野上素一
野上 素一(のがみ そいち、1910年1月29日 - 2001年2月4日)は、日本のイタリア文学者・イタリア語学者。京都大学名誉教授。
人物情報 | |
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生誕 |
1910年1月29日 日本東京都 |
死没 | 2001年2月4日 (91歳没) |
出身校 | 東京帝国大学・ローマ大学 |
学問 | |
研究分野 | 文学(イタリア文学) |
研究機関 | 京都大学 |
経歴
編集野上豊一郎・弥生子夫妻の長男として東京府(現在の東京都)に生まれる[1]。1934年、東京帝国大学文学部言語学科卒業[2]。日本とイタリアの交換留学生となり、ローマ大学に入学、1936年、講師となるが、戦争が勃発し、1943年、イタリアの敗戦でドイツに移住。1945年、ドイツの敗戦で収容所に収容される。のち、アメリカの軍艦で帰国した。
1946年、京都帝国大学文学部イタリア語イタリア文学講座講師、1947年、助教授、1950年、「日本ダンテ学会」を設立し、会長となる。1951年にイタリア学会を創立し、初代会長に就任、1975年まで務めた。1954年、京都大学文学部イタリア文学科主任教授。1964年、イタリア語・日本語辞典『新伊和辞典』編纂で毎日出版文化賞受賞。ボッカチオ『デカメロン』完訳の業績もあり、またダンテ研究にも取り組んだ(「神曲・新生」訳は筑摩書房・世界古典文学全集35)。日本イタリア京都会館を設立、初代理事長に就任した。
人物・交友
編集家族・親族
編集- 野上家
- 父・豊一郎[4](1883年 - 1950年、英文学者、能楽研究家、法政大学総長)
- 母・弥生子[4](1885年 - 1985年、大分、小手川角三郎の長女、作家)
- 弟(次男):野上茂吉郎は物理学者[1]
- 弟(三男):野上耀三も物理学者で、東京大学教授。
- 先妻・マルギット - 1911年生まれ[2]。ハンガリー人[5]。1948年に離婚[5]。
- 後妻(千葉亀之助の娘)[6]
- 長女 - 1944年生まれ[2]。マルギットとの子で、洋名ミションカ[5]。
- 親戚
著書
編集- 『イタリア語入門』岩波書店 1954年
- 『イタリア語四週間』大学書林 1964年
- 『ダンテ 神曲 詩と絵画にみる世界』社会思想社 1968年
- 『ダンテ その華麗なる生涯』新潮選書 1974年。そのほぼ全篇がイタリアのジャーナリスト、インドロ・モンタネッリの『ダンテとその時代』(ミラノ、リッツォーリ社、1964年刊)からの剽窃であると報じられ (『読売新聞』1975年6月21日夕刊)、版元の新潮社はただちに同書を全国の書店から回収し、絶版措置を取った。
- 『ダンテ 人と思想』清水書院 1981年、新版2016年
翻訳
編集- ボッカチオ『デカメロン 十日物語』(全6冊)岩波文庫 1948年 - 1959年
- ジュセッペ・ベルト(Giuseppe Berto)『空は赤い』角川書店 1951年
- カルロ・ゴルドーニ『宿屋のおんな主人』岩波文庫 1951年
- ポール・アリーギ『イタリア文学史』白水社〈文庫クセジュ〉 1958年
- ガブリエーレ・ダヌンツィオ『死の勝利』(全2巻)岩波文庫 1961年 - 1963年
- ダンテ・アリギエリ『神曲・新生』筑摩書房 1962年 - 1973年
- 世界文学大系〈6〉/世界古典文学全集〈35〉/筑摩世界文学大系〈11〉で刊
- パンフィロ・ジェンティーレ『イタリア現代史』世界思想社 1967年
- ダンテ『神曲物語』現代教養文庫 1968年/文元社 2004年、インタープレイ 2015年。各・ペーパーバック
- ボッカチオ『デカメロン物語』現代教養文庫 1969年/文元社 2004年、インタープレイ 2015年。各・訳著
編さん
編集- 『図解イタリア語会話』海文堂 1963年
- 『新伊和辞典』白水社 1964年、増訂版1981年
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
- 野上素一「イタリア学への道」(若き日の人と学との出会い-8-)『知識』1982年10月号。
- インタヴュ-・野上素一先生に聞く『イタリア学会誌』1997年10月号。
- 小谷野敦『日本の有名一族 近代エスタブリッシュメントの系図集』幻冬舎〈幻冬舎新書〉、2007年9月30日第1刷発行 ISBN 978-4-3449-8055-6。