教興寺
大阪府八尾市にある真言律宗の寺院
教興寺(きょうこうじ)は、大阪府八尾市にある真言律宗の寺院。奈良市西大寺の末寺である。山号は獅子吼山(ししくさん)。以前、藪がたくさん生えていたことから、地元では「藪寺」と親しまれている。
教興寺 | |
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山門 | |
所在地 | 大阪府八尾市教興寺7-21 |
位置 | 北緯34度37分8.21秒 東経135度38分10.99秒 / 北緯34.6189472度 東経135.6363861度 |
山号 | 獅子吼山 |
院号 | 大慈三昧院 |
宗派 | 真言律宗 |
寺格 | 別格本山 |
本尊 | 弥勒菩薩 |
創建年 | 崇峻天皇元年(588年) |
開基 | (伝)秦河勝、聖徳太子(発願) |
正式名 | 獅子吼山 大慈三昧院 教興寺 |
別称 | 藪寺 |
札所等 | おおさか十三仏霊場第6番 |
法人番号 | 4122005002162 |
歴史
編集寺伝によれば、聖徳太子が物部守屋の討伐を祈願するため、秦河勝に命じて崇峻天皇元年(588年)に建立したという。
寺は中世には荒れ果て、鎌倉時代に、奈良・西大寺の叡尊が復興した。叡尊は河内布教の帰途の際、教興寺が荒れ果てているのを知り、文永6~7年(1269年 - 1270年)にかけて再興した。また、叡尊は蒙古襲来の際に敵国降伏の祈祷をしばしば朝廷より命じられているが、教興寺においても祈祷している。
戦国時代の永禄5年(1562年)5月19日、ここに陣を敷いた河内国守護畠山高政と三好義興・松永久秀の軍勢との合戦となり、教興寺は戦火に巻き込まれ伽藍と多くの施設を焼失した。
再度荒廃した教興寺は、江戸時代の貞享年間(1684年 - 1687年)に浄巌和尚によって再興された。浄厳と親交のあった近松門左衛門がしばらく寺に寄宿していたと伝えられている。
境内
編集現在残る堂宇は、貞享年間に建てられた客殿(仮本堂)、山門および鐘楼のみとなっている。
境内に寺池、大門池という小さな2つの池があり、傍らに大きなクスノキがそびえている。敷地東端にフェニックスが生えている一角があるが、かつてそこに本堂があった。