東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
かの菅原道真が詠んだ歌です。
この歌に詠まれた梅の花は大宰府天満宮にあり、現在でも春には美しい花を咲かせています。この梅は通称「飛梅」といわれています。その昔、政争に敗れた菅原道真が京の都から左遷されたとき、道真の邸に植わっていたこの梅の木があるじたる道真を想い、その後を追い掛けて大宰府まで飛んでいったという伝説が残っているからです。
木があるじを想うように、物たる櫛もあるじを想う。
されどもひとの壽命と物の壽命とでは大きな違いがあります。故に《後を追いたい》と願うのです――――
ほんとうに素敵な物語でした。一万文字という字数のなかにこれだけの深い物語を収められた、著者様の筆力に脱帽致しております。
誰かを想うことの暖かさが綴られた美しいこの物語を、是非ともひとりでも多くの読者様に読んでいただきたく存じます。
一人の人物の終わりから始まるこの物語。
その人のお葬式で孫である主人公が一人ロウソクの番をする。
この時点ですでに静かな時間の中にいて、彼は祖母との思い出を思い起こしている。
そしてそれが動きだすのだ。
その動きは他の人には見えなくて、彼にだけ見えている。
祖母の大事にしていた象牙の櫛の付喪神。
祖母と付喪神の間にあるものが何なのか、多くは語られてはいないけれど、共に過ごした時間がとても大事なのは伝わってくる。
彼の願いはただ一つ。
祖母である静と共に葬られる事。
でも主人公の伊織が彼に感じるものも大事で、この時点で伊織は彼の思いを拒否してしまう。
それに対して彼は少しだけ伊織を受け入れるのだ。
静と過ごした時間と伊織と過ごす時間。
何だかそこに普遍性を見る気がした。
結局、付喪神にとっての静との思い出の場所が、同じように伊織との思い出の場所になる。
一つの静という雫が付喪神を象って水輪を描くように広がって、伊織にたどり着く。そんな感覚の物語にさらにいろんな感じるものがあって……
それは読む人の中に静に息づくように思うのだ。
読んで欲しい物語の一つです。
主人公=伊織さんの祖母である静さんのお葬式。
そこに不意に現れた綺麗な少年風の付喪神の願い。
それは静さんと共に葬られること。
しかし伊織さんは目の前の、生まれたばかりの生命にそんなことは出来ないと、付喪神の要求を拒否してしまう。
そこから伊織さんの悩みが生まれて……。
静さんの櫛が付喪神として体を与えられたのはなぜなのか。
伊織さんの疑問は、そのまま私が日頃抱いている疑問に結びつきました。
そしてこの作品には答えが書かれていました。
心が洗われ、軽くなりました。
読み終わったあと、無意識に自分の身の回りや風景に思いを馳せてしまうような、人生の明度を上げてくれる小説でした。