[go: up one dir, main page]
More Web Proxy on the site http://driver.im/

偉人たちの診察室 フォロー

出世には興味なし 旅と和歌と恋に生きた貴公子、在原業平の遺伝子は「浮気者」だったのか?

早川智・日本大学総合科学研究所教授
月岡芳年が描いた在原業平と二条后=足立区立郷土博物館蔵(画像をトリミングしています)
月岡芳年が描いた在原業平と二条后=足立区立郷土博物館蔵(画像をトリミングしています)

 テレビドラマで取り上げられると、その時代や主人公にゆかりあるご当地の人気が高まる。今年は大河ドラマ「光る君へ」が描く「平安時代」と「京都」が、俳優の好演もあって注目を集めてきた。主人公の紫式部による「源氏物語」は今から1000年以上の昔に書かれた世界最古の大河小説だが、構成や心理描写は近現代の小説に迫るものがある。しかしながら「源氏物語」が書かれた当時、宮中で高い人気を得た理由は同時代の人々の優雅かつ複雑な恋愛模様を描いたところにあったらしい。物語の主軸をなす光源氏のモデルは誰なのか?という問いは、今も好奇心をかきたててやまない関心事である。

藤原道長、源高明…乱立する「光源氏」候補

 「源氏物語」の時代設定は、作者の紫式部や、式部と関係の深かった藤原道長が活躍した時代よりも100年ほど昔。光源氏の父、桐壺帝は醍醐天皇がモデルとされており、他にも同時代の源信を、求愛の板挟みから宇治川に身を投げた浮舟を救う「横川の僧都」(よかわのそうず)に仕立てたり、折り合いの悪かった兄嫁(紫式部の夫の藤原宣孝の兄、説孝の妻)源明子(みなもとのめいし)を桐壺帝に仕える年を重ねた好色な女房、源典侍(げんのないしのすけ)として描いたりと、「小さな意地悪」を挟み込んでいる。 

 では主人公、光源氏のモデルは誰か。

 平安時代、摂関政治の全盛を極めた前出の道長や、醍醐天皇の皇子で源氏を賜姓(しせい)され左大臣となった後に失脚して大宰府へ左遷された源高明(みなもとのたかあきら)、また、もう一世代前に色恋に生きた在原業平(ありわらのなりひら)や兄の行平(ゆきひら)、彼らの友人であり、風流で知られた河原左大臣、源融(みなもとのとおる)など――が候補に挙げられている。中でも天皇の血を引く高貴な身分でありながら、宮廷での出世を求めず和歌や旅など趣味に専念し、色恋を繰り返したという点では「伊勢物語」の主人公になった在原業平が最も近いのではあるまいか。

「許されぬ恋」を求め続けた

 平安時代初期に活躍した歌人の在原業平は天長2(825)年、平城天皇の皇子、阿保親王の第5王子として生まれた。母の伊登内親王は桓武天皇の皇女で、両親ともに皇族だったが、兄の行平と共に臣籍降下して在原氏を名乗った。

 仁明(にんみょう)天皇の蔵人(秘書)として嘉祥2(849)年、従五位下(じゅごいげ)に進むが、政治的理由で(一説には、あまりに派手な女性関係で)、文徳天皇の代には13年にわたって昇進が止まり、次の清和天皇のもとで従五位上や右馬頭に、陽成天皇の時代には右近衛権中将や蔵人頭に序せられた。「日本三代実録」にある<体貌閑麗。放縦不拘。略無才学。善作倭歌。>は、容姿端麗で自由奔放、漢学の教養は無いが、見事な和歌を作る人物であったことを示している。実際、本人は出世には全く興味がなく、次々に新しい恋を求め、歌を詠んだという。その生き方は19世紀英国の貴族で詩人でもあったバイロン卿を思わせる。

 もともと平安時代は男女関係におうような時代だったといわれるが、「伊勢物語」によると、天皇の中宮に内定していた藤原高子(後の二条后)や、神に仕えるがゆえに処女でなければならない伊勢斎宮の恬子(やすこ)内親王(親友・惟喬親王の妹)などを相手に社会的には許されない恋を求め続けた。

 月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして

 世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

 小野小町らと並ぶ六歌仙の一人として優れた和歌を「古今集」に残し、百人一首でなじみのあるこちらの作も、業平によるものだ。

 千早ぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは

 恋と歌に彩れられたその生涯は元慶4(880)年、55歳にして幕を閉じる。

ネズミにもある一夫一婦や乱婚

 業平が生きた時代の貴族は一夫一婦制が基本だった。たとえば「伊勢物語」に登場する業平の従者、元親の妻となった紫苑の方は若い頃、業平に口説かれたのを袖にして、実直な元親と一夫一婦を貫いている。一方で、男性が正妻以外に内縁の妻を持つことは珍しくなかった。

 そもそも生殖生物学的には、栄養素を有する少数の卵子を形成し、妊娠という肉体的に大きな負担のかかる女性に生殖の優先権がある。それに引き換え、多数の精子を形成する男性は同時に多くの子を持つことができる。そのため男性が複数の女性を妊娠させることが、基本的に哺乳類全体に共通する生殖戦略となった。この戦略はヒトでも成り立つ可能性がある。

 しかしながら、子どもが知的及び肉体的に独立して生活できるレベルに成熟するまで十数年を要する人類では、夫婦で協力して子を育てる方が繁殖成功度は高い。それゆえ一夫一婦制は世界の多くで成立した。

 一方、子どもは乳母や家庭教師が育ててくれ、親は遊んでいても食べるに困らない貴族階級においては、男性が望めば一夫多妻が成立しやすいかもしれない。

 少し前に、齧歯(げっし)類で性行動を決める遺伝子が明らかになった。ネズミといっても実験用のマウスやラット、地下鉄の駅で見かけるドブネズミとは別種で、人里離れた森や草原で生きる野ネズミである。この仲間は種や個体群によって、多様な社会構造を取る。

 たとえばアメリカの草原に生息するプレーリーハタネズミが一夫一婦制を取るのに対して、近縁種のサンガクハタネズミは乱婚制を取る。…

この記事は有料記事です。

残り2668文字(全文4872文字)

日本大学総合科学研究所教授

1958年、岐阜県関市生まれ。83年日本大学医学部卒業、87年同大大学院修了。同大医学部助手、助教授、教授を歴任し、2024年4月より現職。著書に「ミューズの病跡学Ⅰ音楽家編」、「ミューズの病跡学Ⅱ美術家編」「源頼朝の歯周病―歴史を変えた偉人たちの疾患」(診断と治療社)など。専攻は、産婦人科感染症、感染免疫、粘膜免疫、医学史。