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患者さんと「今」を共有 八神純子さんに聞く 倉敷中央病院で毎年演奏会

 シンガー・ソングライターの八神純子さんが、倉敷中央病院(倉敷市美和)で2013年から毎年、無料のコンサートを開いている。新型コロナウイルス禍を挟んで9回目となる今年のライブは11月26日に実施。ピアノ弾き語り、アカペラを交え、つややかな歌声で入院、通院患者らを魅了した。コンサートの前には例年と同様、緩和ケア病棟を慰問。患者一人一人に語りかけるように柔らかに独唱し、全員と言葉を交わした。同院との縁や歌うことへの情熱などを語ってもらった。

 私が倉敷中央病院で歌うようになったそもそものきっかけは、倉敷で産婦人科クリニックを開業している山内英明先生との出会いです。東日本大震災の被災地支援のキャンペーンを企画し一緒に活動してくれる仲間を呼びかけたところ、いち早く手を挙げてくださったお一人です。先生のご尽力で倉敷で東北支援のチャリティーコンサートを開きました。

 そんな折、倉敷中央病院から歌ってほしいという依頼を受けたのです。毎回、私のために素晴らしい音響環境を整えてくれ、互いに強い信頼で結ばれています。

 病院でのコンサートは、東北大病院(仙台市)、国立がん研究センター中央病院(東京都)でも行ってきました。最初の頃は「病気と闘っている方に対し、失礼なことを言ってしまわないか」とか「私に何ができるのだろう」と不安や戸惑いがありました。

 しかし、回数を重ねるうちに、私の歌を聴いてもらうことで、たとえお一人でもその方の中に閉ざされていた力が湧き上がり、少しでも前向きに治療を受けてもらえればと思うようになったのです。私たちに与えられた時間は今しかありません。明日はどうなるか分かりません。生きている今という確かな時間を患者さんと共有したいのです。

 とりわけ緩和ケア病棟で歌うことには深い思いがあります。患者さんとご家族がとても喜んでくださったり、亡くなった方のご家族が遺影を胸に翌年もまたその次の年も聴きに来てくださったりします。その日容体が芳しくなく横になっておられた患者さんが歌をお聴きになるうち「体を起こしてくれ」と家族に頼む姿も目にしました。

 創作活動をしていると今でも「あれもできない」「これもだめ」と力不足を感じます。そう思うからこそ、私にしか伝えられない歌、私にしか作れない歌を突き詰めていきたいのです。

 死を意識させる歌も歌うようになりました。昔の八神純子からすると相いれないものですが、死を意識しないと充実した生き方はできないのだと思います。

 歌には人を素直な気持ちにさせる作用があるのではないでしょうか。私の歌を聴いて若い頃の情熱を取り戻してくれる方もいれば、音楽への愛をよみがえらせる方もいるでしょう。倉敷中央病院でも、ただ喜んでもらうだけでなく、新たな気付きや可能性の扉を開くことにつながればとても幸せです。

 岡山県には東北の被災地支援でつながった友人が大勢います。岡山県は果物王国。岡山弁もすてきですね。来年3月13日には倉敷市芸文館でコンサートを開きます。皆さんにお会いできるのを今から楽しみにしています。

 やがみ・じゅんこ 1978年に「思い出は美しすぎて」でプロデビュー。「みずいろの雨」「想(おも)い出のスクリーン」「ポーラー・スター」「パープルタウン」「Mr.ブルー」など多数のヒット曲があり、音楽史の一時代を築いた。結婚後、米国に移住。2011年の東日本大震災を機に国内で音楽活動を本格再開。両国で音楽活動を展開し、22年には音楽制作を続ける女性アーティストを支援する米国の団体から日本人初の「女性ソングライターの殿堂」賞を贈られた。

(2024年12月16日 更新)

※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

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