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松野泰己『タクティクスオウガ』開発を語る

松野泰己『タクティクスオウガ』開発を語る TOKYO M.A.A.D SPIN

松野泰己さんが2024年1月29日放送のJ-WAVE『ゆう坊とマシリトのkosokoso放送局』に出演。スーパーファミコンの名作ゲーム『タクティクスオウガ』開発について鳥嶋和彦さん、坂口博信さん、堀井雄二さんと話していました。

(鳥嶋和彦)で、そこで「第2作を作る」っていう風にはならなかったんだね?

(松野泰己)なりませんでしたね。

(坂口博信)『タクティクスオウガ』まで、道のりはあるの?

(松野泰己)92年の夏に1回、開発が終わって。で、任天堂さんからも入って。9月、10月かな? たぶん1ヶ月半ぐらい、作り直しをして。で、11月前にはもうマスターアップしているんですよ。で、販売が93年の3月なんですね。結構、間が空いちゃって。で、この間、「次の企画をやろう」って言って。で、この時には僕らはソルスティスっていうファミコンの、斜めのクォータービューのアクションゲームがあるんですよ。パズルゲームみたいなやつ。それが、めちゃくちゃ僕ら開発がはまっていて。で、その後にメガドライブでランドストーカーという、内藤さんがお作りになった作品とかも出てきていて。「アクションRPGを作りたいね」って。アクションがみんな好きだから。

で、「アクションゲームを作ろう」って言って、クォータービューの箱の中でミッキーマウスみたいなキャラクターが動き回るようなものを作り始めるんですよ。そのための土台作りっていうのを92年の冬ぐらいから始まるんですよ。で、それを始めていて。吉田もミッキーマウスみたいなキャラクターを書いたんですよ。ちゃんと。かわいく書いたんですよ。だけど、3月に発売が始まったら思いのほか、好評で。40万本行っちゃって。そしたら「続編を作れ」ってなるじゃないですか。で、慌ててそのアクションのを捨てて。でも、その土台は作っちゃったんで。

(坂口博信)それがクォータービューなの?

(松野泰己)クォータービューの箱型だけ生かして。シュミレーション、続編を作ろうってなって。で、リアルタイムシュミレーションは捨てちゃおう。ターン制にしようってなって。「斜めだけで、高さがあればもう十分新しいから。これでいいんじゃない?」っていう話をして。それで開発が始まったのが93年の3月なんです。

クォータービュー、ターン制、高さの要素

(坂口博信)じゃあ、ある程度すぐに始まったんだ。タクティクスもよくできていたからね。

(鳥嶋和彦)よくできていたね。

(松野泰己)ありがとうございます。

(鳥嶋和彦)難しかったんだけどね(笑)。

(坂口博信)あれも数字がちっちゃくてね(笑)。「えっ、これ、わかんないじゃん。このダメージ」「坂口さん、坂口さん。大事なのはこの数字ですよ」って松野に直に言われて。「えっ、こんなちっちゃい数字を見てなきゃいけないの?」って。

(松野泰己)俺、それ言いました? それ、たぶん僕は当時、スクウェアにいませんから。

(坂口博信)なんかの時にたぶん、会って聞いたんだよね。「これ。解けないんだけど」って。そう。もちろんスクウェアにはいないんですけど。「これが大事だ」って。

(松野泰己)とにかく『タクティクスオウガ』を作る時には、やっぱりストーリーをちょっと重点的に作ろうっていう話をしていて。『伝説のオウガバトル』でRTSをやって。で、ターン制のシュミレーションをやって。次はロールプレイングだって思っていたんで。ゴールはやっぱりロールプレイングを作ってナンボだと思ってましたから。3作目を作るんだったらロールプレイングにしようって言っていて。だから、その橋渡しになるものにしようっていう。やっぱりストーリーを重視して。テキストのためのデータ、メモリを多めに取っていただいて。それでやったっていう感じですね。あとはさっき言った通り、キャラクター作りはやっぱりアンチテーゼから始まっちゃってるんで。あえて、そのヒロインとは呼べないヒロインにしようっていうことで。今で言うヤンデレとか、萌えキャラみたいな(笑)。

(鳥嶋和彦)だから思ったよ。「素直じゃないな」って(笑)。

(堀井雄二)「違うものを作ろう」っていうあれなのね? 結局、全部のあれなんだね。

(坂口博信)でもクォータービューで陰影処理とか、プログラム的にも大変だよね。

(松野泰己)陰影処理ですか? いやいや、あれはだってドットで書いているだけだと思いますけども。

(鳥嶋和彦)たしかに「高さ」っていう概念は面白かったね。

(坂口博信)アニメーションもきれいだったし。すごかったね。

(松野泰己)そうですね。あと、あれはバトルシーンを切り替えたくなかったっていうのもあったんですよ。できるだけシームレスにって思っていて。『ファミコンウォーズ』もそうですし、エンブレムもそうですけど。盤面上でユニットとユニットがこう、始まる時に画面が変わるじゃないですか。あれをやめようっていう。できるだけ、シームレスでって。『伝説のオウガバトル』はシームレスじゃなくて、バトル画面が切り替わってました。だけど『タクティクスオウガ』はシームレスでやろうと思って、そうしました。

(坂口博信)あと、キャラが結構細かく芝居をやってたよね。あれもすごいよね。

(松野泰己)まあ、皆川がドットを。

(鳥嶋和彦)ちっちゃいのにね。

(坂口博信)「ああ、やっている!」っていう。あれがね。

(松野泰己)それはやっぱりFFとかが凝ったアニメーションをやっていたんで。あれに勝てなくても、負けないように作ろうっていうところはありましたよね。

(鳥嶋和彦)松野さん、ジオラマみたいなの、好き?

(松野泰己)ああ、大好きです。小学校の時はタミヤの72分の1っていうモデルサイズがあったんすけど。36分の1は1000円とか、するんですけども。それは小遣いでは買えないっていうことで、300円の箱を買って。で、一生懸命プラモデルを作って、ジオラマを作って。

(鳥嶋和彦)改造コンテストとか、出していた?

(松野泰己)そこまでは行ってないですけども。

(鳥嶋和彦)じゃあ、鳥山さんと話が合いそうだな(笑)。

(坂口博信)そうだね。鳥山さん、偽名ですよね。こっそりタミヤの改造コンテストに出して、優勝しちゃったみたいな。

(鳥嶋和彦)そう。それでタミヤから問い合わせが来ちゃって。「載せたい」って言われて初めて知ったんだよ。それで急遽、「じゃあジャンプで特集するから」っていうことで。バーターにしたんだよ。

(松野泰己)『ホビージャパン』がまだ、ガンダム一色になる前の時に買っていたんで。まだ、あの頃ってミリタリー物が主流だったから。

(鳥嶋和彦)だから、そのちっちゃいのを改造していって?

(松野泰己)で、その時に増刊で『タクテクス』っていうのがあったんですよ。やっぱりそのボードゲームっていうのも扱ってたりとかして。テーマ化していて。で、それは買ったりとかしていましたね。だからボードゲームのシミュレーションを初めてやったのは『関ヶ原』っていう関ヶ原の戦場を舞台にしたやつで。

(鳥嶋和彦)関ヶ原のボードゲームなんてあるんだね。

(松野泰己)あります。それで初めてサイコロ振って戦闘結果を出すっていうボードゲームのシミュレーションというのをプレーして。ウォーゲーム。

(鳥嶋和彦)意外なところが意外なところにつながっているんだね。

(松野泰己)で、その後はご多分に漏れず、ガンダムが大ヒットして。ア・バオア・クーとか、あのへんを通って。その6角形のヘックスの盤上で遊ぶっていうのはよくやってました。

(鳥嶋和彦)じゃあ結構、あれだね。世界観……今のジオラマも含めて、俯瞰で見るっていうのは大好きだったんだ。

ジオラマ好き+シュミレーションボードゲーム

(坂口博信)しかも、ガンダムファンだろう?

(松野泰己)ガンダムファン。ガノタですね。

(鳥嶋和彦)ガンダムファンでしょう?

(坂口博信)僕はたぶん松野に比べたら全然……1/3ぐらい。

(鳥嶋和彦)どっちかっていうと、『スター・ウォーズ』だったっけ?

(松野泰己)僕はファーストガンダムまでなので。ファーストガンダム至上主義者なんですけども。

(鳥嶋和彦)至上主義者ね(笑)。大好きなんだ。そうすると、必然的に作るゲームにはやっぱり出てくるね。

(松野泰己)まあ、そうですね。以前、言いましたけど。基本的に大河ドラマが大好きなんですよ。子供の頃って娯楽がなくて。東京みたいにチャンネルが多くないんですよ。民放が2個しかなくて。で、親も見るじゃないですか。で、『鎌倉殿の13人』が大ヒットしましたけど、あれの前は石坂浩二さんが頼朝をやっていたのかな? あの『草燃える』が大好きで。やっぱり日本の戦国物が好きじゃないですか。で、必然的に関ヶ原以外のバトルっていうか、戦いも知りたくなるじゃないですか。そういうのを読みあさったりとかしていました。

(鳥嶋和彦)本を探すんだ。

(松野泰己)図書館に行けば、だいたい載ってるじゃないですか。戦記物が。だから司馬遼太郎とか、好きでした。

(坂口博信)司馬遼太郎に行くわけね。

(堀井雄二)『国盗り物語』とか、面白かったもんね。

(松野泰己)本当にね、娯楽がないんですよ。当時は今みたいにゲームもなければ、インターネットもないわけじゃないですか。映画も見れない。テレビでやるものしか見えなかったわけですよ。

(鳥嶋和彦)たしかにね。だからこそ、逆に見るものがものすごい、1回見たて興味を持ったものって、体の中に入ってくるじゃない?

(松野泰己)まあ、そうですね。僕らの世代はそこでこじらせる人は多いんじゃないですか? たぶん、きっと。ハリーハウゼンの人形アニメーション物ってあるじゃないですか。『タイタンの戦い』とか『シンドバット』とか。人形アニメーションの。ああいうのも大好きでした。針金をこうやって、そこに紙粘土をつけて、ちょっと動かすとかっていうので遊んでいました。いまだにあのへんが原点ですね。モンスターの原点だったり。

(鳥嶋和彦)やっぱり、見たもの全部が入っているんだね。

(松野泰己)僕の世代はみんな、そういうのが多いと思いますよ。

(堀井雄二)うちらなんかは『ひょっこりひょうたん島』だもんね。人形劇っていうとね。

(松野泰己)『真田十勇士』とか、あのへんが好きでしたね。

(鳥嶋和彦)僕らの時代は『里見八犬伝』ですね。

(松野泰己)大好きです。見てました。

(鳥嶋和彦)「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」って。

(松野泰己)「いざとなったら玉を出せ」っていう(笑)。

(鳥嶋和彦)歌っていたね(笑)。

(松野泰己)歌ってましたねー。

(鳥嶋和彦)そうやって、ゲームを作る中でライター時点の修行って、生きました?

(松野泰己)文章を書くっていう意味では、相当修行は生きてますね。本当に長く文章を書いたりとか、修飾語が多かったりとかっていうのを全部、バッサリ切られて。簡潔にとか、いろいろ勉強させていただきました。それは今でも生きています。そのおかげだと思います。本当に。

ライター時代の修行の成果

(鳥嶋和彦)そして、あれだろう? いろいろなゲームを遊んで、メッセージがダサかったり、冗長だったりすると、ものすごく、こう?

(松野泰己)いやいや、そんなことは言いませんよ、別に(笑)。

(鳥嶋和彦)アハハハハハハハハッ! でも、思うでしょう?

(松野泰己)恐れ多くて(笑)。

(坂口博信)今、仲間を求めてるから(笑)。「それ、言っていいいんだよ?」っていう(笑)。

(松野泰己)でも最近はライターさん、本当にレベルが上がっていて。

(堀井雄二)ちゃんとしてるよね。

(松野泰己)と、思います。

(堀井雄二)昔は本当にゲームの文章って変だったね。プログラマーが書いていたりしたから。

(鳥嶋和彦)だから堀井さん、(ゲームでキャラクターが)しゃべるようになる前はみんな、メッセージが長いってこの前に言っていて。

(堀井雄二)そうそう。いろいろあったりとかね。

(松野泰己)僕もそういう意味では、たしかについついやっぱり長い文章を書いちゃうなっていうのはありますね。特に今は、容量を気にしなくてよくなっちゃったんで。ムダに長く書いているなっていうのは、思いますね。自分のゲームをプレイしてても。

<書き起こしおわり>

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