牧野康長
江戸時代の藩主 (1796-1868)
牧野 康長(まきの やすなが)は、信濃小諸藩の第6代藩主。越後長岡藩分家牧野家8代。
時代 | 江戸時代後期 - 末期 |
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生誕 | 寛政8年(1796年) |
死没 | 慶応4年1月4日(1868年1月28日) |
改名 | 虎之丞(幼名)、康長 |
別名 | 大蔵(通称) |
諡号 | 松山 |
戒名 | 恭徳院殿高誉松山善翁大居士 |
墓所 | 長野県小諸市の牧野家墓地 |
官位 | 従五位下、内膳正、宮内少輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 信濃国小諸藩主 |
氏族 | 牧野氏 |
父母 | 父:牧野康儔 |
兄弟 | 康長、康明 |
妻 | 正室:なし |
子 | 養子:康明 |
寛政8年(1796年)、第5代藩主・牧野康儔の長男として生まれる(生年は寛政10年(1798年)6月23日説もある)。寛政12年(1800年)に父が死去したため家督を継いだ。享和2年(1802年)に藩校・明倫堂を創設して文武を奨励している。文化11年(1814年)1月に従五位下・内膳正に叙位・任官する。文化13年(1816年)8月23日に宮内少輔に遷任する。
文政2年(1819年)4月21日、病気を理由に家督を弟で養子の康明に譲って隠居する。天保4年(1833年)12月29日には松山と号した。慶応4年(1868年)1月4日に死去した。享年73。
系譜
編集父母
- 牧野康儔(父)
養子
- 牧野康明 - 康儔の次男