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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ピンク髪の平民少女は王子様に拉致されましたが、ママが助けに来てくれました。

作者: 五月ゆき


「お願いです、家に帰してください……っ!」


床に頭をこすりつけて、必死に頼み込む。

わたしの足につけられた枷と鎖が、そのたびにじゃらと恐ろしい音を立てる。

けれど殿下は、笑いながらわたしの身体を蹴った。


「はっ、最初から大人しくしていれば可愛がってやったものを。平民ごときが俺に逆らうからこうなるんだぞ」


わたしは痛みに呻くことさえできなかった。ただ恐ろしさにがたがたと身体を震わせた。

怖い。怖い。わたしはこのまま殺されてしまうの? 嫌。嫌だ。助けて、ママ。助けて。誰か助けて。死にたくない。いや。誰か。ママ、助けて。





お偉い貴族のご子息たちが通うという魔法学園に、定食屋の娘である自分が入ることに、不安を感じないわけではなかった。だけど、希少な光魔法を認められての進学で、学費がタダだと聞けば、わたしの迷いも吹き飛んだ。


うちは母一人子一人だ。ママはお金のことは気にしなくていいというけれど、女手一つで定食屋を切り盛りしながら子供を育てるのは大変だろうということくらい、わたしにだってわかる。お金はあればあるほうがいいし、貯金だってできるに越したことはないのだ。


それにあの有名な魔法学園を卒業したという学歴があれば、将来的にも給金の良い仕事につけるだろう。わたしの夢はぐんぐん膨らみ、高収入魔法使いとなってうちの定食屋をぴかぴかにリフォームするところまで進んでいた。ママや、教会で神父をしている叔父さんは、魔法学園にいくのはあまり賛成できないという顔をしたけれど、わたしは意気揚々と進学した。


もっともわたしだって気を付けていた。周りにいるのは貴族の子供ばかりなのだから、なるべく小さくなって過ごそう。影の薄い生徒になって、とにかく無事に卒業することを目指すのだ。そう思っていた。


幸い、クラスにはわたし以外にも平民の子が一人だけいて、すぐ友達になれた。その友達であるリリアは、学費免除だからというよりも『還らずの勇者』の研究をしたくてこの魔法学園を目指したのだという。


還らずの勇者というのは、今から二十年前に魔王を倒した勇者のことだ。聖なる剣に選ばれて、光の聖女とともに戦った。しかし、魔王を打ち倒した後、勇者は姿を消してしまう。彼が今どこにいるのかは、誰も知らない……。


「実際は、勇者だけじゃなくて聖女も行方不明なのよね」


「そうなの?」


「わたしが調べたところによるとね。聖女様は美しい桜色の髪をしていたそうだけど、ルル、親戚に同じ色のおばさんはいない?」


わたしの桜色の髪を差して、リリアが冗談混じりにいう。

わたしは笑いながら答えた。


「叔父さんなら桜色かも。ピンクっていうより赤っぽいけど」


「叔父さんか~!」


「髪も長いわ」


「ロン毛のおじさんか~!」


「神父様だし」


「ロン毛の神父!?」


そんなくだらない会話をして盛り上がっていた。楽しかった。学園生活が始まってから、最初の一ヶ月だけは。


一学年上には王子様が在籍していた。国王様の三番目の子供だ。あまり素行が良くないという噂は知っていた。同じ学園内に婚約者の公爵令嬢もいるのに、ほかの女生徒と戯れているだとか、そんな話は聞いたことがあった。


だけど王子様なんて、わたしにとっては雲の上の人だ。一生関わることはないだろうと思っていた。それなのに。


どうしてわたしが目を付けられてしまったのかわからない。たまたま、殿下が落としたハンカチを拾ったから? 殿下だと気づかずに渡してしまったから? でも、たったそれだけのことなのに? そのくらい、殿下が相手じゃなくたって、誰にだってすることなのに。


どうしてなのか、殿下は、わたしが殿下に気があるのだと信じていた。「俺に近寄ってくる女はみんなそうだ」と殿下はいっていた。わたしは近寄ってなんかいない。ただハンカチを拾って渡しただけ。お願いです、話を聞いてください、お願いします。


わたしは何度も懇願した。


だけど殿下は毎日のようにわたしを呼びつけて、隣に座れと命令した。殿下のいるその部屋には、ほかにも女子生徒や男子生徒がいて、甘い薬のような匂いが漂っていた。殿下はいつも得意そうに、自分に逆らった同級生や教師を破滅させたことを話していた。それは定番の自慢話だった。だから殿下がわたしの身体を触ってきても、わたしは恐ろしさのあまり動けずにいた。


リリアはわたしを心配してくれた。一緒に先生に相談に行こうともいってくれた。だけどわたしは怖かった。相談したことがバレたら、何をされるかわからない。わたしは大丈夫だといい張った。学園でも、家でも、いつも通りに過ごすことに必死になっていた。


だけど、今日。今日はわたしの誕生日だった。去年まではプレゼントがもらえてケーキが食べられるいい日だった。


だけど今日。殿下がいつも以上に触ってきて、押し倒されたとき、耐えられなかった。わたしは無我夢中で殿下を突き飛ばして逃げた。だけどすぐに恐ろしくなって、どうしよう、どうしようと校舎の隅で震えていた。そこに荒い足音が聞こえてきて、そして───。


眼が覚めたときには、見知らぬ場所にいた。

わたしの足は鎖で繋がれていて、殿下が憎々しげにわたしを見下ろしていた。





「お願いです、家に帰してください、お願いします……っ」


わたしが蹴られたお腹を庇いながらも、そう懇願したときだ。

騎士のような恰好をした男が部屋に入ってきて、殿下に何かを耳打ちした。

殿下は笑い出すと、室内にいた魔法使いの格好をした男にいった。


「おい、城門を映せ。この恩知らずな女にも見えるようにしてやれ」


魔法使いが投影魔法を壁一面にかける。

何が起ころうとしているのかわからず、ただ身をすくませたわたしに、殿下は厭らしく笑いながらいった。


「お前の母親が門まで来ているそうだぞ。娘を返して~ってな。ぷっ、はははっ、バカ女の親はやはりバカだな! 王家に生かしてもらっている虫けらの分際で、王宮までやってくるとは!」


……ママ?

じわじわと頭に沁み込むように状況を理解して、わたしは悲鳴混じりに叫んだ。


「ママには何もしないで! お願い! お願いします! 何でもしますから! ママには何もしないでぇ!」


「おい、なぶり殺しにしろ」


王子が騎士の男にいう。男が部屋を出て行く。わたしは立ち上がり王子に掴みかかろうとしたけれど、足枷に引きずり戻される。いや。やめて。ママ、逃げて。ママ。


投影魔法が完成する。壁一面に、外の様子が映し出される。門を挟んで、言い争っている声が聞こえてくる。


『あたしの娘がここにいるかもしれないんだよ! お願いだ! 中に入らせてくれよ!』


『ええい、いい加減黙れ! それ以上わめきたてるなら、侵入者として切り捨てるぞ!』


ママがいた。エプロン姿のママが、剣を持った男を相手に必死に頼んでいた。

わたしは耐えられずに泣き出した。ママ、ママ逃げて、ママ助けて、逃げて、逃げて。

そのときだ。もう一人の聞き慣れた声がした。


『姉さん、反応がありました! 間違いない、ルルは王宮内のどこかにいますよ!』


叔父さんだ。いつだって朗らかで優しい叔父さん。叔父さんも来てくれたんだ。

わたしは嗚咽を飲み込んで、ママを見つめた。

叔父さんの言葉を聞いたママは、ふっと表情を消した。いつもの陽気な定食屋のおかみさんじゃない。わたしの知ってる、明るくてお喋りで料理が得意で、頼りになって、ちょっと口うるさいママじゃない。

ママは見たこともないような無表情になって、剣を持っている男たちを見つめた。


そして、おもむろに腕を振り上げて───殴り飛ばした。


ゴキャッ!と響いた音は、何の音だったんだろう。


男の一人がその場に崩れ落ちる。それからママは無造作に門の内側へと入ってきて、もう一人の男も殴り飛ばした。


『きっ、貴様!』


『侵入者だ! 誰かっ、侵入者だぞ!』


男たちが喚きながら剣を抜く。わたしはひっと悲鳴を上げた。


だけどママは、剣を振りかぶった男の腹に一撃を入れ、さらに横から切りかかろうとしていた男を蹴り飛ばした。たぶん。

どうしてたぶんかというと、動きが早くてよく見えないからだ。


「……えっ?」


マ、ママ?

王子がわたしを見て怒鳴った。


「なんだこのババアは! おい、お前の親は冒険者か何かか!?」


いや、そんなはずない。ママは普通の定食屋のおかみさんだ。冒険者だったなんて聞いたこともない。


だけどママは男たちを次々に殴り飛ばし、蹴り飛ばし、骨を折っていく。


たぶん、骨を折っている。


なぜって、人間の関節はあんな方向には曲がらないと思うから。


あと、ママによって曲げられた男がぎゃあと悲鳴を上げて地面に倒れ込み、のたうち回っているから……。


ママの周りに、地面に転がって呻く男たちの円ができている。


え? なんで? ママ? 

ママって、まさか冒険者だったの?


ママがずんずんと建物の中に入っていく。その後を叔父さんが歩いてくる。

長い廊下と、高い天井と、お金のかかっていそうな絵画や像が見える。ここは王宮だと王子がいっていたけれど、本当だったらしい。


ガチャガチャと金属音が響いて、今度は鎧姿の騎士らしき一団が現れた。


その中で偉い人らしい中年男が、ママをしげしげと見ていった。


『こんな女が城門を突破したというのか? 門番の連中め、寝ていて見過ごしたのではあるまいな』


騎士の一団がどっと笑い出す。


だけどママはにこりともしなかった。

いつも、お店がどんなに忙しい時間帯でも、笑顔を絶やさないおかみさんだと評判なのに。


ママはずんずんと進んで行く。騎士たちが剣を抜く。ママは怯まず進んでいく。騎士が怒号とともに剣を振りかぶる。だけどその剣はママを傷つけるどころか、触れることもできない。騎士たちはみんな空ぶりするだけだ。ママはそんな騎士たちを殴り倒し、骨を折り、砕いた。倒れた頭をどんっと足で踏みにじり、その胸を蹴り飛ばした。


騎士の一団の半分くらいが呻きながら地面にはいつくばったとき、偉い人らしい中年男が、悲鳴のように叫んだ。


『なんだ、この女は!? きっ、貴様、何者だ!?』





ママは。

笑顔一つ見せないママは。

ただその瞳だけが、いつもは明るい瞳だけが、今は怒り狂った激しさをのぞかせていった。


『ママだよ。あたしはママだ。お前たちはあたしの大事な娘をさらったんだ』





『姉さん、それじゃ伝わらないでしょう』


そういって、ママの後ろから歩いてきたのは叔父さんだった。

叔父さんはママの隣に立っていった。


『ハイハイ、ご注目。こちらにいらっしゃる御方をどなたと心得る~……って、あれ? 君、ダリオじゃないですか。どこかの貴族の三男だったダリオ。まだ生きていたんですねえ』


『なんだ、お前は!? どこの神父だ!? まさか、これは教会の反乱か!?』


『ハハッ、二十年前、いやもっとかな? もう二十五年くらい前ですかねえ。君が私を、桜色の長い髪をしているというだけで美少女だと思い込んで、口説いてきたのは。いやあ、気持ち悪くてまだ覚えていましたよ、ハハッ』


『桜色の……、長い髪……!? おっ、お前、まさかっ!!』


中年男が悲鳴を上げて、震える手で叔父さんを指さす。

叔父さんは胡散臭く笑っていった。


『お久しぶりですね。ええ、私が聖女ですよ。髪が長いだけで聖女呼ばわりされていた男ですけどね』


はっ?

と、もらした声は、わたしのものだったのか、それとも投影魔法の向こうの声だったのか。


叔父さんはにこやかに続けた。


『そしてこちらは私の姉にして勇者です』


そういって、叔父さんはポンと手を打った。


『───あぁ、今は還らずの勇者というんでしたっけ。いやあ、普通に帰ってきましたけどねえ。各国の勢力争いに巻き込まれるのが面倒だったので、死んだことにしただけで』


叔父さんが見たこともないような怖い顔で笑う。


『君たちがさらったのは勇者の娘ですよ。命が惜しいなら今すぐ逃げたほうがいい。おっと、忘れていました。この王宮全体に、私がすでに結界を張ってしまっていたんでした。誰一人、魂さえ逃がさないように、と。それからルルのペンダントを介した聖女の渾身の防御魔法も今完成したところです。ああ、困りましたね、君たちにはもう打つ手がありません。だってもう───ルルには指一本触れられませんからね』


叔父さんが凄みのある声でいう。


わたしは思わず、自分の身体を見下ろした。いつの間にか、手も、腕も、足も、身体全体が淡く輝いていた。王子に蹴られたところも痛くなくなっている。


叔父さん、と思わず呟いたとき、王子が「バカな、出まかせに決まっている!」と大声を上げた。

そしてわたしの元へつかつかとやってくると、足を上げた。

また蹴られると思って、わたしは自分を守るように身体を丸めた。だけど、次の瞬間、


「ぎゃあっ!!!」


と叫んで地面に転がったのは王子のほうだった。

見れば、わたしを蹴ろうとしていた足は、真っ赤にただれている。王子は痛い痛いと叫んで床の上をのたうち回り、魔法使いが慌てて治癒魔法をかけ始めた。

呆気に取られているわたしの耳に、中年男の叫び声が飛び込んできた。


『馬鹿なっ、勇者なはずがない、こんなところに勇者がいるはずがない! 勇者を騙る偽者だ!』


『姉さん、聖剣を抜いたらどうですか?』


『こんな脆い建物内であれを使ったら崩壊する。ルルまで巻き添えになるだろうが』


『あ~、魔王城は魔法でガチガチに固められていましたからねえ』


『それよりルルの居場所は? まだわからないのか?』


『今正確な位置を絞っているところですから、もう少しです。ええ、存在は認識しています。生命は把握しています。ここはすでに私の結界の内。もう少しだけ深く潜れば───、ああ見つけた』



叔父さんが大きく眼を開いて、まっすぐにこちらを見る。

投影魔法だから、あちらからは見えてはいないはずなのに、まるでわたしがここにいるとわかっているみたいに。


ママが走り出す。叔父さんがその後を追う。

騎士たちが行く手を塞ごうとするけれど、ママの足は緩むこともなかった。スピードに乗ったまま駆けていく。その拳で剣を薙ぎ払い、鎧の上から殴り飛ばす。しまいには騎士たちのほうが怯えて逃げていく。


ママはまっすぐに、わたしのところまで来てくれた。扉を蹴破って、ママが現れる。

わたしは泣きながら呼んだ。


「ママ……っ!!」


「ルル!!! ああ、ルル。大丈夫かい、怪我は!? どこか痛いところは!? ごめんね、ママが来るのが遅くなってごめんねえ……!」


わたしはママに縋りついてわんわん泣いてしまう。

ママはしっかりとわたしを抱きしめてくれた。

家に帰りたい。もう嫌だ。いろんなことがあってよくわからないけれど、とにかく家に帰りたい。泣きながらそう訴えて、ママが「帰ろうね、もう帰ろう」と頷いてくれたときだった。


「お前ら、こんな真似をしてただで済むと思うなよ!」


王子が怒鳴り散らす。

思わず身体がびくっと震えてしまうと、ママが慰めるようにわたしの背中をさすってくれて、それから立ち上がった。


「王家に歯向かったんだ! お前たち全員死刑だぞ! いや、ただの死刑なんて生温い。拷問にかけて指先から切り落としてやろうか。それとも女どもは囚人たちの慰み者にしてやろうか! ははっ、平民の虫けらごときが俺に逆らった罪だ! 後悔し……ぐぉっ、よっ、よせ、やめ……ぎゃあっ」


王子が喚いている間にも、ママはずんずん進んでいた。そして拳を振り上げた。

一度、二度、三度。王子の鼻が潰れて血が出た。王子の歯が折れて床に落ちた。王子のうめき声が上がる。王子の左腕がおかしな方向に曲がった。魔法使いは部屋の片隅で震えるだけで、助けに入る様子はない。


わたしは止めたほうがいいのかと迷った。本心をいうなら死んでほしいくらいの相手だけれど、三番目の王子なのだ。殺してしまったら、王様からどんな仕返しをされるかわからない。わたしがママと声を出そうとしたときだ。


叔父さんが、王子の盾になるようにして、二人の間に割って入った。


「落ち着いてください、姉さん。殺してしまいますよ」


「邪魔だ。どけ」


「曲がりなりにも王子です。殺してしまったら後が大変です。この辺で手打ちにしましょうよ。ね、殿下? 殿下もこれで懲りましたよね? ルルには二度と近づかないと約束してくれますよね?」


「いっ、いいだろう……! 約束してやる!」


王子が鼻を抑えて、血の混じった唾を吐き出しながら、濁った声でいう。

叔父さんはにこやかに懐から羊皮紙を取り出した。


「よかった。これは誓約状です。二度と私たちには関わらないという内容が書いてあります。ささっ、どうぞこれにサインを。おや、これは失礼。ペンはお持ちでないようですね。仕方ありません。殿下、その血で汚れた親指をここに押してください。サインの代わりにしましょう」


王子は荒い息を吐きながら、親指を羊皮紙に押し付けた。

叔父さんが満足そうにそれを受け取る。


「では、これで決着がついたということで」


「あっ、ああ、そうだな。ゆっ、許してやるから、出て行くがいい! さあ、さっさと失せろ!」


王子はぎらついた眼でこちらを見て怒鳴った。


わたしはぞっと全身が粟立つのを感じだ。王子の憎しみに濁った眼がわたしを見ている。許すなんて嘘。関わらないなんて嘘。きっと、きっとまた何かしてくる。その確信に、わたしは悲鳴を上げそうになる。

だけど、そのときだ。


どこからか、鐘の音が聞こえてきた。

リーン、ゴーンと、教会の鐘のような深い音色が響く。


わたしは、もう限界だったのかもしれない。

その音を聞きながら、たえきれずに瞼を下ろした。意識が遠のいていく。ああ、ママにいわなくちゃ。王子に気を付けてって、いわなくちゃ……。





意識を失ったルルを、姉さんが抱き上げる。

鐘の音は徐々に大きくなっていく。

様子がおかしいことに、屑はようやく気づいたらしい。

きょろきょろと辺りを見回して、部屋の輪郭が溶け出していくことに気づいて悲鳴を上げる。


「なっ、なんだこれは!? お前、何をした!?」


屑に答えてやる義理はない。血判によって取引はすでに成った。私は姉さんとルルの傍へ行った。

姉さんは屑を憎悪の眼で見ている。私はなだめるようにいった。


「殺さないでください。必要な贄ですから。時の神は悪食な上にこだわりが強いんです。血筋や若さや精神の汚濁も含めて丁度いいサイズの屑って、なかなかいないんですよ」


「わかってる」


「時戻しをしないなら、殺してもいいですけど」


「お前こそ殺したそうな顔をするな。……これは起きなかったことにするのが一番いいんだよ。誘拐も監禁も起きなかった。そうじゃなきゃ……、ルルは一生恐ろしい記憶に苦しむことになるだろ」


「ええ、そうですね。そんなのはあんまりですからね」


王子が何か叫んでいる。

空から現れた巨人の手に掴まれて、王子の身体が鈍い音を立てる。

まあ、私の知ったことではない。

時は戻る。数時間にすぎないが、かつて聖女と呼ばれた男が捧げた対価によって、時の神は時間を巻き戻す。


さあ、太陽が戻る。今日の朝まで。





今日はわたしの誕生日だ。

ママは朝食からわたしの好きなメニューを用意してくれた。

喜んで見せるけれど、内心ではひどく気持ちが重い。学園に行けば、また殿下に呼び出されるだろう。


「ねえルル、今日は学園を休んで、ママと一緒に出かけないかい?」


唐突にいわれた言葉に、わたしは瞬いてママを見る。

エプロン姿のママは、明るく笑っていった。


「今日はルルの誕生日だろう? お店も閉めるからさ。二人で美味しいものでも食べに行って、ルルの新しい洋服でも買いに行こうじゃないか」


「え、でも、ママ……。どうしたの、突然? 今まで、誕生日だからってそんなこと」


「ママもここのところ忙しかったからね。息抜きをしたいと思ってさ」


「そう、なの……?」


ママがニコニコと笑う。別に、わたしの様子がおかしいと思っているわけではなさそうだ。本当に、たまには休みたいだけなのかも。


わたしの胸がふっと軽くなる。そうだよね、たまには休んだっていいよね。

わたしが笑顔で返事をしようとしたときだ。玄関がドンドンッと勢い良く叩かれた。


わたしはさっと血の気が引くのがわかった。こんな時間に尋ねてくる人なんていない。まさか、殿下が、わたしがなにか殿下の機嫌を損ねてしまって、それで。


「こんな早くに誰だろうね? ちょっと見てくるよ」


「待って、ママ! わたしが行く!」


玄関に向かうママの後を慌てて追いかける。

けれど、怯えながら開けたドアの向こうに立っていたのは、殿下の取り巻きの生徒でも、殿下の護衛の騎士でもなかった。


「リリア? どうしたの、こんな時間に」


「ごめん、ルル! 大急ぎでルルに伝えたいことがあって! おばさん、すみません、こんな朝早くから!」


「構わないよ。あがっとくれ。朝ご飯はもう食べたのかい?」


「食べました! すみません、ちょっとルル、ルルの部屋に行っていい!?」


「いいけど、どうしたの?」


リリアの勢いに押されるようにして、二人でわたしの部屋に入る。

リリアはしっかりとドアを閉めると、わたしの傍へ来て、声を潜めながらも叫ぶようにしていった。


「ルル、あの屑王子が死んだって!! 病気だったらしいよ!!」


「───えええっ!?」


思わず大声が出てしまって、慌てて両手で口を抑える。


「ほっ、本当なの!?」


「ホントホント! ほら、うちの近所に、王宮の厨房で下働きしてるおばさんがいるって、前に話したじゃない? その人が朝、うちのママと話してたのよ!」


「でも、病気って、そんな風には見えなかったけど……」


「なんか心臓の病で、突然のことだったらしいわよ。でも死んだのはマジよ。わたし、おばさんの話を聞いてから速攻で学園に行って、先生に確認してきたから。今日は休校になるって」


「───じゃあ、じゃあ本当に、もういない? 学園にいっても、もう呼ばれずにすむの……?」


「そうだよ! もう大丈夫! あの屑はもういないのよ!!」


わたしはその場にへたり込むようにして、両手で口を覆った。


リリアがぎゅっとわたしを抱きしめてくれる。助けられなくてごめんね、といわれて、おおきく首を横に振った。リリアは何も悪くない。リリアを巻き込まずにすんでよかった。


悪いのはすべてあの王子だ。

そしてもう、あの男はどこにもいないのだ。本当に、この世のどこにも。


全身からへなへなと力が抜けていく。

安堵のあまり泣き出してしまう。

リリアも泣きながらぎゅうぎゅうとわたしを抱きしめてくれる。

わたしたちは二人そろってひとしきり泣いた。


それから、ふと顔を見合わせて二人で笑った。


「ね、ルル。今日はどこか出かけない? 前に話してた人気のカフェとか行こうよ! それから服とか見に行ってさ、パーッとやろうよ!」


「行く! 行くわ!!」


そう力いっぱい頷いてから、ママのことを思い出してハッとした。

リリアに待っていてといってから、台所へ向かうと、ママがお茶を用意してくれていた。


「ママ、ごめん、リリアと……」


「遊びに出かけるんだろう? いいよ、行っといで。友達は大事にしなきゃね。ほら、誕生日のお小遣いも用意しておいたから、これでなにか好きな服でも買っておいでよ」


「やったー!!」


わたしは歓声を上げてママに抱きついた。


「ありがとう、ママ! ママ大好き!」


ママは優しく笑って、わたしの頭をぽんぽんと撫でてくれた。













Q.なんでこれを書いたんですか?

A.お正月に暴れん坊将軍を見たので…。

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