湯用彤
湯 用彤(とう ようとう、拼音: 、簡: 汤用彤、1893年〈光緒19年〉[1]8月4日- 1964年[1]5月1日)は、中華民国・中華人民共和国の中国哲学史家[2]・仏教史家[1][3]。主著に『魏晋玄学論稿』[2]『漢魏両晋南北朝仏教史』[3]。
人物情報 | |
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生誕 |
1893年8月4日 清 湖北省 |
死没 | 1964年5月1日 (70歳没) |
出身校 | 清華学堂、ハーバード大学 |
子供 | 湯一介 |
学問 | |
研究分野 | 中国哲学・仏教学 |
研究機関 | 北京大学 |
経歴
編集1893年(光緒19年)、現在の湖北省黄梅で生まれた[1]。字は錫予[1]。1917年、北京の清華学堂(現在の清華大学)を卒業[1]。ハーバード大学に留学し、インド学者のランマンや文学者のバビットの下で学び[1]、1923年、修士号を取得[2]。
帰国後、東南大学、南開大学、国立中央大学、北京大学、西南聯合大学の教授を務めた[2]。1949年の中華人民共和国成立後は、北京大学副学長・中国科学院哲学社会科学部委員といった要職を務めた[2]。
研究内容・業績
編集中国仏教、玄学、中国哲学、インド哲学の研究と教育に功績がある[2]。その学問は章炳麟の影響を受けている[2]。指導学生の中から任継愈らが育った。
家族・親族
編集著作
編集- 《汉魏两晋南北朝佛教史》
- 《理学、玄学、佛学》
- 《魏晋玄学论稿》
- 《隋唐佛教史稿》
- 《印度哲学史略》