鯖江陣屋
概要
編集間部氏は、もと甲楽師の出で6代将軍徳川家宣の側用人をした間部詮房(まなべあきふさ)が始まりである。8代将軍吉宗の代になると、詮房は老中職を解任され、越後国村上藩5万石に転封する。
享保5年(1720年)越後村上藩から詮房の弟詮言が5万石で入封したのに始まる。陣屋はそれまでにあった幕府の代官所を中心に築かれた。
陣屋の規模は13万坪に及び、町並み整備と供に、藩庁、御殿、家臣の屋敷が軒を連ねていた。お屋敷は北陸道の東側、それに北側の西山の麓に置かれた。
遺構
編集陣屋跡は市街地となり、公園に説明板がある他遺構はないが、御用屋敷門(赤門)が万慶寺裏門として移築されている。松阜(まつがおか)神社境内に受福堂御門(市指定文化財)が移築現存する。
脚注
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