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海賊の宴

78話



 ガーシュは「客をもてなすのも太守の仕事だ」と言って側近に何かを命じた。

 そして俺たちはガーシュたちの案内で、手近な料理屋へと連れてこられる。磯の香りが漂う、居酒屋っぽい店だ。



「商売の話の前に、まずは飯だ!」

 ガーシュはそう言い、頑丈そうな大テーブルに一同を案内した。店内は貸し切りになっている。

 魔王軍側は俺を含めて十二人。ベルーザ側はガーシュ一人だ。

 こんな魔物だらけの卓に腰掛けて、こいつよく平気でいられるな。護衛の連中、みんな顔色が悪いぞ。

 そうこうするうちに、料理が運ばれてきた。



「あらかた海で穫れたものばかりだから、口に合うかどうか知らんぞ」

 ガーシュはそう断りをいれたが、俺には実に旨そうに見える。

 懐かしい海の幸だ。

 エビとキノコのオイル煮、貝柱の炒め物、魚の野菜煮込み……。前世で見たものとよく似ていて、どれも旨そうだな。

「小難しい話は後だ。使者には旨い飯をたらふく食わせる! そうすりゃ難しい話もうまくいく! だろ?」

「道理だな」

 俺はニンニクのたっぷり入ったエビのスープを飲みながら、ガーシュの言葉に相槌を打った。味わいはなんとなく地中海風だな。



 マオ以外の随員は、みんな海産物は初めてだ。

 おそるおそるといった様子で、互いに顔を見合わせながら料理に手をつけている。

「なあヴァイト、これ虫みたいなのが入ってるぞ……」

「エビだ、エビ。旨いから食え」

「ヴァイトさん、この粒々はなんですか?」

「種類はわからんが、魚の卵だと思うぞ」

 どうしてみんな俺に聞くんだ。

 俺は今、転生して初めて食うシーフードに目が眩んでいるのだ。そっとしておいてくれないか。

 ああ、人狼で良かった。

 底なしの胃袋のおかげで、いくらでも食えるぞ。



 俺はもう交渉のことなどそっちのけでもりもり食ってしまったが、ガーシュはそれを見て笑いだす。

「すげえな! 人狼ってのは、そんなに食うのか!」

「ああ、まだまだこれからだ。もっと食わせてくれ、旨い」

「はっはっは! どうだ、ベルーザの戦力もなかなかのもんだろ?」

「精鋭揃いだな」

 俺は白身魚のフライをもしゃもしゃ食うと、柑橘類のジュースで流し込んだ。

「こんなに旨い魚を食ったのは初めてだ、もっとくれ」

「おう、じゃんじゃん食え!」



 すると厨房からシェフがやってきて、困ったような顔でガーシュに耳打ちする。

 ガーシュが溜息をついた。

「料理がもうないだと? お客人はまだ満腹になっとらんぞ」

「すみません、ボス。魚はいくらでもあるんですが、調理が追いつかないんです」

 人狼が九人いるからな。比較的小食のモンザでも、今ちょうど鶏の丸焼きを独りで食べ終わったところだ。

 ガーニー兄弟の周囲には回転寿司みたいに大皿が積み上げられているし、このペースで食われたらたまらないだろう。

 困り果てたシェフの顔を見て、ガーシュも苦笑してみせる。

「俺たちと違って、生のまま食わせる訳にもいかんしな。少し待ってもらうか」



 彼の言葉で気づいたが、卓上にある魚料理は全てしっかり加熱されたものばかりだ。しかも野菜や香辛料を使って、磯臭さを消してある。

 あとは芋や鶏肉、チーズなど、リューンハイトでも馴染みのある食材が多い。

 俺たちが内陸から来てるから、気を遣ってくれたんだな。



 だがちょっと待ってほしい。「俺たちと違って」ということは、こいつらは生魚を食う習慣があるんだな?

「なあ、ガーシュ」

「なんだ」

 ガーシュが振り向いたので、俺は質問してみる。

「あんたらは生魚を食うのか?」

 するとガーシュはニヤリと笑った。

「ああ、よく食うぞ。穫れたての魚を捌いて、生のまま食うのは最高だ」

 よく知ってるぞ。

 魚によっては少し寝かせた方が旨いというのも知っているが、冷蔵庫のない世界では知られていないだろう。



 だが今はそんなことはどうでもいいので、俺は刺身が食いたい。

「せっかくだ、食わせてくれないか?」

「ほう、なかなか勇敢だな」

 ガーシュは不敵な笑みを浮かべると、シェフに告げる。

「もってこい」

「いいんですか?」

「なあに、無理なら俺たちが食うさ。さあ、お客人を待たせるな」

 シェフが厨房に戻っていった後、ガーシュはニヤニヤ笑いながら俺を見ていた。俺が泣き言を言うのを待ち受けているようだ。

 まるで悪戯を仕掛けるワルガキみたいな顔だった。



 程なくして、俺の前に大皿が運ばれてくる。

「鮮魚の盛り合わせです」

 見た感じ、刺身というよりはカルパッチョに似ているな。別皿にドレッシングが添えられている。魚の種類はわからないが、白身魚のようだ。

 ふと気づいたら、周囲からの視線が凄い。ベルーザの連中も魔王軍の連中も、興味津々で俺と大皿を見つめていた。

「なあヴァイト……それ、生魚切っただけじゃねえのか?」

 ガーニー弟のいうとおりだが、そういわれると食欲が失せるな。

「南部の人って、こんなの食べちゃうんですか? おなか壊しませんか?」

 ほっとくとラシィが失言をしそうな雰囲気なので、無言で制止する。食文化への批判はタブーだ。

 そして俺の対面には、ニヤニヤ顔のガーシュ。背後の護衛や側近たちも、俺がどんな反応をするか待っている様子だ。

 久しぶりに刺身に対面したというのに、なんか食いづらいな……。



 俺は白身魚の刺身にドレッシングを少しだけかけると、フォークで一切れ口に運んだ。

 この感じ、鯛に似ているな。淡泊で食べやすい。

 ああしかし、実に旨いな! 転生して良かった!

「隊長、大丈夫?」

 モンザが心配……というよりは好奇心でのぞき込んできたので、俺はもぐもぐ食べながらうなずく。

「うまい」

「無理してない?」

「してない」

 いいから黙って食わせろ。

 ガーシュたちが唖然とした顔で俺を見ているが、今はそんなことはどうでもいい。



 しかしこのカルパッチョみたいなの、ちょっと物足りない味だな。ドレッシングの味が軽すぎる。

 やはり刺身といえば醤油だ。

 俺は懐をごそごそ漁って、隠し持っていた陶器の瓶を取り出す。

 せっかく作ってくれたシェフには悪いが、俺はどうしても今ここで刺身が食いたいのだ。

 そのために、わざわざ醤油持参でやってきたのだから。



 だがその瞬間、ガーシュが鋭くそれを見咎めた。

「待て、それは何だ」

 即座に背後の護衛たちが身構えた。全員が腰に曲刀や短刀を差している。

 それに呼応するように、人狼たちが無言で立ち上がった。

 しまった、ちょっと軽率だったか。刺身に目がくらんで失敗した。

「全員落ち着け。これはただの調味料だ。この料理に、こいつを少し試してみたい」

 俺は瓶の栓を開けて、黒い液体を小皿に垂らした。

 俺の一言で一同は少し落ち着いたようだが、さっきとは違った意味で視線が突き刺さってくる。



 俺は刺身を一切れフォークですくうと、刺身の端に調味料をちょっとだけつけた。

 そして口に運ぶ。

 ああ、これだよ……これだ。うむ、これだ。

 もう、「これだ」としか言いようがない。

 生きててよかった。



 俺が感動に浸っているのを、みんなが気持ち悪そうに眺めている。

 なんとなく気まずい。

 交渉に来て接待を受けているのに、俺は何をやってるんだ。

 ちょっと反省したが、しかし食べるのは止められない。

「すまん、これドレッシング抜きでもう一皿くれないか?」

「あ、ああ……それはいいが」

 ガーシュが俺と調味料を何度も見比べながら、俺に尋ねる。

「見たことのないタレだ。そいつはなんだ?」

「豆を発酵させて作った調味料だ。リューンハイトではこれを甘く味付けして、串焼きのタレとして使う」

「それをなぜ、鮮魚に?」

 なぜといわれても「日本人だから」としか言いようがないが、適当に理屈をつけておくか。

「これは肉の臭みを消して、味を引き立てる。魚にも合うと思ってな」

「味見してもいいか?」

「ああ、どうぞ」



 ガーシュは銀のスプーンで調味料をほんの少しだけ取ると、念入りに匂いを嗅ぐ。それから一滴だけ掌に垂らし、ぺろりと舐めた。

 護衛たちが不安そうに注目する中、ガーシュが何度もうなずきながら口を開く。

「譲ってくれ。こいつは金になる」

 俺が何か言う前に、マオが滑り込むように割って入ってきた。

「ガーシュ様、よろしければ仕入れルートを開拓なさいますか?」

「おう。傘下の全店にこいつを置きたい。ドレッシングに混ぜてもいけるし、煮付けや塩焼きにも良さそうだ」

「ではさっそく手配を」

 なんかもうあっちで商談するみたいだし、俺はしばらく刺身を堪能させてもらおう。

 しかしこうなると、ワサビも欲しいなあ。

 今度探すか。

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