この間「はじめまして」の人と打ち合わせをしているときに、話の流れで「宮本さんの目指すビジョンはなんですか?」と訊かれて答えに困ってしまった。「え、ビジョンですか? いや、とくにないですねぇ…まぁ、強いて言えば、あんまり自分の専門分野を決めないことですかね」と、なんとも情けない返答をしてしまい、もうちょっといいことが言えたらよかったなぁとあとから思いつつも、いまだに答えは考え中です。みなさんはビジョンってありますか?
「これを成し遂げたい」とか「いついつまでにこういうことをしたい」という思いがないのは、もともと先の計画を立てるのが得意でない性格なことに加えて、自分が「する」ことよりも、「なる」ことのほうに興味があるからだろう。ぼくの好きな話に西村佳哲さんの「一緒に冒険に『なる』」というものがあって、西村さんは自身の仕事を振り返って、友人や知り合いからもらった無茶振りのような相談から生まれた物事のほうが、「結果的に、自分が考えて『した』ことよりよほど大きなエポックに至っている事実がある」と書いている。「ただ夢中になって全力で取り組んでいるときは、仕事であれ遊びであれ、『して』いるというよりそれに『なって』いる感覚が強い」と。
考えてみれば、ぼくにとってのロブスターもそう。それまで面識のなかった佐々木さんに声をかけてもらって始めたプロジェクトが、続けるなかで結果的に自分の、そして自分たちのプロジェクトに「なって」いる。
そんなことを考えていたこの週末に発売したばかりの『AXIS』を読んでいたら、レム・コールハースもインタビューのなかで、「建築家として、常に私は自分が何を建てたいかを考えることを拒否してきました」と言っていた。えっ、あのコールハースも「自分が何を建てたいか」を考えてないの!? コールハースいわく「本当に面白いことは、建物を建てたい誰かと建築家との間で起こります」とのことで、すべての仕事が人と人の間で行われることを考えれば、建築に限らず世の中に存在する仕事や作品の多くも、実は誰かの「した」ことより、「なった」ことや「おきた」ことでできているのかもしれない、と思ったりする。
ウディ・アレンの言葉に「人生の90%はただそこにいるだけだ」というものがあるけれど、人は思っている以上に、自分が考えてすることよりも関係性や流れのなかで生きているんじゃないかな。もちろん、強い意志やビジョンをもっているのは素晴らしいことだし、そういう人がビジョナリーと呼ばれる人になっていくのだろう。でも、みんながみんなビジョナリーにならなくたって、「なった」ことや「おきた」ことの連続でも世の中に素晴らしい仕事は生まれていく。そして個人的には、本人でさえ想像していなかった、でも周りの人たちとの対話や場の力、あるいは偶然の積み重ねによって生まれるもののほうに興味があります。
相変わらず立派なビジョンはもっていないけれど、フリーランスとしてひとつ心がけているのは、チャンスが巡ってきたときにパッと飛びつける身軽さを常にもっていたいということ。優れたサーファーが決して大事な波を逃さないように、身軽さを活かしていい波に乗りたい。──Y.M
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