2月も後半に差し掛かろうというある日の夜、「今日、遠い公園に行ったんだよ。しばふ公園」と3歳の息子が教えてくれた。どうやら保育園でよく遊びに行く公園のレパートリーに「しばふ公園」が新しく加わったらしい。
保育園の周辺にあるいくつかの公園を思い浮かべてみるが、しばふ公園は思い当たらない。Googleマップの検索にも引っかからない。「その公園どこにあるの?」と聞いてみたものの、さすがにそこまではわからないみたいだ。そのかわりに「遠くまでちゃんと歩けるお兄さんになると行けるんだよ」と嬉しそうに教えてくれた。その後も、しばふ公園の正体を突き止めようといろんな質問を試みてみたものの、結局わからずじまいになっていた。
この数日後、保育園で息子の担任の先生と話す機会があった。話している途中で「あ、しばふ公園の場所を聞ける」と気づいたのだけど、なんとなくズルをしているようでそのことには触れずに帰路についた。
それから数週間が経ったある日の夜、一緒にお風呂に入っていると、突然何か閃いたように息子が「一緒にドーナツ食べたところの隣にあるんだよ! しばふ公園は」と勢いよく言ってきた。記憶をたぐり寄せながら話をよく聞いてみると、しばふ公園は、前の週末に一緒にドーナツを食べた別の公園の奥にあり、彼の頭のなかでは「ドーナツを食べた公園」と「しばふ公園」が時間差でつながり、ぼくとの共通言語になったようだった。
「へー、あそこにあるんだ!」と驚き、喜んでいるぼくを見る息子の誇らしげな表情がとても印象的だった。そしてあの日、保育園の先生にしばふ公園の場所について聞かなくてよかったと思った。と同時にぼくは、一緒に食べた季節限定の甘いドーナツと「Delayed Gratification(満足の遅延)」という言葉を思い出していた。
Delayed Gratificationとは、目先の欲求に対する遅延耐性のことを指し、短期的な小さな欲求を遅らせることによって、中長期的にはよりよい結果が得られるという意味の言葉である。これまで『Lobsterr Letter』で何回か取り上げている、FOMO(Fear of Missing Out=取り残されることへの恐れ)に対する、JOMO(Joy of Missing Out=追いすぎないことの喜び)にも通じる考え方でもあると思う。
求めている答えにたどり着くためには決して効率的ではないけれど、少し立ち止まったり、遠回りしたからこそ得られるかけがえのない経験も多くある。長い時間軸の上でこそ紡がれるストーリーや積み重なるシーンもあるのだろう。
やや異なる文脈ではあるが、今週考えていたそんなことと読んだニュースレターやメディア記事の内容に通じるものがあった。最近好んで読んでるニュースレター『Maybe Baby』の「#46: The greatest drug in the world」では、旅行と幸福度の興味深い関係性が紹介されていた。2010年の「Applied Research in Quality of Life」の調査では、旅行による幸福度の変化は、旅行に行く前に最も大きく変化することがわかった。言い換えれば、人は旅行そのものよりも、これから起こりうる出来事に思いを馳せながら、旅行を計画することが幸せにつながると書かれていた。
『ニューヨーク・タイムズ』の「テレビのビンジとの戦い:待つ価値がある理由」という記事で批評家のジェイムズ・ポニウォジックは、Netflixによって確立された、ドラマシリーズを一気見する「ビンジ・ウォッチング」という視聴スタイルに対して、毎週1エピソードのゆっくりした更新頻度でストーリーの展開を楽しむウィークリーモデルを採用するシリーズがDisney+やApple TV+などで増えているトレンドに触れ、待つことの価値について書いている。
ワクチン接種がはじまるなど、より自由な生活が多くの人の想像力の射程にはいってきているいまだからこそ、飛び出す前に左右を確認することが大切なのかもしれない。立ち止まることや遠回りすること、プロセスを楽しみながら待つことの価値について、あらためて考えてみたいと思う。──A.O
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