渡辺綱保
渡辺 綱保(わたなべ つなやす)は、江戸時代中期の尾張藩家老。渡辺半蔵家7代当主。
守綱寺所蔵 | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 宝永7年11月21日(1711年1月9日) |
死没 | 宝暦4年7月27日(1754年9月13日) |
別名 | 源三郎、通称:半蔵 |
墓所 | 愛知県豊田市寺部町の守綱寺 |
官位 | 従五位下、飛騨守 |
主君 | 徳川継友→宗春→宗勝 |
藩 | 尾張藩家老 |
氏族 | 三河渡辺氏 |
父母 |
父:渡辺定綱、 母:石川章長養女(毛利内記頼説娘) 養父:渡辺直綱 |
兄弟 | 秀綱、直綱、綱保 |
妻 | 竹腰正武娘 |
子 | 綱敦、綱通、箕田源之右衛門 |
略歴
編集宝永7年(1710年)尾張藩家老、三河寺部領主・渡辺定綱の子として誕生した。
享保3年(1718年)兄・直綱の死去により家督を相続し、寺部領主となる。まだ幼く、先代・直綱の時と同様、自ら江戸に参府せず、使者を遣わして、8代将軍・徳川吉宗に銀馬代、時服を献上した。
出典
編集- 『渡辺半蔵家家譜』