文部大臣
日本の国務大臣
文部大臣(もんぶだいじん、英: Minister of Education, Science, Sports and Culture)は、かつて日本の文部省の長および主任の大臣であった国務大臣である。日本語略称は文相(ぶんしょう)。
日本 文部卿/文部大臣 もんぶきょう/もんぶだいじん Minister of Education, Science, Sports and Culture | |
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担当機関 | 文部省 |
任命 | 天皇(大日本帝国憲法下) 内閣総理大臣(日本国憲法下) |
根拠法令 | 大日本帝国憲法(1947年以前) 日本国憲法(1947年以降) |
創設 | 明治4年7月28日 (1871年9月12日) |
初代 | 文部卿:大木喬任 文部大臣:森有礼 |
最後 | 文部卿:大木喬任 文部大臣:町村信孝 |
廃止 | 2001年(平成13年)1月6日 |
継承 | 文部科学大臣 |
前身は文部卿(もんぶきょう)、後身は文部科学大臣。
歴代文部卿
編集代数 | 氏名 | 肖像 | 在任期間 | 出身母体等 |
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1 | 大木喬任 | 1871年9月12日(明治4年7月28日) - 1873年(明治6年)4月19日 |
肥前藩 | |
2 | 木戸孝允 | 1874年(明治7年)1月25日 - 1874年(明治7年)5月13日 |
長州藩 | |
- | 田中不二麿 | 木戸の辞任から西郷の着任まで、文部大輔の田中が文部卿の職務を代行[4]。 | 尾張藩 | |
3 | 西郷従道 | 1878年(明治11年)5月24日 - 1878年(明治11年)12月24日 |
薩摩藩 | |
4 | 寺島宗則 | 1879年(明治12年)9月10日 - 1880年(明治13年)2月28日 | ||
5 | 河野敏鎌 | 1880年(明治13年)2月28日 - 1881年(明治14年)4月7日 |
土佐藩 | |
6 | 福岡孝弟 | 1881年(明治14年)4月7日 - 1883年(明治16年)12月12日 | ||
7 | 大木喬任 | 1883年(明治16年)12月12日 - 1885年(明治18年)12月22日 |
肥前藩 |
歴代文部大臣
編集大日本帝国憲法下
編集文部大臣(文部省官制(明治19年2月27日勅令第2号)) | ||||||
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代数 | 氏名 | 肖像 | 内閣 | 就任年月日 | 出身母体等 | |
1 | 森有礼 | 第1次伊藤内閣 | 1885年(明治18年)12月22日 | 薩摩藩 | ||
黒田内閣 | 1888年(明治21年)4月30日 | |||||
- | 大山巌 (臨時兼任) |
1889年(明治22年)2月16日[5] | ||||
2 | 榎本武揚 | 1889年(明治22年)3月22日 | 幕臣 | |||
第1次山縣内閣 | 1889年(明治22年)12月24日 | |||||
3 | 芳川顕正 | 1890年(明治23年)5月17日 | 徳島藩 | |||
第1次松方内閣 | 1891年(明治24年)5月6日 | |||||
4 | 大木喬任 | 1891年(明治24年)6月1日 | 肥前藩 | |||
5 | 河野敏鎌 | 第2次伊藤内閣 | 1892年(明治25年)8月8日 | 土佐藩 | ||
6 | 井上毅 | 1893年(明治26年)3月7日 | 肥前藩 | |||
- | 芳川顕正 (臨時兼任) |
1894年(明治27年)8月29日 | 徳島藩 | |||
7 | 西園寺公望 | 1894年(明治27年)10月3日 | 公家 | |||
第2次松方内閣 | 1896年(明治29年)9月18日 | |||||
8 | 蜂須賀茂韶 | 1896年(明治29年)9月28日 | 徳島藩 | |||
9 | 浜尾新 | 1897年(明治30年)11月6日 | 豊岡藩 | |||
10 | 西園寺公望 | 第3次伊藤内閣 | 1898年(明治31年)1月12日 | 公家 | ||
11 | 外山正一 | 1898年(明治31年)4月30日 | 幕臣 | |||
12 | 尾崎行雄 | 第1次大隈内閣 | 1898年(明治31年)6月30日 | 憲政党 | ||
13 | 犬養毅 | 1898年(明治31年)10月27日 | ||||
14 | 樺山資紀 | 第2次山縣内閣 | 1898年(明治31年)11月8日 | 海軍 | ||
15 | 松田正久 | 第4次伊藤内閣 | 1900年(明治33年)10月19日 | 立憲政友会 | ||
16 | 菊池大麓 | 第1次桂内閣 | 1901年(明治34年)6月2日 | 貴族院 | ||
17 | 児玉源太郎 (兼任) |
1903年(明治36年)7月17日 | 陸軍 | |||
18 | 久保田譲 | 1903年(明治36年)9月22日 | 貴族院 | |||
19 | 桂太郎 (兼任) |
1905年(明治38年)12月14日 | 陸軍 | |||
- | 西園寺公望 (臨時兼任) |
第1次西園寺内閣 | 1906年(明治39年)1月7日 | 立憲政友会 | ||
20 | 牧野伸顕 | 1906年(明治39年)3月27日 | 外務官僚 | |||
21 | 小松原英太郎 | 第2次桂内閣 | 1908年(明治41年)7月14日 | 貴族院 | ||
22 | 長谷場純孝 | 第2次西園寺内閣 | 1911年(明治44年)8月30日 | 立憲政友会 | ||
- | 牧野伸顕 (臨時兼任) |
1912年(大正元年)11月9日 | 外務官僚 | |||
23 | 柴田家門 | 第3次桂内閣 | 1912年(大正元年)12月21日 | 貴族院 | ||
24 | 奥田義人 | 第1次山本内閣 | 1913年(大正2年)2月20日 | 立憲政友会 | ||
25 | 大岡育造 | 1914年(大正3年)3月6日 | 貴族院 | |||
26 | 一木喜徳郎 | 第2次大隈内閣 | 1914年(大正3年)4月16日 | |||
27 | 高田早苗 | 1915年(大正4年)8月10日 | ||||
28 | 岡田良平 | 寺内内閣 | 1916年(大正5年)10月9日 | |||
29 | 中橋徳五郎 | 原内閣 | 1918年(大正7年)9月29日 | 立憲政友会 | ||
高橋内閣 | 1921年(大正10年)11月13日 | |||||
30 | 鎌田栄吉 | 加藤友三郎内閣 | 1922年(大正11年)6月12日 | 貴族院立憲政友会 | ||
31 | 犬養毅 (兼任) |
第2次山本内閣 | 1923年(大正12年)9月2日 | 革新倶楽部 | ||
32 | 岡野敬次郎 (兼任) |
1923年(大正12年)9月6日 | 貴族院立憲政友会 | |||
33 | 江木千之 | 清浦内閣 | 1924年(大正13年)1月7日 | 貴族院 | ||
34 | 岡田良平 | 加藤高明内閣 | 1924年(大正13年)6月11日 | 貴族院 | ||
第1次若槻内閣 | 1926年(大正15年)1月30日 | |||||
35 | 三土忠造 | 田中義一内閣 | 1927年(昭和2年)4月20日 | 立憲政友会 | ||
36 | 水野錬太郎 | 1927年(昭和2年)6月2日 | ||||
37 | 勝田主計 | 1928年(昭和3年)5月25日 | 貴族院 | |||
38 | 小橋一太 | 濱口内閣 | 1929年(昭和4年)7月2日 | 立憲民政党 | ||
39 | 田中隆三 | 1929年(昭和4年)11月29日 | ||||
第2次若槻内閣 | 1931年(昭和6年)4月14日 | |||||
40 | 鳩山一郎 | 犬養内閣 |
1931年(昭和6年)12月13日 | 立憲政友会 | ||
齋藤内閣 | 1932年(昭和7年)5月26日 | |||||
41 | 斎藤実 (兼任) |
1933年(昭和8年)3月3日 | 海軍 | |||
42 | 松田源治 | 岡田内閣 | 1934年(昭和9年)7月8日 | 立憲民政党 | ||
43 | 川崎卓吉 | 1936年(昭和11年)2月2日 | ||||
44 | 潮恵之輔 (兼任) |
廣田内閣 | 1936年(昭和11年)3月9日 | 貴族院 | ||
45 | 平生釟三郎 | 1936年(昭和11年)3月25日 | ||||
46 | 林銑十郎 (兼任) |
林内閣 | 1937年(昭和12年)2月2日 | 陸軍 | ||
47 | 安井英二 | 第1次近衛内閣 | 1937年(昭和12年)6月4日 | 内務官僚 | ||
48 | 木戸幸一 | 1937年(昭和12年)10月22日 | 貴族院 | |||
49 | 荒木貞夫 | 1938年(昭和13年)5月26日 | 陸軍 | |||
平沼内閣 | 1939年(昭和14年)1月5日 | |||||
50 | 河原田稼吉 | 阿部内閣 | 1939年(昭和14年)8月30日 | 貴族院 | ||
51 | 松浦鎮次郎 | 米内内閣 | 1940年(昭和15年)1月16日 | 文部官僚 | ||
52 | 橋田邦彦 | 第2次近衛内閣 | 1940年(昭和15年)7月22日 | 東大教授 | ||
第3次近衛内閣 | 1941年(昭和16年)7月18日 | |||||
東條内閣 | 1941年(昭和16年)10月18日 | |||||
53 | 東條英機 (兼任) |
1943年(昭和18年)4月20日 | 陸軍 | |||
54 | 岡部長景 | 1943年(昭和18年)4月23日 | 貴族院 | |||
55 | 二宮治重 | 小磯内閣 | 1944年(昭和19年)7月22日 | 陸軍 | ||
56 | 児玉秀雄 | 1945年(昭和20年)2月10日 | 貴族院 | |||
57 | 太田耕造 | 鈴木貫太郎内閣 | 1945年(昭和20年)4月7日 | |||
58 | 松村謙三 (兼任) |
東久邇宮内閣 | 1945年(昭和20年)8月17日 | 大日本政治会 | ||
59 | 前田多門 | 1945年(昭和20年)8月18日 | 貴族院 | |||
幣原内閣 | 1945年(昭和20年)10月9日 | |||||
60 | 安倍能成 | 1946年(昭和21年)1月13日 | ||||
61 | 田中耕太郎 | 第1次吉田内閣 | 1946年(昭和21年)5月22日 | 民間人 |
日本国憲法下
編集太文字は内閣総理大臣経験者