かなり緩やかに丸まった形をしていて、ぱっと見た感じは林を歩いているようだった。
これなら木々を簡単に避けながら歩くことができる。同じ尾根といっても、人一人歩くのがやっとの尖った尾根だと、目の前の木一つ避けるのも大変になる。わざわざ左右の切り立った斜面に足元を気をつけながら下り、それから上らなければならない。体力の消耗度合いが全然違う。
それから更に一時間ほど歩くと、ゲオルグが口を開いた。
「そこで休憩を取ろう」
「わかった」
ちょうど倒木が二本並んでいる。椅子にちょうどよさそうだ。
ゲオルグはしゃがみこんでイーリを降ろし、おれは荷物を二つとも地面に置いた。
イーリとゲオルグは道中ちょこちょこと小声で話をしていたようだが、何の会話をしていたのだろう。
二人が同じ丸太に座ったので、自然とおれとネイが同席になった。
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