東京大医学部時代に解剖学を学んだ恩師の養老孟司先生が、がんになりました。2020年、心筋梗塞(こうそく)で東大病院に緊急入院し、見事に回復された養老先生。ですが、今回は肺がん、しかも、がんのなかでもとりわけタチが悪い小細胞肺がんでした。
恩師は医者嫌い
心筋梗塞の緊急治療後、定期的に通院されてきましたが、今年4月の終わりに、先生のお嬢さんの養老暁花(あきか)さんから電話をもらいました。ベストセラーになった「養老先生、病院へ行く」(エクスナレッジ)から始まる養老先生と私の共著シリーズの3冊目「養老先生、がんになる」(同、11月5日発刊)から抜粋します。
「今回の父の体の異変に、最初に気付いたのは私です。私は鍼灸(しんきゅう)師の免許を持っており、よく父や母に施術してあげていました。父は23年の初め頃から、右肩が痛いと訴えていました。本人は五十肩だろうと言っていました。私のマッサージで少しはよくなったのですが、23年の秋頃から痛みが肩だけではなく背中全体に広がってきたのです。『医者に診てもらって』と言いましたが、父は医者嫌いです。どうしても受診してくれないので、本人の了承を得ずに中川恵一先生に直接電話して、事情を話しました」
2年近く前から、肺がんが養老先生の体をむしばんでいたことが分かります。
実は、23年11月の定期診察の後に、養老先生と対談する機会がありました。そのとき私はこう言っています。「先生は、早期発見に関心はないと思いますが、たまには、CT(コンピューター断層撮影)を撮られてもいい気がします」。その日、強引にCTを撮影しておけば、もっと早く肺がんが見つかっていたはずです。肺がんの場合、1年で直径が2倍程度になると考えていいと思います。
幸運だったのは……
暁花さんからの電話の翌日(4月30日)、私の外来を受診してもらい、CT検査…
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東大大学院医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授
1985年東京大医学部卒。スイス Paul Sherrer Instituteへ客員研究員として留学後、同大医学部付属病院放射線科助手などを経て、2021年4月から同大大学院医学系研究科総合放射線腫瘍学講座特任教授。同病院放射線治療部門長も兼任している。がん対策推進協議会の委員や、厚生労働省の委託事業「がん対策推進企業アクション」議長、がん教育検討委員会の委員などを務めた。著書に「ドクター中川の〝がんを知る〟」(毎日新聞出版)、「がん専門医が、がんになって分かった大切なこと」(海竜社)、「知っておきたい『がん講座』 リスクを減らす行動学」(日本経済新聞出版社)などがある。