雪の冠があなたに似合う
乙女ゲーム『リラニルアミドの櫻月』のヒロインは櫻月ウタ──
そのライバルである悪役令嬢ラウミに転生した私だったが、まさか乙女ゲームの世界から、また別の世界へ転移してしまうなんて、思ってもいなかった。
△
そこは一面雪で銀色の世界だった。
福岡県産まれの私には新鮮な景色だった。
「……はっ?」
「ここは……?」
私と一緒に3人の攻略キャラも転移していた。
「ここは寒いな。ラウミ……、俺のコートの中へ来い」
私は3人のうち誰を本命にしようか決めかねていた。
こんな異常な状況に遭っても私のことを気遣ってくれるアランに傾きそうになってしまう。
周囲は見渡す限りの雪原だ。
とはいえ空は晴れていて、雪をかぶった森の木々があかるく私たちを取り囲んでくれている。
「のどかなところだな……」
「ここはどういう世界だろう?」
もう2人のターゲット──エドガーとキリアンが周囲を見渡し、言った。
何が現れてもいいように、腰に差した立派な剣に2人とも手をかけている。やっぱりこの2人も頼もしい。
鈴のような音がどこからともなく聞こえてきた。
耳を澄ますと、それは何か子どもの声のようだ。だんだんと近づいてくる。
私たちはしばらく様子を伺っていたが、やがてアランが一方向を睨むと、言った。
「こっちだ! 森の隙間を抜けて──何かが来るぞ!」
それはキラキラと輝くような少女たちだった。
幸せそうな笑顔を誰もが浮かべて、私たちを歓迎するように、両手を広げてこちらへ駆けてくる。まるで天使だった。どの娘も金か銀の美しい髪をなびかせて、悪意など微塵も見せずに白い雪の上を駆けてくる。
3人は腰の剣にかけたその手を、動かせなかった。
少女たちは私たちの前まで来ると立ち止まり、踊るように身をくねらせながら、聞いてきた。
「お兄さんたち、旅行者なの?」
「最近、多いの。外からここへやって来るひとたち」
「歓迎するわ。わたしたちの村へいらっしゃい」
アランが剣にかけていた手を離し、言った。
「私たちはリラニルアミド王国の者です。4人で城の中庭でお茶を飲んでいたら、いつの間にか気を失い、気がついたらここにいました。……ここは何という国ですか?」
「お兄さんたち異世界からいらしたのね?」
「ここはナロー共和国よ。わたしたちはフユホラの村に住んでいるの」
「いらっしゃいよ。あったかいシチューをご馳走するわ」
私たちのお腹がぐぅと鳴った。
△
その村はとてものどかで美しかった。
周りは雪に囲まれているのに、村のそこかしこに白くてかわいい花が咲き乱れ、緑色の草の絨毯が道脇を彩っている。
小さな赤レンガの家や木の家が立ち並び、水車や風車がところどころでゆるやかに回っている。まるで私が現代日本にいた時にテレビアニメで観たアルプスが舞台のアニメの世界だ。
「みんな揃ったらいただきますするわよ?」
銀色の長い髪の少女が私たちに言う。
私たちの前にはもうクリーム色のシチューの入ったお皿が置かれていた。
アランもエドガーもキリアンも、貴族の礼儀などかなぐり捨てて早くそれにありつきたいというように、おあずけをされている犬のようだ。
コの字型に並べられた長テーブルに次々と村の住人たちが集まってくる。
誰もが少女だった。
この村には成人がいないのだろうか? 少女たちは皆10歳から14歳ぐらいで、中には赤ん坊を抱いている子もいる。
誰もが頭に白い花の冠をつけていた。
「さぁ! いただきましょう」
銀色の長い髪の少女は最年長に見える。彼女がそう言うと全員が手を合わせ、声を揃える。
「いただきまーす!」
私たち4人もまず神に感謝を捧げてお祈りすると、スプーンを手に取った。
「あらら」
「何よ、それ?」
私たちの食事前の祈りを見て、少女たちがからかうように笑う。
「あなたたちの国では食事前にそんなことをするの?」
「そうよ。神様に感謝を捧げるの」
私が答えた。微笑みながら、説明をした。
「神様が私たちのためにお与えくださった食べ物にまずは感謝を捧げ、それから食べはじめるのよ」
少女たちが爆笑した。
「それじゃ動物や植物がまるで人間のためにあるみたいじゃない。おっかしい!」
彼女たちの言うことはわかった。日本人のOLから乙女ゲームの世界に転生した私にはその感覚がわかる。
でもアランたちには意味がわからないようだ。彼らは中世ヨーロッパのような認識で生きている。彼らにとって動物や植物は、まさに神様が人間のために与えてくれた、人間のためのものなのだ。
侮辱されたように感じたのか、3人の顔が不機嫌そうになった。でも空腹を満たすのがまずは先決のようだ。スプーンをお皿につけると、シチューを掬い上げる。
「おや?」
「これは珍しいシチューだな」
意外な料理に3人が笑顔になる。
「シチューにヌードルが入っているのか」
私もびっくりして思わず笑顔になった。
クリームシチューの中にうどんのような太麺が入っていたのだ。私にとっては豆乳うどんみたいなものだったが、3人にとってはさぞかし意外だろう。しかし、箸もフォークも添えられていない──
「これ……どうやって食べるの」
私が笑いながら聞くと、少女たちは実践してみせてくれた。
「そんなことも知らないの?」
「こうやって食べるのよ」
右手でスプーンを持った少女たちが、空いている左手をお皿の中へ突っ込んだ。
うどんのような太麺を素手で掴むと口へ運び、豪快に音を立てて啜る。
ズルズルズル! ゾゾゾゾゾ! という麺を啜る音が、優雅な食事の席を満たし、アランたちを困惑の表情にさせる。
もちろん私にとっては馴染み深い光景だ。できれば箸が欲しかったけれど、懐かしいラーメン屋さんでそうしたように、私もスプーンでなんとか麺を持ち上げると、豪快な音を立ててそれを掬った。
ズゾゾゾゾ!
「おい……」
「おい、ラウミ……?」
しまった……はしたないところを見せちゃった。これは3人の好感度を著しく下げてしまったかもしれない。私が思わず顔を青くし、頬を赤くしていると、アランがフォローしてくれた。
「みんな、『郷に入れば郷に従え』だ。我々も同じようにしていただこう」
そしてアランが私と同じようにスプーンで麺を持ち上げると、それを啜った。明らかに照れの混じったかわいい啜り方に、私のアランへの好感度が爆上がりした。
△
銀色の長い髪の少女はイーラと名乗った。
やはり村一番の年長者らしいが、年は教えてくれなかった。見た目は14歳ぐらいなので、そう思うことにした。
食後の寛ぎに、イーラは白い花の咲き乱れる丘に私を誘った。
「あなたはなぜ雪の冠をかぶらないの?」
イーラにそう聞かれ、私は「えっ?」と返すしかなかった。
花の白い茎を繋ぎ合わせ、真っ白な花の冠を作る彼女の手元を見ながら、考えた。それは比喩だろうか? 彼女の頭につけている冠を見ても、確かにそれは花なのだ。『雪の冠』といったのは、雪のように白い花の冠という意味なのだろう。
「ほら! 出来たわよ」
完成したそれを、イーラが私にかぶせてくれる。
「ふふ……。似合うかな?」
「とってもよく似合うわ。雪の冠があなたに似合う」
「ありがとう。ところで……」
私は気になっていたことをイーラに聞いた。
「この村には女の子しかいないの? 男の人は?」
「もちろんいるわよ」
何を当たり前のことを──というようにイーラが笑う。
「あなたはいいわよね。あんな美しい男のひとが3人も一緒にいて。でもわたしたちはそうじゃないの」
「どういうこと?」
「みんな役目を終えてしまったのよ。残りはまだ幼い男の子しかいないわ」
「役目を……? 終えたって?」
「アラン……エドガー、キリアン……。あなたはアランが好きなのでしょ? そうよね? 目の動きを見ていればわかるわ」
そう言われても……まだ決めきれてはいなかった。
確かにアランは優しい。頼り甲斐もあるし、黒い髪が情熱的だ。でも、エドガーの短い金髪も、キリアンの美しい栗色の長髪も、私は好きだった。でも──
「……そうね」
私は、うなずいた。
「私、アランに決めるわ」
さっきの食事の席で機転を利かせてくれたのが決定打となっていた。元いたリラニルアミド王国でも、思えば彼が一番優しいと思っていた。
「よかった」
イーラが安心したように微笑む。
「早とちりだったらどうしようかと思っちゃった」
「どういう意味?」
「ラウミって何歳?」
そう聞かれ、私は日本人だった頃の年齢をつい『41歳』と答えそうになったが、異世界に転生してからの年齢を答えた。
「17歳よ」
「今から、あなたとアランの結婚式を執り行いましょう!」
イーラが私の手を握り、そう言った。
「もうエドガーとキリアンは済ませてるはずよ」
「ええ……?」
意味がわからず私が首を傾げていると、丘のむこうから少女たちが5人、楽しそうに揃って駆けてきた。
「結婚したわ!」
「わたし、エドガーと」
「あたしはキリアンと! 結婚しちゃった!」
△
少女たちに背中を押されるように、木造のおおきな建物の中に入ると、中は綺麗に飾られていた。ロウソクが取り囲み、白い花が飾られているその中心に、アランが縛りつけられていた。
「アラン!?」
「……ラウミ!」
私は急いで彼のところに駆け寄ると、イーラに「これはどういうことか」と聞いた。すると彼女が無邪気に笑いながら、言う。
「これからここで2人は結ばれるの。みんな、始めて!」
私の後ろにいた少女たちが私をハンマーのようなもので殴った。
意識が戻ると、私に覆いかぶさるようにアランがいた。
いつもの美しい刺繍入りの服を着ていない。全裸だった。
「き……気がついたか、ラウミ」
「アラン……?」
ふと見ると、私も一糸まとわぬ全裸だ。そして私とアランは一つに繋がっていた。
「そーれっ!」
掛け声とともに数人の少女たちが、アランのお尻をかわいい手で押す。すると2人の繋がりはより深くなる。私は裂かれるような痛みに思わず声をあげた。
「やめてくれ! 君たち!」
アランの泣き叫ぶような声が聞こえた。
「やめてくれ! やめてくれ! 君たちは何ということを……」
しかし言葉とは裏腹に、彼の身体は硬く尖っていた。
少女たちの笑いに取り囲まれて、私たちは結婚の儀式を終えた。
「なんてことだ……」
本を開くように私から離れ、仰向けになったアランが呟く。
「神よ……許したまえ」
そのアランの首をめがけ、白いドレス姿の少女が斧を振り下ろした。
藁の上に敷かれた白いシーツの上に転がったアランの首を見て悲鳴をあげる私の背中を優しくイーラが撫でる。
「おめでとう。これであなたたちは正式な夫婦よ」
「違う!」
私は狂人のように喚いた。
「こんなの……私たちの常識と何もかもが違いすぎる! やめて! 帰して……!」
「あなたたちの世界の常識なんて知らないわ」
イーラはあくまでも優しく、私の髪を撫でた。
「でも、これがわたしたちの村の常識なのよ。彼も言ってたでしょう? 『郷に入れば郷に従え』って」
よく見れば、その部屋の壁には、ぐるりと無数の首が飾ってある。腐敗していてほとんどの首は元の顔がわからないが、その中に新しいものが2つあった。
エドガーとキリアンの苦痛の表情を浮かべた首が並んでいた。
「大丈夫よ」
イーラが慰めるように、私の後ろから言う。
「あなたたちの世界では『死』が禁忌とされているのね? でも大丈夫。わたしたちの村ではそれは当たり前のことだから」
私は嗚咽をこらえながら、イーラの言葉を聞いているしかできなかった。
「この村では『老い』こそが禁忌なの。だからこの村には老いた人間がいないでしょう?」
イーラが私にかぶせた白い花の冠を撫でた。
「あなたにはまだこの雪の冠が似合う。そしてあなたが産む子は天使のように──雪の冠が似合うことでしょう」
結婚の儀式を終え、私は少女たちに外へ連れ出された。
白い花で飾られた道を、少女たちにまとわりつかれながら歩いた。
歩いているうちに、私の顔には笑顔が浮かびはじめる。
私は17歳だ。しかも美しい貴族令嬢だ。日本人だった頃の醜い中年女ではない。
確かにそうだ。老いて醜くなって、なぜまだ生きる? 死はけっして忌むべきものではない。忌むべきもの、それは、老いこそが──
この村の常識こそが正しいと思えはじめていた。