美しさの基準は人それぞれ
従姉妹のことは可愛がってない、の過去話。婚約前後あたり。例のお茶会周り
広い意味での異世界転生 公爵家と侯爵家が沢山あるってことは多分王家の影響力ってそこまで強くない気もする
エインクライン公爵家の嫡子、ハルトムートは絶世の美少年である。柔らかな淡い金色の癖毛に、おっとりと優しげに垂れた深い青色の瞳。完璧に均整の取れた体つき。美しすぎて人間かどうか疑わしいとすら言われることもあるほど、彼を構成する全ては完璧な形をしている。実は天から遣わされた天使だと言われても疑う者はいないだろう。
しかも美しいだけでなく賢く有能だ。1を教えられれば10を理解し、三度も見ればすっかりその動作を真似てみせる。魔力操作の基礎を教えられれば、己で美しくも完成された術式を組み上げてしまった。いっそ天才と呼ぶのすら生ぬるく、異質なくらいに全てが人間離れしている。とはいっても、心まで子供らしくないということはなく、喜怒哀楽の表情はわかりやすく表に出ている。偶にやや場違いな表情を見せることもあるが。
美しく優秀な息子を母親は溺愛し、父親は空恐ろしく思いながらも年長者として公正に接した。二つ年下の弟は自分が兄と同じようにこなせないことを悔しがってよく泣いた。
ハルトムートは母には従順に従い、父には対等に話し合い、弟には根気よく教え諭した。使用人に当たり散らすこともなく、淡々と接した。相手の能力以上のことは求めず、ただ役目を果たすよう命じた。領民への接し方も使用人に対してと大差はない。人間離れした美貌故に気後れして気安く接せる者がいないというのもあるだろう。敬意をもって扱われれば公正に返し、無礼な扱いには冷たく突き放した。
エインクラインの美しい神童の噂は王都まで届いた。これで年回りが違っていたら第一王女か第二王女の婚約者に抜擢されていたかもしれないが、幸か不幸か第二王女は彼の三歳上で、第一王女に至っては5歳上。婚約者は他家の子息にほぼ内定していた。高位貴族の子供たちも王妃の懐妊に合わせて同じような年代に産もうとされることが多いため、第一子、第二子くらいまではそのくらいの年代で生まれていることが多かった。ハルトムートの一つ下に第三王女が生まれたので、そこでもう一人作った家もそこそこあるが。
そういう意味では、エインクラインは少し特殊だった。ハルトムートの母は本来、公爵家の跡継ぎではなく他家へ嫁ぐ予定だったが、兄らが子を成さずに死んだために繰り上がりで婿を取って家を継ぐことになった。その婿も婚姻直前に死亡し、急遽寄り子の家から丁度良い人物として拾い上げられたのが現在の夫でありハルトムートの父である男だ。エインクラインはそもそも百年単位で遡れる歴史のある公爵家であり、何度か王族の血を受け入れている、ある意味で王家のスペアとも言える公爵家だ。歴史を見れば奇矯な人物も何人か生まれている。
子を授かることは完全にコントロールできることではないから、全ての貴族子息が同年代に揃うわけではないものの、有力貴族の子が生まれるとなると近しい家で似た年頃の子を用意しようということにはなる。エインクラインはその旗頭となりうる家だったので、ハルトムートと同年代の子供もそれなりに生まれた。第二子以降であることが多かったが。美しく神童であるという話が広まれば、近しい関係を結んで側近となったり、婚約を結んだりさせたいと相応の教育を子供に与える家も多かった。賢い子供は己を見下した態度をとる人間を嫌うものである。それに、話を合わせられた方が仲良くなりやすい。
そうして、ハルトムートが九歳の時、王宮で同年代の高位貴族子女を集めた顔合わせの茶会が開かれる運びとなった。王妃が主催であり、第二王女も参加する本格的なものではあるが、就学前ということで非公式の扱いになるガーデンパーティーである。各家の侍女や護衛も控え15人ほどの公爵、侯爵家の子供たちがそれなりのおしゃれをして入場する。
王族を除けば最も高貴なのは公爵家の嫡子であるハルトムートだった。母親の仕立てさせた華やかな礼服は彼の美貌を引き立てまるで人ならざる貴い者であるかのようにも見えた。ハルトムートが名乗る前から、他の子供たちは彼が噂の神童であるとわかった。
力ある貴族であれば美しい人間など見慣れていることが多い。それでもハルトムートの美しさは別格だった。そこにただ存在しているだけで自然と視線が引き寄せられる。ほんの些細な日常動作すら、人の目を惹き付けてやまない。美しすぎて自分たちと同じ人間に感じられない。
それが人形のように表情が固定されているわけではなく、他の子供と同じように未知の場所への緊張を見せたり、甘味に表情をほころばせたりしている。恋に落ちた者は一人二人でなく、その美しさに触れたい、ほしいと欠片も思わぬものはいなかった。自制心の薄い子供なら尚更、巧みに策を巡らすことはできなかった。
とはいえ、流石に王妃主催の会で暴走する者はおらず、各人の紹介まではいっそ奇妙なまでに静かに終わった。事態が変わったのは、形式の決まったやりとりが終わり、自由に話しかけてよい時間になった時である。
身分による席順であったため、ハルトムートの正面に座っていた他の公爵家の娘(末っ子)がハルトムートに向けて話しかけた。
「ハルト様は、この庭園で一番美しいのはどなただと思いますの?」
家族に溺愛されて育った彼女はその問いに言外に勿論私ですわよね?というものを含めていたが、それは彼に一切通じなかった。
彼は何言ってんだこいつ、という顔で小首を傾げ、あたりを見回した。周囲の子供たちが皆彼の返事を聞こうとしていることを気にした様子もなく、椅子から降りると、庭園に歩み寄り、歩道に敷き詰められていたさざれ石の一つを手に取った。しかも適当に手に取ったというのでもなく、何らかの基準をもって選び取ったという様子で。
一体どのような返答がされるのかと皆が注目する中、戻ってきた彼は言う。
「これ」
「…え?」
「今この庭園に存在している中で一番美しいのは、この石」
そう言って彼が示した石は、他の人間たちにはただの小石にしか見えなかった。何の変哲のない、他のさざれ石と違いがあるようにも見えない、子供の手のひらにおさまってしまうような小さな白い石。
大人はもしや場を切り抜けるための何らかの方便か?(誰か一人を選ぶと角が立つため)と思っていたが、子供たちはただただ自分が侮辱されたと思った。いっそ、彼が自分が一番美しいと言った方が丸く収まっただろう。
「…御冗談にしては、面白くありませんわ。ハルト様はジョークが苦手ですのね」
「冗談?君が曖昧な問いをするから俺の主観で答えただけだが。それとも、自分たちが美しい存在だとでも思っているのか?」
嘲るように、はっきりそんな言葉を口にした彼の表情に、自分に対する親しみの情だとかが一切ないことがわかって彼女は泣きだした。
それに触発された、というのも少し違うかもしれないが、また別の公爵家の子息(三男)が噛みつくような勢いで彼に言う。
「うぜえ質問だったかもしれねえけど、流石に言いすぎだろ。…お前よりは綺麗じゃないかもしれないけどさぁ」
「俺もこの石より美しくないよ。当然だろう」
「は?」
彼はそう返した後、石を元通りの場所に戻した。そうするともう、どれがハルトムートが一番美しいと言った石なのか誰もわからなくなった。否、ハルトムート自身はわかるだろうし、あと一人例外がいて冷や汗をかいていた。警備の中にいた王宮魔術師である。ハルトムートの拾い上げたあの小石は、実はただの小石ではなく魔術的な細工がかつてされていたもの…魔術に使われた石を砕いたものだった。本来であれば、そこにあっては拙いものである。魔術師は後でこっそり除けようと決めた。
それはそれとして、茶会会場は混乱に陥っていた。この場の本人以外の人間は皆美しい存在であると断言するであろう絶世の美少年が、己は美しくないと宣ったのである。彼と他の人間とで"美しい"という言葉の意味が違うというくらいしか合理的な説明がつかない。
ただ意見の相違があったというだけなら、彼がおかしいという話になって終わりだっただろう。だが、よりにもよって、美の化身の如き存在が美について述べたのである。ただ否定するには言葉が重すぎた。まだ人生経験の浅い子供たちに対応できるものではない。だが、場を混乱させたままにするわけにはいかぬ、と静かに様子を眺めていた第二王女が声を上げた。
「――静まりなさい」
次期女王ではなくその補佐かスペアの役目を持つ者として育てられているとはいえ、流石に王族というだけあって、その一言で子供たちはぴたりと動きを止め口を閉じた。目上であり、年上であるというのもあるだろう。格が違っていた。平然としている子供は、そもそも混乱の大元になったハルトムートくらいのものである。
「ハルトムート・エインクライン、偽りなく答えなさい。この場の人間の中で最も美しいのは誰ですか?」
「人間の中で、ですか」
ハルトムートはきょとりとして、周囲の人間の顔を見回し、困った顔をした。
「俺にはこの場にいる人間の美しさは似たり寄ったり…誰が飛びぬけて美しいということもないように思います。無理に選ぶなら、それは俺の好き嫌いでしかありません」
「そうですか…この場で好悪を答えさせるのは酷ですから、その返答で良しとしましょう」
王女は静かに子供たちに視線を巡らせる。無言での、それで手打ちにせよ、という命だった。そして改めて彼に言う。
「あなたは他の者たちに尋ねたいことはないのですか?」
「どのような人間であるか、どのように育ってきたかは見ればわかります。殊更個人的に気になることは、特には」
「ほう。では例えばそちらの…アルニラムス公の娘はどのような人間であるとあなたは見るのです」
指名されたハルトムートの正面に座っていた娘がびくりと肩を震わせた。彼は大して気にした様子もなく、天気の話でもするように言う。
「最近まで随分甘やかされ、我儘を言っても大して咎められることもなく過ごしてきたのでしょう。マナーを守ることを面倒くさい、無意味なことだと思っているのでしょうね。他者は己をちやほやするのが当然だと思っているし、己と同等の立場の人間がいるとは思っていません。けれど、最近は多少なりと家族が外に出しても問題ない振舞いを身に付けさせようと教育が少し厳しくなって、それに不満を覚えている。何故学ばなければいけないかわかっていない。ちなみに今のまま際限なく甘いものを食べていると横に大きくなって自分のベッドから出ることもできなくなるよ」
「え、なっ…」
全く一切当てはまらないというわけではなかったのか、娘は混乱したようでパクパクと口を開けたり閉じたりしている。王女は少し考えて、他の子供たちについても述べるように促した。一人だけ恥をかかせるより、全員を同じように暴かれた経験をさせた方がマシだと判断したのだった。
彼は
「兄に全く敵わないことをコンプレックスに思っている。年の離れた相手に子供の内に手も足も出ないのが当然だということが見えていない。あと歩く時の重心がズレているから正確に剣を振れないし矢が外れる」
だとか
「両親に役に立つ人間になることを期待されていない。命じたことをこなせる人形になれば儲けものだという程度の手間しかかけられていない。魔法を無理に組み立てようとするよりまず語学と数学を学んで理論から理解した方がいい。全く効率的じゃない」
だとか
「ドレスのサイズも色も本人に合わせて仕立てられたものじゃない。本人の意思で選んでないならただの嫌がらせ。自分でやってるなら目かセンスが悪いから医者に行った方がいい。あとそのイヤリング呪いがかかってる」
だとか
「極めて健全に育ってるけど、単純に頭が悪い。自分で全部判断するんじゃなく、他の見る目の確かな人間を探して外付けチェック機構を複数用意した方がいい。将来詐欺にあうと思う」
だとか、散々辛辣な見解を述べた。会場は再び阿鼻叫喚である。下手な占いより当たる。事前に調べていたと言われた方がいっそ怖くないくらいだが、調査させてわかることでもなさそうなこともあった。自分と王女以外の子供は多少なりとも心に傷を負った状態になったところでハルトムートは言う。
「殿下は呪いに手を出さない方がいいですよ。向いてないし、人を呪わば穴二つ、ですから」
「え」
「ほら向いてない。初対面の相手が見てわかる程度のことを指摘されて動揺するくらいなら、専門家に任せた方が良いのです」
極めて真面目な顔で告げられた内容に王女は赤面する。自分は免れると思ったのは考えが甘かった。まこと口は禍の元である。ちなみに王女が使った呪いというのは子供のおまじないに毛が生えた程度のもので深刻な結果を引き起こすものではない。今の所は。
「それにしても、見てわかることを明確に言葉にされただけで何故そんなに動揺する必要があるんだ?知られちゃ困るなら隠すなり改善するなりすればいい。問題ないと思うなら堂々としていればいい。それとも自覚がなかったのか?」
ハルトムートは阿鼻叫喚の子供たちを眺めて、理解に苦しむ、という顔をしている。
「う゛る゛せ゛ぇ゛っ゛!!お前、人の心がないのかよ!!」
近くの子供に感情的に突き飛ばされて、ハルトムートはぽかんとした顔で尻もちをついた。
「ひとのこころ…?」
「何であいつらが泣いたり怒ったりしてるかわからねぇのかって、言ってんだよ!」
「うん。でも俺だって心はあるよ。突き飛ばされるいわれもないし」
彼は一人で立ち上がって転んでついた埃を払う。
「美しいからどうだとか決めつけてくる君たちに言えたことじゃないだろ。初対面で勝手に名前で、しかも略称で呼びかけるのはマナー違反だよ。同輩に敬意を払えない無礼者に何で俺が配慮してあげなきゃいけないのさ」
不機嫌そうな、蔑んだ目で見られて子供は怯んだ。なんなら大人でも怯むだろう。美しいものの蔑みの視線はそれぐらい攻撃力が高いのだ。
茶会から帰った後、当然護衛が両親に顛末を報告したので家族会議になった。父がどういうことかと尋ねるより前に、ハルトムートは口を開いた。
「ハルに公爵するのは無理!ハルじゃ務まんないっ、没落させちゃうっ」
ギャン泣きである。ハルトムートがそのような激しい感情を見せるのは初めてだった。あるいは茶会の様子を実際に見ていたものであればその時の子供の一人と全く同じ様子であることがわかったかもしれない。
もっとも、実際には誰もそんなことは気付かず、ハルトムートのギャン泣きと発言に動揺したのだが。
「ハルトムート、何故そんなに嫌がるのだ。王宮主催の茶会が散々なことになったとは聞いたが…」
「ハリーに後継が務まらないだなんて、そんなことはないわ。だってハリーはとっても優秀で美しいんだもの。他家の子たちだって自然とハリーに付き従ってくれるでしょう?」
「ハルはけんぼーじゅっすーとかできないもん、父上みたいに他家のとりまとめとかできないっ」
エインクラインの人間は概ね感情的になって癇癪を起こしたりしない人々で構成されていたので、地団太を踏んで暴れるなんてした者はいなかった。
使用人たちはどうすればいいのかとおろおろしているし、弟は訳が分からないというように茫然としている。母親は目の前で何が起こっているのかわからないというようにハルトムートの言葉をひたすら否定している。父親だけが、頭痛がするという顔で頭を押さえ、冷静に問いかける。
「…ハルトムート、お前が後継にならないというなら、どうするつもりだ。お前は平民ではやっていけないだろう」
より正確に言うなら、権力の守りがなければ攫われて慰み者にされかねないというニュアンスの話である。人を狂わせかねないほどの美しさなので。
「公爵はレオのが向いてるからレオが継げばいいの。ハルは小さい領地で隠居するからっ」
「えっ」
「…レオンハルトもいざという時の為に後継教育はさせているが、お前が優秀な人間なのは明らかだから理由もなしに後継から外すことはできない。本人がそう望んでいるといってもだ」
「王妃様のお茶会を台無しにしたよ」
「お前は未だ子供で初めてのことだった。取り返しのつかないこととまでは言われないだろう」
「・・・」
その返答にハルトムートは失望した顔をした。
「長男が後継を外れるなど、物理的にそれが叶わない状態になったか、あまりにも無能か害悪にしかならないか、家が危ぶまれるほどのやらかしをした償いか…他家に入ることになった場合くらいか。血を引かないことが判明した場合もあるがこれはハルには関係ないからな」
元々母が公爵家の生まれであり、生みの母と血が繋がらないなんてことはありえない。ハルトムートは間違いなく公爵家の血筋の子である。
「でもハルが当主になったら、絶対公爵家が大変なことになるもん…」
「ハルに至らないところがあるとしても、家臣や周囲の人間が助けてくれるだろう。そこまで思いつめなくてもいいのではないか?」
「言われたことをやるだけならハルがやらなくてもいいじゃん。ハルは当主向いてないもん」
「どのあたりが向いてないんだ?」
「ハルは喧嘩しない為でも心にもないことは言いたくない。美しくないものを美しいって言うとか絶対やだ。それに馬鹿に馬鹿って言わない自信がない」
「…ハルから見たら大体の人間は愚かなんじゃないか?」
「ん…うん。ハルに言われないとわからないなら、馬鹿だと思う」
「成程…」
実際没落までいくかはともかく、ハルトムートが強烈に敵味方を作りがちな人格をしていることはわかった。今までは格下で身分を弁えているものが接する者の九割くらいだったから目立たなかったのだろう。それが仮にも同格の立場となる子供と対峙したことで自覚したのだろう。それが後継に相応しくないものだと彼は判断した。
「ハル、意図して茶会で騒ぎを起こしたのか?」
「俺から喧嘩を売ったわけじゃないよ。いきなり馴れ馴れしくて不快だったから、もう俺に近づきたくないって思うくらい塩対応しただけ」
つまりやろうと思えば騒ぎを起こさないことはできたのだろう。少なくとも、このような形では。
「言わなくていいこと言っただけだから、嘘は吐いてないよ」
本当にハルトムートを後継から外すかは今は保留になったが、どちらか相応しい方が継ぐ(ハルトムート確定ではない)ということになった。母親は文句を言っていたが、男性陣はそれで合意した。
先代公爵たる母親の父親(ハルトムートたちから見ると祖父)は母親を当主には不適格と見たため、現在の公爵家は正当の血筋であるハルトムートかレオンハルトが継ぐまでの代理当主が父、ということに書類上なっている。父の人格と能力を見込まれてのことでもある。
あくまで正式に公爵を継げるのは血を引く者のみとしているものの、実権は父が握っている。母の伴侶だからこそなので離婚したりしたら資格は喪うし、外に子を作っても公爵家の資産等を継がせることはできないのだが。
しかしまあ、母親が文句を言ったところで実権はないので流されるだけだった。かくして初めての他家の子供たちとの交流は散々な結果に終わった。
となればマシだったのだが。この話には色々と後日談がつく。
茶会のことがきっかけとなり、さる家で行われていた不正が発覚したとか。和解したとか。連れ子による乗っ取り未遂が発覚したとか。令嬢が人が変わったかのようになったとか、まあ色々。
そしてエインクライン家にとって最大の後日談は、第三王女とハルトムートの婚約の打診がきたことであった。政略的には悪くないが、公爵家としてぜひとも、というほどではない。
ハルトムートにとっては茶会で顔を合わせたわけでもないし、顔も性格も名前もよく知らない相手である。ただ一つ言えるのは、王女と婚姻するとなれば、公爵家を継がないというのは不自然だ。次男なら婿に入る形にして王女の新たに受ける公爵家の人間となるパターンもあるが。
だからその打診が伝えられたハルトムートの返答は、
「絶対無理。公爵家の人間がいいならレオンと婚約したらいい。そうしたらレオンが後継になる説得力も上がるし」
「第三王女はハルを見初めて婚約を望んでいるそうだ。年回りが近いから王宮も乗り気だろうし」
「つまり俺の外見が好きなだけってことでしょ。ますます嫌だ。俺に美しさを求めるやつとか論外。俺は結婚しなきゃならないなら、俺が美しくなくなっても価値を喪わないって本心で言える子がいい。最低でも美しさ以外の…俺が望んで手に入れたものを理由に求めてくれる子がいい」
「…お前は意外とロマンチストだったんだな」
「政略上必須ってわけじゃないんでしょ?選ぶ余地があるなら、できる限り俺にとっても望ましい子がいい。一生共にいる相手なんだもん」
ハルトムートの方から婚姻を申し込んだ場合、断る家の方が少ないだろう。多少性格に問題があるとはいえ、有力な公爵家の長男であり将来有望な美少年である。まあ実情ある意味地雷物件でもあるんだが。
必要があれば公爵家側はいくらでも政略的な利点を作り出せるし、断るリスクも作り出せる。まあ身分差のある相手だと命令になってしまいかねないとも言う。
ともかく、公爵家の返答はハルトムートではなくレオンハルトの方なら結んでもいい。それがダメなら今回は縁がなかったということで。というのをオブラートに包んだものになった。王宮はそれに対して実際に顔合わせをしてから決めようと返して、弟と第三王女の対面会談がセッティングされた。
そして最終的にその婚約は成立した。それから第三王女が婚約者と交流するためという名目で公爵家の屋敷を訪ねてくるようになった。王都からエインクライン領にある本家屋敷までは行程に数日かかるので気軽に行き来はできない。泊まりがけの小旅行になるので年に数回が限度だ。それ以外に手紙の交換はあるもののやはり頻繁とはいかない。
なんにせよ、そうなると早めに自分の婚約者を決めるべきだとハルトムートは判断し、父に候補の選定を頼んだ。条件は伯爵家の娘で嫁入り、伯爵夫人として屋敷を切り盛りできそうであること、マナーがきちんと身についていて社交がちゃんとできること。年は同年代±二歳くらいまでで。
「伯爵家か」
「俺が隠居する上で適当に家が持ってる領を一つ貰うのが穏当でしょ。伯爵位が一番無難じゃん」
「美しくなくてもいいと言ってくれる子がいい、などと言っていなかったか?」
「あちらから来るならね。俺から行ったらそれどころじゃなくなるでしょ。でも体裁としては政略婚の方がいいな。恋愛的な意味で見初めるとかまず起こらないから」
「それを直接伝えると話がこじれるぞ」
「結婚するなら伴侶として愛するよう努めるけど、俺が惚れてると思われるのは違うじゃん」
そうして幾つかの家と見合いのようなことをして、ハルトムートが選んだのはエインクラインの寄り子ではないオクニス伯爵の娘アルテローズだった。正式に婚約を申し込むにあたってハルトムートが公爵家を継がずエインクライン家の持つ伯爵位の一つを与えられる予定であることも伝えられる。次期公爵は弟になる予定であると。
「だから、それは承服しかねるというなら断ってくれていい。だが、婚約を受け入れてくれるのであれば、伴侶としてアルテローズ嬢一人を愛することを誓おう。他の女性と深い仲にならないし、いかがわしいこともしない」
「今、そんなことを誓ってしまっていいの?これから、他に誰か好ましく思う方と出会うかもしれないじゃない」
「確かに未来に絶対というものはない。君に他に愛しい人間ができる可能性もあるしな。だが、俺としては俺が他者に恋することはまずないと考えている。…俺に恋して寄ってくる女に好感が持てないし、俺に恋情を持たない相手に無理に迫る理由がない。君が最初で最後だ」
さらりと告げられた言葉にアルテローズは動揺する。
「ええと、私は…」
「見ていれば大体わかる。君は俺のことをまあ、悪印象はないが、恋してはないだろう。少なくとも、どうしても俺の愛を手に入れたいとは思っていない。俺はそういう子の方がいい。美しい人形扱いしてくるのは母上だけで十分だからな」
「…お母さまとうまくいっていないの?」
「あの人は俺に自分の意思があることを理解してないんだ。無理に理解を求めるより距離をとった方が早い。この婚約にも反対されるだろうし」
「さらっと不安点追加しないでもらえますか」
「結婚したら家を出て別居するから問題ない。…あの人は俺の嫁にあの人の基準で美しい造形の娘を宛がいたいんだよ。顔が美しいというだけの理由で選ばれる伴侶なんて俺は御免だけどね」
「……まあ私はそんな美少女じゃなくて、どちらかといえば地味だろうけど」
「俺は伴侶に美貌もついでに愛も求めてない。役目をはたしてくれたらそれで十分だ」
「…あなた自身が滅茶苦茶美しいですもんね」
「醜いよりは見目が整っている方が顔を合わせて苦痛は少ないだろうが、生まれついての顔つきなど、個性以上の意味はないだろう。見目が良ければ有能になるわけでもあるまいし」
ド辛辣な返答に彼女も流石に表情をひきつらせた。本気で言っているようなので尚更。
「俺は君に不満点がないから婚約を申し込んでいるのだと言っている。文句を言うのは人形遊びがしたい母だけだ。父上も弟も文句は言わないし言わせない」
「…あなたが望んだらもっと良い子と結婚できますよね?」
「公爵夫人の座が目当てだろう。それとも君も、次期当主を放棄する予定の俺は嫌か?」
「いや、寧ろ公爵夫人は荷が重いからなんとか断れないかなって思ってたくらいだけど…」
「ならいいじゃないか。身分の他にネックになるところが残っているか?」
「他の女の子に滅茶苦茶嫉妬されそうだし、モテそうだし」
「俺は婚約者一筋になる。他の女は相手にしない。そもそも群がられるのが不快だというなら…そうだな。事故で顔に大きな傷でも作ってみるか?」
「そんなの絶対だめでしょ、世界の損失だって!!」
「いい考えだと思ったんだが。母上や俺の見目を気にするやつは近づかなくなるだろうし」
彼が本気で言っている様子なので彼女は信じられないという顔をする。
「…実は自分の顔が嫌いだったりします?」
「別にそういうわけではないが。俺としては将来的にはもっと男らしく迫力のある見目になりたいとは思っている」
ハルトムートの見目はどちらかといえば優しげで威圧感は普通にしていればない。
「それで、俺に応えられない理由は後は何が残っている?うちの騎士団から護衛を送ったりした方がいいか?」
「それはいらないです。…え、本当に私でいいんですの?」
「良いから申し込んでいるんだろう。早めに結びたい理由があるとはいえ、無意味に妥協したつもりはない」
「弟に婚約者が出来たから、変に話をややこしくしないため…でしたっけ。その…弟さんの婚約の方でトラブルがあったりしたら、こちらの婚約に影響が出たりしません?」
「弟が後継になれなくなったら予定外に俺と君が公爵夫妻になる、とか、俺が君の夫として不適格になって解消になる、などといった可能性が全くないとは言わないが、弟は弟、俺は俺だ。婚約を結んだら俺は一生添い遂げるつもりで接すると思ってくれ。君の方からの心変わりによる婚約解消は一応認める」
「…私が断ったら他の人に同じ契約を持ちかけるんですよね?」
「同じくらい条件の合う令嬢がいたらそうだな。だが、此処までの見合いの結果から考えて、国内に君くらい適当な相手が見つかる望みはほとんどない。それに…」
ハルトムートはそこで言葉を切り、にっこりと微笑んで声を潜める。
「君は転生者ってやつだろう?」
「なっ」
「俺は、まあ厳密に言うと転生者ではないが、似たようなものだ。前世に何かしらの未練があるなら…まあ、異世界転移は流石に難しいが、叶えるための協力はできるぞ。独立するまでは公爵家の権力や伝手も使えるしな」
「な、何で転生者って」
「肉体年齢と精神年齢が一致していない。だが、実家の教育に問題がないようだし、家族仲も良好なようだ。あと、雑談の時にちらほら、俺が混ぜたこの世界にないものの話に違和感なく答えてたから」
「えっ、どっ、どれ!?」
「どれだろうね」
「いじめっ子ですか?!」
「別に異世界の知識が欲しいとかそういう話ではないよ。俺ならそういうメリットもあるよ、ってだけ」
「正直、私側にメリットが多すぎて何か大きな落とし穴があるんじゃないかって怖いんですよ…!」
「まあ…どう頑張っても苦労することは確実だからね、俺の伴侶って」
ハルトムートはわざとらしく肘をついて首を傾げてみせる。
「俺じゃあ君の伴侶には不適格かい?」
「寧ろハルトムート様には役不足っていうかあ…」
「だから俺の事情とか君は気にする必要ないんだってば。イエスかノーか二択。どっち?」
「大変光栄ですけどぉ!!」
「じゃあ、俺の婚約者になってくれる?アルテローズ嬢」
「ウッ、イケメンっ…」
「他に好きな男とか気になる男とかがいるわけじゃないんだろう?断っても咎めないから立場をはっきりさせてほしいんだけど」
「その、なんというか…お受けしたい気持ちはありますけど、ハルトムート様がお綺麗すぎる顔面をされてるので、隣で平然とできる自信がないというか…」
「そっか。じゃあやっぱり俺は偶然の事故で顔に大きな傷を作ってこよう」
「それはやめてくださいってば!!」
「顔面がこうじゃなかったら婚約してくれるんだろう?」
「それは流石に曲解ですっ…!」
「ならどういうこと?婚約者といっても、実際結婚するのは十年くらい先だし、お互いをより知っていく時間は十分とれると思うんだけど。アルテローズは俺の顔、嫌い?」
「好きか嫌いかで言えば普通に好きな部類ですけど、遠くで眺めていれば十分というか…」
「なら良くない?」
「………良いです」
「それじゃあ、正式に婚約を申し込ませてもらうね、アルテローズ嬢。婚姻契約については家同士の話し合いの時間を作ろうね」
「あ、はい、そうなりますよね…」
「ところで厳密に言うと転生者ではない、というのは?」
「過去世の内一つの、平凡に生きた人間の知識を俺は得ている。地球という星の日本という国で生きた紫崎春人という人間だ。直近前世ではないし、俺はあくまでハルトムートだが、参考にはしている」
「えっ、春人?!あなた春人なの?全然面影ないけど」
「過去世の一つであって、俺はあくまでハルトムートだからな。そういう君は、春人の知人か?」
「あ、うん…知人というか、幼馴染だった、というか…早死にしちゃったけど」
「……早死にした幼馴染というと、二十代の頃に交通事故で死んだ奥谷明梨か?」
「そ、その通り、デス…春人は何歳ぐらいまで生きたの?」
「結婚して子も孫もできて八十代の大往生だ」
「わあ…」
別に過去世の未練とかなさそうである。
「若死んで口惜しくての転生であるならば、今生は君が春人と同じくらいまで生きられるよう努力しよう」
「この世界の平均寿命って六十代行かないくらいじゃなかった?」
「暗殺や戦死、若死にが多いからな。そういうのが避けられれば百歳くらいまで生きられるものもいる」
「な、長生きすればいいってものじゃないから…ところで、前世じゃないって、なら前世は何なの?」
「多分800年ほどドラゴンとして生きて山の資源を狙った人間に退治された。まあ人と共存できるタイプのドラゴンではなかったからな。そういうこともある」
「ハルトムート様にナチュラル人外みあるのそれでかぁ…」
「前世は前世だ。俺はあくまでただの人間だが」
「普通の人間は前世以前の過去世とか知らないんですよ」
後々、婚約者に対して美しいという誉め言葉を言っているのは、人間の容姿という枠内での基準としての美しさという指針を作ったからで人間も美しいと思うようになったわけではない