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東京〜京都を3度徒歩で移動した話 – 大変だけど素晴らしい、街道歩きの世界にようこそ【寄稿:dekokun】
ITエンジニアとして働くdekokunは、これまでライフワークとして長距離徒歩移動に取り組んできました。東海道、そして中山道を歩き通したプロセス、歩いて分かったノウハウを綴ってもらいました。クルマでも徒歩でも、旅って素晴らしい!外出できるようになったら、皆さんもぜひ!
私はこれまで東京〜京都間を3度、移動しました。徒歩で、です。
人生に行き詰まりを感じていた大学生だった私が人生を一発逆転してやる、と思い、どういうわけかその手段に選んだのが長距離の徒歩移動でした。始めた理由こそややネガティブですが、3度も歩けば長距離を歩ききるための知見も溜まります。この記事では、(どのくらいいらっしゃるのか分かりませんが)皆さまが長距離徒歩移動したくなった際に参考になるよう、私の徒歩旅行の記録と、私なりに気付いた便利な長距離徒歩移動のノウハウをまとめてみます。
歩いたのは一番直近でも6年前、一番古くて10年以上前のことで、記録が残っていないことも多く、記憶にも怪しい部分があり、また、現在とは状況が異なる部分もあると思いますが、ぜひ参考にしてみてください。
2015年7月22日、私は京都にいました。東京を旅立ち17日、東京から埼玉、群馬、長野、滋賀と中山道を歩きに歩き、京都にたどり着いたのです。
東京〜京都間を歩いたのは、これが3度目のことでした。たまたま長い休暇が得られたので、学生時代に2度歩いた東海道以外の五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)のいずれかを踏破してみたくなったのです。
言うまでもありませんが、徒歩での長距離移動にはかなりの時間が必要です。総延長約495kmの東海道を歩き通す場合、私の足では12日ほど必要です。中山道の東京〜京都間はさらに長く、総延長は約526km。当時勤めていた会社を退職することが決まり、40日ほどの長い有給休暇消化期間を得た私は、これはもうやるしかないと東京から京都までを歩くことにしたのでした。転職先となる会社の本社所在地が京都であったことも、私の背中を押しました。人生初の転職で不安が大きかったこともあり、色々な面白い挑戦を行うことで新しい会社のメンバーからの認知度を上げ、転職前の段階で自分のことを認識してもらいたい、住んでいる東京から本社の京都まで歩いたというストーリーを作ることで、入社後も自分を認識してもらうためのネタに使えるのではないかという打算がありました。
東京〜京都を歩く際は、ルート選定が非常に重要です。江戸時代から続く五街道であれば、どの道を選んでも歴史的な街並みや史跡が保存されていることが多く、歩いていて楽しめるでしょう。それに、専用のガイドブックなども色々売られていたり、道には「東海道はこちら」といった案内看板が立っていることも多く便利です。ただし、主に海沿いの東海道を行くのか、はたまた長野などを通る山沿いの中山道を行くのかで、徒歩移動の体験は大きく変わります。五街道の中で東京〜京都をつなぐのは、東海道・中山道・甲州街道ですが、いくつかの理由からこのときは中山道を選んだのです。
東海道は学生時代に2回歩いたので新鮮味は少なさそう。さらに、ちょうどその頃東海道の途中にある箱根の噴火警戒レベルが上がり箱根周辺の入山規制もかかりそうな気配があり、もしも箱根山を歩いてる際に噴火したら非常に困ることになります。であれば、東海道の次にメジャーな街道であるところの中山道が選択肢に挙がります。学生時代と比べれば、体力は落ちているでしょうから、より距離のある中山道を歩くのに懸念もありましたが、それでも新しいルートを歩いてみようと、中山道を選択したのでした。
中山道を歩くにあたって、いくつかのコンセプトがありました。まず、自分のツイートを地図上に表示し、それがリアルタイムに更新されていくようなサービスを作り、実況しながら旅をしたいと思っていたのです。最初の東海道歩きではログが残せなかったのですが、これは大きな損失です。徒歩旅の様子を簡単に記録・公開できる仕組みがあれば、絶対に面白いし、情報がきれいに集約されるので、今後旅を見直す時の大きな参考になるだろうと考えていました。と言っても想像が付きづらいと思うので、以下のスクショをご覧ください。
このように、地図上に私のツイートや撮った写真などが表示されています。事前にシステムを作っておけば実際に移動している間の負担は”ツイートをする”以外は特にないため、出発前に頑張って準備しました。
また、中山道歩きには、コンセプトがもうひとつ。それは、体力の低下をお金で補えるか、の検証です。大学時代に東海道を歩いたときの私には、体育会系の部活で鍛え手にした豊富な体力がありました。しかし、社会人になりとくに運動もせずに7年経ち、体力が失われた実感があったのです。体力は低下しましたが、社会人の武器としてある程度のお金が実装されます。お金を使うことで、長距離歩きにどこまで立ち向かうことができるのか、実感してみたかったのです。
そのお金を使って、まずは装備を整えました。装備品は以下のとおりです。
- ランニング用タイツ 15,000円
- 大学時代に部活で膝を痛めてから、私の徒歩はひざ痛との戦いのようなところがあるので購入
- 1日だけこれを履かずに歩いたら膝に違和感が出たので、効果があったと思われる
- 以下のアームカバーとともに、虫やヒル避けとして役立った。中山道の碓氷峠はヒルがよく出ることで有名で、実際に足をヒルに食われ、登山を断念した半ズボンの方に遭遇した。私は多分これらの装備のおかげでヒルに食われずに済んだ
- アームカバー 3,000円
- 夏の日差しは体力を奪うので下の麦わら帽子とともに日差し対策として購入
- 麦わら帽子 700円
- シャツ 2,000円
- ウインドブレーカー 12,000円
- 山の天気は変わりやすく、さっと羽織れるように購入。とにかく軽いものを選んだ
- 靴下 2足4,400円
- ウール製の靴下。夜に手洗いして朝には乾くように速乾性のものを購入
- 毎日履いていたら13日ほどで破れた
- 蚊取り線香
- 休憩の時用
- 虫除けスプレー
- 虫さされ薬
- 日焼け止め
- メガネの上からかけられるサングラス 7,000円
- メガネの人でもサングラスかけられて大変便利。度付きのサングラスを買うよりも汎用性が高い
- ガイドブック『ちゃんと歩ける中山道六十九次』
- 上下巻に分かれていて使いやすく、地図も詳細でわかりやすかった
- 旧中山道をちゃんと歩かせようとするあまり、歩きにくい道を案内する場合が何度かあり、良し悪しはある。危険を感じたらおとなしく迂回路を通るようにした
- 靴 12,000円
- アシックスのウォーキング専用シューズ
- 「超長距離を歩きたいんだけど」とアシックスの店員さんに相談して選んでもらった
- モバイルバッテリー 4,000円
これらが、中山道用に新たに購入したもので、合計約7万円です。その他、以下のアイテムも持って行きました。
- 寝袋
- もしもの時の野宿用
- 学生時代の東海道の旅では野宿をしながら歩いたこともあり、その際は非常に重宝した
- 中山道歩きでは結局全く使わなかったが、いざとなったら野宿という選択肢もあるという安心感はメンタルに余裕を与えた
- 寝袋の下に敷くシート
- 寝る時に断熱して地面から体温が奪われることを防ぐ
- 会社の人たちがくれた水筒
- 有給消化で徒歩の旅をすると言っていたら以下サポーターと一緒に同僚がくれた
- 徒歩の旅では喉が乾いたなと思ってから水を飲める場所に着くまで何時間も歩かないといけない場合があるため、特に夏場は必須のアイテム
- 会社の人たちがくれた膝と足のサポーター
- ポンチョ
- 山歩き用に以前買ったもの
- 雨の時にでも両手が自由に使えるので便利であろうと持っていった
- 初日に早速雨が降ったので着てみたら、暑すぎるし歩きながらガイドブックが見られない(見るにはポンチョの外に出さないといけないがそうするとガイドブックが濡れてしまう)という理由で、最初の一度しか使わず、結局、雨のときは傘を差して歩いた
- 傘
- これらを入れるためのリュックサック 45リットル
- パソコン
- 前述のログサービス が何かしらの理由で止まったときの復旧用に持っていった
- 実際、一度止まったがスマートフォンの操作で復旧できたので結果的には不要だった。しかし、もしも止まって復旧できないと旅のコンセプトの一つが無に帰すので、安心のために持っていったのは正解だったと思う
これらを全部リュックに入れて重さを測ったところ、合計約10kgでした。やはりパソコンが結構重かったのですが、これを持って行かないわけにはいきません。かくしてできあがった、中山道仕様の私はこんな感じ。
装備を充実させ、また、基本的に野宿しなくてすむように、宿泊費に大量の資金を投じることに決めて、私の旅は始まろうとしていました。なお、宿泊費は最終的に16泊で15万円ほどになりました。市街地ではお手頃なホテルがそこそこあるのですが、山の中では宿泊場所に選択肢が少なく、宿泊価格が高騰しがちです。野宿をするのと比べるともちろんお金はかかりますが、体力回復のためという意味では非常に有用なお金の使い所だったと思います。
装備と同時に、肉体面も準備しました。家と職場の往復の数kmの道のりをなるべく歩くようにし、週末外出する際も電車などを使わず25kmほど歩いたりして体力不足の解消に励みました。
また、長距離歩きにおいては必要日数の試算も欠かせません。休暇は無限にあるわけではないので、だいたいどれくらいで歩き通せるかは、かなりシミュレーションしました。
大学時代に東海道を歩いた際は1日40kmほどのペースで、東海道を12日で踏破できました。これを参考にするならば、526kmの中山道は14日ほどで踏破できると読めます。しかし、忘れてはならないのは海沿いを行く東海道と違い、中山道は山道が多いということです。また、体力の衰えや、気候の違い(東海道を踏破したのは春と秋だったのですが、中山道を歩いたのは真夏)といった変動要素を加味し、中山道踏破には最大で20日くらいはかかるのではないかと試算しました。20日必要だとすると、1日の必要獲得距離は27kmです。
結果としては、17日で到着しましたので、大きくは外さなかったなと思っています。
そうして出発した中山道、色々な出来事がありました。宿泊施設を多用したこの旅では、その分、人の出会いに恵まれました。民宿に宿泊することが多かったのですが、民宿を運営している方々はおしゃべりが好きな方が多く、一人旅でそんなに喋る相手もいない私としては非常に元気づけられます。長野の奈良井という、江戸時代の町並みが保存されている町があるのですが、そこで宿泊した民宿のおばちゃんが非常におしゃべり好きで、大変親切。
私が中山道を歩いていると話すと、昼にでも食べなさいとおにぎりをくれ、とても嬉しかったです。他にも、長野の上松町の民宿で、夜に突然電話すると「従業員誰もいないから安くする」となって、安く泊まらせていただいた上に、翌朝も「本来振る舞う相手がいなくなったから」とカレーを振る舞ってくれて大変ありがたかったです。
と、宿ならではの素敵な思い出は多いのですが、徒歩旅行では宿の確保には少し慣れが必要です。中山道は山が多く、特に群馬から長野、岐阜にかけてはなかなかの難所です。私の場合、峠を越えるために7日間山道を歩き通しました。こうしたエリアでは、宿泊場所の確保が重要になってきます。山の中は宿泊場所も少なく、万が一山の中で日没になってしまうと非常に危険です。ですから、基本的に明るいうちに山を越えておくプランニングが必要で、かつ、峠が連発するエリアでは行動前日に宿泊場所のあたりをつけておかねばなりません。
ただし、あたりをつけても、そこに狙った時間にたどり着けるかどうかは確かではありません。私の場合は前日にある程度宿泊場所のあたりを付けておきつつも、しばらく歩いてみて、「このペースなら宿にたどり着けそう」という雰囲気が出てきたら目当ての宿に当日電話して予約するという手法をとっていました。
峠以外の場所ならば、比較的宿が多いため、基本的に「夕方17時くらいだしそろそろ宿泊場所を考えねば」となってから携帯で検索すると、そこから先10kmくらいの範囲にだいたい宿泊場所がある、という感覚でした。宿泊場所さえ決まれば後は10km(2〜3時間ほど)歩くだけですので、安心です。
なお、私の経験で一番注意すべきと感じるのは、岐阜南部、中山道六十九次でいうところの大井宿〜太田宿です。このエリアでは40kmの中に宿泊場所が1軒しかないのです。
また、同エリアには峠もあって非常に過酷で前々日あたりからペース配分を考える必要があります。私の場合は、前日に歩く距離を調整して、まず大井宿に宿泊。次の日は1日かけて40kmを踏破し、太田宿で宿泊するというプランで、この宿泊難所を抜けたのです。
宿同様、マストで確保すべきは食糧です。山の中では、食事処があったとしても17時頃にしまってしまって何も食べるものがなくなり、カロリーメイトで飢えを凌ぐことが何度かありました。10〜20km歩いてもコンビニが見当たらない、というようなことも多く、こうしたエリアでは、とにかく店があったら入って保存の効く食料と水分を迷わず調達するのが基本になります。
食料は、カロリーメイトのようなバータイプのものが保存も効き、かさばらず重くもなく、食べたい時にパッと食べられるので便利です。1度の買い物で2〜3食分調達することを基本としていました。水分は、たくさん持つと重いのですが、夏に人里離れた場所で水がなくなると熱中症のリスクもあり、生命にも関わるので、2リットル程度は確保しておきたいところです。私の場合、800mlの水筒に加え、1リットルのペットボトルを常備しておくことを意識していました。また、山中を歩くことの多い中山道では、湧き水をくめるスポットに出会うこともありますので、空のペットボトルでも捨てずに持っておくことをオススメします。
食に関しては、こんなシビアな話ばかりではなく、旅の途中では、できるだけご当地の名物を食べることを意識していました。浦和のうなぎ、鴻巣の川幅うどん、坂本の釜めし、望月の味噌カツ丼、岐阜のスガキヤ(愛知、岐阜、滋賀などに多く出店しているラーメンのローカルチェーン)などなど、そこでしかいただけないメニューで旅を満喫しました。ただ、道中偶然お昼時にご当地名物の店の近くを通れば食べられるのですが、なかなかそんな場面も多くなく、食べそびれたものもたくさんあります。特に長野でそばをたべることができなかったことは心残りです。ご当地グルメを楽しむのも、食糧調達同様、「タイミングが合えば即確保」が基本戦略になるでしょう。
山歩きは森の中を歩くような場所も非常に多くあり、クマに注意する必要があります。熊鈴は持っていなかったのでずっと歌ったり手を叩いたりしながら歩いていました。中山道の難所の一つ、長野の和田峠の中に名水で有名な「接待」という場所があります。私はここで昼食をとり、昼寝をしたのですが、後でそこは少し前に熊が出没していた場所だったことを知りました。この中山道の旅では結果的に何も起きなかったから良かったですが、熊に対する認識は甘かったなと反省しています。
熊にはヒヤリとさせられましたが、長野の山々の景色は素晴らしく、また、真夏にも関わらず気温も低くて非常に過ごしやすかったです。今でも当時の写真を見返すと、過ぎ去った青春が帰ってきたかのような気持ちにさせてくれます。夏と山の組み合わせは最強です。
景色をじっくりと楽しめる徒歩旅行では、土地が変化していく様がよく感じられます。長野で見た時は水遊びできてしまいそうなちょっとした川だった木曽川が、岐阜では非常に大きなまさに大河となって目の前を流れているというのが、非常に感慨深かったです。数日歩いただけで、こんなに景色とはかくも変わってしまうものなのだ、と感じられます。
歩くごとに、気候もまた変化します。長野から岐阜に入ると一気に暑くなり、滋賀の彦根あたりで暑さがかなり厳しくなり、それまでの徒歩で削られていった体力を温存するために休憩の頻度が上がっていきます。
さて、道中、毎日ブログやSNSに状況をアップしていたのですが、たまたま付近に住む中学校時代の同級生が読んでくれ、翌朝早朝に車で差し入れとともに駆けつけてくれたのは非常に嬉しかったです。こういった体験は、SNSとともに旅する醍醐味だと感じます。
私の発信を見てくれていたのは、友人だけではありませんでした。旅は佳境に入り、滋賀県を歩いてると、転職先の会社メンバーから「オフィスにランチ食べに来ないか」とメッセージをくれたのです。京都にゴールしてから、お誘いに乗り、オフィスを訪問すると、いろいろな人と話すことができました。中山道行の、「転職先で自分の名前を認識してもらう」という狙いはある程度成功だったといえるでしょう。
こうして、中山道の旅は17日で終わりました。1日平均、約32kmを歩いた計算です。改めて振り返ると、中山道は東海道と多くの点で異なることが肌で感じられます。特に、山中では食料獲得や宿泊場所獲得の難易度が上がり、これらは安全にかかわる要素で判断を誤るわけにはいかず、非常に神経が削られます。とはいえ、装備と宿泊費に予算を投じることで、失われた若き日の体力をある程度代替できることがわかったのは、大きな収穫でした。
ちなみに、ゴール地点である京都の三条大橋に到着し、3時間ほど滞在した後、すぐに新幹線で東京に戻りました。中山道を歩くのにだいたい16日と2時間、時間にして386時間必要でしたが、新幹線に乗るとわずか2時間。しかも寝ていても勝手に運んでくれることに改めて衝撃を感じます。文明が「移動」という行為をどれほど発展させていたかを、強烈に実感できた復路でした。
このようにして中山道を歩き通すことができました。道中いろいろな困難はありましたが、大きな問題なく踏破できたのは、過去の東海道の旅で得た経験・失敗によるものが非常に大きいです。
私が長距離を歩くようになったのは、まだ大学生のときでした。私は体育会の部活に所属していて、最初は選手として、そして途中からマネージャーとなり、やがてはマネージャのトップである主務に、と期待を受けるようになったのです。しかし、部活漬けの日々はなかなかに多忙です。毎日大学と山をふたつ越えた先にある練習場を往復せねばならず、朝4時に起き練習し、大学の講義を受け、その後また練習。練習場で部員数十人で雑魚寝という日々を繰り返すなかで、私の精神は完全に闇の中に沈んでいました。今から思うと睡眠不足からくるストレスだったのだろうなと思っています。
やがて、期の変わり目、まもなく主務になろうかというタイミングで精神に限界がきた私は、部活から脱走してしまったのです。数ヶ月部活に一切顔を出さず、部活の人間に見つからないように家にも帰らず、引きこもりインターネットを眺め続ける生活を送ったのです。当然、主務は別の部員が選ばれます。その部活は歴史が長く、主務を務めたキャリアがあれば就活では労もなくどこの会社でも入りたい放題だわい、などと妄想していました。しかしそんな甘い考えは捨てざるを得なくなり、さらには私は何者にもなれなくなってしまった、自分の人生は完全に失敗してしまった、人生も就活ももう終わりだ、と失意で一杯になってしまったのです。
そんな日々を過ごす中で、なんとか打破するには何か一発逆転のことをしなければいけない!という思いに苛まれつつ、いつものようにインターネットを見ていると、東海道を歩いている人が作っているホームページに出会いました。それを見て私は「徒歩で長距離を歩くなんてあり得るのか、楽しそうだしすごい!」と衝撃を受け、「周りでもやってる人を見たことがないし、これこそ一発逆転にふさわしい!」という気持ちとともに、具体的な企画を始めました。当時のことは記憶があやふやですが、感情まかせの極端な解決策の選択にはなんとも学生らしさを感じます。
こうして始まった長距離歩き、最初の旅となったのは、大学がある京都から実家の愛知まででした。年末年始の帰省を兼ねた旅路です。いきなり東海道を歩き倒すのには不安が大きかったので、ほどよい距離である京都〜愛知間を歩く必然性があったのは、私にとって幸運でした。
歩く距離はこそ短めですが、経験不足からこの旅では非常に怖い思いをしました。東海道の京都〜愛知間では、旧東海道の難所のひとつである鈴鹿峠(滋賀県と三重県の境)を越えねばなりません。当時は何も考えずに日暮れの少し前に鈴鹿峠を歩き始めたのですが、日の短い年の瀬のこと、すぐに辺りは暗くなってしまいました。
暗くなってしまったあたりで引き返せばよかったのですが、長距離を歩いていると、1kmだってムダに歩きたくなくなるものです。少しでも、一歩でも歩く距離を縮めたい。来た道を引き返すのなんてもってのほか、という気持ちになりがちです。鈴鹿峠での私はまさにこの状態で、引き返す決断ができないまま、ずるずると峠を歩き続けたのです。
街道歩きでは、基本的に地図を見ながら旧街道を歩くのですが、鈴鹿峠の旧街道は完全に山道で街灯もなく、ろくに地図も読めません。そもそも暗すぎてどこから旧街道に入ればいいかも分からず、ずっと国道1号沿いを歩いていました。国道沿いなのである程度の明かりはあるのですが、車道としての機能が優先されているためか、歩道は狭く、すぐ横には常に漆黒が広がります。そして、歩く私に気付いているのかいないのか、身体のすぐ横をすごい速度で車が走り抜け、一歩間違えたら確実に死ぬという恐怖とともに登り続けました。恐怖に耐えながら数時間登り、峠の頂上付近に幸いにも宿があり、そこに泊まらせてもらえたのでことなきを得たのですが、もしも一晩中、峠道を歩かねばならなかったとしたら大きな事故に遭っていたかもしれない、と思っています。
こうした恐怖体験こそあれど、それ以外は大変なことはなく、桑名で焼きはまぐりを食べて「その手は桑名の焼きはまぐり」と口ずさみつつ、楽しく歩き通せました。京都から実家までだいたい200kmくらいの道のりで、なにも分からないなりに立てた事前の計画では、3日ほどあれば実家に帰れそう、と出発したのが12月29日。ですが、残念ながら年越しを過ごしたのは、実家の数十km手前の名古屋のネットカフェでした。結局、実家にたどり着いたのは翌日。未経験だったので1日の移動可能距離が見通せなかったがゆえの結果です。
この旅を通して、意外と長距離歩き続けることは可能なこと、宿泊できる施設は宿やネットカフェ等、山の中を除けば意外といろいろなところにあること、継続して1日50km歩くことは難しいこと、山は絶対に夜に越えようとしてはいけないことなどを学びました。特に最後の教訓は、峠越えの多い中山道歩きの際も鉄則として刻み込まれています。また、この旅で使い始めた『決定版 東海道五十三次ガイド』という本は、非常に優秀な水先案内人として機能してくれました。
道中色々はありましたが、終わってしまえば意外とあっけなく、もっと長い距離も歩きたい、次は東海道をすべて歩き通したいという気持ちが大きくなっていきました。
京都から愛知まで歩ききった年の秋、部活の後輩が東京に遠征しにいくことになり、これを応援しに行くべく、今度は京都〜東京まで東海道を歩き通そうと考えたのです。2008年のことです。京都〜名古屋の徒歩移動の経験からある程度の自信を得たわけですが、それでも、さらなる長距離を一定のペースで歩き続けることは可能なのかという点には、不安と同時に興味を覚えます。東海道踏破が可能なのか、自らの足で検証したくなり、私は再び徒歩の旅に出たのです。
前回の反省点から、この旅ではいくつかの点が洗練されています。そのひとつは、記録です。この旅では、歩きながらブログを書くのが基本スタイルとなっています。
また、1日の時間配分も工夫しています。東海道には、愛知以東にもいくつか難所があります。静岡の「小夜の中山」という峠、薩埵峠、静岡〜神奈川をまたぐ箱根峠などの山道がそれですが、前回の夜の鈴鹿峠での恐怖から、この旅では「難所は日中に踏破する」を基本にしました。
また、前回、「年末年始を実家で過ごす」という目標を果たせなかったことから、この旅では余裕を持って日程を組んでいます。結果、東京行きの目的だった後輩の遠征試合には無事に間にあい、後輩に声援を送ることができたのです。
そして、この旅では徒歩旅行のノウハウもさらに得られました。たとえば、宿泊場所です。前の旅では基本的に民宿やネットカフェに泊まっていたのですが、この旅では、カラオケなど(最悪の場合、野宿も)さまざまな宿泊方法があるということを肌で知ります。歩行ペースに関しても、だいたい継続して平均して1日40km歩けることがよく分かりました。新たに取り入れたブログ更新も、時折コメントなどで反応がもらえて楽しい、と実感できたのも大きな収穫でした。
そして2009年、私は再び東海道踏破に挑みます。卒業を間近に控え、就職のためにすでに東京に引っ越していた私は、今度は東京〜京都を徒歩で移動し、卒業式に出ようと考えたのです。社会人になれば、徒歩旅行を楽しむ長期間の休みは取りにくくなります。学生時代の最後に東海道を歩いておきたい、という気持ちも私の背中を押しました。
この旅では、さらに新しいコンセプトを取り入れています。それは、当時はまっていたニコニコ動画に旅の様子アップしながら旅しよう、というものです。ただし、このコンセプト実現するのはなかなか骨が折れました。まず、動画をアップするためにはPCを運ぶ必要があります。当時持っていたガラケーにはテザリングなどという便利ものはなく、別途PCのインターネット回線専用のデータカードを購入する必要がありました。SDカード経由でPCとデータのやり取りができる2万円くらいのデジカメも新規で購入しました。
新たな機材を準備し出発したのですが、最初から困難が襲います。これまでの東海道の旅でお世話になった『東海道五十三次ガイド』を、スタート地点の日本橋に向かう電車の中で落とし、出発前になくなってしまったのです。しょうがなく日本橋駅近くの書店で探したのですが同じ本はなく、道路地図を買って進むことになりました。道路地図は『東海道五十三次ガイド』と比べて縮尺が大きく道がわかりづらく、また、旧東海道の道が書いてあったり書いてなかったりして「東海道を歩く」という目的のためには非常に使いづらいものでした。やむなく、前回の東海道歩きの記憶を頼りに歩く時間が増え、スムーズに距離を稼ぐことができませんでした。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。私にも幸運が訪れます。箱根峠を越えようとしていたところ、東海道に詳しいおじいさんに出会い、道案内を買って出てくれたのです。そのおじいさんはともに箱根峠を降りた後も夕食をごちそうしてくれ、さらに東海道を歩くための地図もくれました。ごちそうしていただいた袋井の名物「たまごふわふわ」の美味しさは、いまもはっきりと覚えています。
2度めの東海道は12日ほどで踏破できました。無事に京都についた私は卒業式に出るという目標を果たせたのです。
3度の長距離徒歩旅行をし、同じ道を歩いても、やはり予期せぬ出来事は起こります。しかし、こうした経験が積み重なり、手法も多少は洗練され、後の中山道行につながっていったのです。
さて、すでにお伝えしたとおり、私にとって徒歩旅行とは人生一発逆転のための(謎の)手段に過ぎませんでした。にもかかわらず、私はなぜかこれまで4度(実は2018年に東京〜藤沢間を歩こうとしたのですが、ブランクのせいか28km歩いてリタイヤとなりました……)もの徒歩旅行を繰り返してきました。きっと私は気付かぬ間に、徒歩で移動することに喜びを見出していたのでしょう。
そもそも、「移動」は楽しいものです。自分の知らない場所にたどり着き、そこでしか見られないものを見て、そこでしか食べられない名物に出会うことに、大きな喜びを感じます。
私がとりわけ長距離歩きという移動に惹かれるのは、歩くほどに土地がグラデーションのように変化していく様子が感じられるからです。中山道を歩いた際、こうした変化が強く感じられました。東京から埼玉、群馬と行くにつれて、だんだんと道行く人が減っていき、名物料理も移り変わります。また、群馬から長野に入る峠を歩いていると、空気はだんだんと冷涼になっていき、いつしか真夏の都会では考えられないほど涼しく過ごしやすい環境になっています。
歩みを進めると、さらに土地の様子は変わっていきます。人の気配はさらに少なくなり、木曽では周囲の山々が日没を早め、岐阜に入ると急に暑くなってくる。文字通りの風土を肌で感じることができたのは、基本的に平野の都市部で過ごしてきた私には、とても新鮮な体験だったのです。
こうした風土の変化を感じるだけなら、自転車の方が合理的かもしれません。それでも私が徒歩にこだわるのは、速度は遅くとも時間をかければ必ず目的地に到着する着実さが肌に合うからでしょう。私の座右の銘は、”短期的な目標は低く、長期的な目標は高く” です。高い目標を見据えつつも、1日1日は低い目標を目指してコツコツと物事を進めていく。それを何年も続け最後に当初想定した高い目標をにたどり着く、というのは私の行動原理です。最終的には東京〜京都の間でさえも歩き通すとは、まるで私の人生観を体現しているようであり、だから惹かれるのだろうと思っています。
私はここ数年、人生におけるやりたいことリストを定期的に見返しつつ管理しており、そのリストの中には当然「また長距離を歩く」が入っていました。しかしある時リストを見ていて、ふと「なんとなく、もういいかな」と思ったのです。もう徒歩旅行を自分の存在意義にする必要はない、と感じる自分がいました。
大袈裟かもしれませんが、絶望にまみれていた大学時代に自分の人生を変えようと街道を歩き始め、「長距離を歩き通したこと」は私にとって非常に大きな心の支えでした。しかしその頃から私の生活も大きく変わり、仕事ではベテランとなり、結婚し子どももでき、日々を過ごす間に、長距離歩き以外の部分に自分の存在意義を感じられるようになっていました。それに気付いた私は、これまで自信を与えてくれてありがとう、と思いながら、長距離移動を「人生のやりたいことリスト」から外しました。
いま、この文章を書きながら、長距離を歩くのは私は好きだ、また長距離を歩きたいという気持ちが湧いてきています。自分の存在意義のためといった大袈裟な意味を求めず、ただ楽しむために長距離を歩けばいいじゃないか。そう思い、また「人生のやりたいことリスト」に加えようとしています。
いまは仕事に子育てに忙しいですが、いつかまたチャンスは巡ってくるでしょう。そのときは大きくなった子どもも一緒に歩けるかもしれない。それはきっと、いままでとは全く違う楽しい旅になるだろうな。そんなことを考えながら、本稿を終わらせたいと思います。
もしも、長距離歩きの旅に出たいと考えている方は、くれぐれも安全に気をつけて楽しんでください。それでは、外出もままならない世情ですが、いつか皆さんと、どこかの街道で会えることを楽しみにしています。
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