鳳町
日本の大阪府泉北郡にあった町
鳳町(おおとりちょう)は、かつて大阪府にあった町。現在の堺市西区の一部にあたる。
おおとりちょう 鳳町 | |
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大鳥大社本殿 | |
廃止日 | 1942年7月1日 |
廃止理由 |
編入 鳳町、浜寺町、踞尾村、八田荘村、深井村、東百舌鳥村 → 堺市 |
現在の自治体 | 堺市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
郡 | 泉北郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
7,061人 (国勢調査、1940年) |
隣接自治体 | 踞尾村、八田荘村、福泉町、取石村、高石町、浜寺町 |
鳳町役場 | |
所在地 | 大阪府泉北郡鳳町 |
座標 | 北緯34度32分06秒 東経135度27分51秒 / 北緯34.53506度 東経135.46403度座標: 北緯34度32分06秒 東経135度27分51秒 / 北緯34.53506度 東経135.46403度 |
ウィキプロジェクト |
歴史
編集日本武尊が死後に白鳥(大鳥)となって最後に当地に舞い降りたという逸話から「大鳥」の地名が生まれ、町村制施行時に「大鳥」の吉字として「鳳」が採用された。また、古代の当地は海に面した低湿地で、オオトロ(大泥)がオオトリに転訛し、日本武尊の白鳥伝説と習合することになったという説もある。
江戸時代は全域幕府領で、その内訳は旧高旧領取調帳によると、大鳥村・野代村が旗本(代官)領、長承寺村が一橋徳川家領、北王子村が田安徳川家領であった[1]。
沿革
編集- 1881年(明治14年)2月7日 - 大鳥和泉郡役所が堺区大町東の祥雲寺より大鳥郡長承寺村に移転。
- 当初は湊郡役所の名称で大鳥郡湊村への設置を予定していたが、結局湊村には一度も設置されることなく、堺区より移転後郡制廃止まで当地に所在することとなった。現在も大阪府泉北府民センターが当地に所在している。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、大鳥郡大鳥村、北王子村、長承寺村、野代村が合併して鳳村が発足。大字北王子に村役場を設置。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡の統廃合により、所属郡が泉北郡に変更。
- 1920年(大正9年)6月1日 - 町制を施行して、泉北郡鳳町となる。
- 1942年(昭和17年)7月1日 - 泉北郡浜寺町、踞尾村、八田荘村、深井村、東百舌鳥村とともに堺市に編入される。
- 1943年(昭和18年) - 堺市鳳北町、鳳中町、鳳東町、鳳南町、鳳西町の現行町名に改称。
交通
編集鉄道路線
編集道路
編集脚注
編集- ^ “国立歴史民俗博物館データベース”. 2018年5月21日閲覧。